(2018年10月31日)
本書「食事作法の起源」のモンマネキ神話ではヒーロー・モンマネキの同盟結成の努力が描かれます。人の娘と婚姻を結べば無難にまとまるはずですが、洪水に襲われ生き残ったのは地霊に拾い上げられた彼と老母のみ。娘などどこにも見当たらない。狩人として細々と生活を立てながらも、カエル、地虫などとの同盟を試み、老母の介入を受け、破棄されながらも、幾つかの「文化」を発明する。重要な一つがカヌー(pirogue)航行。逃げた嫁(金剛インコ)を追い、Solimoes川を下ります。
この「川下り嫁探し」はTukuna族からアマゾン下流のArawak族に広く伝わる神話の要素です。Warrau族はアマゾン北方、オリノコ河流域に居住し、アマゾン流域諸族との交流関係は当然、密接です。Warrauが伝える川下りの一例「麗しのアサワコ」M406、111頁を紹介します。
あらすじ;
主人公Waiamariは訳あって叔父宅に居寓する。叔父は幾人かの嫁を持つ。もっとも若い嫁が二人して水浴びの最中に言い寄ってきた。Wai..は「Inceste! honte sur toi近親姦だ、己の恥をしれ」とはねのけた。叔父宅に居ては危ないと別の叔父(Okohi)宅に移る。前に同居していた叔父はこの行動をあやしみ、Wai..が先に叔母を誘惑したと決めつけた。引っ越し先に来ては闘いを売りつけた。そのたびに叔父がWai..の背をとる(勝つ)。Okohiは仲介に入り、Wai..に旅をさせる。
解説;Warrau族は南米先住民のおおかたの例に違わず母方居住。Wai..は成人儀礼の前なので母方の居宅に住む。叔父とはこの居宅に「夜にのみ通う」別の支族の男であろう。Wai..と彼とはいずれ、地位と身分で対抗する。さて、母方居住の周囲には、母の姉妹と他にも血族の女のみ。言い寄る叔母とは叔父の連れ合いではなく、Wai..の母の妹となる。即座にはねのけるWai..の様がその証左であるが、次の一文<<Ce depart eveilla les soupcons du premier oncle qui l’accusa d’avoir voulu seduire SA PROPRE TANTE>>に実叔母である証拠が読める。
訳;唐突なこの移動により、はじめの叔父にありとあらゆる疑念が沸きあがり、己の妻で(Wai..には実の)叔母を、Wai..が誘惑したのだと罪をなすりつけた。
PROPREを大文字にしました。この語を名詞の前に置くと「己の」所有を表します。mes propres yeux は己の目で、「私の清潔な目」を伝えたいならmes yeux propresとする(辞書robertから)。PROPREを冠せられる TANTEは実の叔母となる。叔父の連れ合い、義理の叔母ではない、実の叔母との近親姦となれば、犯してしまったら禁忌の罰の度合いはなお強い。
読者はここでM1(第一巻、生と調理の最初の神話、Bororo族)を思い起こす筈です。それは、実の母と近親姦を犯し父に捨てられ(鳥の巣あらしの経緯)。ハゲワシに啄まれ死んでも蘇り、村に戻って父母を殺戮し、祖母と新たな社会を創造する。成人間近の男子が母方に居住する母系本来の危うさを、通過儀礼の風習に織り交ぜている構成です。婚姻の規則の成り立ちを窺わせる意味から、卓越した筋立てとされますが、Warrau族に伝わるアサワコ神話は、M1の伝播であります。
さて、Wai..の旅とはOkohi(親切)叔父とのカヌー行。オリノコを下ります。艫に叔父、舳先にWai..は身分の上下からしての位置取り。程なくしてアサワコAssawakoの住む岸辺に着く。彼女を形容するに原文はla belle et sage(美しく賢く)を用いている。投稿子は「麗しき」と訳した。
写真:warrau族の神話を読みホメロス、カリプソのくだりを思い出してしまう。図はアルノルト・ベックリンによる(ネットから採取、著作権については作者の生存年からして問題なしと判断した。間違いであればご指摘を)
<<Celle-ci les recut gracieusement et pria l’oncle de laisser son neveu l’accompagner aux chanps.…Assawako dit au jeune homme de se reposer pendant que’elle irait chercher de quoi manger>>
拙訳;アサワコは二人をおおらかに受け入れ、叔父には野に出るので甥ごさん(Wai..)を同伴できないかと頼んだ。(野に出ると)アサワコは「 ちょっとした食べる物を見つけてくるからここに休んでいて」一人森に入った。
de quoi mangerはフランス人が軽食を摂るさいによく用いる「何とか口に入る物」的で粗末な食い物の意味。そして持ち戻った物とはバナナ、パイナップル、サトウキビ、スイカ、ピーマンなど。それらを両手に一杯抱えていた。アサワコは謙遜した。
帰り道に彼女が尋ねた「あなたってきっと素適な狩人なのよね」(=elle demanda s’il etait bon chasseur)するとWai..は
<<Il s’eloigna sans mot dire et la rejoignit presque aussitot avec une pleine charge de viande de tatou. Elle etait fiere de lui, comme il convient a une femme, elle reprit sa sa place en arriere>>
訳;答えるにもその一言を残さず、Wai..は彼女から離れすぐに立ち戻った。手にアルマジロの肉をたっぷりと抱えて。アサワコはすっかりWai..を気に入って、その順が女性に心地よいので彼の後ろに身を寄せた。そして帰り道、
<<Quand ils furent presque arrives, elle promit qu’on trouveraient de quoi boire dans la hutte et s’informa s’il savait jouer d’un certain instrument de musique.<un petit peu>, repondit Il joua d’une facon merveilleuse. Il passerent la nuit en tendres ebats>>
拙訳:途上アサワコはWai..に小屋には飲み物があるのよ。あなた、何か楽器が弾けるのかしら。するとWai..は「ちょっとだけ」と答えた。いざ手に取ると、彼はすばらしい奏者であった。かく、二人はその夜を甘いebatsに過ごした。
ebatsとは何か。辞書では気晴らし楽しみとある(スタンダード)。少し踏み込もう、するとebats amoureux(愛の楽しみ)なる語を発見した。その意がまさにactivites erotiques(エロチックな活動)とある(robert)。
若い二人の半日一夜の楽しみの、迎える終盤、叔父のはずれた小屋での二人には、楽器の奏にとうっとり聞き惚れ、ebats三昧だった。
楽器とは若い男が娘に求愛する役割を持つ。男は通過儀礼を前にして、楽器演奏の修得に余念がない。Wai..の旅とはその儀礼の真っ最中(旅に出る事が通過儀礼である)。腕前はすでに成人並みで、アサワコはまたまた、この若者に惚れ直した。
よって二人のebatsとは辞書robertの教えるままに、amour(愛)の交歓だった。
しかしこの愛は成就しなかった。Wai..は<<Je ne puis pas abandonner mon oncle. Il a toujours ete bon pour moi>>叔父を捨てる訳にはいかない、彼はいつも私をよくしてくれたとアサワコに告げる。La jeune femme fondit en larmes, lui aussi etait triste. 新妻は目に涙を溜めた、彼も悲しかった。
Wai..がとどまれば叔父は一人にしてカヌーで川を遡る。カヌーは一人では操れない、まして上りでは転覆を避けられない。これがモンマネキが味わった苦労で捨てるの用法が正しい。
レヴィストロース神話学第3巻「食事作法の起源」を読む3の了
(次回投稿は11月2日予定)
本書「食事作法の起源」のモンマネキ神話ではヒーロー・モンマネキの同盟結成の努力が描かれます。人の娘と婚姻を結べば無難にまとまるはずですが、洪水に襲われ生き残ったのは地霊に拾い上げられた彼と老母のみ。娘などどこにも見当たらない。狩人として細々と生活を立てながらも、カエル、地虫などとの同盟を試み、老母の介入を受け、破棄されながらも、幾つかの「文化」を発明する。重要な一つがカヌー(pirogue)航行。逃げた嫁(金剛インコ)を追い、Solimoes川を下ります。
この「川下り嫁探し」はTukuna族からアマゾン下流のArawak族に広く伝わる神話の要素です。Warrau族はアマゾン北方、オリノコ河流域に居住し、アマゾン流域諸族との交流関係は当然、密接です。Warrauが伝える川下りの一例「麗しのアサワコ」M406、111頁を紹介します。
あらすじ;
主人公Waiamariは訳あって叔父宅に居寓する。叔父は幾人かの嫁を持つ。もっとも若い嫁が二人して水浴びの最中に言い寄ってきた。Wai..は「Inceste! honte sur toi近親姦だ、己の恥をしれ」とはねのけた。叔父宅に居ては危ないと別の叔父(Okohi)宅に移る。前に同居していた叔父はこの行動をあやしみ、Wai..が先に叔母を誘惑したと決めつけた。引っ越し先に来ては闘いを売りつけた。そのたびに叔父がWai..の背をとる(勝つ)。Okohiは仲介に入り、Wai..に旅をさせる。
解説;Warrau族は南米先住民のおおかたの例に違わず母方居住。Wai..は成人儀礼の前なので母方の居宅に住む。叔父とはこの居宅に「夜にのみ通う」別の支族の男であろう。Wai..と彼とはいずれ、地位と身分で対抗する。さて、母方居住の周囲には、母の姉妹と他にも血族の女のみ。言い寄る叔母とは叔父の連れ合いではなく、Wai..の母の妹となる。即座にはねのけるWai..の様がその証左であるが、次の一文<<Ce depart eveilla les soupcons du premier oncle qui l’accusa d’avoir voulu seduire SA PROPRE TANTE>>に実叔母である証拠が読める。
訳;唐突なこの移動により、はじめの叔父にありとあらゆる疑念が沸きあがり、己の妻で(Wai..には実の)叔母を、Wai..が誘惑したのだと罪をなすりつけた。
PROPREを大文字にしました。この語を名詞の前に置くと「己の」所有を表します。mes propres yeux は己の目で、「私の清潔な目」を伝えたいならmes yeux propresとする(辞書robertから)。PROPREを冠せられる TANTEは実の叔母となる。叔父の連れ合い、義理の叔母ではない、実の叔母との近親姦となれば、犯してしまったら禁忌の罰の度合いはなお強い。
読者はここでM1(第一巻、生と調理の最初の神話、Bororo族)を思い起こす筈です。それは、実の母と近親姦を犯し父に捨てられ(鳥の巣あらしの経緯)。ハゲワシに啄まれ死んでも蘇り、村に戻って父母を殺戮し、祖母と新たな社会を創造する。成人間近の男子が母方に居住する母系本来の危うさを、通過儀礼の風習に織り交ぜている構成です。婚姻の規則の成り立ちを窺わせる意味から、卓越した筋立てとされますが、Warrau族に伝わるアサワコ神話は、M1の伝播であります。
さて、Wai..の旅とはOkohi(親切)叔父とのカヌー行。オリノコを下ります。艫に叔父、舳先にWai..は身分の上下からしての位置取り。程なくしてアサワコAssawakoの住む岸辺に着く。彼女を形容するに原文はla belle et sage(美しく賢く)を用いている。投稿子は「麗しき」と訳した。
写真:warrau族の神話を読みホメロス、カリプソのくだりを思い出してしまう。図はアルノルト・ベックリンによる(ネットから採取、著作権については作者の生存年からして問題なしと判断した。間違いであればご指摘を)
<<Celle-ci les recut gracieusement et pria l’oncle de laisser son neveu l’accompagner aux chanps.…Assawako dit au jeune homme de se reposer pendant que’elle irait chercher de quoi manger>>
拙訳;アサワコは二人をおおらかに受け入れ、叔父には野に出るので甥ごさん(Wai..)を同伴できないかと頼んだ。(野に出ると)アサワコは「 ちょっとした食べる物を見つけてくるからここに休んでいて」一人森に入った。
de quoi mangerはフランス人が軽食を摂るさいによく用いる「何とか口に入る物」的で粗末な食い物の意味。そして持ち戻った物とはバナナ、パイナップル、サトウキビ、スイカ、ピーマンなど。それらを両手に一杯抱えていた。アサワコは謙遜した。
帰り道に彼女が尋ねた「あなたってきっと素適な狩人なのよね」(=elle demanda s’il etait bon chasseur)するとWai..は
<<Il s’eloigna sans mot dire et la rejoignit presque aussitot avec une pleine charge de viande de tatou. Elle etait fiere de lui, comme il convient a une femme, elle reprit sa sa place en arriere>>
訳;答えるにもその一言を残さず、Wai..は彼女から離れすぐに立ち戻った。手にアルマジロの肉をたっぷりと抱えて。アサワコはすっかりWai..を気に入って、その順が女性に心地よいので彼の後ろに身を寄せた。そして帰り道、
<<Quand ils furent presque arrives, elle promit qu’on trouveraient de quoi boire dans la hutte et s’informa s’il savait jouer d’un certain instrument de musique.<un petit peu>, repondit Il joua d’une facon merveilleuse. Il passerent la nuit en tendres ebats>>
拙訳:途上アサワコはWai..に小屋には飲み物があるのよ。あなた、何か楽器が弾けるのかしら。するとWai..は「ちょっとだけ」と答えた。いざ手に取ると、彼はすばらしい奏者であった。かく、二人はその夜を甘いebatsに過ごした。
ebatsとは何か。辞書では気晴らし楽しみとある(スタンダード)。少し踏み込もう、するとebats amoureux(愛の楽しみ)なる語を発見した。その意がまさにactivites erotiques(エロチックな活動)とある(robert)。
若い二人の半日一夜の楽しみの、迎える終盤、叔父のはずれた小屋での二人には、楽器の奏にとうっとり聞き惚れ、ebats三昧だった。
楽器とは若い男が娘に求愛する役割を持つ。男は通過儀礼を前にして、楽器演奏の修得に余念がない。Wai..の旅とはその儀礼の真っ最中(旅に出る事が通過儀礼である)。腕前はすでに成人並みで、アサワコはまたまた、この若者に惚れ直した。
よって二人のebatsとは辞書robertの教えるままに、amour(愛)の交歓だった。
しかしこの愛は成就しなかった。Wai..は<<Je ne puis pas abandonner mon oncle. Il a toujours ete bon pour moi>>叔父を捨てる訳にはいかない、彼はいつも私をよくしてくれたとアサワコに告げる。La jeune femme fondit en larmes, lui aussi etait triste. 新妻は目に涙を溜めた、彼も悲しかった。
Wai..がとどまれば叔父は一人にしてカヌーで川を遡る。カヌーは一人では操れない、まして上りでは転覆を避けられない。これがモンマネキが味わった苦労で捨てるの用法が正しい。
レヴィストロース神話学第3巻「食事作法の起源」を読む3の了
(次回投稿は11月2日予定)