蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

若宮、ジゾウ道行き朝川の土手

2009年11月25日 | 小説
拙作の「2007年冷たい宇宙、天国と地獄」=HP部族民通信に掲載中での1場面。地獄抜けした若宮がジゾウの案内で多摩の朝川土手に岡揚がりする。めざすのが輪廻転生場の道場。歩き始めたが若宮は地獄での釜ゆでこぼしの後遺で、右膝が痛む。土手を越そうに足が進まない、アレーとシリモチつく場面です。その1節を取り上げました。書いている本人が笑ってしまう馬鹿らしさです、皆様もお笑い下さい。
ジゾウが若宮を励ます、
=「焦りなさるな用心が一番、踏み段にしっかと身体を預け、ゆるりと足を上げそのまま堪えて、幾度か用心繰り返せば、ほれ頂きは近いぞ」と励ます。喘ぎながらも足元揃えて石段を上る若宮を手で引き、先に土手に立ったのがジゾウ。振り返り=中略=続く若宮、最後のすり足一歩が伸びない。痛む膝を手であやし、己の無力さを恨み悲しみの心を嘆く、
「ジゾウ殿には手を貸され、歩みに添いての優しいお助け。勿体なくも忝なくや。
我が歩きもっと速くとせく心、急ぎたやとの願いを胸に、足と膝とで道程ふみしめ、見たいは生まれ家会いたいが母様。輪廻が巡るかの母様に今甘えたい、はよすがりたい。
気持ちはせくとも及ばぬ足先、ゆるりにそろりののろま様、全く持って恥ずかしや。肉のしなりが骨萎えよんで、急ぎ心にチットモ応えず、ゆるりでミシシそろりでギリリ、踏ん張りゃバキキののろまの進み。ああフウフッフッ。
右が足出し左は次に、この交互の出し引きで、前に進むも後ろにシャルもさばき一つの順繰り回し。そぞろに回せばこれがアユミ。ブン回したらこれがハシリで急がば回れとはこのことじゃ。頭でしっかとおぼえても、右出す一歩でくるぶし痛む。左を向いて進めたら、うっかり痺れて腰骨抜けて、股の付け根が崩れて落ちて、あれーシリモチだ。
母様会いたい母様恋し、母様の住むかの世が愛し。恋しや愛しや、ああフウフッフッ」
北風がひゅーいと河原をぬけた。午後の空陽気に浮かれ嗤っていた薄どもがざわざわと騒ぐ。それは若宮の嘆きのよろけ足に貰い泣き、さざめきすすり泣くかすれ声だ。夜空星空では星粒共が一層瞬いた。その瞬きは歩み進めぬ若宮の辛さと悲しみを聞かされた、誘われ涙の瞬きか。ジゾウが励ました=
馬鹿らしさ加減はいかがでしたか。

本文はHPの部族民通信(左のブックマークから)の「2007年…」の第6部です。宜しくご拝読下さい。
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二〇〇七年冷たい宇宙の最終回 を掲載

2009年11月16日 | 小説
二〇〇七年冷たい宇宙の最終回です。

安休斉道場での良子に取り憑く悪霊の除霊。安休斉の鉦と太鼓、神楽舞の奉納で進行していく。その場は若宮(実は林太郎)転生の秘儀が実行される、霊空間でもあった。ところがその空間がミドリの祈りで乱される。そして

=宇宙であり得ないことが発生したのだ。霊と肉が交接したのだ。霊が肉を取り込みその内実を実現しようと反応した。肉の放つ祈り、鬼灯に含まれた祈りを霊が飲み込んだ。祈りとは希望、願望、投げやりの絶望、己知らずの傲岸さ、それに呪いだ。肉が持つあらゆる感情、その振幅の大波が霊に押し寄せ、若宮を籠絡していった。冷たい宇宙冷たい時間進行のさなかに漂う霊を、熱さが取り囲みその熱さが時間を狂わせ、感情の熱さを伝播させている。
ミドリの祈りは憐れみから生まれた。幼くして旅たった弟を慈しみ哀しみ。この世に林太郎として再び生きよと願う、かけがえのない純粋の祈りだった。ミドリが鬼灯に祈りを籠めたとき、感情の昂ぶりも、嫉妬も羨望も優越憐憫も持たず、ただ再生せよと祈る心を赤い表皮の内側に結晶させた。慈しみの結晶が若宮に取り込まれ、林太郎再生の祈りを結実させたのだ。
しかしミドリは肉だ、人だ。彼女の純粋さには百万年の人の遺伝が隠れる。そして三万年の呪いが流れる。そもそも祈りとは熱だ。祈りは熱い呪いだ。肉が死に進む時間進行を呪い、宇宙の調和を止めろとの叫びが祈りの真実だ。その毒の種を今、霊が呑み込んでしまった。地獄の釜の高熱で焼却処分されるはずの祈りが=

未曾有の事態にジゾウがエンマを呼ぶ。エンマお白州では夫殺しのヒ素天丼女を裁いている最中だった。エンマは裁きを中断、霊と肉の交流を妨げるべく火野の北山台に急ぐ。エンマの出現で霊肉の交流は妨げられた。朝川原での臨時エンマお裁きを経て、ミドリ若宮は許される。若宮の地獄戻りを前にして、

=ミドリと若宮はもう一度掌を取り、瞼に互いの面影を残そうと相手を見つめた。見つめあうその一時が再会の喜びであり、その喜びをかみしめ、別れを惜しんだ。無言に見つめる二人に良子が寄り添い、三人が腕を絡ませしっかり抱き合った。
エンマに催促され若宮はジゾウ舟に乗り移った。一行はジゾウの竿裁きに身を預け、朝川を下った。
「林太郎」「おねーちゃん」「よっちゃん」の叫びがしばし朝川の瀬音を乱した=

 全体で六百枚(四百字原稿用紙換算)の中編これで終了です。皆様にはご拝読を賜り作者渡来部、おおいに感謝しております。掲示板に作者の感想が寄せられております。左欄のHP部族民通信をクリックしてビジットしてください。

 次回の「たはけの果て黄泉戻り、イザナギ」は十二月十四日からHP部族民通信に掲載開始いたします。


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2007年冷たい宇宙第7部(転生の秘儀)をHPに掲載

2009年11月10日 | 小説
転生の秘儀とはなんとパン種に丸め込むのだと。

ジゾウの操るささ舟で多摩の朝川はとある地先に岡揚がりした若宮。焼き鳥主人のサブロの案内を受けて転生の場、安休斉の降霊道場にたどり着く。しかし安休斉は霊感が効く、ジゾウと若宮の気配を察知し、おのが降霊させたサクラ親王の霊かと喜びその姿を追跡する。逃げるジゾウ若宮、道場は霊と安休斉とのチェース場となった。以下は本文から、
=安休斉がジゾウと若宮の後を追う形になった。股下をくぐり抜けたあと廊下に出た霊二人は、這い蹲いのまま足音立てずにひたすら静粛に居間に向かう。
「痛い、膝がうごかない」若宮は痛む右の膝をおとし、四つん這いで停まってしまう。そこをジゾウが手を引いて
「ホレもう少し、あと一,二メートルだよ。ずりくり歩きで這い進めばいいのだ」
と励ます。安休斉の霊カメラがもう射程に入ってくる。中腰で追いかける安休斉の後ろから肩越しに覗きこむミドリ。この霊チェースに思わず「林太郎がんばれ、あと一メートル、もう五十センチで入口だ」とエールを送った。しかしそろり中腰歩きの安休斉が追いついた。「オッツ見えたぞ。この先に何者かがいるようだ、あーあ、消えてしまった、ではもっと近づこう、ほれ今見えたけどまた消えた」
元々霊なので見える訳がないのだ、しかし無機質のランタンガラスが無機の光線を結び、無機質のCCD結晶の上に像を結ぶ。さらに安休斉の丁寧な穢れ祓えで、有機質的汚濁、雑念が一切取り払われたデジタルカメラとなった。
そして街頭除霊では、肉眼で視認できない物体を幾度か確認したのだ。安休斉は「あの茫洋とした影が霊の実態なのだ」と信じている。ただし探知能力はすこぶる低い。
いま安休斉の道場、狭苦しく動くのも不自由な中で霊カメラの透視で霊を捜すのは、旧型のイラクレーダーがナジャフ砂漠上空で、ステルス戦闘機を追跡しているのと同じ条件である。偶然に最適な照射角度が機体を捉えると、ディスプレイ上チラリと光芒が一点映りすぐ消えてしまう。その後も見たり見えなかったりでノイズに埋もれてしまる=

安休斉は撮影こそ断念したが、透視でジゾウを視認した。しかし坊主頭に革ジャンパー姿のジゾウにがっかりする。「サクラ親王が現代化したのか、そんなはずはない」と。そこで優先順位の二位であった良子の降霊を一位に繰り上げた。
=今や良子は半裸体、しかし神の前である。何が恥ずかしくある物か。お前は儂の子、儂はお前の親じゃ」と手間勝手の屁理屈を呟きながらながら良子の尻に後ろ向きに乗っかり、茨と薊の幣を振り「たすけたまえ」でばしりと尻を撲つ。
「ヒャー安休斉、これは効きます、=中略=「良子のお前身体は女体の形態をほどよく形出している。成熟した女体である。膏混じりの肉が丸く張り、その胸の相丘は一の掌でようやく隠せるほどよい大きさ、臍からの下腹は丸く突出しているな。=中略=黒い茂みからはにじみ出る汗と脂の入り交じる臭気が漂う。ああ、なんていい臭い、儂もくらくらしてきた」
安休斉の良子の体評価を聞いて、ジゾウはいつの間にかその醜態の真横でくっつかんばかりの近さで見学始めた。まるで浅草ロック座のかぶりつきだ。そして
「早くしろ、もうすぐだぞ、宇宙予定の時間ではあと二分、安休斉は喋るのが多く実行に素早く行かないのが欠点なんだ」と、これは八つ当たり。
 全一九頁(原稿用紙で六二枚ほど)です。一気に立ち読み下さい。

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アンチヒューマンの知の巨人、レビストロース死す

2009年11月06日 | 小説
構造主義の重鎮クロード・レビストロースの訃報を受けてトライブスマン(部族民)渡来部は深い悲しみを感じています(2009年10月30日パリにて死亡、100歳)。部族民の信仰、思考、意識は文明社会に生活する人々に劣る事はなく、彼らも社会構造を設計実践し、確とした信念信条を所有している。この世界観は彼の最初の著作(TristesTropiques=悲しき熱帯1953年刊)以来一貫した主張となっています。それ以前の部族民(原住民)観とは文字・都市城郭・統治機構(国家)を持たない彼らを文明(西欧我モデル)発達に至る下等段階に沈滞しているとされていました。この観点は一つには科学技術万能の文明史観があり、耶蘇(ジェズイット)宣教師たちの誤った報告(非キリスト者は野蛮人)に影響を受けていたためです。文明とは一方向で発達していくの誤りを大きく修正した近代最高の著作であります。
悲しき熱帯は戦前(1930年代)アマゾン地域の紀行文でありますが、晦渋と言える言い回し、曲がりくねった思考回路で文学作品としても評価が高く(フランス人はこの晦渋が好きなんだ。なにせ95を4掛ける20足す15なんて数えている民族なのだ!)ゴンクール賞の選考委員会が「ノンフィクションなので」選べないことを残念に思うと異例の表明した事も記憶に残ります(と格好つけてるが53年では私6歳、この記憶なんて在るわけがないので、ネットで知った後つけ記憶です)。
上記著作につづいて著名な野生の思考(=PenseeSauvege1962年刊)を発表しました。題名のPensee(パンセ)は思考と訳されますが、仏語圏ではこれが3色スミレ(パンジー)と同綴りであることから、「野生のスミレ」と同議であると受け止められています。野に咲くスミレのごとく貴重でかけがえのない存在として原住民を位置づけている。悲しき熱帯での論点を広げ、その業績を確立しました。前後しますが1959年にはコレージュドフランス(CollegeDeFrance)の人類学教授に選任され、また不朽の名著「構造人類学」(AntholopologieStructurale)を刊行します。
原住民の社会制度、信仰の背景にはその理由を説明できる合理的構造があるとする主張、たとえば親族関係でのタブー、婚姻系統の謎の解明。民族学者からの報告は多く、変異に富むのですが、なぜかくもタブーと婚姻に変異があるのか、事例の羅列だけではその理由を説明できませんでした。しかし構造的に解析すれば婚姻が女性と富の交換を担い、インセストタブーとの組み合わせで特定に遺伝子と富が集中しない構造、すなわち交換による社会の維持であると指摘した。この隠された構造がいわば真理であるとの主張はその後(1960年代)に神話の構造に発展します。(DuMielauCendre=蜜から灰へなど)
彼の神話学は難解につきます。哲学・宗教学に入ってきているので言葉そのものが難しい。その方面の知識皆無の私としては論評のしようがない。宗教学者が論評しているかと。
彼の手法は現象、存在を分析してその背後の真理を紐解くという西洋哲学オーソドックスな演繹的手法です。デカルト、カントの流れを汲むともいえる。サルトルとの論争はこの演繹を通して背後の真理を解く構造主義と、実存という直感が真理を優先する実存主義との対立として(私は)とらえています。信条としてはアンチヒューマン、人間を真理=絶対の神=の僕としてとらえる古いユダヤ教の教義とも理解できます。

構造主義はその趣旨を理解することは容易です。その後の発展の評価については2分される。ネットでの論調を引用します。、
=そして〈構造主義〉は,それまでの20世紀思想の主潮流であった〈実存主義〉や〈マルクス主義〉をのりこえようとする多様な試みの共通の符牒となった=(荒川幾男=平凡社世界大百科から)。
こうした評価がある反面、
=しかし彼の手法は結局、構造主義者といえば(というより構造主義そのものが)、レヴィ=ストロースだった、と言っていいくらいだ。しかし、レヴィ=ストロースの構造分析の方法は天才的で、他人には真似ができないような性格のものでもある=(ネットで収録HP村の広場、伊豆の天才猫さんから)

現象の背後の真理、解明の過程の精緻さ資料の正当性、巧妙なレトリック。それに背後に真理=神が存在するというユダヤ・キリスト教の信仰と思考訓練がなければ彼の構造主義を敷衍することはできない。私は伊豆の猫さんの評価に賛同します。
しかしコンセプトは分かりやすい、その結果「なんちゃって構造主義」がはびこり、その浅はかさの末に「構造主義」は乗り越えられたなどと吹聴されています。たとえばタテ社会ヨコ社会=中根、今時タテヨコなんて浅はかな分析を膾炙する御仁はいませんが、その当時(70年代)には結構引用されていました。
レビストロースの死が多くの人に悼まれ、彼の業績を再評価する機運には思考の深さ、手法の説得力、それと伝統的思考(現象の背後の真理と演繹)を踏襲しつつ超絶した手法を展開したためです。
彼の有名な言葉「世界は人類無しで始まった、そして必ず人類抜きで終焉する」なんとアンチヒューマンな言葉でしょうか。創世記を作ったユダヤの民は人を神の作る粘土細工としました、そして摂理に従わない人類を幾度も絶滅させています。まさに古ユダヤ教を彷彿とさせる言葉です。まさに彼は、無情のアンチヒューマンを乗り越えて20世紀を代表する思想家の栄を受けた知の巨人です。

さてここからは独り言、
部族民通信はレビストロースの影響を受けています。「部族民の夢=HP」の舞台は太古の日本ですが、心象として現代資本主義に追われているアマゾン・ヤマノミ族をイメージしています。また掲載中の2007年冷たい宇宙(小説、全500枚)は彼のアンチヒューマンな姿勢、人性の背後の真理(私はこれを霊とした)を土台としています。ぜひ左欄ブックマークのHP版をクリックしてください。
最後に
私は20歳代初めに機会あってフランスに滞在(留学)していました。パリシャイヨー宮の人類学講座に潜り込み人類学とフランス語と格闘していた。当時コレージュドフランスの教授だったレビストロースの公開講座(日曜日11時から、同校の階段講義室で)に出席して彼の講義を直接受けた一人です。
しかし講義内容は「なんにも分からなかった」と正直に話します。彼は淡々と神話学を伝えます、公開講座なので多くの一般人が集まるのですが、一般向けに易しく説明するという姿勢が全くない。いや彼なりに易しく説明していたのかも知れないが、私には全く理解チョー不能でした。知の巨人と凡人部族民の隔たりとはかくもあるのか、と恐れ入った次第です。ちなみにフランス語は(20歳代では)少しできた。もう一方の教授(ルロワグーラン先生)の講座は理解できたのですが。
以上私的な経験など雑音が混じって申し訳ありませんでした。名著の構造人類学(初版本)と解説書を引っ張り出して読みましたが今はすっかりです(写真)。ブログ長くなりましたが巨星への哀悼こめ、宇宙真理の弥栄を願い合掌。


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2007年冷たい宇宙の第6部を掲載 (林太郎この世に戻る)

2009年11月05日 | 小説
幼くして死んだ井田林太郎、20年後に転生のためにジゾウに地獄から引き上げられ、若宮と名前も変わった。この世は多摩なる地、朝川の畔で岡揚がりとなった。転生の地に進むのだが足の痛みでよろけてしまう。土手を上れずシリモチ、姉ミドリとの再会、以下本文から引用。
=「この歩みもっと速くとせく気持ち、ジゾウ殿には手を貸され、歩みに添いての優しいお助け。忝なくも勿体なさや。生まれ替わりの母様に早く会いたいすがりたい。願う心を胸に秘め、膝と足とで道程ふみしめ、急ぎたやはよしっかと進みたや。
ゆるりそろりの歩みには、全く持って我恥ずかしや。骨のきしみと肉の萎え、急ぎの心にチットモ応えず、そろりでミシシ、踏ん張りでギクリ。この痛みが情けないのだ。=中略=右が足出し左は次に、この交互の出し引きで、前に進むも後ろにシャルもさばき一つの順繰り回し。そぞろに回せばこれがあゆみ。急いでブン回したらこれが走り。頭でしっかとおぼえても、右出す一歩でくるぶし痛む。左を向いて進めたら、うっかり腰骨痺れて抜けて、股の付け根から崩れて落ちて、あれーシリモチだ」
ジゾウが励ます「試練の地獄は苦労が十年、我慢で十年、その過ぎたちを報うが今宵、ジゾウの采配万が一にもぬかりない。三途の地下からは抜け水裏道伝わって、辿り着いたがここ朝川、烽火目当てに河原を揚がり、今見下ろすがここは向河原の土手の上。=中略=
瞼に描くは転生の母なれ、あと一時で対面できるぞ。落ち着きなされ、人の通りも立ち消えたこの夜更け寒空氷り風、なんの妨害あるものか、心配なさるな若宮殿」=

ジゾウ若宮の一行は焼き鳥サブちゃんに立ち寄る。主人サブロは若宮膝に氷を当てて治療する。その動きをすっかりミドリ(アルバイト)に見られてしまった。ミドリは即座に若宮は林太郎の霊姿だと見破った。以下本文から、
=トイレの隙間から覗いたカウンターの光景は。
 ネイビーブルーのブレザーにダークカーキのコットンパンツの目元涼しい好青年が立っていた。氷ガーゼを膝にあてて具合を確かめていた。ガーゼが宙に浮いて見えた理由はその青年が霊体であるからだ。霊はもう一人、やはり青年、年はブレザー男より二、三歳上に見えた。羊革のジャンパーとベージュのコットンパンツ。綺麗に剃髪した青い頭が目立つ。その横には見慣れた鬼姿のサブロ。
「どうだ、楽になったか」と坊主頭が尋ねる。青年は痛む右の膝を曲げ伸ばし試していた。「これで大丈夫、もはや近くとあれば一気に進めよう」
サブロが「ではイザ進まん、ただ注意しなければならないのは、めざす安休斉には転生の秘儀は説明していない。ジゾウ殿と若宮殿が宅内に忍び込む事も知らせていない。彼は今頃は良子の徐霊を始めている、そこに入り込むのだ。安休斉は生身の人であれば当然霊体をみることは出来ない。しかしこ奴め鼻がきくというか、少々霊感がある。多少は霊視の能力があるので、うっかり探られないよう用心するに越したことはない」
「了解した、何かがあれば緋鬼殿にも手伝いを頼もう。この転生は必ず成功させないとならないので。では出発だ」とジゾウ。
 ミドリはトイレのドア越しに霊達の動きを見ながら何故か震えが止まらなくなった。この瞬間を待っていたのだ、二十年前に六助に知らされた輪廻転生の手はず。林太郎が再生するために焼き鳥サブちゃんに訪れる、必ずその時が来る、「霊メガネを掛けて確認してくれ」と六助に預言された。その瞬間が今なのだ。
青年、凛々しい目元涼しい青年は地獄から戻った林太郎なのだ。立ち姿の粋な着こなし風情で確信した。まさに二十年前に死の床に横たわる林太郎を訪れたあの青年なのだ。ミドリの震えは待ちわびた瞬間がやって来た事、会うを望んだ人を探し出せた事、すなわち二十年の用意と辛抱に感激した喜びの極まりなのだ。そして涙がどっと出た。
「あらら、泣いちゃだめだ。泣いたら霊が、林太郎の霊が霞んでしまう。気持ちをしっかり持たないと」と涙をエプロンで拭いて再び霊の動きを伺うためカウンタにメガネを向けた。林太郎は後ろ姿になっていた。氷を当てている右足を引きずり加減に、氷ガーゼを押さえながら、それでもしっかり歩き出した。その見覚えある懐かしい後ろ姿にミドリは思わず「待って、もう出てしまうの」と鼻声涙声で口走った。
 その声に青年が一瞬だけ振り返った。肩越しに青年の流し目の黒い瞳、頬が細く尖り鼻の横顔を見てしまった。ミドリは「やはり林太郎の霊だ、あの時の青年だ」さらに涙がどっと熱く流れた。あとは青年の顔も姿もかき消された。

ぜひ第6部全16頁、あらすじと本文を部族民通信のHPで立ち読み下さい。左のブックマークをクリックしてください。
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涼風真世の真実 1 大阪空港の田舎娘

2009年11月03日 | Weblog
平成元年(1989年)の春も深き候、豊中市の大阪国際空港検疫出口に人目を引く一団が陣取った。総勢30人ほど、皆うら若き少女、上を黄色のジャージで揃えなにやら月の字が背中に見える。その人数ともなれば広くはない検疫の出口回りをぐるり取り囲み、時折リーダーの指揮にあわせて発する「ミユキ!」のかけ声が周囲を圧倒する威勢だ。その通り、彼女たちは宝塚歌劇月組のファンクラブ有志、今日は剣幸(ミユキ)団長のニューヨーク月組公演団の凱旋帰国を派手派手しく出迎えているのだ。待ちくたびれ今や遅しと構えて、黄色いかけ声は団長の剣嬢への出迎え応援なのだ。
一団から数歩さがった壁際、風采上がらない場違いな女性が一人ぽつんと立ち構えていた。年は20代の半ばだろう。風采の悪さはまん丸の黒縁メガネ、「サザエサン」みたいな丸い髪型、そしてくすんだ色合いの縦縞絣の筒袖単衣など、人品服装の全体からの印象なのだ。昭和期それも戦前の風体で「着飾ったつもり」、三田篠山辺りのデカンショ娘が、大阪のこの表玄関にポツリと出てきた、この雰囲気では収まり所が無く応援の一団から外れて壁際に立っていた、そんな情景だった。
ただこの女性、すらり背が高く、まん丸めがねなどを外せば色白細面のぱっちり目でかなり素材だ。見よう作りようによっては相当の美女に変身するかも知れない。
ここはしかし大阪、外見で人を判断するナニワ文化の本拠地である。応援団員は異質の田舎娘が気障るのか、時折ちらり振り返り、
「何やねん、あんなカッコでケショク悪いわ」
「ほんまや、あん服50年前のモノやんけ、相当シマツしてるんや、ケチくさー」(シマツ=大阪弁で倹約)などと言いたい放題、それだけ気になっていた現れだ。
そこに剣ミユキ嬢ら団員が現れた「ひゅーきゃー」「ミユキ!ミユキ!!月組」と大騒ぎで出迎えるファンクラブ員。
剣嬢は両手を振りながら凱旋将軍よろしく皆の前を闊歩した。
だが突然立ち止まってしまった。一体何事かと剣嬢の視線の先をファンも追った。そこには例の田舎娘が立っていたのだ。そして剣嬢はにっこり満面で笑い、なんと一言
「カナメー」
トップなればこそ、見破ったのだ。そしてこの一声で周囲が凍り付いた。黄色い声援も手の振り上げも一瞬にして止まった。不可解な沈黙が検疫出口を支配した。
剣嬢のその後の行動は早かった、群衆の沈黙がなにを意味するのか、そしてすぐに来るその反動。だから遅れたら大変な事態になるととっさに判断したのだ、出口と応援団を分ける柵を乗り越え、ファンクラブ員を蹴散らすがごとくに田舎娘に近寄り2人手を取り合って、あららと階段を駆け下りた。応援団から逃げたのである。
思わず剣嬢からでてしまった「カナメ」が全てだった、その意味するところに一瞬遅れて気づいたファン、「イテしもうた、こりゃアカンわ、遅れたらソンするでぇー」と2人の後を追ったが遅かった。2人は阪急電鉄のさし迎え黒塗りリムジンに収まり、空港を後にしたところだった。
カナメとは涼風真世の愛称なのだ、50年前服姿の田舎娘こそカナメ真世の変装だったのだ。(続く)
=>HP版の部族民通信にもブラウザしてください、真世の真相がでているかな=
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街頭除霊で思わぬ獲物(2007年冷たい宇宙の第5部掲載)

2009年11月02日 | 小説
冷たい宇宙の連続掲載5回目です。これまで90枚をPDFにしてHP(左の部族民通信HP版をクリック)に掲載しました。原稿用紙換算で360枚ほどです、ブラウザ数もすこしづつ増えております。皆様のアクセスをお待ちします。
第5回の内容は、
=北白川安休斉、本名は一条二八、焼き鳥サブちゃんでタダ食いしたうえサブロから街頭除霊のコツを教わった。今日は高山不動の参道脇道で街頭除霊の呼び込みを始めた。
11月の連休最後の日曜日、天気にも恵まれ安休斉の口上を聞く人垣ができた。サクラの演技も上々で除霊キットが完売となった。鞄をたたんで帰ろうとする安休斉に粋な年増が声をかけた。以下はそのやり取りです。
「もしもし、横からですけどね安休斉さん、取り憑いていた悪霊らはどうなったのですか」今まで気付かなかった若作りの粋な年増。彼女の後ろには、先ほど安休斉に突き転ばされたお婆ちゃんがただならぬ三白眼で安休斉を睨んでいた。この年増女性と関連があるようだ。
この妙齢の女性、口上が始まり少し経過してから、遠巻きの人垣に紛れ見物にはいった。安休斉はその存在をみおとしたが、彼女の方は遠巻きながら一言も聞き漏らすまいと注意深く安休斉の口上に耳を立てていたのだ。
短めのジャケット、大振りの衿をラフに立てた項(うなじ)から黒い髪が肩に垂れる。形良いはずの顎が勿体なくも立て衿に隠れるが、上向き尖りの鼻筋はしっかり見える。なかなか気丈な女性と見えて、さらに質問を続けたいと半開きの唇、それは安休斉には目の毒である。
フェイクファージャケットは長いしっとりした毛足の高級品、薄い黄の地に輪郭のぼけた大きな黒い斑紋が胸のあたりに目立つ。冬毛の雪豹、その斑紋が胸の大きさを強調しているのは偶然ではないだろう。胸部が大きいのはジャケットの内側で胸乳が盛り上がっている為で、その勢いがフェイクかどうかは外観からは判断できない。
裾が腰のくびれを締め、ボトムには明るい茶のタイトなスカートが膝をかろうじて隠すまでの長さ。スカートはタイトすぎるので丸い尻はち切れるばかり、前から見たってお尻の丸さに気付くほどだ。
安休斉が啖呵売の口上で「弱い」とほら吹いたのは「少し年増の別嬪さん」だった。まさしくこの女性がその「少し年増」でしかも別嬪、色気がまとわりつく美人である。安休斉、返事かえすのも忘れてしばし呆然、突然人垣から湧いて出てきた年増に見とれたままだ。後ろに控えていたお婆ちゃんが
「なにをぼけーと見ているんだい。良子がそんなに気にいったのかい。でもあんたには高値の花だよ」と横から口を出してきたのでやっと正気に=以下略
 除霊のとばっちりで道端で気を失っている悪霊を安休斉が抱え起こし突っ走しってきたダンプに放り投げた。悪霊は粉骨刑の憂き目におそわれ微塵に化けた。その一部始終を目撃した良子は安休斉を信じ込み、その晩安休斉道場を訪れる事になった。特別秘儀、サクラ親王霊の御降臨をいただき、良子の除霊を施術するためである。
しかし一部始終をミドリに聞かれてしまった。ミドリは特別秘儀のいかがわしさと、それがなにやら林太郎の転生と重なるあやしい予感を得て「乗り込んでいかがわしければ妨害する」と決意した=
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