(11月28日)
これまでの投稿を振り返りながら、
悲しき熱帯(TristesTropiques)を刊行して後の雌伏10年、ビストロースは「生と調理Le cru et le cuit」(Plon社1967年)を上梓した。レブラジル中央部(マトグロッソ)に住む先住民、200を越す神話を蒐集し、彼ならではの手法で解析しています。10月10に始まった本投稿(神話と音楽)は彼の手法をその文中に探りました。要約として神話の表現方法とは「3分節」(=登場する人物や動物、現象など要素elementsが下層を支え、中層でシーンsequenceが場面から場面へと流れを彩り、上層があらすじarmature)。それらの分節の区分けは「実体」であり、それらおのおのに対峙する「思想」の概念を持ち込みます。要素に対峙する思想とはpropriete=特質、sequence対code=符号、あらすじ対schemeスキームとなります。
例えばM1ヒーローはinitiation=成人となる通過儀礼を控える少年で、成熟も半ば、母系社会から離される不安を抱くなど、民族誌的分析の濃いprioriteを思想として対峙させている。
この「実体対思想」の二重性が神話解析の基本となります。神話の比較には同一、近似、反転など用語を用いますが、実体の似通いではなく、思想のレベルでの近似を比較しています。本書が構造神話学の嚆矢と評価される理由でもあります。
個々の神話解析の中核をcodeが占めます。
表題「生と調理」とおりに、最初に取り上げるcodeは「味覚」です。味覚に続いて聴覚、嗅覚、視覚、触覚をcodeに取り上げています。
基準の神話M1(Bororo族神話)ではヒーローは父に捨てられ、絶壁を放浪しながらトカゲを探し、大量に採取するまま生で大喰らいし意識を失い(ここで一旦死ぬ)、ハゲワシに啄まれる。霊として復活し村に戻り火をもたらす。
生食で大食らいして死ぬ(あるいは罹患する)sequenceはM5(Bororo族神話、病気の起源)でも取り上げられている。毒流し漁で女が大量に魚をすくい取り、村に持ち帰る途中で食べてしまった。女は魚を吐きだし、それらが病気の元となって地に猖獗する。生喰らいの2例を挙げたが、他の神話でも取り上げられ、それらsequenceで共通するのは単独の行為では不摂生不具合、集団であれば乱交、親族同性と相手構わずの交雑を誘発する(M15Mundurucu神話、野豚の起源)。
レヴィストロースは生喰いcodeをその上層、schemeの思想から説明します。それが自然対文化=nature VS culture=です。natureを自然としたがこれは連続、放縦、混乱の意味合いが強い。一方cultureは実体に火(調理)、水、音楽、儀礼が上がるけれど介入、規制、調和が思想としてあがる。この理解に沿って読み進めると母系社会とは変化のない継続で、それが放縦、混乱、退廃の源となる。schemeにはこの思想が読み取れる。レヴィストロースは幾度もnature/cultureの対句を文中に現しています。
まさにBororo族の社会と思考であり、どの族民も母系社会を形成するブラジル先住民、彼らの神話に共通するschemeです。
さて、本書の序曲、その第一頁第一行には;
<le but de ce livre est de montrer comment des categories empriques telles que celles de cru et de cuit="中略= peuvent" server d’outils cponceptuels pour degager des notions abstraites>
訳:本書の目的は生と調理(された物)という経験で規定できる分類則が抽象的考えを引き出せる道具たるかを証明することにある。
こうレヴィストロースは約束した。すると「生と調理」とは「世界観の対立」を表現するに他ならない。連続する社会は前述のとおり母子姦、大喰らい、放縦、疾病が取り巻く退廃の世界(レヴィストロースは一言もこうした解説を加えていない。しかし取り上げている神話、おのおののsequencesは如実に退廃振りを現している)。文化を担うのは男、この文化して母系の継続に断絶、すなわち介入して矯正をもたらす(各神話でのcode展開がそうなっている)。本書をこのように読めば、難解とされる構造神話学の全行が理解できる。
この解釈を今の日本社会に反映できるか否かを投稿子(蕃神)は考えた。
継続は自然ながら人の性(サガ)で退廃に向かう、この思想は日本に当てはまるだろうか。分断するが文化で、介入により腐敗が矯正できるのか。Bororo族で証明した2元論を今の日本に応用する、その試み自体が正しいか。継続とは分断とは、すぐに答えはでない。
写真:デカルト的「生体解剖」を否定し、神からの知性も否定し、思想と本質の相互性を打ち立てた哲学者、20世紀を代表する智の人。写真はBororo族調査中のレビストロース
最後に
「レヴィストロースを読む神話と音楽」は本投稿をもって終了です。
投稿子は2巻目の「Du miel aux cendres=蜜から灰へ」を読書中です、いずれこちらも報告いたしたい。また本書で取り上げられる幾つかのエピソードは知識として楽しい。例えばフランスでvacarmeと伝わり、日本でも古事記に取り上げられている蝕に際しての大騒ぎ(アメノウズメの命)。その風習はBororo族にも残り、その構造主義的説明にレヴィストロースは数頁を費やしています。関連して「ウワナリねたみ」=後妻いじめ=も日欧南米Bororoに共通です。こうしたエピソードを軽く取り上げようと考えています。
(11月28日 2017年)