蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

テポドンテンコテンコ 2

2018年01月30日 | 小説
(2018年1月30日)
テポドン警報が発令されたにもかかわらず、コタツでドリフターズに大笑いこけてる細君と老母、そのうつろな大口あけにK氏は焦ってしまった。諫めるにしてもこんな時だ、直接法の強い口調では反発されるし、まして怒ったら逆効果。肝に銘じた抑えの口調は静か、淀みすら響かせずかく語り出した、
「原爆積んだテポドンが…‥関東か東京か…」
するとすぐに細君が反応し、
「それほどの重大事態なのになんでコタツに入って、大笑いしてるのよ」
叱られてしまった。「笑ってるのはお前さんだろ」の反論を口で堪えるK氏が薦める対処法とは「逃げる」
「何処に」
「地下街が安全だと幾度も安部首相とか内閣局とかが云っていた。だからタカハタ」
それで3人は一旦玄関に立ったのだけれど、これからが難しかった。
框の手前で「無理だ」は老母、99歳ならば歩くさえ一歩を進んで二歩立ち止まる。タカハタまでたどり着ける力は、その痩身には残っていない。さらには細君が「私だってそうなんだ」と難癖付けた。脊柱管狭窄を長く患っているから歩きはゆっくり、走りは厳禁。その二人の口から出た提案とは、
「おぶって走ってタカハタへ」
「うむ」と頸をひねったK氏、おぶるにしても同時に二人はきつい。しかし二人とも身内、見捨てはできるものか。「それしかないか」頷いた。
細君が明細を決める。
「まずは私が母さんをおぶり、あんたが私をおぶるのよ」
「親亀がコガメマゴガメを背負う、これが一番簡便だよ、よかったね」は背負われるだけ、老母のはしゃぎ。
そんな三人姿が固まって「いざタカハタ」と玄関を開けた。

K氏宅の外回りを説明しよう。玄関前がタイルのタタキ、それが二メートル四方あって、踏み出す先に置き石の渡り。天然の丸石が人の歩幅に合わせて埋められているが、この歩幅はフツーの幅。丸石を十か十五を踏んでその上に二十段をこえる石造りの階段。一段ごとの階段がフツーの高さ。すなわち初老のK氏が二人を背負う芸当など配慮していない。玄関を出た途端の最初の石はしっかり踏んだ、しかし二番目の石まで足先が届かない。
「次の石がどこか探れない」
「じれったいね、もっと先に足を置くんだ。二人背負いの歩みコツは歩幅をしっかり、いつもの通り維持するのだ」
「お前は昔から非力だった、爺さんが生きてりゃこんな目に遭わなかった。クスン」
生きていれば老爺は百歳を越える。おんぶしたら潰れる。
背の上からの忠告やら愚痴やらを聞きながら、やっとの事で階段の下端にまで辿り着いたK氏。一歩を段の一段目天頂に預けて二歩目が二段目、こうしてぐいと上る。この繰り返しを二十回やれば道に辿り着ける。しかし苦難はそこからだった。
「登れないんだ、どうしたのだ」答えは背の細君から。
「右足の一歩が一段目に、左の二歩が二段目に置かれている。ここから登るには右足を三段目の天頂に乗っけなければダメだ。出入りに散歩に毎朝毎晩、やっている動作じゃないか。フツーの通りを思い起こして足を踏めばいのだ」
「一歩と二歩の相関が固まってしまって、その膠着を打ち破るには右を一段とばして三段目に置けば良いのだと気付かなかった」
「右を持ち上げる刹那には、腰の座りに全注意を傾ける。これがヒケツだよ」
細君が伝えたかったのは「そうしないと三人崩れが起きてしまう」だった。


写真:タカハタと言えばお不動さん、タカハタまでテンコテンコと走った証拠がこの写真だとK氏が見せた。確かに左隅の初老はK氏に似ている。初不動(1月28日)の状景と見えるのだが、

細君の忠告に続いたのはK氏「大変だぁ」の声。ほとんど泣き声。
「その腰の座りのアドバイスを踏み出す前から言ってくれたら」これは諦めだった。
四段目にして二人背負いのK氏が崩れて、細君老母ともども三人が階段に転げた。悪いことに背上の二人は崩れ勢いそのままに、階段に外れて庭先にもんどりうった。
「遅かったなあ忠告が」
肩の荒ぶりをやっと止めて息を一つ、大きく吸って庭を見下ろすK氏の目先、
「あれー」と喚く細君と老母。落ちたあたりが芝生だったから怪我はないし、そもそも四段の高低差なんて一メートルに及ばない。九十九歳でも悲鳴を聞く限りに大丈夫だった。
すでに五分が経過している。残りは五分、タカハタまで五キロ。K氏の頭をよぎったある言葉が陰険だった。悪魔に囁かれたのだ。視線を階段の上に向けて、視野に定めた夜空にK氏は呟いた。
「津波テンデンコ、テポドンテンコテンコ」

テポドンテンコテンコ 2の了 3に続く
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テポドンテンコテンコ 1

2018年01月27日 | 小説
(2018年1月27日)
玄関がドンドンと騒がしい。「また来たのか」。小老(=自分のこと)は鬱陶しさをフト感じた。「農協パラダイム」の続きが書きかけ、頭を捻っている最中だった。一方、縄文ボロロ族の小屋の続きでも聞けたらブログが続く。気を取り直してそれではとK氏を居間に、と言っても玄関脇の3畳板の間、座布団を置いた物置兼用だが貧民層として一応居間、入って貰った。
ぬる茶をがぶりのその口から出た話とは。ボロロ族小屋の後日譚などではなかった。(K氏がボロロ族の遺構たる縄文小屋を日野市浅川べりで「発見」した経緯は1月7に投稿)。それはテポドンだった。

「昨日のことだけど携帯に緊急警戒警報が入らなかったかね」
「気付かなかった」
「夕食が終わって後片付けが終わった。宵の口だった。ならば多くの家庭が静かさと落ち着きを求めていた時刻だった。その平安の時空を乱した1通の…」
K氏の携帯に入っていたのは「政府発信の速報」緊急避難命令だった。誰もが知る宰相の名で「テポドンが発射された、至急に避難するように」との指示。これに続いた文節は官邸府安全補佐官の名で詳細な指示。
「角度と方向をミサイル解析のスパコンのチョー京で分析したら、向かってくるのは関東南部、10分後に首都圏に飛来する可能性が高い、今すぐ、大急ぎで慌てず頑張って地下街へ」と読めた。
大あわてでK氏は階段をどっかんどかんと下りた。建物ごと揺れる勢いだったそうだ。
建て付けが悪いとの直接指摘など口に出さず、冷やかし気味に投稿子は「家の構造に幾分かの欠点が潜むようだ」チャチを入れた。
するとK氏は真顔になって
「ここのボロ屋もボロロ族小屋も、コンクリ造りも一緒くただ、どんな家だって吹っ飛ぶんだ、テポドンで」
言い返しもヤケクソ気味だ。

転げ込んだ居間ではK氏の細君とご母堂がくつろいでいた。ミカンを剥いてテレビを見て大笑い。K氏は、コタツの二人の危機感欠如にすぐさま不快を感じた。生きるか死ぬか、大事な局面が発生している、パックと大きく開けたその口を、今すぐ閉じて地下街に逃げるのだと諭した。
時間を確認したいのでK氏にテレビ番組を質した。

K氏は昨日に全員集合を見たと語った。その筋も覚えていた。しかし奇妙だ(写真はネットから)

「コントをやっていた。
中年の先生風情は大柄な中年、眼鏡の小学生に扮した小柄男が掛け合いしていた。小学生は遅刻して教室に入ったばかり。ランドセルも下ろさず帰ると云いだした。先生がなだめて=授業に座し本に学ぶが学童の努めだ、二宮金次郎を習え=と止めた」
遅刻してすぐに帰る、その理不尽は学童の家があまりに遠いから。まだきの朝は暗がりの母がかざした提灯に見送られても山二つ、学校に着くのが11時、席に付くのももどかしくすぐの帰りを頼むのは、
「そうしないと日が暮れてしまうから」
細君ご母堂は早速、このやり取りに批判を展開した。
「イナカに住んでいるからだよ」「そこまでのイナカなら熊とかタヌキが大暴れするんじゃない、夜になったら」「だから暮れる前にイナカに帰りたいんだよ」「ワーハッハ」
オフのスイッチを捻ってテレビ消したK氏から、細君等に向かって出された言葉とは、
「イナカならこんな心配などないのだ。ココイラは大都会だから焦っている。とうとうあのテポドンがやって来るんだ、この日野に」
「すぐさま」消した筈のテレビ番組、その込み入った筋道を覚えているとは不可解。さらに
「番組名を思い出したドリフの全員集合だ」
確かにチョウスケとチャの掛け合いにはいつでも大笑いするから、細君等の挙動には何ら不思議さはない。しかし20年前には終了した番組を昨日に、それも平安が必要な時空で二人が見ていたと伝える奇妙さ。その上さらに
「日野を大都会などと妄想している、イナカの端くれだよ、ここは」
「おかしく」なっていたのがK氏だが、その事実に投稿子は気付かなかった。テポドンと緊急避難命令に気が取られていたかも知れない。

テポドンテンコテンコ1の了(続きは30日予定)
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ボロロの遺構、発見される2 (最終回)

2018年01月11日 | 小説

(2018年1月11日投稿)

K氏が指した土手の先には竹編み木組み、笹葺きの小屋、掘っ立て一棟。侘びしさ溢れる佇まいを見せていた。頃は今が松の内、新春の光こそ斜めに流れる真上から、その立ち姿はこの角度と今の刹那、誇らしげに見えた。しかし何やらかが異質である。屋根の組みの形に似通いこそ認められるも、ボロロ族の男屋とやはり違う。違いの根本が奈辺かと己の記憶を探る投稿子は、これはボロロならず、ボロボロであるためと分かった。
それにつけても目前の誇らしい立ち姿は、うらぶれ掘っ立てなりの見よがしの、腐れの果てにこの今朽ちるか、自壊か滅亡かを前にして、もはや土手脇には立ち続けられない諦めが、輝きひたすら、陽春の午後の晴れがましさとの対象にボロの居直り、見せつける異形が己の存在と自虐に酔っているのかも知れぬ。
零落振りに一か二条、投稿子(蕃神ハガミ)は落涙を許す頬を咎める事ができなかった。
そして気付いた、これはボロでもボロロでもましてボロボロですらない、涙ほろりのホロロだ。(発見された遺構の写真は前回1月6日投稿をご参照)

発見までの経緯、K氏はかく語る;
「昨年末の伐採作業が立木を倒し、藪を払うまで完了した。伐採された木々はトラックで取り払われたが、篠笹が小山の姿でこんもりしたまま残された。その状態は1月2日まで続いていた、この土手近辺は私(K氏)の散歩の行程なので日がな、伐採の作業を見ていた。しかしその下に建造物が残されていたなどとは思いもしなかった。当の作業員ですら、その存在には気付いていなかった」
気付いていたら大騒ぎした筈と言いたげのK氏。


ボロロ族の戦士、彼を目撃した日野市民はいまだ現れていない。

3日にはオホーツク低気圧が968ヘクトパスカルに気圧を下げた、台風並み。大陸高気圧の優勢さがひとしきり勝った。当然に西の強風が吹いた。お不動さんにお参りを試みた小老=投稿子の脚を、出がけの門脇で風の厳しさが止めた。年始、時ならぬこの強風は多摩の一帯を怖がらせた。
K氏は続ける;
「浅川の土手道でもこの辺りに上ると散歩者の影はめっきり減る。4日にもいつも通りに出たが早朝だったからか、散歩者の姿はどこにも見え無かった。儂が一番乗りだったのだろ、片付け残しの笹をみると全てが吹き飛ばされていた。小山だった跡地からボロロ男屋が出現した」
一旦住まいに戻って昼になって投稿子を呼びつけたのがこれまでの流れだった。
K氏は肝腎の質問には答えていない。百歩譲って、これがボロロの小屋としたらボロロ族が日野市浅川べりに徘徊している筈だ、しかし裸族の目撃など聞いた例しがない。そしてK氏の答えはとてつもなかった;
伐採の前、その地は小規模ながら原生林と原生藪の植生を恣にしていたのだが前提。「遙かの昔の植生だった」とK氏は伐採前の風情をひときわ懐かしんでおもむろに、
「幾千年幾万年の原生藪に囲まれていた。目の前のこの小屋は古代の遺跡を生きるが如くに残すモスポールに浸っていたのだ。なればこれは縄文人の遺構、一万年前から密かに立ち続けていたのだ」
「なんと、これを縄文の小屋と主張するのか」
かく疑問を投げるも、投稿子はK氏の主張を信じた。透けて見えるその構造、組み方編み方がニュートンなどの啓蒙書にイラストされている縄文小屋に酷似している。そしてK氏はニタリ不気味な笑いを返しながら;
「ボロロ族の祖先が陸続きになっていたベーリング海峡を渡ったのは一万三千年前と推定されている。その頃には列島弧に縄文人が生活を始めている。一方、新大陸に入った民族は、瞬く間と言えるほどの短期間、一~二千年で南北大陸を踏破した。とある部族がブラジル、マトグロッソ、ヴェルミリョ河畔に定着してボロロ族と自立した時期を一万年前とする。ボロロ族の神話形成時期とこの小屋の建造時期が同時、さらに両民族はシベリアバイカル湖畔に住んでいた古代のサハ民族を祖として共有する」
「ならばこれは縄文、すなわち古ボロロ族の遺構か」
「その通り」
年始早々に投稿子を呼びつけた理由がこの「古ボロロ族」の小屋の佇まい、屋根裏に潜む建築の技巧に絡んでいたとは。

古ボロロのホロリの小屋を後ろにしたK氏、新ボロロの戦士とに変身しここに住み込む決意。後ろは市の公共施設。

ボロロ族のKejara村落をレヴィストロースが訪問したのは1936年、あれから80年余が過ぎた。ボロロ族はその村落で神話的生活、 男屋生活、母系集団との確執をもはや送っていない。神話民族としてのボロロは消えた。K氏は古ボロロ族の小屋にしみじみと語りかけた;
「儂が新ボロロ族となって縄文小屋に住み着くぞ」

(ボロロの遺構、発見される 了)
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ボロロ族の遺構、発見される1

2018年01月06日 | 小説
(2018年1月6日)
新年早々、朝っぱら、友人のK氏に呼び出された。その言い分は「大変なモノを見つけてしまった、こっちに来てくれ」大変なモノとは何かなど一切説明しない。電話口からも覗える奴の手先の震えと声のかすれ。戸惑いの振りに何やらかのおそれ事と見当はついた。すぐに飛び出し行く先は浅川の土手。それが正月の3日。
土手の散歩を日務と課す流域住民は多い。見晴らしの気持ちよさ、加えて風と光の爽やかさに開放感が惹かれるからか。晴れの週末には誘い合っての幾人、モクモクと孤遥を楽しむ一人御仁など土手の賑わいはまぶしい限りだ。かく語る投稿子も晴れたら散歩を実行する一人である。K氏が指定した土手は、小老が平素歩き慣れる岸の向きとは異なる方向である。より上流のとある地点を彼は伝えた。
相当の手前でK氏は投稿子を今かと待っていた。出会うなり小老の腕を掴んで「遅いじゃないか」との叱責。なんてことだ、
「突然呼びつけて断らなかった。感謝するのが礼儀じゃないか。新年の挨拶もせずか、一言おめでとうくらいは口端に出せ」とむくれたが、K氏の指さす先のある物体の異様さに脚が止まった。
「驚いたか」
「いいや、この歳になると余程でないと驚かない」
「震えているじゃないか」
「風が強いからさ」
そう言い切る先にビューン、西風一吹きで手がかじかんだ。手をポケットにつっこんだまま投稿子は、

当日の浅川、西に向くから冬の西風は強い。

「おお寒、しかし今はそんな泣き事を口にする場合ではない。本題に入ろう、あの物体はなにか」
「あんたからそんな戯言を聞かされるとは思いもしなかった」
=あんた=の意味合いは小老がボロロ族関連を投稿しているからに他ならない。だから思わず「やっぱり」溜息に混じった。
「そうよ」はK氏、勝ち誇った面、昨今はその構えを「ドヤ顔」と表現する。この時のドヤ加減の憎たらしさが気にくわないが、顔の造りは生まれつきなのだから致し方なし。Kからドヤが出たら目をつぶるしかない。
K氏は我が投稿の閲覧者の一人、構造主義を理解するかは疑問だが、一方でボロロに詳しい。投稿子が昨年掲載した「ボロロ村落の一角」に見える小屋に今、目の下に目撃する建築物が酷似している。その似通いに注目して彼が私を呼び出したのだ。しばし私は言葉を忘れた。(男屋の写真は「猿でも構造、悲しき熱帯を読む10」2017年7月1日投稿を見てください)
この場所は浅川の中流、源流は高尾に近いとある場、もう数十メートルの脚を運べば八王子市に移るから日野市の最西となる。土手の左に川原、その中央には瀬に速まる流れを青に望む。右手に振り返れば土手面から2メートルほど下りた開き空間、そして木立と藪。藪のおおかたは刈り払われたばかり、緑の笹節が短く地に並び、その真中に「ボロロ小屋」が姿を現していた。

K氏はボロロ族の男屋と主張した

「小屋だけではないぞ、周囲が広いその地面が平たい。ボロロが死者の儀礼を小屋横の平場で催すだろう。その空間がこの開き空間だ」
「確かに開けている、死者の哀悼葬列もイニシエーション(成人)の通過儀礼も滞りなく仕切れる」(小屋横の儀礼空間の写真はレヴィストロースを読むソナタ2、2017年11月1日を御参照)さらに浅川はこの地で東から西へ流れる。すなわち小屋、広場、立木、川とその向き、地の自然の全てがボロロ族が居住する条件に当てはまる。

投稿子「フーム」呻るのみ、ドヤのK氏。しかし投稿子はやっとのことで差異に気付いた。
「本物と比べて小さいな」
「規模は構成集団の員数で決まる。この地にはそれほど多くのボロロ族は定住しなかったのだろう」
「屋根回りが壊れている」
「建築の素材がすべて有機繊維だから。梁は丸太、屋根構造は竹、鉄釘なしの紐結わえで組んでいるから、天変には比較的弱い」
その通りだ、師匠レヴィストロースは「悲しき熱帯」で石と鉄で構成される西洋建築と南米原住民の有機建築の比較をしている。原住民の建築物がいかに自然に優しく風、光に馴染むかを好意的に評価している。なるほどとは思うけれど釈然としない。その理由にハタと気付いた。
もしボロロ族が住み着いたとして、ここはマトグロッソ並みに快適と浅川生活を満喫していたら、周囲に出没するだろ。彼らは狩猟に生活を賭けているのだから、ペカリ(野生の豚)はどこか、タピール(南米バク)はいずれかと弓矢を手にしてうろつき回る。加えて日野の浅川がマトグロッソよりも快適なのはコンビニがあるからで、ジュースお弁当など簡単に手にできるから、買い物に出るはずだ。しかしコンビニ店員が裸族に驚いた、弓で脅されたなどの話を聞かない。
そして投稿子は決定打とばかりに続けて、
「ボロロ族なる原住民が日野八王子に出没している報道に一行たりとも接していない。この近辺に裸のうろつきが頻繁だとの目撃譚など聞いたこともない」
K氏は一向にたじろがない、目撃されていない裏をかく語った。
(ボロロの遺跡、発見される1の了、2回目投稿は近々)
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構造神話学 農協パラダイムの終焉 4

2018年01月02日 | 小説
(2018年1月2日投稿)
2018年、新年明けましておめでとうございます。
昨年はレヴィストロース著作の解説を中心に投稿しました。4月5日の「猿でも分かる構造主義」を皮切りに構造神話学「生と調理」に取り組むまでに至りました。本年も構造主義、レヴィストロースを継続します。

さて前回(12月28日)の続き
2DKパラダイムとは俸給生活者とその家族の団地2DKの生活を振りだしとして、郊外芝生一戸建ての揚がり至るまでの苦労、団地妻のエピソードもとり込んだ夢物語でした。連続(発展)をスキームとして介入(停滞)をアンチテーゼに据えていた。スキームの連続と同方向を示す「思想」をサンタグム(同列)に並べ、それらは移動、電化、余暇などです(2017年12月28日投稿を参照)。一方、揚がりの様には憬れを抱くも40年、見晴るかす遙かな先の「連続」を尽きぬ苦労と置き換えて、嫌気諦めで放り出し、庭は芝生なる目標には至らなかった無念の人も多いかと推察する。
それ以上にリストラで職場を追われ、賽の振り休みコマ戻し、はたまた振りだしの2DKに逆さ落ちなど、このパラダイムには重篤な破綻が生じた。その頃か、確かに出自は2DKながら、上昇志向を具現せんとする過激な分派が認められた。時期はバブルの余波まだ治まらない1990年代初頭と投稿子は記憶する。
この分派活動を、遙か遠くのブラジル・マトグロッソで、ジェ語族の出ながらジェ文化の安定性を否定して近親姦に殺人、閉じ込めての集団殺害など血なまぐさい挿話の神話体系を編みだした、ボロロ族の独立不遜、独自性と重ねてしまう。20世紀末の東京に咲いたあだ花を投稿子は、血まみれボロロの二重写しに見てしまうのだ。そしてやはり、このパラダイム破綻のきっかけは殺人だった。

2DKパラダイム「連続」のかったるさから決別して、若者はパラダイムを「能力、上昇」に置き換えた。能力さえあれば高級な仕事がこなせる。何も知らないくせに威張り散らす管理職を放り出して、年功序列のクビキから離れて、実力重視の職場と仕事振りに見合う待遇を求めた。彼らの不満を受け入れる仕事場が、この時期に形成され始めたとは事実であろう。
たとえばIT技術者、デイトレーダー、ファンドマネージャー、合併ヂューデリジェンス管理、クリエーター、モデルなどである。彼らにとして「能力」のアンチテーゼに「妥協」を貫く。妥協したらそれでお仕舞い、自己能力を信じ貫き通す、ボロロ族にも劣らない過激集団である。
この分派をセレブパラダイムとしたい。しかしセレブとは既に著名、高度な専門性を持つ一群であるし、彼らはそこまでには至ってない。そこでセレブっぽい人、セレブを目指す人の集団として彼らを「セレビィ」、ゆえに「セレビィパラダイム」と名付ける。
そのスキーム「能力・上昇」の同列思想に職域、居住、移動、服装を上げる。すると;
職域は前述したとおりで若者ながら高給取り、華やかな職場。
居住のパラダイムではまず地域が指定される。なんとしても東京に限られる。名古屋大阪、まして仙台山形にセレビィは住まない。彼らの神話的な確信を述べているので、投稿子が上記の都市を地方と蔑む心など持ちません。
その東京にしても限られる。日野八王子など多摩地区の田舎性は受け入れがたいほどだから、セレブは嫌う。やはり23区内、しかし葛飾足立では語呂が悪いし自己紹介での聞き覚えがよくない。山手線内、それも真ん中通る中央線の南に限られる。銀座か麻布、白金はては代官山ならグー。そこいらの手頃なマンション住まいから始まるが、ファンドの上がりで大儲けしてタワーマンション億ションの一括払いで移り住むなどが賽の目の揚がり。
移動はVWから始めるけれど、トヨタヴィッツは登場しない、最終目標はジェットセット、仕事柄国際線を多用するがエコノミーは決して使わず、最低がビジネス、飛行場に降り立てば迎えのリムジンが待ち、会議が待ち受けるとホテルリッツに送り込んでくれる。これが旅客席のみならず送り迎えとホテルと会議の組み合わせ、これがセットなる意味合い。


図:セレビィパラダイムを一覧にした、手書き読みにくさには容赦

神話3「グラフィックデザイナーの竹井コータローの嫁は衣装クリエーター山野わらび。結婚式は代官山でも名の知れたパッションを借り切って、鴨のコンフィに赤のカオールを振る舞った。しかし半年で離婚した。嫁の稼ぎが亭主のそれを上回って以来、会話がぎくしゃくし始めた」
コータローは己の頸の裏を撫でながら運が良かったと喜んだ。友人M氏はいざこざの果て富裕な妻に殺害された。これが俗に「セレブバラバラ事件」と伝わる外資ファンドマネージャー殺人(2006年)。2008年にはIT技術者がマンション隣人(23歳女性)を殺している。上昇志向の裏に潜む失敗の陥穽、セレビィが信じていたパラダイムは成就の前に破綻したのである。

農協パラダイムの終焉4の了
(2018年1月2日投稿)


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