本日はホームページオリジナル、ブログにのみ来訪いただく方には露出されていないレヴィストロース「米国亡命の真実」を紹介します。
(当ホームページのアラカルトから)
ネットからの情報を書き入れる。郵便貨物船paquebotのCapitaine Paul Lemerle号は「ナチス拘束のおそれあるユダヤ人救済」を目的に1940年8月から13ヶ月、アメリカ人VarianFryにチャーターされていた。自身ユダヤ系の出自でジャーナリストとして地位を確立していた彼は、ナチスのユダヤ迫害の風聞に接し、さらに亡命者から実際を聞くにつけ同胞への迫害に心を痛めた。マルセイユに乗り込み、米国の対独最後通牒まで(1941年12月)救済活動を広げた。
VarianFry
Paul LeMerle丸
ネット・
米国ホロコーストミュージアムの記載で1940~41年、複数の航海を敢行し2000人のユダヤ人亡命者を救助したとある。
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(救出された文化人のリスト、一部、Wikipedia VarianFryより)
面々がすごい。シャガール、アーレント、エルンスト、マン、マーラー(未亡人未発表の交響曲9番の総譜を持ち出した)…(ブルトンは前述)。その後の活躍をうかがい知るに、もし、脱出できずナチスに彼らが拘束されたら、戦後文化の様相が変わったかもと感慨を抱く次第です。
マルセイユの目抜き通りを闊歩するVarianFry。1940年10月、アメリカとドイツは交戦していなかった。1941年12月、米国の対ドイツ最後通牒通告によりヴィシー政権に拘束され強制送還された。
レヴィストロースに限らず救済された諸氏はVarianFryセンターについて語っていない。救済する側とされる側に暗黙の契約があったのかも知れない。アメリカは亡命者を選ぶ、命を選んでいる。セントルイス号(乗客1000人のユダヤ人)のアメリカ寄港と亡命受け入れに反対していたのはユダヤ系のオピニオンリーダー達であった(書籍・ストロベリーデイズより)。この亡命拒否がトラウマになってVarianFryが動いたのか。
さらに別格待遇で救出されたアインシュタイン、ハイフェッツなど超大物にしても、己が選良だった故の待遇だとは一言も述べていない。ユダヤ救済のネットワークとは迅速に、極秘に冷酷に、かくも起動するかと思いを新たにした。
(写真は米国ホロコーストセンターHPから)
ここからは宣伝です、
追記:部族民通信はグーブログへの投稿とホームページの二本立てで運営しています。ブログは投稿を2007年に始めて10年余を経過し、来訪される方々もそれなりに増えています。皆様には感謝します。
ホームページを開いた理由はブログ投稿の己の文章とスタイルに不満が溜まっていたからです。ブログを書くぞ~が朝の9時、しかし雑用に追われ、キーボードを打ち始めるのが10時(ちなみに今現在が10時11分)。原稿用紙にして4~5枚を12時半までに終わらせる。すると;
誤変換、テニオハ狂い、そもそもの勘違い、これらがテンコもりの文章を推敲も経ず投稿してしまう。もう少しマシなやり方がないかと考えあぐね、URLをさがすとなんとtribesman=部族民=が空いていた。.asiaならばなおさら自分むけだと購入した。
5月いっぱいを基礎作りに費やし、6月から文章を投稿し始めた。「部族民通信」(あるいは蕃神義男でネット検索すれば筆頭位置に出るので、ぜひご参照を(本ブログ頁の左欄ブックマークをクリック)7月1日で頁を飾る記事は神話学生と調理、悲しき熱帯など12項を越します。よろしく御訪問を。
ホームページの真実:ほとんど訪問はない。ブログは軽く読める、時間の空き間に読むが可能。ホームページになると開くは面倒、ページ数は多いしなど躊躇するのかと勘ぐる。しかし開いて読んで、半時を字面に過ごす価値のある内容かどうか、これを検証してください。