(平成31年4月29日昭和の日)
悲しく熱帯(Trietes Tropiques、レヴィストロース著1956年出版)に興味深い逸話が紛れ込んでいた。
ブラジルマトグロッソ地の先住民Nambikuwara族の現地調査に向かう旅、Barra dos Bugresなる小村(bourgade) ☆に立ち寄った。現地人から聞いた話として;
毒蛇に咬まれた者への治療と予防をもっぱらとする土俗医師がいた。患者がでると呼び出され村に向かう。ポルトガル語ではcurandeiroとしている、仏語curer治療の類推でその仕事が治療師と見当はつく。この訳にrebouteux☆☆をレヴィストロースは用いた。
彼の治療とは
<il commencait par piquer l’avant bras du malade avec des dents de boa. Ensuite il tracait sur le sol une croix avec de la poudrea fusil, qu’il emflammait pour que le malade etendit le bra dans la fumee.....(ポケット版312頁)
訳;ボア(大蛇)の牙で患者の咬まれた前腕を突く、地に火薬で十の字を描いて火をつけ、前腕を煙に曝す….
最後にcachacaなる飲料を患者に呑ませて終了(地場蒸留のラム酒=ネット検索)。
☆ネット検索すると現在の人口3万1千人、7200平方メートル。ちょっとした市に成長している。
☆☆土俗医師、俗医師と訳したが、スタンダード辞書に骨折医とある。robertでは経験的手法を用いる治療師とある。
写真:ブラジルでは今も土俗医師が健在である、ネットから採取。
ある日、村にturma de poiero(薬草)採りの一団を率いる男が滞在した。治療の手際を見て俗医師に「日曜まで滞在しないか、薬草採りの手下が到着する。奴らに予防術(vacciner免疫)を施してもらいたい」と依頼した。報酬は一人あたり5フラン、人数は書かれてないが10人とすると50フラン。俗医師はすぐさま引き受けた。
この価値を推量する。フランスは1960年に100分の1のデノミネーションを実施した。すると対応する価額は500フランとなる(現在フランは廃止された)。固定相場制時期(戦後から1973年まで)の円フラン相場は71円、これを機械的に適用すると5x100x71で一人あたり\35,500.-の計算となる。デノミネーションで旧来の価値が復活したかには疑問が残るが、一の指標として参考に)
日曜を翌日に待つ土曜の朝、集団住居の入り口の辺り、けたたましい犬の吠えが続く。cascavel、毒蛇がとぐろを巻いていた。立てた尻尾を振り鳴らすガラガラのかすれ音から怒り狂っていると分かる。薬草採り団長は俗医師に蛇退治を命じた。医師は拒否する。団長は「お前は免疫を受けているだろうに、蛇を捕まえられないなら、怪しい術だ。手下への免疫は取りやめだ」けしかけた。
10人なら35万円の報酬は諦めきれず、蛇に手を出して咬まれて俗医師は死んだ。
以上が現地人から聞いた土俗医の痛恨の失敗譚。
語った現地人は「実は私も予防を受けた、最後に免疫の効果を確かめるために腕を蛇に咬ませた。その蛇は無毒の蛇だった」と打ち明けた。
この語りに出てくる人々の判断と考え方につき、レヴィストロースは「ブラジル内陸部に共通」する心情としている。さらに;
<de meme , pensait sans doute mon interlocuteur de Rosario> ロザリオ(アルゼンチン二番目の市=当時)出身の通訳もこの(ブラジル内陸の民衆)判断思考と同じであるとした。であれば南米の住民に広く伝わる思考の様態である。
いったい「この判断、考え方」とは何か。
レヴィストロースの注釈が入る。
<il llustre bien ce mélange de malice et de naivete – a propos d’incidents tragiques traites comme de menus evenements de la vie quotidienne- qui caracterise la pensée populaire de I’interieur du Brasil>
訳;主体のilは現地人の話(le recit)を指す。悲劇的な結末を日常の出来事のごとく取り扱う語り口から、思考行動には信じやすさと悪意の入り交じり模様が浮かびあがり、ブラジル内陸の民衆はかくありと伝えている。
「信じやすさと悪意の入り交じり」が南米に広く伝わる考え方であると。
maliceの意義は「悪意」であるが「悪意の籠もった口出し」。すなわち意識のみならず、具体的行動にも意が及ぶ(辞書ではaptitude a FAIRE le mal)。すると上例の逸話では薬草団長が俗医師に毒蛇を捕まえろとの指示がmaliceで、naiveteは占いまがいの免疫術をすぐさま信じた彼の判断を指す。
信じた効果を確かめんと悪意が籠もった口出しは、無批判に信じた幼稚さの反動としてか。内に渾然と両者を秘めるブラジル内陸部、そして広く南米の民衆。
物語を一通り聞いたレヴィストロースは、ラホール(パキスタン)に立ち寄りアフマディ教団長から歓待を受けた夕晩餐での会話を思い出した。時系列は異なるので、順番に正確を期すと;
エジプト、パキスタン、インド、ビルマ(当時)を巡った飛行機の旅。各エスカルの空港に降り立ち、内陸に足を伸ばしたのは1947年。故に時間の経緯はまず土俗医師の話が1938年、大戦を挟んでアフマディ教団ラホール派のスルタンに面談したのが9年の後。本書の執筆時1955年に両の話し思い返して、思考と判断が同一線上に位置すると気付いた。
アフマディ教団はネオムスリムとも称された。小筆の理解が及ぶところではないが、教義にはイスラム正統派と較べ柔軟さが際だつ(ようだ)。
土俗医師、痛恨の失敗 1 の了
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悲しく熱帯(Trietes Tropiques、レヴィストロース著1956年出版)に興味深い逸話が紛れ込んでいた。
ブラジルマトグロッソ地の先住民Nambikuwara族の現地調査に向かう旅、Barra dos Bugresなる小村(bourgade) ☆に立ち寄った。現地人から聞いた話として;
毒蛇に咬まれた者への治療と予防をもっぱらとする土俗医師がいた。患者がでると呼び出され村に向かう。ポルトガル語ではcurandeiroとしている、仏語curer治療の類推でその仕事が治療師と見当はつく。この訳にrebouteux☆☆をレヴィストロースは用いた。
彼の治療とは
<il commencait par piquer l’avant bras du malade avec des dents de boa. Ensuite il tracait sur le sol une croix avec de la poudrea fusil, qu’il emflammait pour que le malade etendit le bra dans la fumee.....(ポケット版312頁)
訳;ボア(大蛇)の牙で患者の咬まれた前腕を突く、地に火薬で十の字を描いて火をつけ、前腕を煙に曝す….
最後にcachacaなる飲料を患者に呑ませて終了(地場蒸留のラム酒=ネット検索)。
☆ネット検索すると現在の人口3万1千人、7200平方メートル。ちょっとした市に成長している。
☆☆土俗医師、俗医師と訳したが、スタンダード辞書に骨折医とある。robertでは経験的手法を用いる治療師とある。
写真:ブラジルでは今も土俗医師が健在である、ネットから採取。
ある日、村にturma de poiero(薬草)採りの一団を率いる男が滞在した。治療の手際を見て俗医師に「日曜まで滞在しないか、薬草採りの手下が到着する。奴らに予防術(vacciner免疫)を施してもらいたい」と依頼した。報酬は一人あたり5フラン、人数は書かれてないが10人とすると50フラン。俗医師はすぐさま引き受けた。
この価値を推量する。フランスは1960年に100分の1のデノミネーションを実施した。すると対応する価額は500フランとなる(現在フランは廃止された)。固定相場制時期(戦後から1973年まで)の円フラン相場は71円、これを機械的に適用すると5x100x71で一人あたり\35,500.-の計算となる。デノミネーションで旧来の価値が復活したかには疑問が残るが、一の指標として参考に)
日曜を翌日に待つ土曜の朝、集団住居の入り口の辺り、けたたましい犬の吠えが続く。cascavel、毒蛇がとぐろを巻いていた。立てた尻尾を振り鳴らすガラガラのかすれ音から怒り狂っていると分かる。薬草採り団長は俗医師に蛇退治を命じた。医師は拒否する。団長は「お前は免疫を受けているだろうに、蛇を捕まえられないなら、怪しい術だ。手下への免疫は取りやめだ」けしかけた。
10人なら35万円の報酬は諦めきれず、蛇に手を出して咬まれて俗医師は死んだ。
以上が現地人から聞いた土俗医の痛恨の失敗譚。
語った現地人は「実は私も予防を受けた、最後に免疫の効果を確かめるために腕を蛇に咬ませた。その蛇は無毒の蛇だった」と打ち明けた。
この語りに出てくる人々の判断と考え方につき、レヴィストロースは「ブラジル内陸部に共通」する心情としている。さらに;
<de meme , pensait sans doute mon interlocuteur de Rosario> ロザリオ(アルゼンチン二番目の市=当時)出身の通訳もこの(ブラジル内陸の民衆)判断思考と同じであるとした。であれば南米の住民に広く伝わる思考の様態である。
いったい「この判断、考え方」とは何か。
レヴィストロースの注釈が入る。
<il llustre bien ce mélange de malice et de naivete – a propos d’incidents tragiques traites comme de menus evenements de la vie quotidienne- qui caracterise la pensée populaire de I’interieur du Brasil>
訳;主体のilは現地人の話(le recit)を指す。悲劇的な結末を日常の出来事のごとく取り扱う語り口から、思考行動には信じやすさと悪意の入り交じり模様が浮かびあがり、ブラジル内陸の民衆はかくありと伝えている。
「信じやすさと悪意の入り交じり」が南米に広く伝わる考え方であると。
maliceの意義は「悪意」であるが「悪意の籠もった口出し」。すなわち意識のみならず、具体的行動にも意が及ぶ(辞書ではaptitude a FAIRE le mal)。すると上例の逸話では薬草団長が俗医師に毒蛇を捕まえろとの指示がmaliceで、naiveteは占いまがいの免疫術をすぐさま信じた彼の判断を指す。
信じた効果を確かめんと悪意が籠もった口出しは、無批判に信じた幼稚さの反動としてか。内に渾然と両者を秘めるブラジル内陸部、そして広く南米の民衆。
物語を一通り聞いたレヴィストロースは、ラホール(パキスタン)に立ち寄りアフマディ教団長から歓待を受けた夕晩餐での会話を思い出した。時系列は異なるので、順番に正確を期すと;
エジプト、パキスタン、インド、ビルマ(当時)を巡った飛行機の旅。各エスカルの空港に降り立ち、内陸に足を伸ばしたのは1947年。故に時間の経緯はまず土俗医師の話が1938年、大戦を挟んでアフマディ教団ラホール派のスルタンに面談したのが9年の後。本書の執筆時1955年に両の話し思い返して、思考と判断が同一線上に位置すると気付いた。
アフマディ教団はネオムスリムとも称された。小筆の理解が及ぶところではないが、教義にはイスラム正統派と較べ柔軟さが際だつ(ようだ)。
土俗医師、痛恨の失敗 1 の了
(最後まで読み通した方に、ご苦労様です。下のブルグランキングボタンをクリックしてください。おかげさまで280から130位までに上がってきた)