(2023年9月21日) « mais en même temps, réalité du non- être dont l’intuition accompagne indissolublement l'autre, puisqu'il incombe à l'homme de vivre et lutter, penser et croire, garder surtout courage, sans que jamais le quitte la certitude adverse qu'il n'était pas présent autrefois sur la terre et qu'il ne le sera pas toujours, et qu'avec sa disparition inéluctable de la surface d'une planète elle aussi vouée à la mort, ses labeurs, ses peines, ses joies, ses espoirs et ses œuvres »
同時に、存在しないモノの現実もある。それは直感の作用を生み相方(存在するモノ)と切り離せない関係を持つ。なぜなら直観から人には生きる、闘争、思考、確信、勇気を保つなどが課せられている。その真逆を仮定すると「存在しないモノなどなかった、今後も現れない」として人を闇に放り出すこととなってしまうが、それは起こらない。その(存在しないモノ)がある一つの星の地表から消えたら、地球(la terre)も死を迎える。労苦、苦痛も喜び、希望も作品もそれらは…
(冒頭でハムレットの名句を引用した。彼の自問は「存在するかしないかどちらを選ぶのか」。上の2引用文(仏語原典)はハムレットに重なる(réalité d l’être 存在するモノの現実ouあるいは réalité du non-être存在しないモノの現実) 。ここにも換喩が認められるが、一体何を言い換えているのか。存在するモノの現実は日常の動作、生活、政治選択など。存在しないモノの現実は生き死に、考えて信じると説明している。早計は避けるべきだが存在するモノを行動、存在しないモノを思考としたい)
神話学裸の男の表紙(ポール・デルボー)
« deviendront comme s'ils n'avaient pas existé, nulle conscience n'était plus là pour préserver, fut-ce le souvenir de ses mouvements éphémère sauf, par quelques traits vite effacés du monde au visage désormais impassible, le constat abrogé qu'ils eurent lieu c'est-à-dire rien »
前引用の労苦、苦痛も喜び、希望も作品も)存在しなかったかになってしまう。それらを残そうとする意欲などないとなってしまう。すると残るはただ一時の、様々な動きの思い出にすぎないか。世界の無感動な表情からたちどころに消え去るいくつかの足跡、それらかつての存在の影を残す廃絶証書を除いて。すなわち「何も残っていない」。
思想という存在しないモノを持っているからこそ、宇宙には労苦、苦痛も喜び、希望も作品も存在していた。そして、
地球の何もない風景が、かつて何かがあった廃絶証書として残る。何もない無が過去には何かがあったと証明する。有か無を人が選ぶ宇宙は無い。無が人を選ぶ。沙翁の問いかけにレヴィストロースが回答した瞬間です。
Paris, octobre 1968 -- Lignerolles, septembre 1970. (後付は裸の男の執筆期間)
追記:構造主義は「思想とモノ」の対峙を本質とするーこの解釈を部族民通信は幾度かSNS発信している。神話学においてもこの思想は顕在する。神話は3分節(articulation)。語、文、全体の分節構造において思想と実際が対峙する構造を説いた(生と調理の序文、Introduction)。この構造の発展が神話学4部作であって、神話の比較とはschème(伝えかけ、思想)とarmature(形、語り)の両の比較で臨み、伝播ではそれぞれに順列(踏襲)、逆列(反極)の作用が認められるーこれが神話4部作の主張です。
しかしレヴィストロースはこの最後の文で、そこから数段飛び越えの跳躍を披露した。神話世界から人間活動に乗り換えた。人の活動の「在る部分」、これが日常の仕草であり、行動、政治活動で、これらは見えている。それが実際 « réalité de l’être » です。ない部分の実際 « réalité du non-être » は「生き死に、考えて信じる」。「存在するモノ」などヒトが果てた後には跡形もない。しかしその無を廃絶証明として、それが請け負うのは「存在しないモノ」がかつて存在していた。
クロードレヴィストロースここに眠る( Lignerolles)
墓碑には名前生没年のみ。存在するモノのレヴィストロース廃絶証書は石板に刻字。しかしいずれはさざれ石に果てる。無に変貌した地上に、その無が存在しないモノ、レヴィストロース思想を証明する。人は無か有かなど選べない。
神話学裸の男L’homme nuフィナーレの最終の了(2023年9月21日)
同時に、存在しないモノの現実もある。それは直感の作用を生み相方(存在するモノ)と切り離せない関係を持つ。なぜなら直観から人には生きる、闘争、思考、確信、勇気を保つなどが課せられている。その真逆を仮定すると「存在しないモノなどなかった、今後も現れない」として人を闇に放り出すこととなってしまうが、それは起こらない。その(存在しないモノ)がある一つの星の地表から消えたら、地球(la terre)も死を迎える。労苦、苦痛も喜び、希望も作品もそれらは…
(冒頭でハムレットの名句を引用した。彼の自問は「存在するかしないかどちらを選ぶのか」。上の2引用文(仏語原典)はハムレットに重なる(réalité d l’être 存在するモノの現実ouあるいは réalité du non-être存在しないモノの現実) 。ここにも換喩が認められるが、一体何を言い換えているのか。存在するモノの現実は日常の動作、生活、政治選択など。存在しないモノの現実は生き死に、考えて信じると説明している。早計は避けるべきだが存在するモノを行動、存在しないモノを思考としたい)
神話学裸の男の表紙(ポール・デルボー)
« deviendront comme s'ils n'avaient pas existé, nulle conscience n'était plus là pour préserver, fut-ce le souvenir de ses mouvements éphémère sauf, par quelques traits vite effacés du monde au visage désormais impassible, le constat abrogé qu'ils eurent lieu c'est-à-dire rien »
前引用の労苦、苦痛も喜び、希望も作品も)存在しなかったかになってしまう。それらを残そうとする意欲などないとなってしまう。すると残るはただ一時の、様々な動きの思い出にすぎないか。世界の無感動な表情からたちどころに消え去るいくつかの足跡、それらかつての存在の影を残す廃絶証書を除いて。すなわち「何も残っていない」。
思想という存在しないモノを持っているからこそ、宇宙には労苦、苦痛も喜び、希望も作品も存在していた。そして、
地球の何もない風景が、かつて何かがあった廃絶証書として残る。何もない無が過去には何かがあったと証明する。有か無を人が選ぶ宇宙は無い。無が人を選ぶ。沙翁の問いかけにレヴィストロースが回答した瞬間です。
Paris, octobre 1968 -- Lignerolles, septembre 1970. (後付は裸の男の執筆期間)
追記:構造主義は「思想とモノ」の対峙を本質とするーこの解釈を部族民通信は幾度かSNS発信している。神話学においてもこの思想は顕在する。神話は3分節(articulation)。語、文、全体の分節構造において思想と実際が対峙する構造を説いた(生と調理の序文、Introduction)。この構造の発展が神話学4部作であって、神話の比較とはschème(伝えかけ、思想)とarmature(形、語り)の両の比較で臨み、伝播ではそれぞれに順列(踏襲)、逆列(反極)の作用が認められるーこれが神話4部作の主張です。
しかしレヴィストロースはこの最後の文で、そこから数段飛び越えの跳躍を披露した。神話世界から人間活動に乗り換えた。人の活動の「在る部分」、これが日常の仕草であり、行動、政治活動で、これらは見えている。それが実際 « réalité de l’être » です。ない部分の実際 « réalité du non-être » は「生き死に、考えて信じる」。「存在するモノ」などヒトが果てた後には跡形もない。しかしその無を廃絶証明として、それが請け負うのは「存在しないモノ」がかつて存在していた。
クロードレヴィストロースここに眠る( Lignerolles)
墓碑には名前生没年のみ。存在するモノのレヴィストロース廃絶証書は石板に刻字。しかしいずれはさざれ石に果てる。無に変貌した地上に、その無が存在しないモノ、レヴィストロース思想を証明する。人は無か有かなど選べない。
神話学裸の男L’homme nuフィナーレの最終の了(2023年9月21日)