(2021年1月29日)皇子死の結末に2通りが語られる。
1 皇子は伊予で自害した
2 皇子と軽大郎女は伊予で心中した
古事記を読むもどっちか分からない、独自(勘違い)解釈を開陳する。最期の一節は;
♪(前略)吾が思ふ妹 鏡なす 吾が思ふ妻 ありといわばこそ 家にもいかめ 國をも偲ばめ♪とうたひたまいき。かく歌ひて、「すなわち共に」自ら死にたまいき(299頁)。
「愛しい妹、鏡に映ってくれ、思う妻がそこに居るとすればこそ、家をおもいだす、國も偲べるのだから」と歌って「すなわち共に」死んだ。この「共に」が心中伝説(軽大郎女も伊予に流された)の源となる。本書ではこの語に頭注をかけない。
歌の前段で河の瀬に杭を打ち鏡を掛けたとある。鏡は魔術効果があるので、軽大郎女を呼び寄せる卜い神事に用いられたのだ。「すなわち」の意味とは皇子の一念で軽大郎女が鏡に依り憑いた、そこで「すなわち鏡の中の軽大郎女を抱いて」「共に」自死したとする。
これが部族民の解釈だが、皆様のご批判を乞う。
たはけに戻る;
皇子の父、19代允恭天皇は実在した天皇とされる、在位は前述、5世紀前半。主人公木梨皇子も実在した。この婚(たはけ)顛末は実際の出来事である。古事記編纂の250年ほどの前ながら、これほどに生々しく語られる理由は、その顛末が帝紀旧辞(古事記のもと本)に記載されていたかもしれず、稗田阿礼のみならず、人々に語り継がれていたからであろうと思う(部族民)。
同書の補注、
伊勢物語「昔、男、妹のいとをかしげなるを見居りて、うら若み寝ゆげにみゆる…」。源氏物語「匂宮が妹、女一宮に恋情を告げる」などは軽皇子悲恋が知られていた事情を説明している(補注143、358頁)
伊勢物語の成立は900年ころ(Wikipedia)。源氏物語はその後さらに100年余。古事記編纂から2~300年弱の経過。経時的には業平、紫式部が古事記を知りたはけ顛末に接したともいえる。しかし逆に、この事実をして話の実在性は強まる。古代人にあってもイザナギイザナミなど神代の物語を「事実かどうかには疑問」と否定はできるし合理的である。しかし朝廷、日嗣御子の禁忌破りの醜聞には実際感を抱くだろうし、まして阿礼が「創作」する必要はない。
兄と妹狂いの語られ様、その衝撃の強さが大波津波なれば引きつけられ、語り継ごうと業平らの心を奮い起こした。文に力があるから「こんな恋があったのだ」「こうした愛があってもてもいいのだ」と。その勢いを後生が引き継いだ。
穢れに戻る。顛末は何を語りかけるのか。
軽皇子には「罪に問われ、己がそれと自覚した」風情の記述はない。あまりに堂々と日継ぎに臨むとして、
「百官および天の下の人ども軽太子にそむいて「穴穂の御子(弟)によりき」。日継ぎをはずされ謀反を企てるも鎮圧され流され、自害した」
罪を問う側にしても罰を下していない。日継ぎ位を失ったのは罰であるとの指摘に「罰ではない、流れ」と答えたい。皇子は祓いを受けた、流刑された。処払いと書くが、処祓いである。罪穢を帯びる皇子の身を宮中から遠ざけるための流刑である。近親婚に罪はない、穢れが発生するのみ。近親婚に罰はない、付着する穢が祓われただけ。「犯した罪が穢れ、祓うのだ」これが本朝神道の教義である。
ここで本朝での「罪、穢れ、禊ぎ、祓え」の概念を再考しよう;
大祓祝詞(河内一宮枚岡神社、ネットから採取)を掲載します。「国中に成り出む天の益人らが過犯シケム種々の罪ごとは天津罪国津罪許許太久の罪....」と読める。延喜式にあった「...上婚下婚、牛婚、尿戸....」など具体名は外されている。明治維新になって諸外国にバレたらカッコ悪いとの判断が維新高官にあったと聞く。しかしこの文言が祝詞の価値、レヴィストロースが説くところの「自然から文化」の古代文書資料です。
「婚(たはけ)にあれば罪穢である」(同書頭注から)。
婚姻が成り立たない男女が密通を続ける。これは罪である。この「罪」は個人が負うタテマエはあるのだが、当の罪者には直接の責が及ばない。罪は「穢れ」なる状態に一般化し、外気に浮遊する。副作用をもたらす。イナゴバッタの跳梁、長雨、飢餓などは清められない穢れが原因だ。祟りなる意味合いとは罪穢の運命責任論であり、かつての日本人は共同体とそれを取り巻く宇宙の関係をカク信じていた。それが国のヌサ、大祓の起源、理論根拠である。
蝗害(バッタ)でコメが取れない。農民らは「スケベ太郎が上下婚したせいだ」と、己の水平婚を棚に上げて憤る。先住民的感覚で情勢をすぐさま整理する能力、別の言い方で「事象をモノとして、モノ同士を瞬に紐つける知性=魔術」には、小筆の単純頭のセイもあるが、「野生の思考」(レヴィストロース著)を読んだことで、より理解が速まった。
図式は;
1 個人が犯す「罪」、共同空間に溜まる「穢れ」、祟りが仕打ち
2 個人は「禊ぎ」を試みる(滝口で打たれるなど)、神主さんの祓え(ヌサをバシバッシ振られる)で穢れを放逐する。
3 お騒がせの元兇=「たはけ」が「祓われ」清めにめでたし昇華した
本朝2000年となるには近世にもその実話を求めねばならない。
(2021年1月29日)本朝たはけ2000年 3の了
1 皇子は伊予で自害した
2 皇子と軽大郎女は伊予で心中した
古事記を読むもどっちか分からない、独自(勘違い)解釈を開陳する。最期の一節は;
♪(前略)吾が思ふ妹 鏡なす 吾が思ふ妻 ありといわばこそ 家にもいかめ 國をも偲ばめ♪とうたひたまいき。かく歌ひて、「すなわち共に」自ら死にたまいき(299頁)。
「愛しい妹、鏡に映ってくれ、思う妻がそこに居るとすればこそ、家をおもいだす、國も偲べるのだから」と歌って「すなわち共に」死んだ。この「共に」が心中伝説(軽大郎女も伊予に流された)の源となる。本書ではこの語に頭注をかけない。
歌の前段で河の瀬に杭を打ち鏡を掛けたとある。鏡は魔術効果があるので、軽大郎女を呼び寄せる卜い神事に用いられたのだ。「すなわち」の意味とは皇子の一念で軽大郎女が鏡に依り憑いた、そこで「すなわち鏡の中の軽大郎女を抱いて」「共に」自死したとする。
これが部族民の解釈だが、皆様のご批判を乞う。
たはけに戻る;
皇子の父、19代允恭天皇は実在した天皇とされる、在位は前述、5世紀前半。主人公木梨皇子も実在した。この婚(たはけ)顛末は実際の出来事である。古事記編纂の250年ほどの前ながら、これほどに生々しく語られる理由は、その顛末が帝紀旧辞(古事記のもと本)に記載されていたかもしれず、稗田阿礼のみならず、人々に語り継がれていたからであろうと思う(部族民)。
同書の補注、
伊勢物語「昔、男、妹のいとをかしげなるを見居りて、うら若み寝ゆげにみゆる…」。源氏物語「匂宮が妹、女一宮に恋情を告げる」などは軽皇子悲恋が知られていた事情を説明している(補注143、358頁)
伊勢物語の成立は900年ころ(Wikipedia)。源氏物語はその後さらに100年余。古事記編纂から2~300年弱の経過。経時的には業平、紫式部が古事記を知りたはけ顛末に接したともいえる。しかし逆に、この事実をして話の実在性は強まる。古代人にあってもイザナギイザナミなど神代の物語を「事実かどうかには疑問」と否定はできるし合理的である。しかし朝廷、日嗣御子の禁忌破りの醜聞には実際感を抱くだろうし、まして阿礼が「創作」する必要はない。
兄と妹狂いの語られ様、その衝撃の強さが大波津波なれば引きつけられ、語り継ごうと業平らの心を奮い起こした。文に力があるから「こんな恋があったのだ」「こうした愛があってもてもいいのだ」と。その勢いを後生が引き継いだ。
穢れに戻る。顛末は何を語りかけるのか。
軽皇子には「罪に問われ、己がそれと自覚した」風情の記述はない。あまりに堂々と日継ぎに臨むとして、
「百官および天の下の人ども軽太子にそむいて「穴穂の御子(弟)によりき」。日継ぎをはずされ謀反を企てるも鎮圧され流され、自害した」
罪を問う側にしても罰を下していない。日継ぎ位を失ったのは罰であるとの指摘に「罰ではない、流れ」と答えたい。皇子は祓いを受けた、流刑された。処払いと書くが、処祓いである。罪穢を帯びる皇子の身を宮中から遠ざけるための流刑である。近親婚に罪はない、穢れが発生するのみ。近親婚に罰はない、付着する穢が祓われただけ。「犯した罪が穢れ、祓うのだ」これが本朝神道の教義である。
ここで本朝での「罪、穢れ、禊ぎ、祓え」の概念を再考しよう;
大祓祝詞(河内一宮枚岡神社、ネットから採取)を掲載します。「国中に成り出む天の益人らが過犯シケム種々の罪ごとは天津罪国津罪許許太久の罪....」と読める。延喜式にあった「...上婚下婚、牛婚、尿戸....」など具体名は外されている。明治維新になって諸外国にバレたらカッコ悪いとの判断が維新高官にあったと聞く。しかしこの文言が祝詞の価値、レヴィストロースが説くところの「自然から文化」の古代文書資料です。
「婚(たはけ)にあれば罪穢である」(同書頭注から)。
婚姻が成り立たない男女が密通を続ける。これは罪である。この「罪」は個人が負うタテマエはあるのだが、当の罪者には直接の責が及ばない。罪は「穢れ」なる状態に一般化し、外気に浮遊する。副作用をもたらす。イナゴバッタの跳梁、長雨、飢餓などは清められない穢れが原因だ。祟りなる意味合いとは罪穢の運命責任論であり、かつての日本人は共同体とそれを取り巻く宇宙の関係をカク信じていた。それが国のヌサ、大祓の起源、理論根拠である。
蝗害(バッタ)でコメが取れない。農民らは「スケベ太郎が上下婚したせいだ」と、己の水平婚を棚に上げて憤る。先住民的感覚で情勢をすぐさま整理する能力、別の言い方で「事象をモノとして、モノ同士を瞬に紐つける知性=魔術」には、小筆の単純頭のセイもあるが、「野生の思考」(レヴィストロース著)を読んだことで、より理解が速まった。
図式は;
1 個人が犯す「罪」、共同空間に溜まる「穢れ」、祟りが仕打ち
2 個人は「禊ぎ」を試みる(滝口で打たれるなど)、神主さんの祓え(ヌサをバシバッシ振られる)で穢れを放逐する。
3 お騒がせの元兇=「たはけ」が「祓われ」清めにめでたし昇華した
本朝2000年となるには近世にもその実話を求めねばならない。
(2021年1月29日)本朝たはけ2000年 3の了