蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

飢餓の共同幻想 下

2012年04月15日 | 小説
前回はつまらん話しになった。話しがおもしろくないとビジットも少ない。不味い食い物屋の零落ぶりを幻想体験してるみたいで、身にしみた。今回も面白くはないから読まれる方も少ないと覚悟している。

日本人には飢餓は幻想ではなく過去の事実である。賢治は大正期に「寒さの夏はおろおろ歩き」と飢餓におびえた。東北で夏が寒いのは「ヤマセ」(オホーツクの寒さを運ぶ東風)が吹くからで、コメの収穫が極端におちる。
最近では1993年にヤマセが吹き荒れ6月にドテラを着て寒さを凌いだ(投稿子の経験)。よく年94年には庶民の米びつが春に払底した。米がない買えない騒乱のその1年、たった19年前なので記憶に残す読者も多いと思う。日本は外貨があったのでタイ米を買いまくった。外米が流通して庶民の飢餓は防げた、しかし案の定、恩知らずが「マズイ食えない」などとネをあげ、東南アジアの農民から顰蹙をかった。

食糧自給40%以下の日本で飢餓は過去の現実であり未来の悪夢である。しかし首題の「幻想」は未来の飢餓を語るのではない。必ず来る飢餓、それに目をつぶり「飽食」に価値があるとするグルメ論的自己陶酔を「飢餓の共同幻想」と言う。

上、中で料理本の氾濫(百家斉放)と美味追求の技術論(百花繚乱)を述べた。その思潮は食の野放図な礼賛でしかなく、古来日本人が美徳として忘れなかった節度、「食べられるだけで幸せ」「食材と農民への感謝」がみじんもない。
料理をこう作れば旨くなるこのように飾り盛りつけろなどで、全てが技術論である。根底には「おいしいもの食べたい」の欺瞞が潜んでいるのだ。前回記述したように「おいしい」とは食べた本人のみが決める「官能」なので、旨く作ろうとどれほど努力しても、これらの商業的技術論的努力は、個人的一時の「おいしい!」のまえにには無駄無意味である。

金にあかして材料を吟味し手間暇かけて調理して、贅をこらしたテーブル内装でもてなしても、美味とは結びつかない。食べる方は、その店の調理技術の卓越さや、配膳の雰囲気、目の玉飛び出る値段などで「きっとおいしいに違いない」自らを欺瞞して期待するが、いくら技をの洗練させても食べる個人の「官能、おいしい」とは関係がない。
料理技術で追求する美味も、金払って期待する尊大な美味しさも同じ穴のムジナ。空想の「美味」に金と努力を払っているだけ。
謙遜な空腹者、食への感謝者、が持つ崇高な官能とは異質である。食べて感想するのがおいしさで、技術と金が食卓に供するのは装飾と傲岸でしかない。

グルメ氏よ、君たちは食を勘違いしている、美味を幻想しているのだ。

料理技術論を振りかざし、旨い料理を「作れる」の信条でいるかぎり、永久にただ見果てぬ虚飾を追求するだけで、美味の迷路に落ちこむ。銀座の寿司屋のカウンターが天国に一番近いと確信しても、翌日行って同じモノ喰らって「今日は旨くない昨日より天国から遠ざかったな」と思えば、天国よりの寿司屋は別のどこかにあると疑う。この関係は見果てぬ飽食で、実はこれが飢餓なので、グルメ的飽食は飢餓の共同幻想なのだ。

天国に近い寿司屋に戻るが、投稿子(渡来部)は最近魚のナマが食えなくなってきた。その上、皆さんは知らないだろうが3年にわたって無収入なのだ。流動性の僅少化が顕著(金がない)という宿痾に重篤感染している(幻想ではない飢餓で死にそう)。
だから私めが死ぬ前に「天国に行きたいけど断られる。天国に一番近い場所でメシ食おう」と決心して、ジローなる銀座寿司屋におそるおそる足を踏んだら、味(生もの食えない)と値段(座って一人3万円らしい)で地獄の餓鬼道苦を先取りしてしまう。クワバラクワバラ。
もし天国は寿司の楽園で、行けるのは金持ちのみなら「カウンターが天国に…」の論評は頷けるけど、天国もそこまでは落ちぶれていないだろう。

老人が死ぬ間際に何が食べたいかと尋ねられた。彼は「白いマンマと豆腐汁」と言って息絶えた。それは老人が天国に近寄った瞬間だった(越後民話)。これほど食への感謝を持つ老人であれば、天国に旅たっただろうと祈る。空腹、飢餓が現実にあって、グルメ的欺瞞など知らず
食べられる幸せを祈る人々の時代であった。
(題名は思想家吉本隆明氏の著作に強く影響を受けています。合掌)
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飢餓の共同幻想グルメなる無思考 中

2012年04月06日 | 小説
前回(飢餓の共同幻想グルメなる無思考=上)では「食に関する書籍雑誌が百家斉放の様を見せている。その全てが食への礼賛であり、本屋の店頭では百花繚乱の錦絵を見せつけられる思いだ」と語った。きっかけとしたのは東京・多摩図書館での企画展「おいしいものが好き」で、当ブログを読んで訪問した読者各位は小投稿子(渡来部)の感慨を共有できると思う。

食の礼賛が何を意味するかは雑誌のグラビアページをめくれば瞭然である。銀座の高級寿司店のカウンターが「天国に一番近い場」と吼える者(グルメ評論家)、黄ばんだ獣膏が枯れ草のごとく泥遊するゲンコツラーメンを食べ「恍惚に彷徨う」(編集者)者ありで、これら卑俗の至りの感慨は以下に収斂される。
前提は 美味い料理、大食らいできる料理は存在する。料理人が暇かけて材料を吟味し、手間つくして調理して、贅をこらした(あるいは意表つく)環境(小ぎれいな寿司屋やいわくありげな下町ラーメン屋など)で食うのが食事の通で、
1 美味い料理を食べるのは幸福
2 大食らいするのは幸福
が収斂の成り果てであろう。

企画展「おいしいものが好き」は戦後の雑誌書籍をほぼ網羅しているから、戦後大衆の思考そのものと言える。戦後大衆は食文化をこの程度の低レベルでしか開花出来なかった。
この低レベルとは彼らのベクトルが(頭使わず)胃袋の欲望に「こ従」するだけ。食いたいとの上向き一方向に展開するだけ、この痴態構造がもろ見える。これは大いなる食欲で無思考と私は考える。
(前回投稿で)雑誌の繚乱ぶりを見て虚しくなったと同根で、全ての中身はバナール(通俗)、食いたいなら食わせてやるの傲岸の繰り返しのステレオタイプ。呼んでいく内に誰もが愛想が尽きる筈だ。
雑誌は所詮その程度、「笑って忘れるが賢明」と忠告があれば、ありがたいが笑いだけでは済まない。「食いを礼賛する」その幼稚頭脳のレベルには民族文化を滅亡に導く卑劣な陥穽が見え隠れる。それが「飢餓の共同幻想」である。

雑誌等では「食とはコントロールできる。料理をおいしく作るには金をかけてこうやればいい、大食いしたい亡者には脂身残してこう作ればよい。金で解決するのだ」との不遜な背景がある。その構造は倒錯だとして排撃すべきであると考える。戦後の食文化は日本の歴史的にみて異端なのだ。異端を礼賛してはいけない、己も異端に染まる。

前述の収斂(旨い料理の犬食い)にもどる。私は「卑俗な感慨」としたが、なぜならそこには食の最重要な感謝の精神は何もない。戦後に欠けているのは「食の尊厳」「食べる感謝」である。米を噛みしめて空腹を癒やし、食べている幸せを天に感謝すべきだ。食を創造する農民の汗への敬い心があるべきだ。しかしグルメは尊厳を一切排除している。
感謝を忘れてはいけない、謙虚な食の精神に戻ろう。
ブームとは我々市井の者、日本人、日本民族が持つ食への崇高精神を破壊する非国民的アンチテーゼなのだ。
なぜなら、
1 料理は食べておいしいと感謝するモノだ。商業的に作る料理が食べる前からおいしいなどと主張し強要するのは倒錯だ
2 そもそも「味」なる不確実な官能を土台にして美味いまずいなどと批判するは冒涜だ。

私の知る方の例をあげる。彼は今還暦を越している、父親の晩年の子でその方は宮沢賢治の年代(賢治の生まれは1896年明治29年、友人の父も同じ生まれ)と聞いた。その父君は以前に他界しているが、その息子、私の友人に蓄積した教育には、多く明治期の生活思考、食に苦しみ尊んだ東北の精神が受け継がれている。
まだ豊かと言えない昭和30年代、彼の父が死ぬ前日(友人はその日16歳だった)豪華と言えない食卓を前に彼の父が涙こぼした。涙に濡れた食卓には、
「みそ汁はオミオツケという、尊敬のオ(ミ)を3回つける。この汁への讃辞を表す。天皇陛下様と言っても尊敬は2語だ」
オミオツケの語源は広辞苑にものっているので正しい。天皇陛下よりも偉い汁が庶民の食卓に乗っていたとは、
「子供の頃=明治30-40年代=にはオカズと呼べるものはなかった。稗粥をすすり粟と栃の実を舐めた、みそ汁=オミオツケだけがおかずだった。身体養うモノはこれしかなかった。だから尊敬の3語つけるのだ」
肺病を病んだ父親、俸給が長らく途絶えた食の苦しさの中に、待望の汁を見つけさらに別皿一つのおかずが出た幸せに明治の父は涙したのだと。
子の彼がご飯の一粒を落とせば「拾って食べろ」と父が命じた。米つくる農民の苦労を尊敬しろとも加えた。まずいと箸を置いたら明治の鉄拳がとんできた。
昭和の30年代までは飽食の蠱惑などどこにも無かった、しかし食への節度があった。食の尊厳、それは生活だった。(飢餓の共同幻想グルメなる無思考 下に続く)
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