蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

焼いたらダメってあんた一体なんなのさ?Youtube投稿

2023年05月29日 | 小説
要約 : 日本では火葬がほぼ100%を占める。耶蘇教が優勢な国、スペイン、イタリア、フランスでは土葬 « inhumer » が90~70%と逆転する(資料は後述)。ヨハネ黙示録が伝える「最後の審判」 ; キリスト者はこの世の終わりに神が下す審判(jugement dernier)に臨む。神が善人悪人を判定して、善人だけが天国に迎えられる。故にキリスト者は土中棺桶の中でしっかり善行の記憶を胸に留め、とっておきの服装、金持ちは誂え豪華背広、貧乏人だってそれなりの格好で神の前に立つ。焼いたらそれも出来ない。5分+の動画となります(2023年5月29日、講義は渡来部)

Youtubeへのアクセスは下記アドレスをGoogleアドレス窓にいれて検索

https://youtu.be/GaDBbOVBayw

Twitterでは縮小画面のフル再生、及び2分のダイジェスト版が開けられる。
下のアドレスをGoogleアドレス窓に

部族民通信@9pccwVtW6e3J3AF

部族民通信ブログは https://blog.goo.ne.jp/tribesman

Youtubeで用いられた資料は WWW.tribesman.net

よろしくご訪問のほど願いします。渡来部


ヤマボウシ、可憐な花姿は6月半ばまで


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

焼いたらダメってあんた一体なんなのさ?下

2023年05月26日 | 小説
(2023年5月26日)日本では火葬がほぼ100%を占める。耶蘇教が優勢な国、スペイン、イタリア、フランスでは土葬 « inhumer » が90~70%と逆転する(資料は後述)。ヨハネ黙示録が伝える「最後の審判」 ; キリスト者はこの世の終わりに神が下す審判(jugement dernier)に臨む。神が善人悪人を判定して、善人だけが天国に迎えられる。故にキリスト者は土中棺桶の中でしっかり善行の記憶を胸に留め、とっておきの服装、金持ちは誂え豪華背広、貧乏人だってそれなりの格好で神の前に立つ。
審判で無罪を勝ち取るためには「焼かずに埋葬」してもらう。焼かれたらお骨しか残らない。骨がなんと己の生き様を神に言い訳できるのか。生身で埋める(inhumer)が耶蘇の葬儀(ensevelir)の標準でありかつ生者との契約でもある。。
日本に定住するイスラム教徒は死んで後、「土葬」を強く求める。回教ではコーランに「死者を火葬してはならない」との教えがある(のだそうだ、ネット伝聞に依る、要確認)。労働ヴィザを持ち日本で働く回教徒も増えている。彼らの悩みが「日本で死んで火葬されたくない」この裏側には「お骨になったら天国に行けない」、まさに生きて働く今の生の最終目的が否定される断崖を前にしている。回教徒は歳を重ねたら(死ぬ前に)自国に帰ればーは解決にならない。部族民(渡来部)として回教徒に安心して « ensevelir » 葬儀を施せる施設の整備を望む。

本稿を投稿するにあたり回教徒、あるいは日本人の回教あるいはアラブ文化研究者の考え、意見を参考にするのが本筋であると考えた。図書館、ネットを探したが見当たらなかった。部族民はアラブ語を読めないから、原典に接近できない。そこで耶蘇教聖書を引用するにとどめた。祖をアブラハムに発する同系統の宗教として、信仰の基礎の部分(絶対神、原罪、死後の行方)については合わせて論ぜられるはずと考えた。この安直さが間違いであれば指摘してください。

追記1:火葬の比率はフランスで30%、イタリアで10%と少数派である。(数字は « Le triomphe de l’incinération », パリ第一大学教授Philippe Boutry氏東京恵比寿日仏会館2019年3月4日の講演、小筆の聞き取り)。火葬率には洗礼前の乳児、自殺者、行き倒れ、終身刑徒=本来は死刑の罪、係累不明者、非キリスト者も含む。葬式のあり方を遺族と「契約」している耶蘇教徒に限れば、火葬率はより僅少となろう。信仰と火葬率の相関をBoutry教授に質問したら「宗教観を前提にした調査はフランスでは禁じられている」の回答だった。回教国では土葬は100%であろう。

2:部族民の個人見聞を幾つか : さる熱心な耶蘇教徒 « pratiquant » が死に瀕し、家族は航空会社と交渉し医師、人工呼吸器と技師、念のための神父の組合わせで予約を取り付けた。無事(死ぬ前に)本国フランスに到着できた。同じく熱心な « pratiquant » 、快復を願ったが叶わず日本で死亡。木棺を厚い鉛板で密封すれば貨物便での混載を航空会社は認めた。いずれの場合もX百万円の航空券、運賃の出費であったと聞く。


日本には数少ない土葬の墓地、トラピスト修道院HPから


耶蘇教団は日本に土葬施設を所有している。そこに « inhumer » 土葬されるものは修道士のみ(と聞く)。幾人かの回教徒に墓地を、時限として、提供しているとネットで知った。
焼いたらダメってあんた一体なんなのさ? 了(5月26日)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

焼いたらダメってあんた一体なんなのさ?中

2023年05月24日 | 小説
(2023年5月24日)福音書は新約聖書Le nouveaux testamentの頁数のおよそ半分を占める。四の聖者(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)になる記述でそれぞれが福音(キリスト復活と神の国の未来)を伝える。内容はキリストの出自生涯、盲人を治癒させる水面を歩くなどの奇蹟、そして告発処刑、復活といずれも似通う。11の弟子に使徒となって世界中に福音伝え、復活のために信者となれとの布教指示が共通している。その訴えかけをしてレヴィストロースが「福音書の公式」と決めつけている。訴えかけの中身とは :

1 キリストは神の子(磔刑で死んだがニセ預言者ではない)
2 キリストの統べる神の国が到来する
となるがヒトが守るべき条件が定められている―
3 悔い改めよ、信ぜよ(そうしないと救われない)
4 世の終わりに審判が構えるぞ、墓場に入っても己の生き様を忘れるな


写真説明は文末


言い方を替えると「死者は神の国に属す。生きるもの、汝らは亡者を忘れろ」と生者へ投げやり姿勢を勧告している。生者死者の契約が生まれた裏とは「忘れるのは生者、亡者は自覚を持つ」意識改革が(近世に)発生した―とレヴィストロースが指摘する。

忘れるために人々は亡者と契約を交わす。それなりの葬儀 « ensevelir » を営み、居心地の良い墓回りを整え亡者を安心させ、 « laissez les morts ensevelir les morts » 「死者は懇ろに弔え、あとは放おっておけ」。忘却の代償は墓と屍衣と坊主引導の出費だった。葬儀 « ensevelir » は生者の安心料でもある。
福音書の公式 « la formule de l'Évangile » とは畢竟、「亡者は神のモノ」に集約される。このあたりを福音書に当たってみよう。用いた聖書はLa Sainte Bible, L'école biblique de Jérusalemイエルサレム聖書研究会、仏語版 ;

Enfin, il se manifesta aux Onze même pendant qu'ils étaient à table, et il leur reprocha leur incrédulité et leur obstination à ne pas ajouter la foi à ceux qui l'avaient vu ressuscité, il leur dit « Allez par le monde entier proclamez la Bonne Nouvelle à toute la création, celui qui croira et sera baptisé, sera sauvé. Celui qui ne croira pas, sera condamné. (L'évangile selon Saint Marc. Page 1350から抜粋)
11の弟子が食卓に座しているその時に彼(キリスト)は現れた。彼らの疑い深さ、さらに復活を目撃した者たちを信用しなかった不信心を咎めた。世界中を巡り、息とし生きるものにこの良き出来事を伝えなさい。信ずるものは洗礼を受け救われる。信じないものは罰せられる。
Qui aime sa vie, la perd ; et qui hait sa vie en ce monde la conservera en vie éternelle. Si quelqu'un me sert, qu’l me suivi, et où je suis, là aussi sera mon serviteur, si quelqu'un me sert, mon Père l’honorera » (L'Evangile selon Saint Jean. Page 1417)
己の生に耽溺するものは生を失う。己の生を忌む者は永遠の生を持つ。信ずるものは私に従いなさい。私が居るところには私の従者も居る。信ずるものに父(唯一神)の祝福あれ。
上引用は「悔い改めよ、信ぜよ。さらば救われむ」の具体を教えている。(動詞 « haïr » の原義は嫌う。しかし「生きるを嫌う」は意味がなさない。4義に « mépriser en soi la nature pêcheuse » 己に潜む原罪を忌む=Robert、を採用する。)

火葬にすると亡者は姿かたちどころか「悔い改めて信じていたはず」の生前記憶がごっそり消える。亡者との契約には「火葬にしてくれるな」の追加条項が入っていたのだ。留意してほしい指摘を一つ記す。火葬土葬云々は聖書のどこにも書かれていない。火葬されたら天国に入れないとも書かれていない。故に法王は「火葬(incinération)された者でも最後の審判に臨めて、己の言い分を神に伝えられる」の声明を発した(1961年)。しかし今もって、キリスト教徒はお骨cendresが神に「私はこんなに上等な背広を着て褒賞もたくさん貰った。良き市民、良き信者だった」を陳述できるとは想像が及ばない。火葬拒否は教義ではない、民間信心である、ゆえに頑なだ。回教徒に至ってはなおさら…

焼いたらダメってあんた一体なんなのさ?中の了(5月24日)

上の写真説明 : キリストの死骸を納めた洞穴にその3日後の朝、3名の婦人が訪れた。「汝らがイエスを探しに来たと知る、彼はここに居ない。復活したのだ」と洞穴の天使は告げた。中に死骸は見当たらなかった。3の婦人とはマグダラのマリア、ジャンヌ、ジャックの母のマリア(福音書聖ルカ伝から)。聖母マリアをジャック(ヤコブ)の母のマリアと記す、ジャックはキリストの従兄弟、異母兄、実弟の3の解釈に分かれる。ルカ伝は実弟としている。ジャンヌは、部族民には不詳。画像はウイキペディアから拝借した。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

焼いたらダメってあんた一体なんなのさ?上

2023年05月22日 | 小説
(2023年5月22日)日本では火葬がほぼ100%を占める。耶蘇教が優勢な国、スペイン、イタリア、フランスでは土葬 « inhumer » が90~70%と逆転する(資料は後述)。日本に定住するイスラム教徒は死んで後、「土葬」を強く求める。この異質の死者処置は日本人には受入れがたく、世を騒がせている。耶蘇と回教の共通は一神教、なぜ一神教徒は土葬に固守するのか。宗教背景と焼いたらどうなるを論じます(回教徒の要望する土葬施設を認めるべきーが部族民の姿勢です)。

クロード・レヴィストロース著の「悲しき熱帯、Tristes Tropiques」のBororo族の章で以下の文脈に唐突に出くわす― ;

« Si nous nous bornons à considérer l'évolution de la civilisation occidentale, il n'est pas douteux que l'attitude spéculatrice s'est progressivement effacée au profit de la conception contractuelle des rapports entre morts et vivants, celle-ci faisant place à une indifférence annoncée peut-être, par la formule de l'Évangile : laissez les morts ensevelir les morts » (Lévi-Strauss, Tristes Tropiques, page deux cent soixante et dix)
西欧文明の発展に考えを巡らすと、死者と生者の関係が、投資目的から契約遵守に移行してきたことは疑いようにない。この変遷はおそらく、死者には「投げやり」とも感じ取れる福音書の公式が影響を与えていると推察できる。「死者は懇ろに弔え、あとは忘れろ」をこの公式は仄めかしている、その教条を取り込むようになった。
文意を理解するには幾つかの前提を知る要がありそうだ。

その1 死者への態度は投機 « spéculation » と契約 « contrat » に二分される(レヴィストロースの主張) ;
前の幾ページかで西欧古民話を引用し投機と契約の2例が紹介されている。投機は :  « le chevalier entreprenant » 起業家騎士。麦一粒を懐にして家を出た農民が巧みに言を操り麦から雄鶏に、雄鶏を牛にと取り替えて最後に死体にありついた。なんとそれを王女に取り替えた。ここでは死体には「意識がない」ので目的達成のアテ玉に使える(対象物 « le mort comme objet » とも)。

契約は : 借金を背負って死んだ男、家族は借金取りから葬儀を妨害される(葬儀を営まければ天国に行けない。それには金がかかる、引用文に見られる « ensevelir » の意味は葬儀であって、一連の弔い儀礼を死者にを施すとなる。墓の用意と人足の手当、屍衣を買い坊主お経とお布施など。その金があるなら金返せと借金取りが迫る。篤志家が死体を買い取り懇ろに弔う。
その晩亡者が枕元に立ち「これからは何をやっても成功する、しかし分前は半々」と告げる。そのつまりで王女をモノにできた。しかし分け前の半分を亡者に盗られた。王女身体の罪深い側(la portion maligne)は亡者が取って、篤志家には罪を犯さない半身(la portion bénigne)が与えられた。どうも下半身と上半身を分割したようだ。


フランス古民話で蛇姫は"Mélusine" として知られる。図は入浴中の蛇姫を覗いて肩を落とす婚約者の王子(ウイキペデイアから拝借)


こちらは意識を保つ死体 « le mort reconnaissant » 。この形容詞は「感謝する」が多くの文脈で当てられる。しかし王女の下半身を盗んだ亡者は感謝など持ち合わせない、原義の意識するーとした。
西欧での死者への思い、慣習が(古民話が形成された中世からは)投機が薄れ、契約する姿勢が優勢になって近世に至った。言い換えると中世までは死者は意識など持たないから生者が己の目的達成に使う。それが死者は実は意識を持つのだ « reconnaissant » 、ならば「放おっておけ」の扱いが広まった。そしてこの変遷には福音書の公式の「投げやりの教え」が影響しているのだと。 « Indifférence » を投げやりとした、この語の原義は「無関心」にあって投げやりは強すぎる。しかしあえて意訳した。理由は ;
焼いたらダメってあんた一体なんなのさ?上の了(5月22日)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石器の作り方教室(1,2)をYoutubeに投稿

2023年05月17日 | 小説
当ブログに投稿した石器の作り方教室1,2(5月12,14日)をYoutubeに投稿したお報せです。
ブログに接近した方にはお分かりですが、本動画の趣旨は構造主義の観点から石器制作を分析となります。構造主義とは個が脳内に抱く思想と現実の「モノ」の対峙、その対峙関係に構造を見るとする思想です。では石器を制作した最古の人類オーストラロピテクスは何を頭に抱いていたのか?それは石器の形状などの表象です。それだけでは足りない、石器を取り巻く思想を頭に固めないと300万年を超える石器技術は伝承されなかった。
動画のタイトルは「石器の作り方構造主義から説明」


石器矢じり、出土は秋田県能代市(部族民通信の保有)



動画リンク
https://youtu.be/6hn28lbUbn4
(Youtubeに入ってから検索窓にアドレスを入れてください)
ホームサイトwww.tribesman.net(本 動画のPDF(パワーポイント)資料はここに収納されてる)
Twitter 部族民通信@9pccwVtW6e3J3AF ダイジェスト版(2分)及び画面縮小のフル再現(10分ほど) が再現される。
当ブログ https://blog.goo.ne.jp/tribesman
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石器の作り方教室 2 

2023年05月14日 | 小説
(2023年5月14日)作り方奥義を極めたい、制作工程を分解しよう :

1 渓谷をうろつき石器に好ましい(黒曜石に代表される火成岩 の)石ころ=種石を拾う
2 打ち下ろす打石を探し拾う
3 種石を左手に握って右手には打石、ガチンと叩く
4 半分に割れた核石を検分する、石器向きの手頃な片辺を選ぶ
5 種石に刃をつけるためにコツンコツンと時に力を込め、手加減して十数回を打っては見極めて、全て良ければ出来上がり


この過程を(とりあえず)15の作業としよう。全てに成功(+)しなければ石器にならない。ここでは全て工程で成功か失敗かの確率を、大甘に、二分とする(実際は失敗よりも成功は厳しい)。2の15乗が石器を得る確率。べき乗サイトで計算してもらうと ;

32,768

となる。3万2千分の1の確率を見事に乗り越え石器を作ったジンジャン、スゴイ~。


図の説明:第一段階は石の選択、GoodとBadに分かれる、次の選択もGとBに分かれ、G、Bが2例づつの4結果になるが、1,2通してのGは上の1例のみ。これを15回繰り返する1の全回Gと32,767のBを一回以上含んだ例との結果になる。最悪は全15回がBの例


選別眼の確かさ、手先器用さ、集中力で石器を手に入れた。それだけだろうか、全く違う。前の文には最も重要な能力を無視している。それが :

思想

己が何を作るのか、そのデザインを頭に入れておく。形状、重さ、刃と握り背の位置具合など。そのためには何に使うのかを定めるが必須。その何かにどのように刃を当てる、どうやって切り取るかも定めておかねばならない。そこでジンジャンの立場を推測する : 


ヒトが頭に思想=表象を持つ図解スライド。

動物を狩って解体するために道具を用いる。「オレの身に鉄はまだ手に入らない」ならば硬いのは石、石器を作るべ。獲物は動物、奴らには毛皮が付いている。これを剥がすのに苦労する。猫科動物は犬歯が鋭いから、歯先で皮を剥いで肉にありつける。鳥でそれをできるのは大型の猛禽類。ヒトは鋭い歯も先が曲がった嘴も持たない。やっと仕留めたインパル鹿の腹に噛み付いても指で引っ掻いても皮を開けられず肉にたどり着けない。刃のある道具、石器をジンジャンが考えついた経緯でした。

すると石器とはそのものの思想=表象に加え、それを取り巻く外周の思想事情がありそうだ :

1 解体する道具の表象を頭に描く
2 肉を切り分け分配する社会制度がなければ、狩りも石器もあり得ない
3 これらを体系として次世代に教える交信技術(言語)。石器時代は320万年継続した。16万回の世代交代が数えられる。その度に親ジンジャンは息子に「石器とはの~作るだけでは駄目なのだ」とデザイン制作技術のみならず、石器価値(族民団結の象徴)石器倫理(肉を独り占めにするのではないぞ)を連綿として教えていた。
4 人類はオーストラロピテクス、ホモハビリス、ホモエレクトスなどと進化するたびに属名が変化する。しかしいずれの属も「石器思想」を頭に描く表象能力を持ちその価値を理解し、それを言葉で伝えていた。思想を持つがヒトの特徴です。320万年前にヒトとしての思想、言語、制度、倫理を確立していたとの証左が石器です。

(握斧の形状を分析し、用途は「皮剥」と肉裁断と独断した。オーストラロピテクスは狩りの技術、少なくとも小型哺乳類は仕留められるまでの狩猟技法をモノにしていたと部族民は信ずる。ネットでは初期原人の肉摂取に関してライオンの食べ残しを漁った、骨を砕いて髄を食った説明が主流のようだ。その段階では石器は不要、石ころで間に合う。最古の石器は320万年前でジンジャンの世紀と重なる。ジンジャン石器は「デザインエンジニアリング」の嚆矢でありヒト文化の濫觴であったと感じ入る次第です)

当時のオルドヴァイ渓谷にはジンジャンを越える運動能力と咀嚼能を持つゴリラとかチンパンとかの祖先(以下ゴリチンと名付ける)が住んでいた。ジンジャンの成功を真似して彼が石斧を作製するとしたら;

ゴリチンが種石と打石らしき拾ってきた。石をカチカチとやり始めた。しかしゴリチンは昔も今も、思想を持たない、作る何かの表象が頭に浮かばない。いい加減にカチカチやるだけである。すると3万2千の確率が立ちはだかる。確率試練の厳しさにゴリチンは足を引っ張られ、幾千幾万回をカチカチしても石器にたどり着けない。飽きて石を放り出した。
ゴリチンらが石器を作れない理由は思想、表象能力の欠損に集約される。ジンジャン(あるいはラミダス人)が思想を獲得した瞬間に猿類とヒトの分岐が始まった。脳ミソの大きい小さい、二足か四足歩行かで分離したのではない、思想を持つか持たないかの差です。


山ぼうし、晩春初夏の花。花は樹の上方枝に上向きに咲くので見上げても見えにくい。上から撮影できる良地点を見つけデジカメ。

石器の作り方教室 2の了  (5月14日)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石器の作り方教室 1

2023年05月12日 | 小説
(2023年5月12日)今を去ること320万年前、場所はアフリカ・タンザニアはその地、今の名でオルドヴァイ。今の世にうごめく人々のご先祖様、後にオーストラロピテクスボイセイと呼ばれることになった、猿に似た御仁(彼をジンジャンとする、かつてはジンジャントロプス・ボイセイと呼ばれていた)が木陰に座って石ころを両手に握って「カチカチ」ぶつけ合わせていた。なにやらを作成するつもりらしい。


(当投稿で参考にした書、 “Le Geste et Parole”)

一心不乱の二刻がおよそ3時間、作業の末に出来上がったのがこれ:

石器


どうやって石器を作成するか?民族歴史学の大家André Leroi-Gourhan(1911~1986パリ)はなんと説明しているか “Le Geste et Parole” 動作と言葉(1965年、パリ・アルバンミッシェル出版)を紐解こう―
« Les galets éclatés de la pebble culture répondent précisément à un stéréotype attesté par des millions d'objets. Leur confection suppose deux galets. L'un jouant le rôle de percuteur. L’autre recevant des chocs. Le choc est appliqué sur l'un des bords, perpendiculairement à la surface, et détache un éclat qui laisse sur le galet en tranchant vif, ; deux ou trois éclats successifs font un tranchant plus long et sinueux » (Le geste et la parole, page 133)
礫石文化の手法で加工された石器にはある共通した特徴が挙げられる、それは幾百万の資料から例証されている。打ち下ろす石と打撃を受ける石の2の石を使用すると推察される。両側面の片側に、表面に対して垂直に衝撃が加わり、鋭角の刃筋を残す。2から3回の打撃を続けて刃をより長くかつ曲線を描くように形成できる。(同書133頁)

« Il y a lieu de constater que l'opération implique un seul type de geste, le plus simple : frapper le bord du galet à 90°. Un geste faisant naître un bord tranchant et vraiment le point » (dito)
この点は解明しなければならないが、この作業は一つの、最も単純な動作を課す。それは石の脇に90度で振り下ろす事。この一つの作業が側面に鋭利な角度を作る(同)


LeRoi-Gourhan先生

なるほど振り下ろすとは垂直で腕を振る。この動作が力学的に有利(疲れない)で、かつ衝撃を与える場所、落下点に狙いが定まる。今のジンジャンでもサピエンスでもこれは同じでしょう。

ここからが部族民(蕃神)の論点 ;

石器の中でも最も原始的とされる握斧、製作はいくつかの過程に分解できる。各過程はかならず良+(プラス)か不良-(マイナス)の結果が生まれる。種石(石器となる石)の先端部を打石(ジンジャンが探しだした材料と治具)で振り叩いて辺に鋭角を作る。石器の形状を決めるのが種石への最初の振り下ろし、これに成功+を決めなければ、次に進めない。打石をおとす箇所と力加減を適切にしなければ破断面の鋭角が取れない、わずかにも入れ過ぎた力がNGで-。せっかくの種石は使い物にならない。振り下ろしと叩き削ぎ、幾度かの繰り返しの全てを+に成功すれば切り口も鋭い握斧をジンジャンはモノにできる。
不良-は油断一瞬でたちどころに台無しで、良+に上げる作業は厳しい。種石に打ち込む箇所はミクロン単位の制約を受ける。2択ながら、成功確率は不良NGの100分の1ほどであろう(数値は全くの推測です)。
ジンジャンがミクロンの精度を制せない不器用だったら、彼と家族の腹は肉にありつけず腹が減ったままだ。早死する、不器用は子孫を残せない。器用ジンジャンは肉をたっぷり食える。嫁さんなんか選り取り見取り。一番ヤバイい、猿顔からはほど遠い笑顔の娘を選べる。子供にも肉を食わせるから成長する。子孫も繁栄する。
石器がヒト属未来をカッコたるものとした。

石器の作り方教室 1 の了(5月12日)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ソフト・オン・クライムとLGBTQ 補記の下 自認で決める危うさ

2023年05月09日 | 小説
(2023年5月9日)ソフト・オン・クライムでは社会歪の犠牲者を自認すると起訴を免れる(アメリカ一部の自治体=ネットHarano timesからの情報)、これと同じ仕組みが今、LGBTQ法案を巡り喧々諤々の論争を引き起こしている。こちらは(自認女で)全くの男が、女湯に闖入する異常を正常とすり替える趣旨を目的とする。これに酷似している社会運動が最近目立つ ;

自認女子スポーツ選手 : 2024年のパリ五輪にはアメリカ女子選手団にヒゲモジャの自認女子がワンサカ参加し、金メダルを総なめする(最新情報は要確認)
自認難民 : その個人が難民と自覚しているから日本は認めろ(立憲、社民の主張)!
自認慰安婦、自認徴用工 : 一昨日、自認慰安婦が死亡したとの報道に接した、来世で慰安婦に戻らないと祈る。


足立区議白石氏は「LGBTだらけになったら足立区は滅びる」と2020年定例議会で発言した。

彼は大きな間違いを犯した、滅ぶのは足立区ではない、日本。

まだまだでてくる ;

自認困窮者 : 生活に困っているから生活保護を即座に認めろ!
自認障害者 : 見た目は正常だが深刻な障害を抱えていると自認している、すぐに障害年金を払え!(障害基礎年金は支払い開始年齢に届かなくても支払われる)
自認セクハラ被害者 : 相手がたとえ否定しようが私本人が自認しているから賠償金を支払え!(パワハラ、痴漢についても同様)

自認医師 : 国家試験など意味がない、医師として自認しているから患者から金取れる(看護師なども同じ)
自認伝道師 : 壺1000万円で幸福が買えれば安い買い物ですよ、奥さん。
自認あかちゃん : 通りすがりのハクい若年増に「僕は君のあかちゃん」おっぱい吸わせて。断るのはあかちゃん差別だ。
自認夫 : やはり通りすがり若年増に「僕は君の夫だ、夫婦愛をいますぐ確かめよう」
自認亡者 : お巡りさん、僕は死んでいると自認した、逮捕は無効です。

とっておき
自認猿 :君のバナナくれない、僕は猿なのだ。相手「君は自認猿だったのか、本物猿と勘違いしていた」

LGBTQ法案がゴリ押しされると自認ブームが起こる。

ソフト・オン・クライムとLGBTQ 補記 了

追:センセー、質問があります、エマニュエルは本物大使ですか?自認大使ではありませんか?

次回からは部族民に戻って構造主義を語るからまた来てね~
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ソフト・オン・クライムとLGBTQ、闇の相関 補記の中

2023年05月08日 | 小説
(2023年5月8日) 前回のBlog投稿(5月6日)でLGBTQとは性嗜好の「異常」を自認する者を、その異常の受け入れを社会に強要する運動とした。生物学的に決定した性状態(男は男、女は女)が正常であるが、その仕組みを否定し別の性(もともとは男が女に)を自認すれば女としての権利を認めろとの要求です。その権利とは巷間議論されているところでは、別性向け施設の利用を認めろ、自認女が女更衣室、女湯などを利用するのが権利だとする。(男を自認する女の男湯開放も当然あり得る)。こうした英断が差別解消と主張する運動です。
問題点が2挙げられる ;

1 異常とは自認し公言するものなのか
2 自認すればそれが正しい性として社会は受け入れる。これが正しいのか
逆の思考もありうる : 
1異常は詳らかにしない秘匿するが正しい 2異常を自認してはならない、なぜなら異常である状態を正当化するから

明らかに後者がこれまでの考え方で、前者はLGBTQあるいは「ソフト…」の主張とみなされる。しかしなぜ彼らは自認し公言し要求するのか。ここである一つのカラクリが彼らの行動の裏に隠れ、見える。「他責」である。私が生まれながらの性に安住できない理由は、生物学的性は個の性を決める仕組みではないにも関わらず、社会はこの決定を絶対としている。その社会が悪で、(男生まれの私が)女として行動できない元凶である。
これまでの「男に生まれた者は男」という常識を真っ向から否定している。言ってみると : 

自己の異常を社会の異常に転嫁している。

例を挙げる ; (法曹がVera Instituteの影響を受けているアメリカの州、市、郡では)「ソフト…」の適用が法制度、運用に仕組まれている。犯罪者が「歪な社会の犠牲者」と自認すれば起訴を免れる。実例がネットで報告されている。この自認という仕掛けが「犯した罪の責任は社会にある」とする主張と対を成し「ソフト…」の思想を支持する検察が犯罪者を「無罪」放免する。そうした地方単位では罪を犯しても問われず、犯罪が犯罪を生み、無法行為が増え続けている―とネットで見聞きする。
今にしても地元で評判が最悪のエマニュエル米大使、彼が市長を務めていたシカゴがその典型である。この責任転嫁の精神構造は正当といえるだろうか。今は答えを見合わせ、もう一つの課題「異常の自認」の問題に移る。

もし異常(性倒錯、犯罪下手人)は個人の責に帰さないとのお墨付きを貰ったら、それを自認公言して対応を社会に求める。すると自認女の男が女子スポーツに紛れ込むのを社会は見逃し、自認犠牲者の犯罪者が粛々と釈放される。異常が悪と思いとどまる歯止めなど、容易に乗り越えられる。外聞なる恥の思いは残るが、世間体に悪いからと思いとどまる国民は日本人くらいだろう。
上記の1自認し公言し2で社会の受け入れを要求するが組になったらとてつもない猛威を社会に撒き散らす。
こうした思考とそれに発する行動の根源にあるのが「個の無視」である。
LGBT運動は個を擁護すると思い込んだら罠に絡まる。


ネットで私(部族民)に近い主張を持つ方を発見した梁和生(ヤナカズオ)自民党衆議院議員

まさに議員の主張通りです。(肖像権はこの場合ないと判断して掲載した)

個が正常から異常に逸脱する境目で人は己に備わる思考、倫理で自省する。踏み出すか居残るかを思索し悩む。悩みの過程の長短、自省する中身の深さ浅さは人により異なるも、人であれば必ず自省し悩み、いずれかの方向に踏み越えていく。間違った側に越えると異常に陥ると認識するのは人の倫理なので、それを悪と知るから異常行為を犯した者はそれを隠す、刑事犯は逃げ回る。
しかしこうした異常に個に責はないと言い含まれたら、堂々と罪を犯す(あるいは異常性別を堂々と公言する)。そして社会へその異常を転嫁する。自認が免罪符となってこれら行動を後押しする。世の中は混乱します。実例を上げる。
未成年ながら死刑判決を受け、執行された永山則夫。犯した罪状はWikipediaに詳しいので参照してください。生い立ちの悲惨さは同情できる。一方で8人兄弟。長姉は精神を病んでいたのか不幸な結末だったが、残る6人はごく普通の小市民として、家を構え子を育て生を全うしている(していた)。決して「社会が悪い」などとうそぶいて悪に手を染めるなどはしていない。彼だけが人生の節目で、悪い曲がり角を必ず選んだ。彼の諸悪の事情はここに尽きる。
3回の人生挽回の機会を与えられていた(港湾労働などに正社員として就業)、その好機を裏切りで報いた。家庭環境が悪いから罪に走ったは言い訳、置かれた状況が己に好機であってもそれを押しのけ、異常(犯罪)を選び、悪の方角を選ぶ。悪に身を任せる永山が繰り返された。責任は永山自身に帰される、最高裁の判決(高裁無期の判決の差し戻し)には犯罪は個人責任、この思想が反映されている。

罪は個が犯しその責は個に帰す―と日本人は考えている。一時社会を風靡したBLM(Black Lives Matter)現象、黒人の人権を守る標語は正しいが過激だった。彼らにも「悪は社会」の責任転嫁が染み込んでいたのだろう。この運動が日本に定着しなかった理由は、日本人は「犯罪は個の責」がしっかり根付いているからだろう。LGBTQ法案が上程されるのか、可決するのかは分からない。しかしこの法の思想は個の主体性を否定するものだ。ある日私は女湯の前を通った、その途端に女と自認した、男性器はぶら下げているが女になって、女湯で覗き見放題の至福を堪能、陸上競技では優勝しまくり。
こんないかがわしい法は廃案にしてくれ、部族民は叫ぶ。

ソフト・オン・クライムとLGBTQの相関 補記の中の了

次回(10日)は「入管法改正」とLGBTの闇のつながり、乞う再帰閲覧。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ソフト・オン・クライムとLGBTQの繋がり

2023年05月06日 | 小説
(2023年5月6日)「ソフト・オン・クライム」なる新造語をネットに探すと、ヤマタツの屋号でYoutubeにて活動している「カナダ人ニュース」に接近できる。このサイトからの知識となるがこの語「ソフト…」の意味とは、犯罪者は世の中の貧富、教育機会の歪、人種による差別など「社会不正」の被害者なので罰則を軽く、更生により金をかけるべしが趣旨と理解できる。一言で「犯罪に優しく」。これは社会思想でもあり、それを普及させるとしているのはジョージ・ソロス(アメリカ、極左の億万長者)であり彼の肝いりのVera Institute of Justice(法律教育機関)でもある(以上はネット知識、要確認。閲覧者様ご自身で確かめてください)。
この運動とLGBTQは共通の思想を持つ。共通とは;

1 異常は加害ではない、被害なのだから、異常行為を罰してはならない
2 正常者は異常者を差別、嫌悪してはならない。異常の大本の社会は寛容に(ソフトに)受け入れるべきだ
3 上記を達成する(異常を正常と見直す)ために法整備をすべき―となる。


LGBTQ法の成立に焦る稲田議員

LG BTQ法が成立しないと日本は終わると呪いかけるエマニュエル大使。彼は自身がシカゴを犯罪市におとした前歴(ネット情報)を忘れたのか。
(写真はいずれもネットから、公人であるのとネットに公開されているから肖像権にはかからないと判断した)

アメリカでは、上理念を信奉する首長、検察裁判の長を抱く州市郡が増えていると聞く。その単位での犯罪率は「突出して」高い(ネット情報)。内政干渉で叩かれている駐日アメリカ大使エマニュエル氏、彼がかつて市長を務めていたシカゴは治安悪化市に筆頭席で入る。
犯罪に優しい「ソフト…」は本投稿の主題ではない、LGBTQの思想の背景が主題です。

「性」は己が決める。「私は生物学的性決定の被害者なのだ、男で生まれているが女になりたい。それと願えば、性転換手術など経なくとも、女になれる」―社会も加害側に一環なので、悔い改めてこれを認めなさいが「性の自認説」です。
部族民(渡来部)はこうした安易な性決定に賛同しません。理由 ;

1 母の子宮に胎児として生を受けた瞬間に性は決まる。誰がなんと言おうがこれが「真実」です。虚偽は排除して真実を信奉する、これが人の生き様です
2 LGBTQの当事者が別の性に転換したいとの願望はある(だろう)。しかし自身が別の性に変身できるとは「心の奥で」信じていない。男性器を持つものが「女」になったとの認識錯誤は、人に、絶対に、起こらない。
3 当事者がその行為に没頭するときにも彼(彼女)らに別性(Pseudo-gender)観念が空想として、あるいは希望として渦巻くだけで、実体として性転換していると感じてはいない。

このように考えると始めからあり得ない「性自認説」は(生物学的)性決定過程の被害者ではない。彼らの主張とは何らかの政治性を持ち、その方向へと社会を誘導しようとの目的が探れる。それは「性自認権」を確立して、同性婚制度を法制化するーこれがその一つかと(部族民は)見ている。日本社会の破壊に繋がります。
ネットで多くの方のご意見、それらへの反応に接すると、ここに部族民が論じている内容は、とっくに日本人多くに見破られている感を受け安心している。その証拠として「日本には新法を成立させるほどの差別も被害もない」「当事者同士が勝手に(チチクリ)あってればそれで済む」の塩対応が一般だ。

稲田議員が何を騒ごうとエマニュエル氏があの手この手で日本を貶めようとするも、その裏側の悪計(自認という法、慣習を否定する制度を取り入れる先駆け)に日本国民は、とっくに気づいているのである。

改めて「ソフト...」とLGBTQ運動の共通点をあげる;

1 異常(犯罪、別性を自認する)は社会、生物学的性決定の被害である
2 犯罪者をソフトに受け入れる如く、社会は別性自認者を優しく受け入れるべし
3 受け入れる過程を制度化すべき(犯罪者の起訴を回避する検察、別性自認者の女湯への入湯を可能にするなど)

一言で、社会制度、慣習、文化の破壊です。 了
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする