蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

分子進化の中立が説くアシュケナージの試練、生き残りの女戦略 2

2023年10月28日 | 小説
(2023年10月28日)9世紀にはアルザス地方に定住し、金融、貴族の家財管理などの職を得たユダヤ系移民、アシュケナージと後日命名されるが、イーディシュ語でその意味はジャーマニー。生息域を東部に広げた歴史の証明です。部族民(渡来部)はピアニスト・アシュケナージ(ユダヤ系ロシア国籍)やハンガリー出身者がノーベル賞受賞者を排出した事情から、「東方に居住していた」ユダヤ人と勘違いしていた。対する西方にセファラディ(スペインから移住)を置き、ヨーロッパを東西に棲み分けたと。これはあながち間違いではなかった。東方系もモンテーニュ、スピノザなど歴史に残る賢人を残す優秀な集団であった。
しかるに今の語法はモロッコ、チュニジアなどからイスラエルに移住してきた南方集団を指す。北方と南方との知能の差は愕然とするほど克明らしい(イスラエル歴代指導者の発言から)。
本書(1万年の進化爆発、コクランら著、日経BP刊)では「北方ユダヤ系」として紹介したが、この北方に若干の違和を覚えた。単に部族民の知識(西方対東方)が古すぎ、今は南北に分けていると知った。
歴史のアシュケナージに戻る。
農地を所有できず工芸からは締め出されていた集団、就業機会は金銭にまつわる職場のみ。個人能力としては計算に強いが求められ、職能に複式簿記、在庫評価、金利計算、船荷保険の料率の策定など。今の大企業のCFO Chief of Finance以上の能力が求められる。なぜなら保険料率策定は「アクチュアリー」として専門化している。
中世ユダヤ若者がそのような技能を会得できなかったら収入の路が閉ざされる。嫁を貰い子を設ける機会から締め出される。有能な若者のみが高収入を得て嫁をとり家族を養う。すると優秀な父親がより多く子を持ち、それら全員は優秀かと想像するが、遺伝の物事、そうは簡単に進まない。子の全てが親の資質を継ぐとは限らない。分子進化のガス拡散説(木村博士)が立ちはだかっているのだ。故に子の世代でも選り分けが働くし、優秀でない個体の淘汰が孫ひ孫…と続く。
シンガー(イーディッシュ語作家、1978年ノーベル文学賞)だったか、小品でギルトの主要港リューベックの書紀を採用するシーンを思い出す。ギルトを加護するザクセン公の執事ハインリッヒはチュートン騎士、その配下の財産監理官コーヘンはアシュケナージなのだが、下位職の港湾事務所監督者も同じくアシュケナージ、グーランが候補の若者を面接する。若者は己の出自をアーロン(モーゼの兄)から諳んじ、持ち込んで面接台に広げているパーチメント系図には目を落とさず、アーロン、ナダブ、タナエミ、サムエル、ザカリ…幾世代かを並べ、最後にダヴィッドの子ジョゼフの子のイズラエルと自らを紹介する。
これが序段、監督者の質問に応じ体得した学問とその師の名を述べる。神学聖書はアーヘンのシナゴグ、コーヘン師から、ギリシャ語ラテン語はリガコレギウムのゴルドバッハ師からなどを挙げる。最後に数式を挙げる。監督者は数式に関心を寄せ、専門的な質問を幾度も浴びせた(このシーンがシンガーだったかは確かではありません。マンにもありそうだ)。


ガス拡散が発生した、分子進化と同じじゃ(写真はフリーPic ネット)


3の真実がギルドの面接試験に隠されている。
1 ガス拡散の様態として理解される分子進化の中立。これは真実なので個人が才能を得る、あるいは阻害されるか、そのいずれは誰にも予測できない。イズラエルは中立進化で良い方向に転んだだけ。
2 体得した知識、能力は個人を裏切らない。拡散したガスから良い「タマ」分子進化を捕らえたこの個人、イズラエルは知能、技能で他者をおそらく凌ぐ。
3 社会は才能を選ぶ、これが文化淘汰。アシュケナージが置かれていた事情では社会が求める技能を取得しない限り、彼らは世代再生産がおぼつかない。
このふるい分け環境で数百年、千年が経過すると、文化淘汰の洗礼を受けた集団の能力向上は誠に捗々しく、平均知能指数112を獲得するに至った。
しかし ;
分子進化の中立にも、拡散ガスの目眩ましにも、文化淘汰をも裏切り続け、生き延びの集団が今もこの世に幅を利かす。ダーゥインに背き、木村資生の自然摂理など歯牙にもかけない不埒でアンチ姿勢を200万年も続ける結社集団、これを女と呼ぶ。
分子進化の中立が説くアシュケナージの試練、生き残りの女戦略 2 了
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分子進化の中立が説くアシュケナージの試練、生き残りの女戦略 1

2023年10月26日 | 小説
(2023年10月26日)アシュケナージは古くからヨーロッパに居住域を確保していたユダヤ人を指す。揺籃の地はアルザス地方とされる。9世紀にはすでにシャルルマーニュの王庭に出仕していた記録もある(ネット)。部族民がことさら採り上げるレヴィストロース、彼の家系はアルザス出身。20世紀数学界の大御所にしてレヴィストロースの盟友「交叉いとこ婚を数式」で証明したアンドレ・ヴェイユもこの地の生まれである。
彼らはアルザスを拠点にドイツ、東欧、さらにはロシアに進出していった(20世紀の大ピアニスト「アシュケナージ」はロシア出身、シンガーはワルシャワのアシュケナージ世界をイーディッシュ語で描いた詩人(1978年ノーベル文学賞)。ハンガリーに定住したアシュケナージは、例えばゲーム理論フォン・ノイマンなど頭の良さから宇宙人かと疑われている。
アシュケナージの平均知能指数は112、一般ヨーロッパ人に比べ12ポイント高い。個人と個人を比べるとこのポイント差はそれなりの数字だが、凌駕卓越の線を超すかには微妙かもしれない。しかし統計的にこれが意味する処とは「正規分布曲線が鐘の形を採るので平均値から離れた人の数=この場合は知能が高い側¬=に強い影響を与える」両の集団を知能指数140を境に比べると、後者が数倍(それ以上か)の人口を有する結果になる(出典は1万年の進化爆発、コクランら著、日経BP刊、写真は236頁をデジカメ化しました、版権に抵触するかを問い合わせ中)。140超の知能指数とはアカデミーではそれなりの地位に辿り着けよう、実社会では管理職役員にはなれそうだ。
こうした数字が招く結果は「人口が世界で600分の1(0.17%)の集団が科学関係のノーベル賞の4分の1(25%)、米国人口の3%未満でチューリング賞(計算機学会)の25%を受賞する快挙を成し遂げている」(同書)。第4次イスラエルアラブ戦争(1973年)ではイスラエル側が追い込まれる事態が発生した。海外のユダヤ人が義勇兵志願でイスラエルに渡った。アメリカのプリンストン、ハーバードなど最高学府で教師陣が居なくなった、学生も優秀な側の大半が休学を届けたそうです。
ユダヤ人全体が優秀ではない。イスラエルには各地域からのユダヤ人が参集しているが、彼らの平均知能指数は世界標準の100、アシュケナージ系のみがイスラエルでも突出している。ここまでが「ユダヤ人優秀説」の序段。女の生き残り戦略に入るのだが、集団遺伝学への寄り道を許してくれ。


本図は「1万年の進化爆発、コクランら著」の236頁挿図をデジカメ化した。上の分布曲線が世界平均、下がアシュケナージとする。上図の頂点は知能指数100、下のそれは112。140で区切ると、下の黒面積が上を圧倒する。アシュケナージの優秀さを示すにあまりに見事なので借用した。赤線楕円は部族民の加工。なお日経BP社には本ブログで引用許可をいただけるかは問い合わせ中です。

木村資生博士(国立遺伝学研究所、1924~94岡崎)が発表した分子進化の中立説はダーウィン進化論を修正する説として、当座は各方面から反発を受け、後に受け入れられ、今では集団遺伝の教科書として学会で多くの賛同を得ている(ネットから)。部族民(渡来部)は1970年代後半に木村先生の著作に接したものの、「中立」なる語が意味するところを概念として理解が及ばなかった。こんな説明を見つけた、「1950年代、アメリカで研究を進めていた日本人科学者木村資生が、「ガス拡散」を分析するため開発された手法を応用して遺伝上の計算を行い...」。ガス拡散の言葉から「黒い雲塊が四方八方にモクモクと湧き出る」イメージを思いついた。分子進化もこのように不断に、方向性を持たず、中立的に進化していくか(部族民なりの)理解に落ち着いた。


木村資生博士、研究成果はノーベル賞級ですが早くしてお亡くなりなった、「説」なので証明されていないためかと勘ぐります。ダーウィンの進化は「論」、中立は今もって「説」。立証しにくいと聞いた。写真はネット採取。

こちらの引用は「アダムの旅、ウエルズ著、バジリコ社刊」から。著者は1990年代にスタンフォード大学ルイージ・カッヴァリ・スフォルッア(集団遺伝学者、1922~2018年ベルーノ)研究室で主任を努めた英才、ハーバード大学局員教授)。引用文は次の文に引き継がれる。「カッヴァリ・スフォルッアらの集団遺伝の研究を明確に後援した。木村研究のおかげでこの学問もようやく「突然変異」の泥沼から脱出できることになる」。
この学問とはダーウィンの進化論、自然淘汰説。自然環境に適合した遺伝子変化を取得した個体が生き残る、これを適者生存という。木村説ではそもそも分子レベルでの遺伝子変化(遺伝子のガス拡散の動き)は頻繁に発生しているし、個体に及ぼす影響は、生存への有利不利など選ばずに、ゆらぎ拡散している。突然変異の画期が劇的に適者生存を選ぶダーウィン的運動様態とは大きく異る。
カッヴァリ・スフォルッツァは「遺伝子の分子進化のガス拡散」に注目して、民族、集団間の遺伝子相違を研究した。北欧に多く頻発する金髪碧眼はガス拡散の結果、これにしても黒目、茶目、赤毛などと斑になって中立的に生まれたのだが、太陽光の乏しい地域では色白が太陽を受けられるーなど適者生存に叶うため、その地の人口に広まったとしている。また他に熱帯地方に多い鎌状赤血球の遺伝子の解明などの説明にも及んでいる。
分子進化の中立が説くアシュケナージの試練、生き残りの女戦略 1 了
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レヴィストロース神話学「生と調理」の第一回をYoutubeに投稿

2023年10月22日 | 小説
(2023年10月22日)Youtubeでの紹介文です ;
レヴィストロースは新大陸の神話とは全て同じ趣旨「スキーム」を語り継いでいる、その基準は南米マトグロッソに居住する(していた)ボロロ族の文化創成「火と水の創造」神話と指摘した(前回の説明)。今回は「生と調理」の第一神話(M1)を紹介、それが文化の創成を謳い上げている分析を紹介する。近親姦が起点に位置します。英雄バイトゴゴは少年期に母を犯し、青年になって妻が(系統内の男)と姦淫する。2度の近親姦で火と水が創造される。火とは調理の火で、水は人が利用できる河川の水です。これによって人は生肉くらいを脱し、宝飾品、楽器を作成できるように進展した。文化への路に一歩踏み込んだー基準神話の訴えかけ(メッセージ)となります。
動画に使用されるプレゼン資料(PDF)は部族民通信ホームサイト www.tribesman.net の神話学の頁に収録されている。



動画リンク
https://youtu.be/kT3Kyyjp1hg

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レヴィストロース神話学Youtube投稿開始

2023年10月18日 | 小説
Youtubeにレヴィストロース神話学第一回、総論を投稿した。その案内文。

レヴィストロースは新大陸の神話とは全て同じ趣旨「スキーム」を語り継いでいる、その基準は南米マトグロッソに居住する(していた)ボロロ族の文化創成「火と水の創造」神話だと指摘した。神話学全4巻(生と調理、蜜から灰へ、食事作法の起源、裸の男)には800を越す南北先住民の神話が収録される、彼の独自手法(形而上解析、構造主義による認識と分析)で基準神話を核にした全神話の有機的つながりを、4巻通して淡々と述べている。


動画のスクリーンショット


2023年学期の部族民Youtube講座でこれら全4巻を紹介します。先住民の語り口「生と火」「新鮮と腐敗」などEmpirique経験的、直接形容の言い回しを通して、彼ら先住民が抱く思考、宇宙観、深淵な文明論を説明します。
第一回(10月18日投稿)は総論。全体を通した訴えかけ(メッセージ)は何か、神話群が抱る有機体(構造)に話を進めます。動画に使用されるプレゼン資料(PDF)は部族民通信ホームサイト

www.tribesman.net の神話学の頁に収録されている。

動画リンク
https://youtu.be/a6FO78_PNnM

XTwitterでも画角縮小の動画、及びショートムービーが閲覧できる。

部族民通信
@9pccwVtW6e3J3AF

全4巻、一巻に付き4~5回の動画となると、20本くらいか。23年学期(2023年10月から24年7月)は神話学で終始するか。動画作成には(これまで幾本か制作したが)コツがあって、10分程度。グラフィックを多くしないと飽きられるーなど。するとText中心のブログ、HTML(ホームページ)とも異なる形式を採る事となる。HP、ブログの焼き直しではない動画に心する次第です。
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関西弁は神の声、奇跡の換喩 読み切り

2023年10月16日 | 小説
(2023年10月16日)部族民はかつての住まいの関係で柏市(千葉県)に知古が多い。本稿に登場する方をY氏としよう、非認可団体「柏市関西弁普及協会」の代表を務める奇特な奉仕家からメールを頂いた。その趣旨を以下に ;

ネットでは書き込み、レスポンス(ネット用語でカキコ、レス)は関西弁が標準化している。理由を探るに複雑な思考、言い回しを一語一語に凝縮できる壮大さにあると確信する。余分な言い回しを避けるナニワ的文法構造に根源が潜むのだ。
これに対局する無意味な言葉の用例として、東京山の手ハイソのざぁます挨拶を挙げる。こねくり回しの並ばせの空疎な語法が特徴です。
「奥様なんてお素敵なドレスなんざぁますかぁ」「タカシマヤの限定下見会にお呼ばれされましたのよ、お行きましたら気に入って、ふとお衝動買いしてしまったんざぁます」「妾=ワラワ=もあやかりたいわぁ、でイカほどだったんざぁます」…白金台とか南青山を歩く時は耳栓したほうが身のためです。いたるところでこんな、どうにでもなれ!会話が耳に飛び込んできます。

白金台マダムのタワマン会話を関西弁で言い換えると―
「マイド、変った服着とる」「ユニクロや」「なんぼしたん」で済んでしまう。

大阪市南部、堺、岸和田などディープ関西弁辺境地に今も、協会派遣で出張するY氏が観察するに、関西弁の単純化への進化は今もとどまりのスキを見せていない。よりラジカルにさらに凝縮、へと邁進している(ラジカル関西弁と伝わる)。

「この流れとはや、関西弁地域の文明進化に繋がるのや。よって短縮化 « Abréviation » と規定するのはそぐいませんでぇ~、« Métonyme » 換喩の神域を侵す勢いでっせ」
ベェベェ語圏に生息する北関東土人だが、頻繁に関西弁に移るのは耳障りだ。しかしY氏は普及協会の代表、これも職務であろう。
« Métonyme » 換喩は修辞をこねくり回す文章ではかなりの頻度で出くわす。複雑思想を形状が見えるモノに喩える「言い換え」。我らが尊師レヴィストロースはその用法に手練れの高みに達していた(訳ワカメの文に出くわす文章難解の真実がその換喩にある)。

「実は岸和田駅前のスタバでこんな言い方を聞いた」
隣席に陣取る御仁は中年の3人組、競輪新聞を片手に赤鉛筆で下線を引くなどメイメイが、勝手な所作に耽っていた。左の男が思い出したかの様で、
「藤井聡太ってすごい棋士ヤンケ、8冠や。賞金も総取りや」に続けた決め言葉「ドヤ!」がスタバに響いた。
中央のメガネ氏が「セヤ」、最後に右のボサ頭は「ホンマヤ!」でもとの競輪新聞に戻った。
8冠の偉業、天才の艱難辛苦の21年間が「ドヤ、セヤ、ホンマヤ」に凝縮された。

その後Y氏は大阪に戻って梅田南のコメタ喫茶店に腰掛けていると、隣席にドシドシと座り込んだ3人の若者。座ってすぐにスマホを開けてYoutubeを再生する、3人共に「青歯」イヤホンを耳にして、画面に見入っている。しばらく見入って聞き入って、一人が画面から離れイヤホンを抜いた。残る2人も外した。聞くわけでもなく、流れくるままに彼らの会話耳にすると、演奏を評しているようだ。3人共に楽器ケースを膝に置いていた。大きさからバイオリン。バイオリン演奏をYoutubeで共にして感想を確かめあっていたようだ。こんな風だった、
「最年少でカーティス音楽院に入ったノヤ」
「生徒としてでっか」
「決まっとるやろ」
「ワイは最年少の教授で入ったんやと勘違いしとた」
「ワーッハッハ」
一人がYoutube一場面を再生した。「このカデンツアのとこや、よう聞くんや」で3人の目と耳が釘付けになって、そして顎をコックリ一緒に頷いた。誰からともなく、

「ドヤ」
「セヤ」
「ホンマや」


妃鞠嬢の演奏会風景(スクショを部分に加工、肖像権には抵触しないかと)
2021年11月、コバケン日フィル、妃鞠嬢のチャイコン風景。終わって満足表情でコバケンを見上げる妃鞠、にっこりコバケン。ブラバー歓声の観客。これをして
「ドヤ、セヤ、ホンマヤ」としているのではありません。


ヨーロッパの音楽コンクールを総なめにして演奏旅行では「モーツアルトの再来」と絶賛された吉村妃鞠嬢をかく評していた。数百年に一度、モーツアルトの次に人類が出会った天才は「ドヤ、セヤ、ホンマヤ」ラジカルに換喩された。

ホテルに帰ってテレビニュースに接すると「イスラエルのガザ侵攻」決定を伝えていた。
ナタニエフ首相「テロリストは許さない…」
バイデン大統領「…一定の理解」
ハマスの誰か「アブドラナジッムカバッヤカム、バッタラクッタラ、アクバルアッラーッ」

建国から70年余。3000年前からその地に住んでいたイスラエルの民が、2000年前から住んでいるアラブ人を「無断占拠」として追い出した。正義はユダヤかアラブか、どちらにあるかの判定はY氏に不能。約束の地を追放されたユダヤの悲劇も、パレスチナを追い出されガザに押し込められたアラブの民の苦しみも、ラジカル関西弁なら簡単に翻訳できるとふと思いついた。

ナタニエフ「ドヤ!」
バイデン「セヤ」
ハマス「ホンマヤ」
 
森羅万象を3語で表すラジカルナニワ弁。

Y氏メールの部族民(渡来部)による翻案 了 
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Mythologique神話学「裸の男Homme Nu」神話学4巻を読む 4 イシスの冒険  最終

2023年10月11日 | 小説
(2023年10月11日)M538(イシスの冒険、第4巻での基準神話)の罪とは;
母親が末弟を床下に閉じこめる背景はあまりにも「美少年」であるから。長姉が婚家と夫をないがしろにして、足繁く実家に戻る狙いが末弟。その二人が旅程の途中で野営する不都合におちた。この晩に起きた姉弟の出来事には2の解釈が立つ。1は同衾のみ 2交合に進み近親姦が発生した。
文の流れでは不明確、レヴィストロースは断定していない。一次資料に言及がなかったからであろう。
褥での二人の位置関係。少年が目覚めると姉はcontre lui=彼に対抗=していた。寝ている者との対抗ならば馬乗り、se glisserと前文に記されるので姉が脇に滑り込んだかと思いきや、それならà côté de lui彼の脇に、この表現が妥当。少年は目覚めたがこの目覚めをse réveillerではなくs’éveillerとしている。後者は春の目覚め、性の目覚めなどに使われる。突発、最初の事象であるとの意が強い。
姉は身代わりに置いた木の幹を弟と騙されて、抱き込みながらすっかり寝込んでしまう。姦淫に至らなければ「まんじりともせず」眠るのであろうから、男の生身と枯れ幹との区別など判別できる。さらには太陽を脅し日夜の周期律の錯乱まで起こしたあげく、なにも起こらなかったでは後の筋道の解釈が難しくなる。これらの状況証拠からしても姦淫は「あった」とする描写が濃厚である。レヴィストロースは奥ゆかしく原文の関係図に(=)括弧付きの関係を載せる。
怒りの姉の火付けで集落が壊滅した。弟一家でも嫁が皆死に、母が焼け焦げた嫁の腹を割って子(男と女の双生児)を取りだした。その子達が夫婦となって暮らす。第2の近親姦の発生。文面通りです。この神話では近親姦の禁忌破りが村落破滅を導きます。M1とはinverse、逆立です。
2)罪と罰
イシス神話においての近親姦の罪と罰を以下に解釈します。
(原典には叙述されていないが)相姦を犯した姉弟の母にすでに禁忌破りがあった。理由は彼らの母(イシスには曾祖母)のただならぬ警戒心。長姉が実家に帰る頻度から、末弟への邪心を見抜いた。婚家に戻るお供に姉は末弟を指名した、危ういと警戒するも許した。
腹から取りだした双生児を一体化して、男子に影を見てはならないと戒めた理由は、分身したら近親姦が発生すると知るから。戒めを破って二人は分身し、祖母は毎日泣きくらす。兄妹は愛し合い、子(英雄イシス)をもうける。母(双生児からは祖母)は己が犯した禁忌破りの咎に怖れるから、子の代孫の代に伝わる悪弊を泣いていたのだ。詰まりはイシス養父と嫁の姦淫。起点は禁忌破りの罪、それを罰(殺戮)で乗り越えても新たな罪の発生。罪と罰を繰り返し文化創造の英雄イシスが誕生する。
娘は水鳥アビに化け、闇に隠れ夜な夜な奇怪な啼声をたて近隣住民を怖れさせる。この奇怪さも禁忌破りの罰。首を狩り取られる。兄に「私はあなたの誰」を問いつめた妹、彼女は太陽に矢を射かけ知る必要のない真実を言わしめた、これらも罪となります。
罪と罰をまとめよう。南米M1では罪は主人公バイトゴゴの上下婚、罰は彼が父を殺害する、村落が洪水壊滅されるーの2回。北米イシス神話ではイシスの曾祖母が近親姦破り(神話本文では語られない、状況証拠でそれがあったと判断)、その娘が弟との水平婚、イシスの父母は兄妹の夫婦、ここでも水平婚が発生。そしてイシス義父がイシス嫁と姦淫する。4度の禁忌破りが発生した。
罰を数えると曾祖母は孫娘に殺される、その姉は村落を焼き尽くしアビ(水鳥)に変身するも殺される、兄妹夫婦の妹は自殺、兄は熊に食われる、その息子イシスは義父に嫁を寝取られる、義父は(パイプを奪われ)殺される、村落は焼失する。8度の罰が族民を覆う。
レヴィストロースは神話伝播の過程で筋道が「複雑化」すると主張する。まさに天地創造神話の比較は神話北上論を強力に裏打ちする査証と受け止める。


近親姦の南北比較図
左はM1ボロロ族、右は北米Klamaths族(イシスの冒険)姉弟露営中の関係に(=)カッコをつけている。北米神話では近親姦の発生は多くかつ複雑になる。


Mythologique神話学「裸の男Homme Nu」神話学4巻を読む の了(10月11日)
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Mythologique神話学「裸の男Homme Nu」神話学4巻を読む 3 イシスの冒険

2023年10月09日 | 小説
(2023年10月9日)愛しき弟のつもりで抱いた木の幹が真っ赤な偽り、憤怒に染まる身を村に走らせた。村中の屋に火を放ち、兄弟達と妻のすべてが死んだ。ただ独り生き残った母は、嫁の一人のSturnelle(ヒガシマキバドリ)の死骸を探り、腹を割って胎児を取り出した。双子、男と女の子であった。祖母は女の子を男子の背に埋め込み、成長した男子に「自身の影を見てはならない、矢を空に向けてはならない」ときつく戒めた。
己身の背の重さに薄々気づいた男子に鳥(pluvier kildirムナグロ)が「空に矢を放て」とそそのかした。矢は真っ逆さまに落ちて背に当たり、二人は分かれた。兄は己の背に嵌められた妹を、妹も身を分けた兄を、初めて見た。
狩り出る旅にも妹は兄から離れず質問を続けて兄を悩ます。 « Qui sommes-nous ? Pourquoi n’avons-nous pas ni père ni mère ? Qu’a donc notre grand-mère a pleuré sans cesse ? » (42頁) 私たちって誰なの ? 何故、父も母もいないの、おばあちゃんは毎日泣いている、いったい何故?
妹「何でも知っている太陽に質そう」しかし問いを太陽は無視する。妹は矢を取って太陽の頬を射た。やっと太陽が真実を語った。お前達を孤児に貶めた者は今、水中に潜むと。
兄妹は教えられた沼に夜の漁を仕掛ける。 « Nuit après nuit ils rapportèrent du poisson et des oiseaux d’eau en quantité. Enfin, ils entendirent le cri de la meurtrière « gocho gocho gochdjip » La grand-mère l’entendit et présenterait qu’un jour, en déchargeant le poisson elle trouverait la tête coupée de sa fille dans le panier » (43頁)
毎夜、魚と水鳥を篭に一杯に満たし二人は戻る。ある夜、殺人者の鳴き声ゴッコゴッコ…を聞いた。祖母も鳴き声を耳にした。「篭の魚を取り込みで娘の首を見つけてしまう、そんな日がいずれ来るに違いない」不吉な予兆に苛まれた。


コレージュ・ド・フランスの階段教室で「裸の男」を講義するレヴィストロース。

1971年11月、写真の原画では「Aishisiイシス」が読み取れる。階段教室での講義は教授(Chaire)に課せられた公開講座で、レヴィストロースは日曜日11時から12時半までと決まっていた。

水鳥に化けた叔母が父母の敵と知り、捕らえて殺害した。二人は祖母から逃げる。(竈間の灰に穴を穿って逃げ道としたが、什器の諸々に「誰にも教えてはならぬ」と命じた。しかし錐(alène)には伝え漏れてしまった。案の定祖母の問いつめに錐は逃げ道を教えた。(錐への申し付け漏れと秘密露呈は新大陸神話に広く登場する)
兄は矢を林に見失う。妹に探し出すよう乞う。妹は「私はあなたの誰なの」問いに答えてと切り返す。 « Elle refusa à moins qu’il ne précisât à sa satisfaction quel était leur lien de parenté. « Tu es ma sœur ? ―Non » 始めの問いかけは「妹だろう」の返事は「違うわ」。兄の答に自身が納得する言葉が出るまで妹は問い続ける。叔母、姪、いとこ…返答が続くけれど妹からすぐさまNonが返される。それを口に出すまいと残しておいた間柄、それしかもはや残されない。 « Épouse » 伴侶の答えをだしてしまった兄に妹の答えは « Oui » そうよ。妹が待ち望んだこの答え、以来、 « bien que frère et sœur, ils vécurent comme des époux » 兄妹なれど夫婦として過ごした。
祖母は追う。彼らが遺棄した小屋の竈灰が丸く凹んでいる。身ごもった腹が灰を窪ませた、祖母は孫二人が成るべくして成った証拠を目の辺りにした。
妹は臨月を迎える。断食と潔斎で精霊を呼び母子の加護を祈るため、兄は森に入った。熊に変身した祖母に喰われた。祖母は孫娘に会いに来た。祖母は子も己も食らうとの狙いを察知した孫娘が真っ赤に焼いた石棒を祖母の肛門に突き刺した。遺骸を焼く火を熾した。
ここからM529(女Letkakawashは子を背に負い、燃えさかる薪火の前に立った。因縁浅からぬ魔女の死骸を焼かむと熾した業火であった…)と続く。既のところで助け出されたイシス、そして再生、成長。M530 (イシスは複数の妻を持つ。妻の一人にKmu…が懸想しイシスを村から放逐しようと画策した)につながる。
イシスから復讐を受け全ての心臓を燃やされた(Curtis版ではパイプ)俗神Kmukamchは地上に樹脂の熱雨を降らせる。イシスと家族は助かるものの村人の全滅でM538神話は終わる。M538が本巻「裸の男」の基準神話としてこの後も取り上げられる。投稿子は2の視点を取るとした。
1)文化創造、起因は近親姦
M1(神話学全4巻の基準神話)からイシス神話への伝播の証左。両神話schèmeスキームの比較。M1神話(神話学全4巻の基準)は「生と料理」投稿で取り上げた。
M1(バイト午後の冒険、火と水の創造)のあらすじを;少年バイトゴゴは森に入った母を追って姦する。息子の印(腰紐に飾る羽)を取って「みよがし」に己の紐に母は飾る。その羽模様を夫は訝しみ、…、彼と祖母はジャガーからくすねた火を守って生き残る。
「何故、罪を犯したバイトゴゴは復活しさしたる罰を受けず、罪をとがめた父が報われないのか」の問いかけをレヴィストロースは行中に挟んだ。その答え(部族民)を用意するに近親姦、上下婚(たわけ)を罪と罰に分解する;
バイトゴゴの罪は近親姦を犯した行為ではなく、それを(母を通して)公知させたからと見る。罰はそのような風習を黙認した父母を含めた村民に及ぶ。族民の全員に罰を科した背景がこの罪と罰への意識である。文化創造への一歩の踏み出しである。バイトゴゴもその蛮習に耽溺した一人ではあるが、一旦死んで、ジャガーの住むあの世に滞在し罪が浄化された。
罪祓い(洪水生き残り)明けにバイトゴゴと祖母は新たな「文化」社会を創り始める。
Mythologique神話学「裸の男Homme Nu」神話学4巻を読む 3 イシスの冒険 了 (10月9日)

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Mythologique神話学「裸の男Homme Nu」神話学4巻を読む 2

2023年10月06日 | 小説

(2023年10月6日)「M529 Klamath-Modoc族 naissance du héros英雄の誕生」(本書25頁)
Une jeune femme 若い女Letkakawashは子を背に負い、燃えさかる薪火の前に立った。因縁浅からぬ一人の魔女の死骸を焼かむと熾した業火であった。真っ赤な炎の噴き上がりにたじろがず、背に負うこの子を道連れてと、


北米先住民は子をオンブする。写真はあるYoutube動画のスクリーンショット


見入る火炎に飛び込めば、果てる命の宿命は地獄火であった。Letkakawashの動きを怪しみ空から見張っていた俗神Kmukamchが、飛び込まんとすんでのところ後ろから、二人を跳ねとばした。母の勢いはそぐに能わず、彼女だけが炎に真っ逆さま、焼け死んだ。助けられたのは背の子のみ(北米インディアンは東アジア諸民族と同じく子を「オンブ」する)。しかしKmukamchの跳ね飛ばす手の勢いが強すぎて、子の手足も胴もばらけ四散してしまった。子を生きかえらせむと身体破片をKmukamchはつなぎ合わせる。
« Embarrassé du petit être, il l’introduisit dans son genou, rentra chez lui et se plaignit à sa fille d’avoir contracté un ulcère qui le faisait beaucoup souffrir. La fille essaya d’extraire le plus. À sa grande surprise, un enfant sortit de la plaie »
この子を如何にせん、俗神は己の膝に埋め込んだ。自宅に戻って娘に潰瘍が腫れて痛くてたまらないと訴え、娘が膨れあがりを切り除くと切り口からなんと子が跳び出てきた。子は泣きやまない。「父親」は名を与えれば泣き止むか、いろいろ名を呼び上げるも一向に止まない。 « Aishilamnash » その意味「体の中に隠された者」が発せられたら泣きを弱め、愛称にAishish(以下イシス)と呼んでやっと泣きを止めた。「父」のもとで育ち立派な若者にイシスは成長した。賭け事に天分を持ち誰にも負けない手練れ者ぶりを発揮し、富たるは人もうらやむ豪華装束を着するに至った。賭では父にも手加減せず、それが元で諍いに発展する。
イシスの母Letkakawashが自殺を選んだ経緯には説明がない、後に「奇跡的に」老語り部から前半部が採取となり壮大なイシスの冒険が構築できた(この前半は後述)。
M530a Klamath族 鳥の巣あらしle dénicheur d’oiseux(26頁)
養父(俗神)Kmukamchとイシスは動物を創造した、特に魚類にはそれらの創造のみならず、漁労を上手く運ぶための簗場を作るなど漁労技術を確立した。
イシスは複数の妻を持つ。妻の一人に義父が懸想した。イシスを放逐しようと画策した。 « Il prétendit que des oiseaux nicheraient sur une plante étaient des aigles, et il ordonna à son fils d’aller les capturer après s’être défait de sa tunique, de sa ceinture et de son bandeau frontal. Le héros mis à nu grimpa et ne trouva que des oisillons d’espèce vulgaire »
Kmukamchは鷲が巣を作ったと主張し、イシスによじ登って木の頂点の巣から雛を捕らえよと命じた。登るさいには上衣(tunique)、ベルトそして額飾りを脱げとも(身軽にならねば、巨木には登れぬとの示唆)。イシスが樹上に見たのはありふれた鳥の巣と価値のない雛だけだった。それら雛を放り投げるやいなや、木がどんどんと生長しイシスはもはや木から下りられないほどの高さになった。
« Kmukamch s’appropria le costume de son fils et prit son apparence physique. Seule la belle-fille qu’il convoitait fut dupe de la supercherie ; les autres le rebutèrent, convaincues qu’il n’était pas leur mari »
根元に脱ぎ捨てられていた イシスの服を着こしめし、顔つき体つきを真似してイシスになりすましたKmukamchが何食わぬ顔でイシスの妻達に迫った。ただ一人、彼が首っ丈の「可愛い娘」は騙されたが、他の妻らは化け姿を訝しみ夫イシスではないと決めつけた。
樹上で独り、骨と皮だけになったイシスは二匹の蝶に救われ快復し、村に戻る。息子が彼に気づいて、第一妻、二妻、三妻と続いた。Kmukamchが一瞬も手放す事のないパイプを息子に取り上げさせ、火に投じた。こうしてKmukamchを殺害し、家族は元に戻った。Kmukamchはイシスらに復讐せむと燃えさかるヤニを降らせた。地上は熱で溶けるヤニで被われた、イシスらは小屋に籠もって熱気に耐えた。
近親相姦の重なり
Klamath族のイシス神話M529、M530aはCurtis(Edward 1869~1953年、Klamath民族誌写真家) 、Stern(Theodore 著作KlamathTribe)、Gestchet(ネット検索できず)らの貴重な採取であるものの、母親自殺の前後が不明であった。« La geste de Aishish , dont Gestchet, Curtis et Stern n’ont recueilli que des fragments, était apparue vers 1955, miraculeusement préservée dans la mémoire d’une informatrice »(41頁)とある老齢の女語り部の口述から、Letkawash(英雄Aishishイシスの母親)の焼身自殺にいたる道筋が明らかとなった。かつアビ(水鳥)とイシス両の神話を統合する長大な物語としてのまとまりが1955年に明らかとなる。
M538 Klamath族、geste de Aishishイシスの冒険 (42~45頁)
(イシスの前半のみの引用) 末弟の美少年ぶりは近隣に響き渡り、母は滅多なことで外には出さず、家の中でも地下の穴蔵に住まわせていた。さほど遠くはない村に嫁いだ姉は幾人かの子を持つ母。しかし何かにつけては実家に戻る。姉の狙いは弟であった。
実家にたち寄り嫁ぎ先にすぐに戻る。弟が旅の供となることになった。太陽は中空にかかる、今出立して夕べ前には戻る旅程、なればと母は同行を許した。道すがら何故か日がとても早く暮れてしまった、この季節ではもっと遅いはずであるのに(別バージョンでは太陽に早く沈めと姉が脅した)。野の窪みに二人は宿る。寝入った弟の脇に姉が滑り込む。 « La femme vint se glisser près de son frère endormi. Il s’éveilla et fut choqué de la trouver contre lui « Quelle folie ! Vouloir devenir l’épouse de son propre frère !»
女は身をすべらし弟は目覚めた。姉を己の上に見て、ただならぬ衝撃を受けた。なんと愚かな行い、血を分けた汝の弟の妻になろうとはとなじる。姉は寝入り、太い幹を身代わりに置き弟は逃げ出した。村に戻るやつぶさに出来事を語る息子、その一部始終を聞く母は大惨事を予兆しおののく。姉の目覚めは昼下がりとなった(早く隠れろと命じた分、翌日にも太陽周期は速まっていた。太陽周期律を乱した罪のしっぺ返し)。
Mythologique神話学「裸の男Homme Nu」神話学4巻を読む 2 了(10月6日)
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Mythologique神話学「裸の男Homme Nu」神話学4巻を読む 1

2023年10月05日 | 小説
(2023年10月5日)はじめに:「裸の男」はレヴィストロース神話学の第4巻、最終を締めくくる。出版は1971年9月パリPlon社、621頁、収録神話は284。構造主義人類学の集大成にふさわしい充実を見せている。本巻全ページを紹介するのは難しい、家族の秘密Secrets de famille (第一部イシスの冒険)と木霊合わせJeux d’échos(二部アビ女)を取り上げる。140頁分、全体4分の1ですが本巻の訴えかけ趣旨は紹介できると思います。
前文(Prologue)ではロッキー山脈西側、プラトーと呼ばれる高原とそこを舞台にして登場する部族の名称、居住域、民族誌が語られる。Klamath、Modoc、Yana族が主体となります。


神話学4巻 左から生と調理、蜜から灰へ、食事作法の起源、裸の男 (出版は1964年から71年)

裸の男と第3巻の食事作法の起源


北米大陸(左)と裸の男の舞台、網地域。下は各部族の居住地。


(南米マトグロッソのボロロ族神話が新大陸神話すべての基準、南米から北米に伝播したーがレヴィストロースの主張。神話北上説にまとめている。別投稿)
4連作の神話学では最終第4巻も第1巻「生と調理、Le cru et le cuit」と内容が有機的に重なる。有機的とは神話の構造分析とその成果、構造的な重なりを意味する。第1神話(火と水の起源M1ボロロ族)が北米の北端に伝播し神話のM530(イシスの冒険)が語り継がれる、南北8千キロの隔たりにも類似が指摘される ;

« Cette relation de symétrie s'étend à tous les aspects du mythe. Ainsi, l'inceste avec l'épouse du père qui sert de départ à mythe un M1 s’inverse dans M 530 et 531, en inceste avec une épouse du fils. Par vengeance dans le premier cas, par calcul d'un seconde, le père isole son fils au sommet d'un arbre ou paroi rocheuse sous prétexte de l'envoyer dénicher, ici des aras prototype des oiseaux frugivores, là, des aigles prototypes des rapaces. Le héros prisonnier endure la faim et la soif et son corps se décharne par suite de d'une agression externe ou par des dépérissements interne, jusqu’à ce que le fassent redescendre des vautours mâles et cannibales dans M1, d'un papillon femelle dans M530 » (page 30)

要訳:M1とM53xの共通点は、M1では父の連れ合い(原神話では実の母)との相姦、M530では子の嫁と父(義父)との相姦に逆転する。以下、父殺しは復讐対計算づく、鳥の巣荒らしの一方はオウム、片方は猛禽類を狙う。父に騙され主人公は崖に孤立(樹上に取り残され)、餓死に果てるものち、雄ハゲワシ(雌チョウチョ)に救済される。このように両神話の筋道には共通する流れがありかつ、登場者の地位などでは逆転を見せる。レヴィストロースはこれらの相違を « relation de symétrie » 対称性の関係と伝えます。人物の地位には差異が明らかなるも、筋立てでは類似がまさる。反方向でのベクトルゆえに対称性が浮き立つ。
北米神話群の中核となる神話は「イシスの冒険」、もう一方にイシスと対立する「アビ=水鳥=の女」文化の破壊者があげられる。実は、両神話はKlamaths族の言い伝えでは「イシスの冒険」で統合されている。まさに壮大な人類誕生詩となる。イシスの冒険を紹介します。了 2 に続く。
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個別の優位、普遍が引っ込む、トドのつまりLGBT

2023年10月04日 | 小説
(2023年10月4日)「自由とはなにか」をデカルトの「無関心」をテーマにして投稿した(9月6日)。題名は「Cogitoの自由」。この投稿でRuwen Ogien (1947~2017パリ、哲学者) をデカルトと対照させながら「1968年の学生運動の申し子。個人の位置を対社会・制度では最小限に捉え、周囲との関係を最大に捉える」と彼の肖像写真の下に説明を入れた。
デカルトとOgien(オジアンと読むのでしょうか)の差は普遍 « Universalité » と個別 « Particularité » どちらを優先するかにあります。もちろんデカルトは普遍を優先している。かれの「無関心の自由」の背景思想を「昼飯にカツ丼」で探ると :
味の好み、飽食感、手頃値段などでカツ丼を選んでいる訳ですが、ここには個別事由のみを優先して選んでいる。味とは旨さや脂分のノリ、噛み締め心地などで成り立つ。カツ丼を選ぶ事由はそれらを味あいたくて、味成分の下僕に成り下がっている。K老人(部族民通信の後援者)は、昼飯にカツ丼を専らとするのが自由の遂行と勘違いしている。彼は味の奴隷と財布の追従者にすぎず、そこに自由などない。
「自(おのれ)の由し、自由」とする選択、これが « Liberté de différence » 関心と利得の展開としての自由であり、これは最低の自由だとデカルトは蔑んだ。そして自由に「神」を持ち込んだ。神は結果に無関心で選択する。それが最良の選択となる。なぜなら全知全能だから。ここには「神」なる普遍が謳われ、そして自身の利得(これが個別particularité)を否定する姿勢を讃えた。自由に2重の普遍を持ち込んだ訳です。「汝ら懸命に考えCogitoして神に近づけ無関心に選択しろ」が« Liberté d’indifférence » 無関心の自由。

「昼飯に何を食う」尋ねられるデカルトは « Saucisse frites » ソーセージにフレンチフライやら « Faufilait frites » 牛ロインにフレンチフライ=いずれも昼飯定番、などと具体名を明かさない。明かすと「無関心の自由」と違うと突っ込まれる。そこで « De quoi manger, pour casser la croutes, est suffisant pour moi » 何でも良し、パンの皮を崩すだけ、それで十分と優等生の答えを返す(はずです)。
デカルトが生きていた時代の「それまでの」世界では同性愛は否定される。ただ一つの理由は「子を再生産」できないから。人類に属するヒトがこの世に生きる理由は、己は必死に生きて子をもうける2点に尽きる。おのれが属する種「人類」とその目的「世代再生産」の2の普遍にヒトは制約されているのだから。
「1968年パリ、学生騒乱」の申し子と紹介したRuwen Ogienは何を語るか。


ご婦人は「私の体は私のもの」と主張する。お腹の子を堕胎するのも私の勝手よ!

「個人は何事も許される」さらに「カツ丼結構、天丼も捨てきれない」己の嗜好の放縦を全面的に認める(はずだ)。
普遍を否定し自身の個別性、性愛や欲望、嗜好に走れば、不自由から開放されるとOigenは教えている。それがヒトとしてのくびきを跳ね除けられ自由を獲得できると。彼が否定した普遍は人類、社会、道徳、規律、戒め、信仰など。そして尊んだ個別とは欲望、感情、嗜好です。
日本ではパリ騒動の1年遅れ(1969年)で東大安田講堂占拠など学生騒乱が猖獗したが、制度改革など社会変化は何も日本には起こらなかった。しかしパリ学生騒乱はフランスなどヨーロッパ諸国に大きな変化をもたらした。
1 堕胎の解禁(フランスでは1975年、ヨーロッパ諸国も70年代) 学生騒乱のデモに混じってあるご婦人が « Mon corps est à moi » 私の体は私のモノのスローガンを掲示した。実は私(渡来部)はこの意味を字義通りに受け止めた「それって当たり前だよ」と。さる物知り婦人に「堕胎する権利」と教えられ、寡聞に恥じ入った。 « La femme possède le droit de tuer l’enfant » 女は己の子を殺す権利を持っているーと正しく書いてあれば間違わなかった。堕胎は殺人です、このの趣旨で6月27、29日(23年)に人はいつから人か(上下)投稿している。 
2同性愛の権利。堂々と生活を共にするから始まって(パリでは1980年代には人前で抱き合う男同士が見られた)。更に同性婚の承認。LGBT運動(自認すればいつでもどこでも性を替えられる。温泉宿に入って「女だと自覚した」瞬間に女湯で覗き放題。この地獄模様はすぐ目の前。
3大麻解禁。オランダ、カナダでは全面解禁と聞く。
すべてが1968年の学生騒乱に端を発している。運動は学制変革や学生寮のMixte(男女共有)だけを求めたのではない。旧来の権威を否定し、個人の権限を全面肯定した。言い換えると「普遍を排し個別を尊んだ」。


こちらは私の体私の選択。選択とは堕胎するかしないか
(写真はいずれもネット採取)

他者(周囲)への迷惑をかけない限り。大麻、同性愛、同性婚ーなんでもOK。だって周囲に迷惑をかけないから」(Ruwen Ogien)。普遍性を否定し個別性を褒め称える、これが68年騒動を今も引っ張る21世紀の倫理結末です。了



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