蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

農協パラダイムの終焉 3

2017年12月28日 | 小説
 (2017年12月28日投稿)

パラダイム(変移)を縦軸にしてサンタグム(同列)を横軸にとるとマトリクスとなる。これを「神話マトリクス」とレヴィストロースは教えるが、この語は一般的でないし理解しにくい。この四方格子を「パラダイム」とすると分かり易い、さらに「分かった気分」を味合わせてくれる。構造主義の手法による日本神話へのアプローチなのだから、レヴィストロースに倣って神話メッセージ、すなわちスキームを選ばなくては先に進まない。それが「連続」である。さらに、本投稿は戦後の日本人がかくも「連続」のクビキに取り憑かれていたかを論じるという画期的な試みなのだ。
連続のアンチテーゼとして分断、この連続対分断のスキームを進展(進歩)対停滞(後退)と読み替えてもよい。ここに思い至ったのは南米bororo族のスキームである「自然対文化、放縦対介入」を参考にしたが、これは読者が推測する通りです。
それにしてもbororo族と日本人の精神構造はこれほどにも似通っているのだ。列島、日本人、その各階層の心を南米色々部族の対比において、パラダイムと終焉にして取り上げる、その予定ではある。

さて、日本人は戦争という致命的な分断を経験した。戦後、もう戦争は起こさないと誓うが、その基本思想(=レヴィストロースが教えるentendement)は「連続」です。連続をいち早く具現したのは農民ですが、今回は、手始めに都市住民の「2DKパラダイム」を取り上げる(掲載の手書きを参照)。

写真:余暇パラダイムの解析における船橋ヘルスセンターの衝撃度は後のデズニーランドを遙かに凌ぐ。なぜなら同ランドはネズミやアヒルの練り歩きはあっても、千葉県美人の水着ショーなど開催しない(昭和38年、投稿子が水着スタイルを精査し推定した)。

横列サンタグムは「連続」を具現する思想を同列にしている。投稿子の試みでは同列に住宅、移動、電化、余暇、再生産を選びました。住宅には思想があり、独立、牙城などです。サラリーマン家族、農家大家族から別離した都市生活、夫婦家族、核家族を空間として象徴する思想です。移動、電化品、余暇などにもそれぞれの思想が盛り込まれ、それらが「連続」スキームで同列となるのは図の通り。最後の再生産は次世代、子供です。昭和30~40年代の画像を見るに付け、夫婦子供二人の4人家族、それも組み合わせまで女の子と男の子の順番のステレオタイプに驚く。再生産の思想はこのように連続・発展と融和すると判断した次第です。

昭和31年、鳩山一郎首相が東京葛飾の青戸公団住宅を訪問した。当時の活気みなぎる世代、新しい生活形態を祝した訪問でした。その前年、昭和30年の新聞は;
>公団1号団地は堺市金岡団地、続いて8月に東京・三鷹の牟礼団地などが完成した。間取りは6畳、4畳半の二間とステンレスの流し台がついたダイニングキッチン2DKに、風呂と水洗トイレつき。公団住宅はあこがれの的となり、入居競争率は10倍から20倍、なかには数百倍のところもあった。(毎日新聞7月記事ネットから)<
鳩山の青戸訪問はテレビに取り上げられた。投稿子はその年9歳、子供ながらに「首相が公団を」に印象が強かった。2DKパラダイムの濫觴(=物事の始まり)をこの訪問とする。
神話1。団地族奥さん「ねえ、2DKって手狭よね、それに家賃が取られるばっかし。お金貯めて、最近あちこちに建ってるマンションに移らない、3DK あれば個室持てる」旦那さん「お前って慎ましやかすぎる。2DKの次が3DKとか。夢ならせめて3LDKとしろ」(日活ロマンポルノ「団地嫁、真昼の決闘」から採取)
2DKの連続がマンション3LDK, 多くのサラリーマンがこの連続性を実行したと思われます。しかし3LDKにしても中間点、その先には郊外の芝生庭付き一軒家、お利口犬コリーがボールで遊ぶという夢がつきまとった。なぜなら2DKの連続に庭付き一軒家がかいま見られるから。仕事に精だし慎ましく暮らす、こんな連続を繰り返していれば頭金が貯まる。神話2中年男「旦那さんのたいしたこと無い月給じゃあ一軒家なんて買えないよ。奥さんだって働かなくちゃ。昼の間の1,2時間でいい稼ぎになるよ」団地奥さん「こうすれば買えるのね」肩口のスリップ紐に手を掛ける(同ロマンポルノ団地シリーズ「真昼の暗黒」から採取)
移動の思想を表現するのが自家用車、パブリカに始まりベンツに終わる変移は分かり易いと思う。余暇にある江東楽天地とは東京錦糸町に構えるレジャー施設。映画館とサウナだけだったが、当時にしては東京下町庶民の息抜き場だった。それがすぐに、船橋ヘルスセンターに連続発展して、さらにデズニーランドにつながる。再生産には「親の思い」の思想を次代に託して、娘にはピアノとバレー、息子には塾から東大への夢を寄せた。

2DKパラダイム、俯瞰図。手書きの乱筆にお許しを。


しかしパラダイムの最終段、郊外一戸建てには分断記号 // が被さる。これは実現できなかったという不連続の現実を表す。もちろん、これを部分的には、例えば一戸建てながら、遠方田舎、わずかながらの芝生で実現した方もいるだろう。しかし大型犬=名犬ラッシー的なイメージ=が走り回る広さの庭で実現した奇特な方は少ないと思う。
2DKの団地パラダイムは郊外一戸建てで分断された。

同様に余暇パラダイムはパッケージツアーでパリにまで発展した。江東楽天地とパリのシャンゼリゼが連続していたとは投稿子の喜びだが、カリブ海クルーズにはたどり着けなかった
息子は東大おろか明治にだって、ましてハーバードの経営大学院なんかには進級出来なかった。全てのサンタグムで連続が途絶えた。リストラは1990年代に始まったが、当時の政権政党の消極経済策も重なり、2010年前後にサラリーマンを苦しめた。この年、行き詰まったパラダイム変移を持って「2DKパラダイムの終焉」とした。

農協パラダイムの終焉 3の了
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構造神話学 農協パラダイムの終焉 2

2017年12月26日 | 小説

(2017年12月26日投稿)

レヴィストロースは南米大陸原住民の神話を主著「Le cru et le cuit」などで解析した。マトグロッソの有力(であった)bororoをはじめ部族の多くはテーマを共有している。それが自然対文化nature et cultureである。構造神話学ではテーマをスキーム(scheme=元々はカントの用語)としている。ここで語られる自然には「美しい天然」「人の踏み入らない豊かな自然の森」など肯定の意は含まない。自然とは介入、訓練のない野放図、放縦な性状と理解しないとレヴィストロースは読めない(神話と音楽8、11月28日の投稿などで解説している)
南米の部族が抱く自然は、火のない真っ暗世界で「mange cru生肉喰らい」に表象される。さらに「inceste母子姦」「父への無礼」「infanticide子殺し」「人の先祖=豚や鳥=返り」が繰り返される。対するculture文化とは、これらの禁忌を繰り返す自然世界への介入で、火を持ち使うこと「mange cuit調理喰い」に代表される。他にinitiation成人式、死者弔い儀礼、祭礼に纏う服飾、謳う楽曲(神話)であり奏でる楽器である。何故これらが介入となるかは、調理喰いを例にとれば「火のない時代、ある女が毒流し漁で捕れた魚を、薫製保存できないから、全て食ってしまった。女は腹をこわし病気の元を垂れ流した=Le cru et le cuitの引用神話5」。
毒流し漁は一網打尽ならぬ一流し全取りで、豊漁間違いなしだが年に一回しか実行できない。自然のままの女は大喰らいするしか対処できない。しかし文化を持つ男が火と共に介入して、大食らいの慣習を改めさせたとの言い伝えである。成人式とは男子を母系集団から隔離する機能を持つ。男子が母から離れないとは一大事で、incesteの起因となる。一年にも及ぶ式の流れが、男子を叩き上げ母系社会から離脱させる。母と子の閉鎖状況に介入する手段です。
自然は放縦の女社会、底流として淀むふしだらさを誡める文化は男の介入だと神話が伝えています(あくまでbororoの神話です)。

ここで現代の日本、この列島弧に共通する神話スキームを見いだせるのか?確かにそれ認められる。「連続」であると投稿子は問いかけたい。
連続とは継続、継続とは進歩、進歩すれば色々なところが改善され、改良が認められるし、これが人の正しい姿であり世の流れでもあるーこうした考えが列島弧を覆い尽くし、そして今も熱病の如く人に世に、猖獗していると投稿子は考えるのです。
連続に対立する概念は停滞、介入です。連続に異議ありと介入したら人の動きも思考も停滞し、進展進歩から阻害されたら人のお仕舞い。日本人ではなくなってしまう、だからみんなでガンバローが熱病の兆候です。
このschmeme、連続と停滞は、bororo族が主張する自然と文化との類似に驚く。連続とは自然であるし連続を止めるのは介入で停滞する。であれば停滞が文化となるのだが、停滞を文化の意味に捉えようとも分からない。一つの命題としてこれを残します。ここで日本神話のパラダイムに入ろう。

写真:昭和30年代、電化製品の初荷。ネットから借用

投稿子は昭和22年の生まれである。物心付いて以来「もはや戦後ではない=昭和33年の経済白書」「所得倍増=池田内閣のスローガン」「三種の神器=テレビ冷蔵庫洗濯機の電化生活」「神武景気=景気がよければ全てよし」「オリンピックの人と人、大阪万博=乗り遅れては遅い」などの標語に馴染んだ。これらに共通する基本テーマ(scheme)が連続である。戦争で灰燼に帰した日本列島、飢えと渇きに苦しむ一億日本人が夢に描いた明るい未来、連続性を保てば保てばそこにたどり着ける。連続の行き着く先の電化生活とは、うだる夏にも氷水で喉を潤し、テレビを見ながらの夕涼みに冷えたビールの一杯。これは昭和30年代の夢でありました。
夢を見た階層とは市民、農民、さらには小金持ちも後に入り込んだ。農民の夢をサンタグム(連辞が訳だが同列とする)に羅列すると進歩の思想が農協的翻訳として浮かび上がる。それは汎村運動、村外の活動、鬼瓦の豪邸、移動手段の充実、教育など思いに至る。それぞれの同列思想にパラダイム(変移)が進展する。例えば移動手段では自転車リアカーを基点にして、最終はベンツ3リッターセダンに到達した。ここでパラダイムが終焉した。これが5ドアの冷蔵庫、ベンツの発展系にロールスロイスあるいはキャディラックはあり得なかった。

農協パラダイムの終焉 2の了 (次回投稿は29日)
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構造神話学 農協パラダイムの終焉 1

2017年12月22日 | 小説
(2017年12月22日投稿)

投稿子(部族民通信の主宰・蕃神)は本年(2017年)4月より構造人類学の巨匠レヴィストロースの著作を取り上げています。題名は「猿でも分かる構造主義」「猿でも構造悲しき熱帯を読む」「神話学 生と調理」など続いて「レヴィストロースを読む神話と音楽」の8回目投稿を11月28日に終えました。「生と調理」及び「神話と音楽」は構造神話学の嚆矢(先がけ)とされるLe cru et le cuit =生と調理となりますが定冠詞Leが被さる意味に合わせると「生ということ及び調理されているということ」が訳となります。
「神話学 生と調理」では序章(Ouverture序曲と命名されている)32頁の解説に取り組みました。神話は3の分節として構成される、それぞれに形体が思想とともに設定されていると構造主義による分析を繰り広げています。関心をお持ちの方は9月13、15、18日の拙投稿に立ち寄りください。
序章での神話分析は個々の神話、その一編一編の構成の説明している。
さて投稿子はレヴィストロースに親しみ構造神話学を読んでこれをやっと理解したと喜んでも、実際はそのつもりになっただけと知る。陥穽に落ち込んでいるも、分かったからよかったねと慰める。しかし、これではもの足りない。自身が今生きるこの日本の神話を読み解かなければ、正しい理解ではないと常々思いこんでいた。それにしてもLe cru et le cuitの序曲は高尚さが過ぎて、取りつきの様がなかった。

しかるに神話学2巻目の「Du miel aux cendres=蜜から灰へ」では個々から神話群へと解析手法を発展させている。言語学ソシュールが主唱したサンタグム、パラディグム(syntagme,paradigme)の概念を取り入れ、神話を群として解析している。それが新鮮、幾十の行に目を落とし、頁を開きながらはたと気がついた。日本の神話解析にこれ、サンタグムとパラダイムが使えると。

サンタグム・パラダイムの解釈から始めよう。
サンタグムは連辞、パラダイムは範疇と訳される。これは構造言語学での用法です。構造神話学では訳語がないけれど、分かりやすい語を当てはめて、前者を「同列」、他方を「変移」とした。
ネットで言語学の解説頁にアクセスすると、パラダイムの概念は難しい。最も易しい理解の仕方は「パラダイムシフト」。1990年代、主にアメリカ企業のマーケティング担当が多いに引用した語である。ここで友人のK氏に登場を願う。彼はこの時期にアメリカ企業に勤務していた。電球からジェットエンジンまで製造している企業らしい。G社としてその医療部門のマーケティング職でK氏は「ブイブイ」煩かったらしい。
市場解析でパラダイムとは?の質問に、
「ある製品のアイデアがあって商品化する。1号機を発表して、2号機と頃合いを見て市場に出す。3号4号機と商品化されていくのですが、あくまで使われ方は始めのアイデアの範囲。その制約を守って改良し高機能化を付加していく。この製品の流れをパラダイムと言う」首を傾げる投稿子を前にK氏は分かりやすく;
「冷蔵庫を例に取ると、食品を腐らせない水を冷たくというアイデアがある。売れそうだと商品化する、最初は一枚扉で小型。だんだん大きくなって、冷凍室が付加されて、5枚扉で500リットルと大型化する。これがパラダイム」


図の解説:ヤコブソンがサンタグムとパラダイムを説明した図。思想を水平軸にとり、冷蔵庫洗濯機テレビをおいて(サンタグム)、垂直の軸に1扉2扉、白黒カラーなどの変移を置くと構造神話学になる。ネットから拝借しました。

シフトとは;
「5枚扉に行き着いて数年経って消費が鈍った、それならより大型、10枚扉の2000リットルの冷蔵庫を作ろうとしても売れないと予想できる。これまでの製品の変移の様、より便利で大型という=パラダイム=をシフトしないと新規の需要は見込めない。
しかしこのシフトが難しい、シフトできずの状態。そのまま沈滞するのが通例」だそうです。早期退職に追いつめられたK氏が嘆いた背景は、パラダイムシフトが成就出来なかったから。
サンタグムはマーケティング語としてはあまり使われていないが、しっかり存在する。その意味は、製品の上の思想、冷蔵庫であれば「幸福な電化生活」という「根本思想」を設定して、それをそもそもの中心に置いて、各商品である冷蔵庫、洗濯機、テレビなど、これも「思想」を「同列」に配置する。すなわち「サンタグムは思想の同列、パラダイムは思想を具現する形体の変移」1990年代のマーケッターはまさに構造主義を実践していたのだ!
そしてこの思考の進め方は日本神話の解析に使える、投稿子がハタと手を打った。

パラダイムとして日本神話を解析するにあたり、投稿子は3のサンタグム、同列思想を抽出した。それが農協パラダイム、続いて団地パラダイム、そして殿(しんがり)にはセレブパラダイムです。
(農協パラダイムの終焉1の了)
なおParadigmeはフランス語でパラディグムと発音します、パラダイムとして人口に膾炙しているので、こちら英語読みを使います。
(農協パラダイムの終焉 2回目投稿は12月24日)
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