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蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

レヴィストロース著、神話学4巻「裸の男HommeNu」を読む 1

2019年10月31日 | 小説
(2019年10月31日)
書は本文621頁の大作で、神話学の最終巻にふさわしい内容の充実を質量ともに見せている(量には圧倒される)。全巻の紹介は長大になるうえ、投稿子の力量として不可能であろうから、今回連載は;家族の秘密Secrets de famille (第一部)と木霊合わせJeux d’echos(二部)を取り上げます。量にして140頁、全体の約4.5分の1となり、部分紹介の枠を超えない事につきご容赦を。
前文(Prologue)は取り上げる部族の名称、居住域、民族誌が語られます。主としてKlamath、Modoc族が取り上げられます。居住はロッキー山脈西側、プラトーと呼ばれる高原となります。(HPアラカルトにネットから採取した両部族の人物像、居住地をまとめている、HPへの投稿は11月にも)
神話学における基準神話M1(Bororo族、火と水の起源)はブラジルマトグロッソ地に発生し北アメリカの太平洋沿岸に伝播したとレヴィストロースは主張している。経路について説明はないが、まずアマゾニアに居住していたTukuna族、Arawak族に移動しカリブ海諸民族へ、北米には小舟で渡れるフロリダから上陸、ミシシッピー、ミゾーリを経て大草原、大平原地域(Arapaho、Seyenne族など、食事作法の起源の後半で紹介している)に伝播したとは想像に易しい。冒頭に2の神話を挙げている。

写真:Klamath族婦人ネットから採取

M529 Klamath-Modoc族 英雄の誕生(25頁)
女Letkakawashは子を背に負い、燃えさかる薪火の前に立った。因縁浅からぬ一人の魔女の死骸を焼かむと熾した業火であった。一震えもたじろがず火に見入るは背に負うこの子を道連れ、飛び込んで自からこの火に死に絶えるつもりであった。飛び込むすんでのところ、Letk…の動きを怪しみ空から見張っていた俗神Kmukamchが後ろから二人を跳ねとばした。しかし助けられたのは背の子のみ、それも手足胴がばらけ飛び散り、母親の勢いはそがれず飛びこみ焼け死んだ。Kmu..は子の破片を丁寧につなぎ合わせ、再生を目論むべく;
<Embarrasse du petit être , il l’introduisit dans son genou, rentra chez lui et se plaignit a sa fille d’avoir contracte un ulcere qui le faisait beaucoup souffrir. La fille essaya d’extraire le plus. A sa grande surprise , un enfant sortit de la plaie>

上の小写真の拡大。胸飾りはヤマアラシのトゲ毛。

この子を如何にせん、俗神は己の膝に埋め込んだ。帰り道はびっこ引き引き、自宅に戻って娘に潰瘍が腫れて痛くてたまらない旨訴え、膨れあがりを娘が除いていると切り口から子が飛び出てきた。
子は泣きやまない。「父親」は名を与えれば泣き止むかと、いろいろな名を呼び上げるのだが一向に止まない。<Aishilamnash>その意味「体の中に隠された者」が発せられたら泣きを弱め、愛称にAishish(以下イシス)を選んでやっと泣き止んだ。イシスは「父」のもとで育ち立派な若者に成長した。賭け事に天分を持ち、誰にも負けない手練れ者ぶりを発揮し、その富は豪華な衣服を着するに至った。賭で父にも手加減せず、それがもとで諍いに発展する。

図:青がKlamath族の現在の居住域(保護地区)ORオレゴンとCAカリフォルニアにまたがる。

母Letka…が自殺を選んだ経緯、死骸とはてた魔女の関係は本神話には説明がない。もう1の神話を。
M530a Klamath族 鳥の巣あらしle denicheur d’oiseux(26頁)
養父Kmu…とイシスは動物を創造した、特に魚類にはそれらの創造のみならず、漁労を上手く運ぶための簗場を作るなど便宜をはかった。
イシスは複数の妻を持つ。妻の一人にKmu…が懸想しイシスを村から放逐しようと画策した。<Il pretendit que des oiseaux niches sur un plant étaient des aigles, et il ordonna a son fils d’ aller les capturer après s’etre deafait de sa tunique, de sa ceinture et de son bandeau frontal. Le héros mis a nu grimpa et ne trouva que des oisillons d’espece vulgaire.
Kmu…は鷲が木の上に巣を作ったと主張し、イシスによじ登って雛を捕らえよと命じた。登るさいには上衣(tunique)、ベルトそして額飾りを脱げとも(身軽にならねば、巨木には登れぬとの指示)。イシスが樹上に見たのはありふれた鳥の巣と価値のない雛だけだった。その直後、木がどんどんと生長しイシスはもはや、木から下りられない。
<Kmukamch s’appropria le coutume de son fils et prit son apparence physique. Seule la belle-fille qu’il convoitait fut dupe de la supercherie ; les autres le rebuterent , convaincues qu’il n’était pas leur mari.
根元に脱ぎ捨てられていた イシスの服を着こしめし、顔つき体つきを真似してイシスになりすましたKmu…、何食わぬ顔でイシスの妻達に迫った。ただ一人、彼が首っ丈の「可愛い娘」は騙されたが、他の妻らは化け姿を疑い、夫イシスではないと決めつけた。
骨と皮だけになったイシスはチョウチョに救われ、回復し村に戻る。始めに息子が気づいて、第一妻、二妻、三妻と続いた。息子にKmu..が放さないパイプを取り上げさせて火に投じKmu... を殺害した。Kmu...はイシスら家族に復讐せむと燃えさかる木ヤニを降らせた。地上はとけるヤニで被われた、イシスらは小屋に籠もって耐えしのいだ。
神話学4巻「裸の男HommeNu」を読む 1の了
次回は11月2日を予定 部族民通信HP(WWW.tribesman.asia)と同時掲載を計画しています。HPとブログの体裁の差異からブログ2回分をHPの1頁にと考えます。HPの開始をブログで案内いたします
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神話から物語りへDu Mythe Au Roman 6 (最終回)

2019年10月25日 | 小説
(2019年10月25日)
破天荒な筋立てのM60(シミデュの膝叩き逃走)、M317(コロロマンナの吠え猿ドラム叩き)、さらにM402,404(本文に掲載無し)は元々が天体コード神話の伝播を受けて後に変容したとしている。
<au terme d’une serie de transformations dont le point de depart theorique se trouvait dans des mythes sur l’origine de certaines constellations. De ces constellations, nous avons passe a d’autres, puis a des symboles logiques de constellations sans existence réelle (c’était le ca de M354) >(104頁)
訳;そもそもは星座の起源に関する神話の伝播を受けた派生神話の幾つかがある。それら星座について検証したが、具体価値が(伝播先の部族では)見つけられないから、シンボルとして名目だけに変遷した可能性がある。M354モンマネキ神話がその好例であるとする。
(シミデュでは膝を打たれたVenkicaはオリオン座に昇天した。これが天体コードの名残り)
モンマネキにおける天体コードの遺構を述べると;
嫁取り挿話の5例目「上下分離式」は人間の嫁。これを天体コードの伝播例とする。

写真:ブラジル北部の月別雨量。生と料理の挿絵から。解説は下に。

原型はM136 Arekuna族伝承のJilijoaibu(プレアデス)が姑を殺す(生と調理250頁)である(=部族民通信の解釈)。その要約;姑は己の子宮からひねり出した魚を婿(プレアデス)に与えていた。その現場を目撃した婿は怒り、姑が「漁に出る」と称する川岸にガラス(ママ)破片を撒き、葉で被った。それと知らず踏みつけ脚を切り、よろめいて体中傷ついた。血を吸ったガラス片は投げられピラニアに変身した。姑は水生植物に変身した。婿は昇天しプレアデスとなった。
(Arekuna族はヴェネズエラ、ブラジル北部に居住。モンマネキ神話のTukuna族とは水上交通で交流していたと思われる)
ここでは魚と漁労の起源、天体との関連が説明されている。プレアデスは漁労(毒流し漁)の開始を告げる。漁労派天体に呼応した年単位の周期性がある。毒は動物の血であってはならず、植物由来と決まっている。ここにも年の周期性が認められる。
モンマネキ神話での天体コードとは。両者を比較しよう。
分離した下半身から経血を垂れ流し、嫁の上半身は水に浮かんでピラニアを掬い上げていた。子宮と魚の連関は認められるが、それは行為としてのつながりである。モンマネキ神話側には天文コードによる周期性は見えない。姑が嫌ったのは特異身体であって(経)血流しの漁ではない。再合体を姑の工作に阻まれ、上半身がうろつき廻り、モンマネキの背に取り付き、最後に「どっかに」云ってしまったオチに終わる。天体プレアデスも年周期を求める漁労も、どこにも出てこない。

M136と M345(モンマネキ)の2の神話を比べると;
1 前者は天文コードを展開し周期性を呼び出す。これを基盤としてsyntagme・共時性因果を表した(漁の開始とプレアデスの出現)。
2 後者が取り込んだのは社会コード(code social=婚姻同盟の形成)と身体コード(code anatomical)であり、それを持って姑が嫁との同盟を否定した(分離式と垂れ流しでは文化の創設は不可)。決して(周期性に欠ける)子宮由来の毒を否定したわけではない。
3 ここでのsyntagme共時性因果は婚姻同盟なので、M136の挿話を取り込んでも粗筋の似通いは認められるも、共時性因果までは導入できない。モンマネキ神話等のパラダイムPDFを参照(注:モンマネキ神話のみを取れば天体コードはない)


地域により乾期のピークに差が出ている。漁労の開始を告げる星座をプレアデス、あるいはオリオン三つ星にするなどの言い伝えの変異はこのためであろう。民族誌学の分野なのでここでは指摘のみに。


神話は語られる。新たな語り手を取り巻く環境と伝播された内容に齟齬が見つかれば筋、登場人物動物など語り手聞き手の判断で変遷するし、語りの新たな筋が族民に受容されれば、改訂版が流布される。
<comme le linge tordu et retordu par une lavandiere pour exprimer l’eau qu’il contient, la matiere mythique laisse progressivement fuir ses principes interne d’organisation. Son contenu structural se dissipe. Au lieu des transformation vigoureuses du début, on n’observe plus a la fin que des transformation extenuees>(105頁)
洗濯女が布を浸しては水を絞る、布が含む水を絞って出すたびに布の組成が変わっていく。神話の伝播でも同様だ。神話素材が変遷する行程で内部に宿る成分が抜け出てしまう。素材どうしが寄り集い、構造としてまとまる仕組みが抜け消えてしまう。伝播する初めには荒々しかった変容が仕舞いには、力の抜けきった弱々しい移行体に落ちてしまう。

(「寄り集い構造としてまとまる仕組み」を小筆部族民はsyntagmeとparadigmeが形成するglobal野と理解する)

<Ce phenomene nous était déjà apparu dans le passage du réel au symbolique , puis a l’imaginaire et il se manifeste maintenant de deux autres façons : les codes sociologique , astronomique et anatomique qu’on avait vu fonctionner au grand jour passent désormais a l’etat latent ; et la structure se degrade en serialite >(同)
この衰退現象についてはすでに実体から表象、そして空想へと空転してゆく「伝播道のり」を解説する中で取り上げている(本書68頁=この伝播衰退の仕組みは別項で取り上げる)。本項ではこの衰退が2の様態を見せる事を指摘するのだ。一は社会コードにしても天体、身体にしても、コード(神話の3分節PDFを参照)が衰退する傾向が指摘される。二には神話構造それ自体が直列(serialite)伝播の経時疲労を受け弱体を見せるのである。

基準神話が見せている主張の強烈さは、コードとその発展(コード進行)が明確な直線方向であったからで、一旦形成され伝播を重ねるなかで、その構造と方向が弱められる。これをして物語化すると言う。
最後に;
レヴィストロースは神話の物語化をroman-feuilletonなる言葉で比喩している(105頁)。その意味を辞書で尋ねると<episode d’un roman qui parait regulierement dans un journal. Histoire de rebondissement (affaire scandalouse)新聞に頻繁に出てくる逸話物語。刻々と様相を変える物語、多くはスキャンダル(ロベールミクロから)。小筆は例として新聞社会面の「お涙ちょうだい」式の家族の絆物語を連想している。

神話から物語りへDu Mythe Au Roman の了(2019年10月25日)

なお本投稿は前回(10月23日)と併せて部族民通信HPに掲載しています。HPではPDFリンクが可能です。
www.tribesman.asiaあるいは部族民通信でネット検索。

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神話から物語りへDu Mythe Au Roman 5

2019年10月23日 | 小説
(2019年10月23日) 群としての神話の規定を前回説明した(前回のPDF、下の写真をご参考)。神話学第一巻「生と調理」の前文(序曲)には単体としての神話の構造を解説している。これもPDF化しているので参照してください(写真を下に貼り付けた、比較する)。 シミデュの冒険神話(M60Tukuna族)がモンマネキ神話と他の同類神話とで形成するグローバルに位置できない理由、それらの神話群に仲間として認識されない仕組みを明らかにする。本書「食事作法の起源」95頁の記述を引用します。 <On ne saurait pourtant négliger le fait que ces mythes apparaissent très différents quand on les envisage sous l’angle syntagmatique> 動詞savoir(知る、できる)の条件法sauraitをここで用いる。この場合は<Pour marquer un fait douteux, en particulier lorsqu’on presente ce fait comme une assertion>。疑わしいと示すものの当の本人(主語)は断定している。一歩の踏みとどまりの含みを見せるが、それは修辞で読者に判定を委ねるため。こうした用い方である。この用法は「条件」法の意義から離れると書(文法書Le bon usage)に注釈がある。 訳;しかしながら、読者に判断をゆだねるが、syntagmatiqueの視点から両神話(モンマネキ、およびシミデュ神話)を比較すると似通いは全くない。 写真:吠え猿Guariba、新大陸で大型の猿、獲物として嬉しい。 コロロマンナ(下の神話)が必死に守ったわけだ、生と調理の挿画から 当該神話群でのsyntagmeをPDFから抜き書きすると;天体の創造、日夜の交代…など「天文周期性の創造」である。読者、確認にはPDF(ここでは写真)で。しかるにシミデュ神話にはそれらがsyntagmeとして、別の言い方でanalytique(分析思考)として、さらには共時性因果として、筋立てに反映されていない。天体と関連するのは庭番のVenkicaの膝をシミデュがしこたま打って、脚無しにしてオリオン座に昇天させたくだりがあげられる。しかしこの発端はM362の筋(兄嫁にそそのかされた次弟が末弟を殺して脚を切り取った)、polyandrie一妻多夫にまとわりついた罪、そして罰の因果、葛藤は読み取れない。Syntagme(分析思考)がparadigme(弁証法思考)に影響する、さらに前者と後者が枠となり群としての神話の伝達意志、筋道、背景を拘束する仕掛けを設定する。これがglobalであり、この枠内にシミデュは住まない。 <Tous deux affectent la forme d’un récit a episodes mais, dans M354, cette ressemblance est trompeuse puisque nous avons pu mettre a nu derrière la forme une construction dont les éléments, observes dans des perspectives diverses, s’agencent toujours avec precision> 訳;2の神話は語りの流れを挿話のつながりとしている点で似通う。しかしM354(モンマネキ神話)についてはすべての挿話の帰結が、ある原理に支配されているのだから、(形だけの)似通いは当てにならない。我々(レヴィストロース本人)は形態の背後に潜む、とある「構成」をすっかり裸にしてしまった。構成体の各要素は正確にあるべき処に収まると証明した。 「転がる首」神話に限らず、神話群が規定するglobalに位置を取れば、その神話はsyantagme/paradigmeが固める枠、制約(contraintes)を受けるから語り口が整うとの主張である。そもそも、制約そのものが神話群の規定である訳です。 生と調理の序曲から起こした神話3分節のPDF(スクリーン写真) 前回投稿の神話群グローバルのPDF それでは、いかなるglobalからも外れる神話は何を表現するのか; <les types dont ils (=episodes) relevent semblent resulter d’une invention plus libre, toute prete a s’affranchir des contraintes de la pensee mythique si même elle ne l’a déjà fait.On peut se demander si l’histoire de Cimidyue n’illustre pas un passage significatif du genre mythique au genre romanesque, dont la courbe est plus souple ou n’obeit pas aux mêmes determinations.> 訳;それら挿話が取り上げる登場者形態は全くの自由解釈に寄るものである。神話的思考(la pensee mythique)の制約を乗り越える手前、あるいはもう乗り越えてしまっている自由さを享受している。 物語に移行する際の選択はかなり柔軟で、登場する人物動物などの規定(神話の3分節PDFが伝えるpropriete性格)も無視している。神話から物語りへの移り変わりを表す例としてシミデュ神話を取り上げないとすれば、なおいっそう自問しなければならない。 (注:なお一層の「自問」とレヴィストロースは語る。しかし彼にはそんな反省、再考はあり得ないけれど) シミデュに脚を砕かれた庭番はVenkicaと伝えるが、これは凶悪鬼の名である。たかが女のシミデュに打たれ「しゃべるなよ」と脅され、ジャガーの問い質しに「あの大女にはほっといてくれ」と泣いた。こんな語りを聞いたら族民は、Venkica定義、3分節でのproprieteの無視に走り、神話的思考から解き放たれて、ヤンヤの喝采をあげただろう。 もう一例; M317 Warrau族 コロロマンナ(Kororomanna)の冒険(蜜から灰へ332頁) 狩人コロロマンナは吠え猿をしとめ村に帰らんとするが日が暮れた。仮の宿をこしらえ一夜を過ごす。夜ふけて適地でなかったと分かった。<son campement est en plein milieu d’une route frequentee par les demons>仮の宿りの周りに、ありとあらゆる悪魔が出没し始めた。身動きせずに潜んでいたが、獲物の吠え猿がおならを漏らした。死後、腹に溜まったガスが抜けた。悪魔に獲物を取られてはならじ、臭いけれど獲物を手元に寄せた。しかし悪魔が異臭をかぎつけた。 <Il eu envie de se moquer d’eux et répondit a chaque coup en frappant le ventre du singe avec son baton> 訳;奴らを馬鹿にするしかないな、悪魔が脅し声をあげるたびに猿の腹を棒で打った。 その腹が打たれる度に猿がボンボンと騒音をまき散らす。この音が悪魔の力を凌いでコロロマンナにも猿にも、悪魔らは手出しはできなかった。<Il riait aux eclats d’entendre une bete morte peter si vigrousement . Le chef des demons se desolait de ne pouvoir faire un bruit aussi beau>猿がでっかいおならを放ってコロロマンナも大笑いした。悪魔の親玉はこんなにすごい騒音を出せなかったと悔やんだ。 神話ではこの後も破天荒な冒険話が続く。筋立はシミデュ神話と同じく挿話の繰り返しでそれらの内容は神話的世界の決まり事、制約から大きく離れる。 夜に音を立てる、新大陸の多くの部族で禁忌である。夜泣きする子をもてあます母の悲話も神話に取り上げられる。祖母に一旦は預け、引き取りに行くと「孫など預ずかったりしてない」祖母は否定する。夜泣きを嫌う鬼が、祖母に化けて預かったわけだ。 しかしコロロマンナはこの禁忌を豪快に破って、悪魔共に一泡吹かせて獲物を守った。発想が自由闊達、奔放自在。こんな語り口を聞いたら族民は拍手喝采をあげたかもしれない。 神話から物語りへDu Mythe Au Roman 5 の了 本稿(4)は次回の5と併せ部族民通信のHP(www.tribesman.asia)に投稿します。 次回投稿は25日を予定。
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神話から物語りへDu Mythe Au Roman 4

2019年10月21日 | 小説
(2019年10月21日)
このglobalの枠の神話群にidee mythique「神話思考」が働く。


シミデュの冒険で人猿を演じる蜘蛛ザル(レヴィストロース著作の挿画)

(前回に添付した図を再掲します。拡大図は前回19日投稿を参照)



伝播における諸表情、移動(transformation)、反転(inversement)、congruence(思想は変わらず形式が変遷する)などは、部族民族の集団が論理の発露の過程で抱く神話思考の賜である、とレヴィストロースは伝えているのだ。
さて、すでに小筆、部族民番神にて過去投稿で神話をパラダイム変換し、その主張とするところの解析を試みております。PDFを参照(右のコラムにリンク)。しかるに先週以来、第2部「神話から物語へ」の読み返しの最中に、レヴィストロース自身がパラダイム変換を解説していると知り、本投稿をしたためたわけです。時間軸としては小筆部族民オリジナルのPDF(4葉)がまずあって、それから本稿となります。

尊師にして構造神話学の元祖(レヴィストロースに対して神話学4巻の読みかじり(蕃神)とのパラダイム変換においての差とは;
1 元祖は神話の伝播を神話「思考」の伝達、受容の流れとする。思考を分析すると(カント主義者として当然ながら)analytiqueとdialectique(=transcendantal先験の2形態)に分け、それを共時(syntagme)、経時(paradigme)の属性とした。この面の中に神話群の囲い込みが可能となった。地域の広がり、面の伝播を前提にして、それが可能にせしめる担保には人の智(カントの先験)を置いた。故に南米マトグロッソのボロロ族神話が、はるばる北米に旅できる仕掛けが見えた訳です。
2 小筆が先の投稿で展開したパラダイム変換は1の神話の解析と、その神話がもう一つの別神話に伝播する軌跡を説明した説であります。こちらはレヴィストロースのグローバルにある面ではなく、一方向の一本の流れ、線伝播です。すると伝達を担保するのは口上の繰り返しとなる。
南北新大陸8000キロの旅程を、伝言ゲーム式に神話が伝播したと説明している訳ですが、これは苦しい。ここで一本取られた、ですか。
これからが本題の「物語化」には入ります。

「食事作法の起源」基準神話のM354「モンマネキの冒険」を語り継ぐTukuna族から筋立てでは似通った神話を引用する。
M60 Cimidyue(シミデュ)の冒険(同書92頁)
(mesaventuresなので「失敗譚」であるが冒険と訳した)
シミデュは夫に従い狩りに発つ。(樹上の猿を吹き矢で狙い撃ちしてから)夫は<Il la persuada que les organs sexuells des singe coata etaient de l’ouate blanche comme celle garnissant les dards de sarbacane, et qu’il fallait attendre que le poison fit son effort pour ramasser les animaux quand ils tomberaient morts>「蜘蛛ザルの生殖器は吹き矢の矢先を差し込む白布のような材でできている、毒が回りにくいからサルが木から落ちるまでしばらく待たなければならないから」とシミデュに言い置きし、自身は狩りを続けるため森の奥に入った。これはシミデュを捨てる手段にすぎなかった。夫は一人で村に戻った。
木の下でしばらく待つが、落ちてくるはずのサルは一向に落ちない。帰る道など知らないから、樹上のサルがシミデュをめがけて落とす果実を食べてはサル達について行こうと決めた。
夜になってサルは人に変わった。招ねかれた小屋にはハンモックが吊され、シミデュもその一つを借り一夜を過ごした。翌朝、小屋もハンモックも消えて人はサルに戻った。
サルを追って森を一日彷徨し、サル親玉に出会った。彼は実際のところジャガーだが、常に人の姿である。親玉のためにシミデュはマニオク酒をたっぷり作ってやった。
親玉は高いびきで「そのうちあのメスを喰ってやるわ」と寝言で本音を漏らした。
「あらら大変、食べられてしまう」
シミデュは親玉を「そんな恐い寝言ほざかないで」揺すり起こしたたら、なんとすっかり怒ってしまった。親玉はでっかい木の実(caivaru=ネット検索できず)を持ち出して;
<Il se fit apporter un gros noyau de fruit /caivaru / dont il frappa son nez jusqu’à ce quil saigat>その木の実でシミデュの鼻を血が滴るまで叩いて、血を手に受けて呑んでは酒を食らって寝込むとクダンの寝言が出てくる。シミデュがまた揺り起こす。こんな繰り返しで親玉含めてサルの全匹がすっかり酔っぱらった。

蜘蛛ザル


翌朝、親玉は狩りに出た。シミデュが逃げ出さないように脚をしっかりと縛り、長紐の一端は自分が握り、時折引っ張ってはシミデュが拘束されていると確かめた。
小屋には陸亀も捕らわれていた。彼は「親玉は今晩にでもどっちかどっちを食べる算段だ。逃げ出さなければ」とけしかける。そこでシミデュは紐をほどいて、それを壺に結わえた。小屋の前には親玉の兄弟Venkicaが陣取っている。亀の作戦は無防備のあいつの膝を打つ。シミデュは棒でしたたか打った。「裏切ったらまた打つからね」の脅しを置きみやげにシミデュと亀は逃げた。Venkicaはオリオン座として今でも見える。
狩りから戻った親玉は食材として当てにしていた2匹が消えてご立腹。Venikaに「あの大女らはどこに行った」と問いつめるが、Venikaは膝の痛さが堪えてか、シミデュの脅しが効いたのか「あの大女の事でうるさくするのはやめてくれ」としか答えないから追うを諦めた。
キツツキが道を教えず、違う方向に入り込んだ。蟻塚とジャガーを勘違いして、追われる。このような失敗譚が続く。チョウチョの手助けで村に戻って、己を捨てた夫を焼き殺し復讐を果たした。

モンマネキは狩人の婚姻同盟をもくろむも、異種婚やら近すぎ婚とやらで失敗する話し。シミデュは夫に捨てられた女が食い物を求めて同盟を計るのだが、相手は一時食を与えるが上手くいかない。するとモンマネキとシミデュには幾つかの逆転(inversement)が認められる。男狩人対妻女、婚姻同盟対食の懇願(性と食は欲における暗喩関係)、そして失敗の重なり。
ではシミデュ神話はモンマネキ神話とGlobalを共有できるのか。レヴィストロースはその分類を否定する。物語化していると指摘する。

GooBlogに19日本日投稿分をまとめて部族民通信HPに投稿した。ぜひHPにもご訪問を。

神話から物語りへDu Mythe Au Roman 4の了


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部族民号外、緑小合唱7連勝に寄せる

2019年10月20日 | 小説
部族民・蕃神は日野市(東京多摩地区)に住む。日野緑小学校の合唱団がこのたび(10月13日)「NHK全国学校音楽コンクール」小学校の部で金賞(全国一位)に輝いたとのニュースに接した。連続7年の栄誉である。写真は日野市全居宅に配られる「広報ひの」の号外である。月に2度の発行、最新は1457号に達する。およそ700月30年近く刊行されているけれど、号外は初めてである。市民、担当者の熱のこもりが伝わる。

日野市ニュースの号外(拡大は下に)

しかし何故に、かくなる立派な成績を達成できるのであろうか。指導する先生の努力、彼女を支える同僚達、校長教頭様々の理解、そして父兄の協力などがあげられ、これらが大事な背景であろう。そして部族民としての解釈を述べる。
「よろこびの声」が号外下欄に掲載されている。校長先生(大和田氏)の一文を借りよう。
「本校は七尾丘陵の上に位置する学校です。子供達は毎日、坂道を上って練習を重ねてきました。丘の上で仲間と音楽を楽しみ、これからも先の世界へと翔んで行くことでしょう」(号外から)
すると丘の上の見晴らし、緑(木々)に囲まれる自然の賜なのか、坂道を登る日々の運動が声帯と肺活量が改善されていると理解できる。もう一点を追加しよう。丘陵の風である。
小筆は七尾丘陵の一隅に居を構える。(自身の家ではなく、知り合い居宅を「宅借り」しているだけ)。その地は緑小学校とは離れる、グーグルで調べるとその距離およそ3kmほど。しかし緑と坂道は同じである。そして同じ風を身に受けている。

真夏では無理、真冬も風が強いからそれは聞こえない。時期としては秋の今時、気配が深まれば深まるほど、空気が優しく風は穏やか、好条件となる。すると聞こえてくる。
静かな秋の昼下がり、夕刻に掛けて庭に出て、茂みに踏み入り耳を澄ます。どこからか渡り来るは妙なるメロディ、耳に響くのはどこにまでも空に抜けていく、澄み切った子供達の声である。風が運んだその声を空に宿る天使の声かと信じてしまう。ほっと心が和むのはその響きの透明によるのだろう。

きっと練習室の窓を開け、日の差し込みを傍らに、緑の影に向かい練習に励む子供達が、吹き抜ける風に声を乗せ、それが森をわたり谷間を越えて、丘陵の高さで並ぶ陋屋(借り宅ながら)の庭先、地先に忍び込んでいるのか。声を揃え風にささやきき掛ける子供達の努力を聞いているのかもしれない。だから丘陵の風だって子供達を育てているのだ。
7連勝の裏方に坂道、木陰、そして七尾の風があったのかもしれない。子供達は日野の、丘陵の子供なのかもしれない。

写真:子供達の表情がすばらしい、日野の子だ。

さて;
小学生の合唱団ならば出先で披露するなど滅多にない。10月27日には日野市合唱祭が開催され、オープニングセレモニーを祝すると決まった。開催式はこれまでは出入りが自由、しかし今回にのみ「切符」が必要になった。切符は市販されない、聞くところでは合唱祭に参加する方々(団員と指揮者)に配られたらしい。しかし聴きたい市民の数はあまた、会場(市民会館、1000席未満)は大きくない。値段を付けない切符の価値がコネや友達関係で「プラチナム」化している。合唱活動で東京一盛んな日野市らしい現象です。小筆にあり平素聞き惚れている天使の声の現物を耳にしたいと願うけれど、合唱団にコネがないから無理である。
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神話から物語りへDu Mythe Au Roman 3

2019年10月19日 | 小説
(2019年10月19日)
神話の伝播とは登場人物、筋立て、伝意(メッセージ)が一部族から隣接族に伝わる事象に他ならない。

まずは本投稿のために作成したパラダイム変換の表を提示します。

この表(下に拡大図)が本稿の結論です。以下に記述を;

フィンランド学派(歴史学派とも)は似通う神話を群と設定し、登場人物、動物、挿話、筋立てなどを神話要素に分解し、それらの頻度を計測、比較して最も多くの神話に採用されている要素を神話原典と特定するとした(本書187~189頁)。
写真(本書188頁)で最外周は基本形式(月の妻、Arapaho娘が月に誘われ妻となる)、その内側にヤマアラシの逸話(ヤマアラシに変身した月が娘を誘う)を置く。この図からすると神話原典は「基本形式」で、伝播にあたり一部を除き多くはヤマアラシを採用し….と伝播流れをつかみ、民族分布など地理条件とあわせ鑑みて、神話と民族歴史を構築するとした。(らしい、全て本書からの孫引用。小筆・蕃神はこれ以上を語れない)

写真:神話学フィンランド派が提唱した神話伝播のメカニズム(本書188頁)

レヴィストロースはこの方法に異を唱える。
<nous pretendons prouver ici que les qutre variantes , a partir desquelles Thompson croit reconstituer l ‘evolution historique du cycle de mari-etoile , ne different pas comme des objets internes dont on se contente de reconnaitre l’extention inegale dans l’espace et dnas la duree.>(本書191頁)
トンプソン氏は引用した4の神話をもって、「月の夫」神話の歴史サイクルを再構築できるとしたが、それらは神話自体が内包するところの対象物(レヴィストロースが唱える登場者「protagonistes」、単なる形体)に他ならずその空間的(移動)、時間的(経緯)の差異である(歴史サイクルなどは無い)。

ではレヴィストロースの神話伝播とは?
前述した提題の解を求める事、そのものである。前述は;
1 神話とは、発展する物語とは何か?
2 神話を逸脱し、なぜ物語に向かったのか?
3 神話群が形成する「範囲」とは何か?
前回投稿の最終部<モンマネキ神話の連辞(syntagmatique)側面には浮き出てこないけれど、範列(para-digmatique)側面に一つの主張が宿り、M354はM130の反対(の範列)であり、その逆はあり得ない>の解釈がそれらの解決につながる。

神話の伝播とは;
神話とは3分節の表現形式であり、それら分説は「形式」と「思想」とが対峙している。。形式とは人物動物、筋道であり、思想とは人物(動物)に取り付く役割である。例えば八岐大蛇は「破壊者」、日本武尊は「建国者」など、神話思考においては人物と役割に一貫性がある(これは3分節表現の言語、音楽でも同じである)。第一巻生と調理の前奏曲を参考にして作成(2019年5月31日)したPDFを参照してください(GooBlogではリンク付けができません、あしからず)。

レヴィストロースは;
形式の伝播を重要としない。それらは「空間的(移動)、時間的(経緯)の差異」(前述)の範囲で変化するし歴史「サイクル」など抽象概念なる代物ではないから、規則性を持たない。故に指標として採用しない。では何が伝播するのか;
神話の思想が伝播する。
思想とは「Syntagme, paradigmeのスキームを神話の同類比較に用いよとのお告げ」であります。そこで本日(2019年10月19日)にSyntagme, paradigme表を作成した(写真)。
用語の解説
1 グローバリズム。SyntagmeParadigmeの座標の内側、神話思想の「総括」
2 Syntagme;共時性(syncronie)を持つから分析思考(raison analytique)である。
3 Paradigme ;経時性(diachronie)、故に弁証法の論理(raison dialectique)である。

図:上の写真の拡大。本投稿のために作成した神話群のグローバリズム、パラダイム変換(部族民通信のオリジナル)

前引用の神話(M391,M392、M393、M255、M362、M345)の神話総括は天体の創造(=周期性の確立)である。各神話に共通するsyntagme連辞、分析思考は天体の創造、日夜の交替...(以下は写真を参照)となる。paradigme範列、弁証法の論理は罪、罰、抵抗(反逆)、追放、昇天である。
一神話を取り上げ解釈の手助けに;
M362神話(前回の投稿では引用を控えた、部族民通信ホームページ食事作法の起源3に引用されている)粗筋をパラダイム変換すると;
罪:polyandrie(一妻多夫)で義務(醜い次兄との性交)を拒否した長兄の妻
罰:権利を求めた側、次兄が末弟に殺される
抵抗:(記述はないが「呪う」などの言辞が発せられたはず)
追放:呪われるは不快、故に末弟は死骸の脚を切って池に捨てる、胴体は木につるす
昇天:脚が魚の起源、胴体はオリオン座になる(オリオン座は脚無し男と伝わる)。
(なお伝承していたMucushi族は途絶えたのでPolyandrieを習俗としていたかは確認できない。もしMonogamie(一夫一妻)ならば長兄妻の罪は末弟(次兄を殺害した)との姦通となるが、この筋道はバナールと感じるので)
このparadigmeには連辞syntagmeにある「天体の創造、(日夜の交替は欠ける)、季節、年月の周期性(発生)」がすでに沈潜している。これが<連辞(syntagmatique)側面には浮き出てこないけれど、範列(para-digmatique)側面に一つの主張が宿り>(前回10月17日投稿の記述)の意味である。他の神話も上述のごとく、パラダイム変換は可能である。
ここに展開しているSyntagme、Paradigmeとそれらが形成する視野のGlobalisme。この中に位置を占める神話の塊を「神話群」とするのである。

神話から物語りへDu Mythe Au Roman 3の了(次回は21日予定)

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神話から物語りへDu Mythe Au Roman 2

2019年10月17日 | 小説
(2019年10月17日)

M391と同系統の神話を紹介;
M392 Kuniba族 転がるがん首と月の起源 本書75頁(Kunibaはアマゾン支流Jurua川流域に住む、写真を参照) 
誰と告げない男の問いを毎夜、娘が受ける。その夜、娘はgenipa(南米で用いられる紺色の染料)を男の頬に擦りつけた。
<Elle decouvrit ainsi que son amant etait son frere. On chassa le coupable ; pendant qu’il fuyait , des ennemis le tuerent et lui couperent la tete>翌朝、男は実の兄(frere)であると娘は知った。村人は罪を犯した者(le coupable男性であるから、罪は兄にのみ被さる)を追放した。あてどない彷徨いのすえ敵に捕まり首をはねられた。

娘は夜問いに来る男の頬にGenipa(染料)をこすった。翌朝、頬を紫に染めた若者は(写真はボディペインテングの例、ネットから)

弟(un autre frere)は兄を追って森に入り、首と果てたその姿を見つける。首は「背負って村に戻せ、水を呑ませろ、食物を出せ」ひっきりなしに要求する。耐えきれず弟は首をひどく打ち、放り出し村に逃げた。
転がりながら村にたどり着いたがん首、娘の屋(実家であるが成人の兄はそこには住まない)に入らんとしたが戸を閉じられ願いは叶わない。
<elle envisagea l’une apres l’autre plusieurs metamorphoses : en eau, en pierre, etc. Finalement , elle choisit d’etre la lune et s’eleva jusqu’au ciel en deroulant une pelote de fil. Pour se venger de sa soeur qui l’avait denonce, l’homme change en lune l’affigea de la menstruation>
<首は何者かに変身しようと一つ、もう一つと願いを巡らせた。水、石、その他いろいろ。最後にたどり着いたのが月だった。つなぎ合わせの糸をたぐり天に昇った。秘め事を村人に密告した妹(soeur)に復讐せむと月の障りを引き起こしたのだ。
月と女の月経の起源神話です。

アマゾン流域の部族地図 本書から

M393 Cashinawa族:月の起源 76 頁(同族はアマゾン支流Jurua川流域、先のKuniba よりも上流に居住)
対抗する2の部族。男が一人で移動するなか、敵のどう猛な戦士にばったり。逃げんとするが敵は彼をなだめ、さらに筒にあふれんばかりの矢まで進呈した。敵戦士の言い分は「我が家を訪ねてくれないか。実は、我が嫁は族外人にいつも首ったけなるのだ=afin de rendre visite a sa femme qui serait certainement ravie d’accueillier un hote etranger」妻の家とは女屋なので戦士夫は常には住まない。
有頂天になって髪に持ち合わせの鳥羽を立て、道すがら果実をむしって歯を黒に染めた(男が女に言い寄る正式な容体らしい。上下の背広に花束か)この後、男が敵陣女屋に立ち入る場での躊躇と衒い、夫である敵戦士に「励まされ」容姿を整える仕草などが続く。すっかり云いこめられた男は、戦士たるにあり得ない信じやすさに支配されている。それなら戦士失格。この見境無しが罪悪だと思わせる。そして敵戦士妻の<festin plantureaux>の饗応を享受した。<plantureux>は1に食物が豊富なる様、2に肉体の豊満なる意味を持つ。たっぷり食物を頂いたのか、豊満肉体を堪能したのかのいずれかは書き込まれてはない。小筆の邪推かもしれないがfestin宴会を「寓意」として解釈すれば、豊満肉体のもてなしを受けたもと読めるし、それが後の筋につながる。
帰路、男は敵戦士におそわれ首をはねられた。これが信じやすさの罰。
がん首ながら転がり続けて村に戻る。しかし村人からは受け入られない。この経緯は前M392と筋立てを同じくする。何に変身しようか、首の自問自答が最終の段に;
<Que vais-je devenir ? se demanda la tete. Des légumes ou des fruits ? On me mangera. De la terre ? On marchera sur moi. L’eau ? On la boira…>人間には戻れない、何になったらいいのか、首は一つ二つと変身候補を自問した。野菜あるいは果実?人に喰われてしまう。土、踏みつけられてしまう。水、呑まれる…以下;魚、毒流しの毒草、獣、蛇、樹木と数え上げるがいずれも人に役立つかさもなくば、嫌われ疎まれしまいに殺される。<La pluie ? Je tomberai, les rivieres grossiront, vous pecherez des possoins bons a manger>雨に?そうなると私は降り川に注ぎ、流れを太らせ魚が増えて、人がそれらを獲って食べるじゃないか…この調子で変身する身の先が決まらない。
<J’ai une idée ! De mon sang, je ferai l’arc-en-ciel, chemin des ennemis ; de mes yeux, les etoiles ; et de ma tete , la lune. Et alors, vos femmes et vos filles saigneront> <Pourquoi donc ?> demanderent les Indiennes effrayees. Et la tete répondit : Pour rien.>そうだ、これがいい。私の血は虹になる、敵がそれを伝わりやってくる。目が星になる。この首は月に変わるのだ。そしておまえ達の妻、娘らが血を垂れ流すのだ。閉め切っても戸板越し、聴いていた女共はおののいて何のためにと尋ねる。「何のためにもならないからさ」首が答えた。
首の希望通りに虹が架かり、敵の通り道ができた。夜になっては、この世で始めてのことだが星が瞬き、月まで空に上った。その夜から女共に月の障りが発生し、夫と同衾して子を孕み、10月10回分の経血が胚にたまると子が生まれる。女の仕組みができた。
首が予言した「何のためにもならない」とは経血の垂れ流しの事だが、それが女に周期性を授け、女をして人なりに文化を享受できる身分に引き上げたうえ、人の再生産能力(子を孕み産む)を保証した。月の御利益たるは大変なモノだ。一方でそれら女の周期性、再生産こそ「何の役にもたたないのだ」と断定するがん首の見解はそれなりの説得力がある。


もう一話、
M255 Mundurucu族:夏太陽冬太陽の起源 74頁(Mudurucuはアマゾン中流域に住む)
前段:敵部族は2兄弟を殺し首を狩り持ち帰り、壺口の上に置いた。兄は見てくれがよく弟は悪い。なぜなら弟は母(月)と近親姦に耽ったからである(frereとのみの記述なので兄、弟の区別は分からない)。首級は図体の大きな少年に見張られていた。
<il possédait des dons chamaniques et fut surpris de s’apercevoir que les tetes parlaient. ((elles se préparent a monter au ciel !)) cria-t-il a l’adresse des anciens. Mais tout le monde crut que le gros garcon mentait. 少年は魔術力を持っていた。しかしながら、首がしゃべるのには驚いた。大人に「彼らは空に上る準備をしている」と告げたが、皆は嘘と信じなかった。村人は髪を羽で飾り、頬を赤土で塗るなど首級に死化粧を施した。そして正午、妻を伴い首級は上り始めた。村人は矢を射掛けるがむなしくはずれる。妻(月)が懐妊して上り遅れた醜い首級を少年が捉え、目を抉った。
兄弟は太陽と月の子であった。天気が良い時は、見てくれの良い首の出番である。彼は夏太陽の表情を持つ。暗い日には見てくれの悪い首が出てくる。妻なる月も見え隠れする。これをして冬の太陽とするが、彼は醜さと目の空洞を恥じ入りすぐに人から隠れる。

M391~M255の4神話を紹介した。
いずれも天上の存在(月、太陽、主要な星座など周期性をもたらす天体)の創造神話である。似通いからして同類と見なすのは自然だがそれに論理というか、根拠を示さなくてはならない。
本書72頁に戻る。
M354(本書「食事作法の起源」の基準神話モンマネキの冒険)について<inexplicable sous l’angle syntagmatique, releve d’un paradigme ou il occupe, par rapport au mytshe sur la Chevelure de Berenice, une position derivee ; autrement dit , M354 inverse M130, non le contraire>(72頁)
モンマネキ神話の連辞(syntagmatique)側面には浮き出てこないけれど、範列(para-digmatique)側面に一つの主張が宿り、M354はM130の反対(の範列)であり、その逆はあり得ない。
Syntagme, paradigmeのスキームを神話の同類比較に用いよとのお告げである。ならば、その手法を駆使して神話群分類法を考えてみよう。次回をお楽しみに。
神話から物語りへDu Mythe Au Roman 2 了 (次回は19日予定)

なお本投稿の1,2を合わせて部族民通信通信HPに投稿しています。
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神話から物語りへDu Mythe Au Roman 1

2019年10月15日 | 小説
(2019年10月15日)
レヴィストロース神話学第3巻「食事作法の起源L’origine des manières de table」を引き続いて紹介します。今投稿では同書第2部「神話から物語りへDu Mythe Au Roman」を取り上げます。
過去の投稿ではこの2部には解説を入れていない。理由としては小筆(部族民通信・蕃神)の読み落としに他ならない。それと他の部、章と比べ、論調に違和を感じた。神話の紹介解析ではなく、神話群、神話叢の分析に入っているので、理解が(その時)至らなかったからである。(GooBlogでは投稿回数が多きに渡るが、部族民通信のホームページでは解説の「食事作法…3回」と「食事作法…続き2回」にまとめています。よろしく左コラムホームページをクリックしてHPにもブラウザを)

写真:2部の表紙、シャトーブリアンの文句が出ているがなにやら分かりません。


きっかけが最終巻「裸の男L’homme」。これを読んでいると「単純な構成の神話が伝播を重ねると複雑化する」現象が、目の下の頁と行間に書き込まれているとの実感にとらわれて、読み飛ばしたこの2部を読み直した次第となります。
本2部はページ数にして32、「部」としては小作りである。しかるに神話群の塊とは、伝播するとは…それを理解するに欠かせない。
それが伝達する中身は上記の「単純な神話…」です。その傍証に「転がりがん首」「太陽、月、星の創造」神話群を取り上げ、筋道、展開などでまとまる範囲と、「伝播を重ねる途上」でその範囲を超え「語り物指向」の奇想天外を濃く色づけた、面白くおかしな読み物に「逸脱した」神話を取り上げています。

がん首神話群の一例を紹介;
M391 Tembe族 転がる首
幾人かの狩人が森奥にキャンプを張り、日がな狩りにでる。大猟が幾日も続いて獣の首、皮、内臓がキャンプ場に転がり、まさに場に変わっていた。男達が狩りに出ている間は、少年が肉の燻蒸をう請けもっていた。ある昼下がり;
<Soudain, il vit surgir un inconnu qui inspecta le gibier d’un air mecontent, compta les hamacs et s’enfuit>突然見知らぬ男が浮き出るように現れた、獲物を調べテントに入りハンモックを数えた。その目つきには不満、怒りがこもっていた。
戻ってきた男達に少年は見知らぬ外来者の行動を語った。彼らは「作り事」として取り上げなかった。<Dans la nuit repeta l’histoire a son pere et il reussit a l’alarmer. Tous deux decrocherent leurs hamacs et allerent dormir dans la foret>夜になって少年は父親に先の話しを繰り返し、父に葉やっと事の重大さを気づかせられた。二人はハンモックをたたみ、一夜を過ごすため森に出た。
Peu apres程なくして
<ils entendirent des cris d’animaux nocturnes, des gemissements humains et le craquement d’os brises. C’etaient le Curupira et sa bande, esprits protecteurs du gibier , qui massacraient les chasseurs irreverencieux>
二人はキャンプ場から「夜の獣」の吠えと人の呻き、さらに骨の砕ける音を聞いた。Curupiraと配下の獣である、自然に不敬をはたらく狩人を殺戮する「獣たち」の守り神である。
一夜明けて、キャンプ場に戻った二人は血だらけ、凄惨な光景を目のあたりにする。転がる首級の一つが「村に連れ戻してくれ」と懇願する。父は息子を先立たせ、己は首を紐にくくり背負い込んで後を追う。しかし恐ろしさが先立ち、首を放り出した。それでも首は転がりながら追いついて願いつく。<L’homme pretexta un besoin pressant pour s’isoler ; il courrut plus loin et creusa une fosse qu’il recouvrit de feulles au milieu du sentier. Comme la tete s’impatientait, les excrements du chasseur repondire a sa place qu’il n’avait pas termine>
男は必要ができた(排泄行為)ので一人にしてくれ、首を置いて森に入った。走ってできるだけ遠くに来て、道の真ん中に穴を掘って葉を埋め込んだ(排泄後の作法)。待ちきれず追いかけた首が、葉もこんもり盛り上がった排泄穴から屎の「まだ終わってないよ」の声を聞く。
首は<Quand j’etais parmis les humains, remarqua la tete, les excrements ne parleient pas>儂が人間だった頃から屎が声を出すなんて事は無かったぞ(ヤツはこの穴に隠れているのだ)と穴に転がり込んだ。すかさず男は泥で穴をふさいだ。一晩中、首の泣き叫びが村に響いた。首は人食い鳥に変身して穴から抜け出て、始めに出会った村人を襲った。呪い師の一矢が鳥の目を右から左に突き抜いて、人食い鳥は死んだ。

転がるがん首神話に共通の筋道は;
1 発端は禁忌破りである(M391では自然との調和の戒めを破った「狩り過ぎ」)
2 首は人間界への復帰を願う。多くは出会った者、あるいは縁ある者に運ぶよう懇願する。
3 背負う人間に首は悪さを行う(食べ物を横取りする、背に排泄するなど。M391では恐怖を与える)
4 人は「首」を人間と認めず、人間界(村)に入る前に、工夫を凝らして首から離れる。M391ではあたかも屎がしゃべったかの仕掛けで男が首を出し抜いた(男が屎にしゃべらせる魔術を使ったとの解釈もありうる、なぜなら息子と二人してこの危機を気づく力をもっていたから)。屎するを言い訳とするほか、網を仕掛ける、ピラニア棲む溜まりに入るなどと首を騙して逃げる。
5 人間界に首は復讐する。復讐の理論背景を首が陳述する場も設けられる。
6 がん首は天に昇る。多くが月になる(M391では人食い鳥に変わるが、最終では月になるはず。神話語りではそこまで言及していないが)

ここで上記に戻り
1 神話とは物語とは何か?
2 神話群が形成する「範囲」とは何か?
3 神話を逸脱し、なぜ物語に向かったのか?
これら疑問が読者に湧くかと推察します。がん首神話、禁忌破りと復讐を骨子(armature)にとる神話を(次回に)幾つか取り上げ、レヴィストロースが主張する「範囲」をまず確定します。次回投稿は17日予定。

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数え方の思想、食事作法の続きHP投稿

2019年10月07日 | 小説
(10月7日)
同書の第6部(LaBalanceEgaleつじつま合わせ)を対象にしている。
数え方の思想をここでは論じている。

1 基本数詞による数え方。
1,2,3..と続け(10進法では) 10で終える。この数字は基本で分解できない。10を越えて11となるが10+1と合成されており、分解できる。基本数の合成と分解で20,21,22,...100、1000、万の位取りが加味され無限大まで数えられる。どんどん一方向に進むだけの数え方。また数詞には数量の概念が内包される、それ一つを取りだしてもリンゴ100ヶなどと意味が通じる。
2 もう一つの数え方は序列数、それぞれの数に数列での「序列」が意味づけられている。例として(小筆は)チュウ、チュウ、タコ、カイ、ナの数え方を挙げた。チュウもタコも1番、2番、3番...の意味のみを有し数量概念を内包しない。序列から取りだしたら意味が無くなる。美人3姉妹は伝わるが美人タコ姉妹は意味を成さず、要らぬ誤解を聞く耳に与えてしまう。また序列数は折り返し(やり直し)式になる。「ナ」で5に達したら、折り返してもう一度チュウチュウ...とやり直す。無限大を数えたければ、無限に繰り返す。(チュウチュウ...なる数えは今や廃れている。ネット諸氏にはなじみが薄いだろうから幼少の記憶をたどる小筆が実践とはを;おはじきの山から10を取り出すに用いる。チュウチュウと一の拍子に2個を摘んで山から分離し「ナ」で終わり、10を選ぶ。3ヶ摘んで15の分離も可能である)

以上が数え方の古典的理論である(レヴィストロースはこれを提唱するSalzman氏の名を出しているがネットでは調べられなかった)。しかるに彼は2点を追加した。
 
3 二通りの数え方には数量が仲介しているとした。前記で序列数には数量が無いとしたが、最後の折り返しで数量10を内包する。数えるのは5拍子だが2ヶずつなので10。この10と基本数の10が同数として対比する。序列数10には特別な力が含まれる。<la notion de decade nous a suggere qu’elle exprimait la plenitude>(288頁)訳;10日間(あるいは兄弟10人の単位など)10の数には充満、横溢の思想が籠もる。(途中の7,8,9などは数量の概念を帯びない。非特異点である)この力は基本数の10にも影響を与えている。
4 序列数10を特異点として、その形式は「力」であり、また「元に戻る」である。回帰であり周期性である。この周期性を神話に移して10兄弟の宇宙創造など神話が伝承された。

写真:10兄弟を揃え力みなぎるシャイアン族が同じく10兄弟の鳥と戦った図。本書から

HP本文中では「助けのバイソン婦人、太陽からみなぎる力を抜き取る」「10姉妹対10兄弟」など北米神話を引用している。部族民通信HPには左コラムのブックマークHPをクリックしてください。了

アラカルト(中野浩一選手20連勝を見逃す)
PDF(数え方の思考)を作成し本文にリンクを設けている。
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「料理作法の起源」PDFのまとめHP投稿

2019年10月04日 | 小説
レヴィストロース神話学第3巻「料理作法の起源」を「…続き」と合わせて5回投稿と成りました。次から第6章「BalenceEgale」に進むのですが、この章はこれまでと趣が異なります。そこでここで一旦、休止してこれまで作成したPDFをまとめ解説します。

計5葉を作成した。(PDFはブログでは反映されないので写真を2葉載せました。
1 文化の三重三角形
いかに文化の創成が偶然だったか。文化とは畢竟、火を使い狩りで獲った獣の肉を調理する事に尽きるけれど、そこにいたるまでの冒険(=ボロロ族英雄バイトゴゴ)が基準神話(M1)で語られる。それを三角形に置き換え、文化が成り立つ範囲を楕円で示している。
2 モンマネキ神話に見るパラダイム。
モンマネキは本書「料理作法…」の基準神話のヒーローで、M1神話を引き継いで「火と調理肉」だけの文化を充実すべく、孤軍奮闘する訳だが、同盟(婚姻が)一つも結べなかった。(解説した頁は  クリック)文化の偶然性に翻弄された英雄と言える。村から出奔して行方知れずとなりはてた。
1と2では文化の理念を追求している。
以降の3葉は代表的(それぞれが巻の基準)神話取り上げ、その概容を見比べた。
3 3神話の比較。
取り上げたのはM1(ボロロ族)とモンマネキ神話、アサワコ神話(クリック)である。それら概容の共通性を検分してください。

4 モンマネキと月の嫁比較。
横軸と縦軸を意識して比較分析した。横軸は共時、分析理性で「神話的理念」においての状況の分析。段階毎に孤立、同盟模索…などを提題として、行動し判定し、失敗(成功)に行き着きます。
5 M1神話、モンマネキ神話、月の嫁神話を取り上げ、それらが概要の相似と伝播の可能性を示している。このPDF表にして神話学1巻と3巻の結論であるかと考えています。

このPDFはM!~M3神話のまとめとなります(部族民通信オリジナル)

HP部族民通信にブラウザいただき、PDF全葉をご覧ください。(左コラムのブックマークHP、ないし部族民通信でググル)
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