蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

親族の基本構造の結語章11 心理学による近親婚禁止の批判4

2021年10月29日 | 小説
(2021年10月29日) 一方でフロイトにはしっかりした評価を与えている。
<Freud a parfois suggéré que certains phénomènes de base trouvaient leur explications dans la structure permanente de l’esprit humain, plutôt que dans son histoire ainsi, l’état d’angoisse…(563頁)
訳:時にフロイトは基礎的な「内象」を精神の基本部分から発生すると示唆する。例えば不安は…
この文の後に「自身が対処できる方策」と「状況が押し付ける圧迫」との拮抗から不安が発生する、乳児は状況への対応にあまりに無力なので不安を持つ(泣く)
<L’anxiété apparaitrait donc avant la naissance de super-ego.故に、思いやりは超自我の生まれる以前に備わる(超自我はフロイトが主張した自然に芽生える道徳観念)。
<Comme l’a supposé Freud, la chose s’expliquerait les inhibitions entendues au sens plus large ( dégoût, honte, exigences morales, esthétiques ), pouvait être < organiquement déterminées, et occasionnellement produites, sans le secours de l’éducation>(564頁)
訳:フロイトが想定したとおりで、心の踏みとどまりの拡大版(嫌悪、恥、道徳、審美)は教育を受ける以前に生態的に規定され、時宜を得て発現するかと思う。
以上の引用例は心理の中で系統発生の環境で発生したものと、レヴィストロースが示唆している。それなりにも人の心は系統を秘めている。

一方で文化環境での心理形成にも言及する。
<Il y aurait deux formes de sublimation, l’une issue de l’éducation et purement culturelle, l’autre < forme inferieure >, procédant réaction autonome, et dont l’apparition se placerait au début de la période de latence ; >(同)
訳:精神の昇華には2の形体があるはずだ。その一つは教育の賜物で文化の範疇である。もう一つは「内部」に隠れ、それが深層に潜む初期から、自律反応として現れる。
<Ces audaces par rapport à la thèse de Totem and tabou, et les hésitations qui les accom-pagnent , sont révélatrices : elles montrent un science sociale comme psychanalyse – car c’en est une – encore flottante entre la tradition d’une sociologie historique cherchant, comme l’a fait Rivers, dans un passe la raison d’être d’une situation actuelle, et une attitude plus moderne et scientifiquement plus solide, qui attend, de l’analyse du présent, la connaissance de son avenir et de son passé. >(同)
訳:トーテムタブーの主題と比べると大胆な取り掛かりながら、ふと戸惑いに迷い、結果は裏切るものとなってしまった。Riversが展開した歴史学的論法は(空想の)過去を採り上げ、現在状況を解釈する進め方で、これをフロイトが踏襲したから、より近代的かつ確固とした姿勢で今の状況を分析しかつ未来過去にも論を及ぼす、この社会科学の主流との間を、精神分析は、これも一つの科学である、さ迷う様を見せてしまったのだ。

教育(文化)の成果の部分と人に自然に生まれてくる部分、それらの複層構造が心理とする指摘は、フロイトの説に向けられている。この考え方と、レヴィストロースの唱える婚姻制度は系統(自然)と同盟(文化)の峻別から端を発する、この教えは極めて似通う。しかしフロイトはその説を発展させていない。近親婚の禁止においてはRiversが採った歴史の観点から説明を進め、また精神全般ではontogénèse説を彷彿させる決定論に傾いている。

本投稿の冒頭<Totem et tabouの失敗は著者がその説を託した筋書きには程遠く、むしろ展開するに戸惑いを感じている事が起因である>とは複層構造の精神分析に一貫しなかったフロイトのéchec失敗を悔やむ一文として理解したい

親族の基本構造の結語章11 心理学による近親婚禁止の批判4 の了
(2021年10月29日) 
お知らせ:次回は11月1日(月)となります。今年は武漢コロナ騒動に加え東京五輪を開くか断念かなど議論の喧しさに振り回された感をいだきます。月日のめぐりが例年よりも短かった。基本構造の結語章は「基本から複雑系へ」に続きますが、ここで一旦話題を替え、A.Weilアンドレ・ヴェイユによる「婚姻構造の数値分析」を数回に分けて紹介する。著名数学者が「婚姻」を群論にで数値化したとかつて(1960年代後半)話題になった論文です。表紙だけは出来ているのでご参考に。




次回の予告=婚姻の仕組みを「数学を用いて解析できないか」当時(1950年代)の数学重鎮(カルタンと記憶)に相談を入れた。その方は「心が絡む人の行動は数学では解き明かせない」と断った。ヴェイユWeilの知遇を得て打診し快諾を得た。どの著作かは思い出せないが、かく記憶している。Weilはアルザス出身のユダヤ系祖父を持つ。レヴィストロース祖父はヴェルサイのシナゴグの長老を務めるが出身はアルザス。こんな地縁と人種のよしみが、見事なコラボが生まれた背景かもしれない=
なお彼はフェルマー最終定理を導いた「志村谷山ヴェイユの予想」で著名。




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川田順造先生の文化勲章授賞を祝します

2021年10月27日 | 小説
渡来部須磨男からの寄稿。
令和3年の文化勲章授賞者に川田順造先生の名を見つけ、昨晩は嬉しさもひとしおでした。先生の日本文化への功績は文化人類学者クロード・レヴィストロースの紹介、構造主義の社会科学への応用など多くあります。それぞれが貴重、重要です。私(渡来部)として「悲しき熱帯」(TristesTropiques)の翻訳、出版はその白眉と高く評価されるかと思います。


川田順造先生(ネットから)


社会科学系フランス語の翻訳は大変難しい。語彙、文法、文章構成が日本語と大きく異なり、直訳では意味が通じない。同作品はポケット版で一冊497頁、先生はハードバック2冊分に訳しました。半分近くが訳注と解説に割いているかと思えます。これら解説に労力を費やしたか、14年かけて完訳にこぎつけたと聞きました。
この完璧性のおかげで読みやすく、理解しやすい珠玉の名訳を私達は手にすることが出来ました。
エピソードを。
私は学生の時、先生から1年間講義をうける栄誉を得ています。その時先生から一冊の本を借りました。写真(Social Structure in Southeast Asia, Murdock著)。まだ借り続けています。返しはぐれた理由はあります。
先生の講義の年(1967年)の後、私はフランスに留学してEcole Pratique des Hautes Etudesに2年在籍(1968~70)しました。先生がパリにやって来て食事をした記憶があります(1969年)。翌日にはレヴィストロースの公開講座(Collège de France)の予定があって、階段教室で同席いたしました。講義の終了で先生はレヴィストロースに近寄り、一言二言を交わしました。格好いい姿と記憶しています。
実は前の晩の食事で、先生はなんとなく暗かった。1969年は学生運動が激しかった年で、後に聞いたのですが、研究室に活動学生が入り込むなどの乱暴を働いた。69年の時点で大学を離れると決めていたのかと、今になって思い返しました。70年に帰国したときには先生は大学を辞めていました。本は返せませんでした。助手さんに「先生は 」と尋ねると、大きな施錠されたカバンを指し、これしか残っていないとの答え。書籍が充満して重い、移動できない、所有者の席は無いけど本だけは置いてあるでした。
受賞者の紹介で87歳と知りました。末永く研究を続けて下さい。


返しはぐれた本の表紙

先生の書名

(渡来部、2021年10月27日)

ついでに;
渡来部の留学顛末、レヴィストロースの公開講座の模様は
http://tribesman.net/epras.html
ブログでは
https://blog.goo.ne.jp/tribesman/d/20200204
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親族の基本構造の結語章10 心理学による近親婚禁止の批判3

2021年10月25日 | 小説
(2021年10月25日)<L’ontogénèse ne reproduit pas la phylogénèse, ou le contraire. Les deux hypothèses aboutissent aux mêmes contradictions.> (563頁)
訳:個体発生は系統発生を再現できない。その逆にしても然り(系統発生は個体発生を取り込めない)。2の説も同じ矛盾に行き着くのだ。
生物学用語のphylogénèseは系統発生。種がその形態にまとまるまでの生物歴史の有様を系統として表す。Ontogénèseは個体発生。個が胎として発生、生まれるまでの経過。個体発生が系統をなぞるとする説(1866年独ヘッケルが唱えた、以上はネットから)と合わせて用いられる。ここで生物学の用語と概念、それへの批判が唐突に出た訳でない、この仕組みを借り入れて心理の発達を「個体発生」として展開した(疑いが濃厚の)フロイトらに向けている。
深層心理、あるいは子の心理発達がもし汎人類現象であるならばその源泉は、ヒトなる種のphylogénèseの一端であり、身体や頭の形状と同列であると言える。それを個体発生の一現象と捉えることが可能。そして「あまねく人類は表層深層なる構造を備える心理を共有し」、その「表現」の様態や発達する段階を個体発生として基準化できる―このように展開できる。この「発生」を仮定しなければフロイト(ピアジェも)の説は根底が崩れる。
そしてこの「仮説」をレヴィストロースが破砕した。

人が子として生まれてもなおontogénèse個体発生がphylogénèse系統発生を引き継ぐ。フロイトが展開した幼児期、思春期、成人期などの発達段階が順次発生していく。
しかしこんな状況は想定できるだろうか;新たな心理段階が発生すると仮定する。特異を持つ個体群が創生され、人類の大半を占めたとする。例として「老人期」を想定しよう。特徴に「怒りっぽくなる」。しかし老人の「怒り」の性向は獲得形質ではなかろうか。なぜなら老人は美女(若尾様とか沢口嬢など)から相手にされない。加えITなど先端技術に無知だから社会から疎外される。ついにはヒガミ根性が湧き上がり怒りを抱え込むことになる。
ある心理学者がこの形質に注目し、発達の最終段階としてontogénèseに組み込む。ピアジェの青年期の後に老年期を設定する様なものだ。この性向は遺伝形質に遡ってphylogénèseの末端に組み入れられるのか、種の発達史を飾るのか。ありえない。
<L’ontogénèse ne reproduit pas la phylogenèse>(同)
訳:個体発生は系統発生を再生産しない。

レヴィストロースは人の発達する心理構造を定型化して、「 …génèse」などと生物学的に解釈する説は誤りと指摘する。幼児は成長するに従い意識も複雑化する、その複雑形体が段階で規定される(ステレオタイプ化)となると、個性あるいは国民性はどこに宿るのか。幼児の発達は社会、言語、教育に依存するから、文化現象としてそれを考えるが真っ当(生物形体などの生物学の発生論はより複雑と聞く。上記はあくまで心理学の一説である発生論の、社会学の立場からの批判と受け止めて下さい、ピアジェ批判として2020年5月ホームサイトwww.tribesman.netに投稿した、
その頁のアドレスはhttp://tribesman.net/finalepiaget1.html)

<On ne peut parler d’explication qu’à partir du moment où le passé de l’espèce se rejoue, à chaque instant, dans le drame indéfiniment multiplié de chaque pensée individuelle, parce que, sans doute, il n’est lui-même que la projection rétrospective d’un passage qui s’est produit, parce qu’il se produit continuellement.> (同)
訳:様々な個の思考の数限りない交錯が、種の歴史のなかに折り重なる舞台が設定されている、そんな場があるとする。そ の舞台でのみ人は「表現」を語ることができる。その表現とはこれまで種がたどった過去の振り返りの反照であり、舞台が繰り返し連綿と続くのだから。
舞台と訳したが人の「内象」である。その内に過去の精神遺産<passé de l’espèce=前文でのsuccessions historiques>が活動し、個の思想<pensée individuelle=corrélations du présent>が重なって人は「表現」身振りなり感情なり言動、を発露できる。Pensée思想は文化の脳髄結実です。それが人の「表現」を統治します。決して「発生」するものでは有りませんーとレヴィストロースが説く重い一文です。
近親婚の禁止を心理学的に説明する説の根本欠陥とは、人の思考と表現に文化、社会が与える影響を無視し、あたかも生物の発達段階がその起動因を生むとしたところにあります。

レヴィストロースの論法を振り返ろう。
1 自然は分割しない、横取りする(世代再生産の仕組み)
2 人の再生産には自然(nature)と文化(culture)の面が認められる。自然の成分は系統であり、文化の範疇の同盟allianceは人が配偶を選択できる(社会規則が定める)

フロイトらの心理を定型化(ステレオタイプ化)する学説に批判を投げるレヴィストロースであるが、一方で<L’échec de Totem et tabou, loin d’être inhérent au dessein que s’est proposé son auteur, tient plutôt à l’hésitation qui l’a empêché de se prévaloir,後略>
訳:Totem et tabouの失敗は著者がその説を託した筋書きには程遠く、むしろ展開するに戸惑いを感じている事が起因である。
「筋書き」を貫徹し「戸惑い」を抑えていたらフロイト説は真実に近づく。それらは何か。
<Cette timidité conduit à une étrange et double paradoxe>(563頁) 訳:この弱気が(フロイトの作品トーテムとタブー)に奇怪な二重の逆説をもたらした。
この弱気は前出の戸惑いと同一。その中身は次の文脈で語られる。

図は前回掲載と同じ

今回投稿の中身を読んでいただくと、フロイトらの心理解析の系統(自然からの発生、文化影響の否定)が理解できよう。

<フロイトは近親婚の禁止を(歴史学派と異なり)現在の視点から説明した。そして何故それが忌み嫌われているのか、そして無意識として希求されるのかを説いた。この点で成功を収めた>を前置きにして
<On a dit et redit ce qui rend Totem et tabou irrecevable, comme interprétation de la prohibition de l’inceste et de ses origine : gratuite de l’hypothèse de la horde des mâles et du meurtre primitif, cercle vicieux qui fait naitre l’état social de démarches qui le supposent>
(同)
訳:私は幾度か指摘しているのだが「トーテムとタブー」をして受け入れられない作品に貶める項目はいくつか数えられる。絵空事にすぎない男集団と原初の殺人、社会の有様を決める進展そのものが社会に内包されている論理の空回り。
同書の骨子となる要素であるが、これらを絵空事(gratuite)と空回り(cercle vicieux)と切り捨てている。Cette timidité戸惑いとした中身は「絵空....の2点」であった。この語は修辞で事実は「空想と破綻論理」との指摘に他ならない。 
<Le désir de la mère ou de la sœur , le meurtre du père et le repentir des fils, ne corres-pondent à aucun fait , ou ensemble des faits occupant dans l’histoire une place donnée>(同)
訳:母、姉を恋う。父殺し、そして息子へ蔑む、これらは歴史のなかでいかなる事実にも結ぶつくことはない。

親族の基本構造の結語章10 心理学による近親婚禁止の批判3 の了
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親族の基本構造の結語章9 心理学による近親婚禁止の批判2

2021年10月22日 | 小説
(2021年10月22日)前回は<具体事例を対象とし、経験をもととする論理は、時にそれらを学説として展開せむとする哲学者の「思い込みpressentiment」と結びつく。この一文はフロイトらの「勘違い」説を批判するとした。文の直後;
<A cet égard, l’œuvre de Freud offre un exemple et une leçon. À partir du moment où l’on prétendait expliquer certains traits actuels de l’esprit humain par un évènement, =中略=il était permis d’essayer d’en reconstituer scrupuleusement la séquence. >(562頁)
訳:この点に関してフロイトの著作は一つの例であり、教訓でもある。一つの事例をして人の精神の特定の動きが説明できると主張して、その結末までを巧妙に再現できると己を信じてしまう。
(leçonを教訓とした、前の「一例un example」の不定冠詞とこの語もune不定冠詞で用いられる。後ろ向きの語感が滲む。「反面教師」と受け取ると理解がなお速い。レヴィストロース感性とするよりフランス語での一般用法と受け止めよう。
フロイト著Totem et tabou批判に入る前に要点をまとめると;
1 近親姦忌避の未開人の心情は脅迫神経症患者のそれと類似する。またそれを希求する精神(母親願望)は小児的発達段階でもある。
2 精神は3の発達段階を有する。小児的自己愛。次が近親愛トーテム崇拝。3段階目は外界との交流。(著作を読まずネット情報の取りまとめ)

<L’échec de Totem et tabou, loin d’être inhérent au dessein que s’est proposé son auteur, tient plutôt à l’hésitation qui l’a empêché de se prévaloir, jusqu’au bout, des conséquences impliquées dans ses prémisses. >(同)
訳:Totem et tabouの失敗は著者がその説を進展させようとした筋書きには程遠く、むしろ展開するに戸惑いを感じている事が起因である。この躊躇は著作の最後まで継続し、前提としているところから導かれるはずの結論に至らなかった事実に繋がる。

<Il fallait voir que des phénomènes mettant en cause la structure fondamentale de l’esprit humain, n’ont pas pu apparaitre une fois pour toutes : ils se répètent tout entiers au sein de chaque conscience ; 後略>(同)
訳:以下を留意しなければならぬ。様々な「事象」が人の精神の根源構造から発生するとしても、一の「事象」にすべてが表出することはない。各個の意識のなかでそれらが繰り返し現れ、この過程に総体が認められるのだ。

「事象phénomènes」について。外部にあって個が検知できる事柄との理解が一般と思うが、それは第2義。<tout ce qui se manifeste à la conscience par l’intermédiaire des sens感覚を仲介して意識の内にうごめくすべて。Robertから>が一義。精神の内部現象である。「事象」では外部現象と受け止められてしまう、別語を探すと「心象」が近いけれど心の視覚あるいは感性の記憶の意味が強いから、誤りを伝えそうだ。「内象」こんな語は無いけれど、精神内で外界に呼応して意識として活動するとの意をこめたつもり、これを使いたい。
<内象は人の精神の根源であり、それをしてすべての精神活動の起因とするのだが、現れは一回限りでない。繰り返し現れ、この過程に総体が認められる>
フロイトの精神分析方法論を批判している(と解釈する)。
一の内象が一の外界のモノに呼応する。例えば母親を慕う心情は「小児的姦淫願望」と決めつける短絡を批判する。なぜなら内象の外界への呼応過程は「精神の根本構造」に源を持つから。思母心情は「根本構造」に還元されるべきである。それを幼児願望に結びつける作為はこじつけ。ここに「思い込みpressentiment」を指摘している。

<l’explication dont ils (phénomènes) relèvent appartient à un ordre qui transcende à la fois les successions historiques et les corrélations du présent. >(同) 訳:内象が依存するところの表現は、ある一つの規則に取り仕切られる。それは種の歴史継続性と、現在の連関に優越するのだ。
理解し難い1文だ。何をレヴィストロースは言いたいかと頭を捻るが、こじつけ総動員で頑張ろう!
Explicationとは口頭で表現するではなく、原因、理由の説明、釈明の義が強い(辞書では第二義。C’est votre erreur ! Quelle est l’explication ? これってあなたのミスね。釈明できる-がこの用法)。内象が根ざす「釈明」とは何か、そして釈明はとある規則性に結びつく。その規則が<種の歴史と、その現在の連関に優越する>と教えてくれるのだが。
内象を抱くとは(己の性向、行動などの原因の)釈明に繋がる。ある一つの規則とは文化、社会である。
段階に分けて整理すると;
1 外界に呼応する意識、記憶(phénomènes内象)
2 何故、そうした内象を抱くか、その仕組(explication)を顕にする
3 それは規則(文化)に属す

この文でレヴィストロースは、深層心理を核に置くフロイト心理学とは別個の心理分析をチラつかせている。それは社会学の立ち位置から心理を説明する学説である。
社会と規則が心理を抑制する。人が内象をいだきなぜそれを心に秘めるかの釈明(これがexplication心理、感情、行動です)は大元の規則(文化)に由来する。
婚姻をめぐる部族民の心理展開に、この解釈を当てはめる。特にexplication理由付けはどのように表出するかを推定しよう。

同盟する族民の娘を見初めた、これは内象。思い切って「ボクと交際してくれ」と言い寄る。これが釈明。同盟の娘を選び系統に属する娘には声をかけない。なぜならそれらを姉(妹)で呼び婚姻対象ではないと知るから。社会制度に規制される心理と釈明が見える。
人の行動は「種としての過去の積み重ね=生物学的要素」や「その現在の連関=個人的表現」に二分されるとしてphylogénèse(系統発生)、ontogénèse(個体発生)の語を割り当てている。特に後者は規則=文化の支配を受ける。フロイト的あるいはピアジェ的(精神発達論)発達心理への否定の文である。

前回に提示したパワーポイント図を再掲する。



図は見ての通りです。中央横線を画期としたが、自然(横取り)から文化(共有)への跳躍部分です。婚姻にあってそれは系統と同盟の結合であります。生物学では古くからの系統・個別発生論をグールドが復活させた、本稿では解説しない(できない)。心理の発達(ピアジェなど)は全ての固がその流れを経るのなら系統発生の理屈になるが同調しにくいレヴィストロースの意見を右に入れている。プルードンの無政府主義が文化から自然に逆行するのはご参考に。

フロイト、ピアジェらの心理学は人の心理の「機械的」発達を述べる。機械的とはすべての個の心理が発達するとの意味である。レヴィストロースが「それはphylogénèse系統発生なのかontogénèse個体発生なのか」と尋ねた(PenseesSauvages野生の思考)。レヴィストロースとしては論戦の概念を確認したかったのだろう。ピアジェから返事はなかった。
エディプスコンプレックスとは「発生原理」と関係がないとすれば、タダの色情狂か、すると病気だ、1000人に一人くらいだろうからことさら騒ぐ要はなしと判断したのかもしれない。

親族の基本構造の結語章9 心理学による近親婚禁止の批判2の了

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親族の基本構造の結語章8 心理学による近親婚禁止の批判1

2021年10月20日 | 小説
(2021年10月20日)<La propriété est la non-réciprocité, et la non-réciprocité est le vol… Mais la communauté est aussi la non-propriété, puisqu’elle est la négation des termes adverses : c’est encore le vol. Entre la propriété et la communauté, je construirais un monde>(同)
P-J.Proudhon、solution du problème socialからの引用。
Proudhon(1809~65年、フランス) は社会主義者、フランスの無政府主義の父と伝わる。生年月日は佐久間象山に近い。それほどにも時代が遡るが初版(1947年)時の思想界の風潮は、前世紀(19世紀)の著作であってもそれほどの時間距離を感じていなかったと解する。さて引用されている筆者が無政府主義者と分かれば理解が進む。
訳:私財は非相互的(誰にも渡さない)である。非相互ならばそれは盗みだ。そして共有財もあるとしているが、こちらも非相互である。なぜならそれは反義語の否定(誰にも渡さない訳ではない)に過ぎないから。己の財と見せかけ共有の狭間で、私はこの世界を創ろうとしているのか。(条件法を用いるから確定していない。それで「否、そうした世界など創造できない」の反語と理解する)

こんな過激主張を引用する目論見は何か。前文の自然再生産の仕組みとの接点を見出さねばならぬ。Proudhon文の前の一行は;
<on ne peut dépasser ces notions qu’à la condition de se placer sur un autre plan.訳:この考え(自然は「非分割indivision」と「横取りappropriation」=前引用)を理解するには立ち位置を替えなければならない>
無政府主義者が語る「財は盗み」とレヴィストロースの「自然は横取り」は、同じ思考を別の視点(sur un autre plan)で論評していると推し量れる。両者を取り持つ共通性は;

自然indivision:世代再生産で子は親に似る(遺伝財は非分割、連続性がある)
所有財:財の非分割性、財は盗み
文化division :世代再生産:同盟形成の規則、社会の創生
所有財:財を分断する(婚姻制度と交換)無限の共有(無政府主義)

と考えた。いかがなものか。パワーポイント図を作成した。



自然と文化の境界を画期とした。婚姻では自然=系統のみを選択する再生産に対して文化=系統の管理には手が出ない、同盟を選ぶ仕組みを制度化する。心理学(ピアジェの発達とフロイトの深層は系統発生か個体発生かをレヴィストロースは問うが、(ピアジェ)からは答えが無かった。そこでレヴィストロースの示唆する処を表に入れた。プルードンの無政府主義はよく理解するところではないが、自然(財の盗みのない)に戻れと言ってるので、逆向きにした。

レヴィストロースを読むとは脇道の小風景の清々しさ。聞いた事もない歴史に埋もれかけた作者の労作を垣間見る機会が楽しい。余裕をもって当たろう。

<Or qu’est-ce que ce monde, sinon dont la vie sociale s’applique tout entière à construire et reconstruire sans arrêt une image approchée et jamais intégralement réussie, le monde de la réciprocité que les lois de la parenté et du mariage font, pour leur compte, laborieusement sortir de relations condamnées, sans cela, à rester tantôt stériles et tantôt abusives ?(同)
訳:この世界とは一体、何なのか。命が活動する社会を除いては想像もできない。そこに一つの大まかな目標があって、それは親族と婚姻制度が規定する相互依存の世界に他ならず、それらをして呪われのあの相関から抜け出すべく、実現せむと目標に向き合いつつ、困難辛苦の重なりの果てで、いつかには総体としてまとまる。この苦難の過程で目標が成就されることになろう。もしそれができなかったら不毛と淫らさから抜け出られない。

レヴィストロースが上2の引用文で指摘するのは;
1 自然状態では人と人との相関が淫らに陥る。呪われた関係、社会構築を妨げる近親婚がたやすく発生する。
2 Proudhonが唱える無政府社会には私有財の概念が欠如しているから、女を淫らに消費する(abusives)。婚姻制度は消える、社会が崩壊する。自然に戻るとはそうした状態だ。
3 フロイト等が唱える精神分析の中身は、人の心理をphylogénèse(系統発生)自然状態として説明している。これをレヴィストロースは批判する。

心理学手法で近親婚禁止を説いた学説の紹介と、それらへのレヴィストロースからの批判はこれまで2回ほど投稿した。
1 フロイトの深層心理、エディプスコンプレックスへの反論(ホームサイトwww.tribesman.net 2021年2月掲載)
2 ピアジェの発達心理学の方法論への批判(ホームサイト掲載は2020年4月)
Gooblogにはこれら日付に至近月日に投稿しているので、左枠のカレンダーからお探し、ご訪問を。本章Conclusionの文はそれらに比べより精緻にして辛辣、かつ修辞表現の塊なので読み応えも一入。再度、取り上げるとした。

本章(Conclusions結語)の一文を引用する;
<具体事例を対象とし、経験をもとにして形作る論理は、時にそれらを学説として展開せむとする哲学者の「予兆pressentiment」と結びつく。すると物事はかく進展すると早合点し、かつ進展の有り様までを推測する即断に、その哲学者はやぶさかではない(562頁)上訳文の原文は>L’étude expérimentale des faits peut rejoinder le pressentiment des philosophes…>全文を引用しないが現在形と過去形で記述されているから、こうした事態が実際に発生している事実を示す。具体事例とは人類学で云えば祭儀、村落構成、親族呼称などであろう。心理学では心理の発露。これらは感知できるモノである。経験に基づく学説はこれら対象であるモノを経験論理に当てはめ説明する方法である。祭儀をしては先祖を敬う行為、村落の構造を身分制度に言い換える…など。モノをモノに言い換えている。モノを思考の構造体の中で主客転換していない。
フロイトは心理を表層に現れる表現行為と深層にわだかまる記憶との重層と見立てる。この説明はモノを見るに経験に基づく直感から生まれる学説、その一典型である。
「推測の即断」とは早とちりである。フロイト、ピアジェらを勘違い学説と批判しているのだ。

ここで留意するのは予兆, 原語pressentiment(phénomène subjectif)の意味合い。
予兆、前触れなどが当てられるが(スタンダード辞書)、原語の含意とは異なる。予兆は「必ず起こる事象の前触れ」が意義となる。しかしpressentimentには起こるか否かは不明ながらの仮想であり、「思い込み」が近い。上文は「哲学者はこれと思い込んで、それがとある事象と見かけで整合すれば、両の間に繋がりがあるか無しかは気に留めず、思い込みを動員し事象を都合よく解釈する。そんな哲学者も多いものだーこうした意訳に収まる。この一文はフロイト批判に発展するとして、否定的に受け止める。(2021年10月20日)
親族の基本構造の結語章8 心理学による近親婚禁止の批判1の了
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親族の基本構造の結語章7 機能主義批判 

2021年10月18日 | 小説
(2021年10月18日)Malinowskyの主張(前回15日)は「家族構成員はそれぞれが役割(機能)を受け持つ。父親は子への教育を遂行し(家庭内での機能)、子は恭順に。ならば家族混乱も避けられる」
さらに、
「家族という単位が族民社会で特定の機能を持ち己の立ち位置を確定する」とも語る。家族内で構成員それぞれが機能を持つなかで、世代を越しての近親姦に溺れると家庭が成り立たない。機能と遵守、これが禁止の起源である。
分かりやすい説明ではあるが、本当にそうなのか?
この説明はレヴィストロースが伝える「系統filiationを確定し同盟allianceを捜す。これが文化」とは異なる。Filiationは機能ではない。それ自身が使命として実在する。Allianceにしてfiliationと同格であるから、機能ではない。
さらにレヴィストロースは行為としての近親姦淫を論じない。「それはあるだろし想定するよりも頻繁かもしれない」と語るのみ。前向き。後ろ向きの色付けで取り上げていない。
禁止について「禁止される間柄と血縁の近さ遠さ関連はない」と指摘する。
同じ生物距離の近親でも「婚姻できる相手」と「出来ない組み合わせ」が対立する。交差いとこ婚を推奨する社会では平行いとこ(母の姉妹の娘、父の兄弟の娘)婚は禁止される。そうした社会では並行いとこを「姉妹、女からは兄弟」とする呼称を採り入れている。呼称は言語体系であるから、文化そのもの。婚姻をめぐり推奨する禁忌を設ける、このあり様の発生は文化であり、それをして社会の基盤であると述べる。
続けて:
<Il est fâcheux , pour cette thèse, qu’il n’existe aucune société qui ne lui inflige une contradiction flagrante sur chaque point.(557頁)
訳:この課題(子の教育)に対しては、それら指摘の各各に明確なる反対事実を用意していない部族社会など存在しないからこそ、(同氏の主張は)不快である。
指摘の各各とは父親が娘を教育するとか、その逆、母が息子に教育、あるいは兄弟姉妹が家庭内部の勉学で接近する状況を指す。族民社会において、家庭内にそうした機能を与える、これはあり得ないとするレヴィストロースの反論です。
形容詞fâcheuxは頻繁には用いられない。意義は「qui est une cause désagréable=不快を催す」かなり厳しい。それほどにも強く批判するレヴィストロース反論の根拠は;
(続く文節で)部族社会での子の教育の関心は西欧社会よりも高い。思春期、いやそれ以前には(男子の)教育は成人男子が教えを担う族民集団に託される。
<Les rituels d’initiation sanctionnent cette émancipation du jeune homme , ou de la jeune fille , de la cellule familiale>(同)
訳:成人式の祭礼が男子に時に女子から、家族の核の開放を祝福する。

教育主体は族内集団にあり家族内に存在しない。Malinowskyが想定する「世代、年齢を越えた教育場での接近」が家族で発生することがあり得ない。まして彼が現地調査したトロブリアンド諸島は通過儀礼(成人になるまでの試練)の過程(カリキュラム)がとりわけ厳しいメラネシアに属する。そこに幾年も滞在(一次大戦で帰国が延びた)した彼が、当地の風習ではあり得ない「家族教育」なる仮想を担ぎ出した。その無頓着にレヴィストロースが不快を覚えたと感じる。
蛇足:先住民社会では男子と女子が必要とする知識は全く別の様となる。男子は狩り、戦闘、用具の制作と手入れと実践。女子は採取農耕、被服家具什器のそれとなる。父親は娘に何も教育できないし、母と息子の間にしても同様。性差は知識の偏差を拡大する。機能主義から近親婚禁止の説明は全く辻褄が合わない。


バンジージャンプの起源はバヌアツ共和国ニューヘブリディーズ諸島にあるペンテコスト島で行われていた通過儀礼(成人式)である。(=文と写真ikipedia)。父はジャンプに怯える息子に「怖くないぞ」と励ますことはあろうが、娘に機織りの技法を教えられない。



批判の矛先は心理学人類学に向けられる。
心理学の手法による近親婚の禁止、これに対するレヴィストロースの見解は序章(introduction)でも展開している。解説をホームサイト(www.tribesman.net)で取り上げている。父に反発し母を慕う心情をオイデプスコンプレックスとする。これが近親姦の源であるとフロイトらが説く。
レヴィストロースの反論は;
ビフテキをレアーで食したい欲望はおそらく人類全個人が持つ、故に世間では食ってよろしいと認められている。もちろん正当な過程を経て食すべし。もし母と結合したいという劣情を人類の全個人が抱くなら、それを認めれば良いじゃないか。世の中に軋轢が一つ減る、社会が安定する。Laissez faire(気の済むままに)にしておけと。しかしながらこのように許す社会は存在しない。
「上下婚(親子たわけ)水平婚(兄妹たわけ)の禁忌は、ビフテキ喰いの推奨と異なる原理に支配される」。制度規則、文化の舞台である。親近の近さ遠さとは無関係の決まり、しきたりを制度に取り入れる文化である。結語章(conclusion)では序章と同じ論調ながらより洗練された言い回しを用いる。
そんな一節<L’état de nature ne connait que l’indivision et l’appropriation , et leur hasardeux mélange. (562頁)訳:自然状態とは「非分割indivision」と「横取りappropriation」のみで成り立つ。

「非分割」と「横取り」は換喩。
非分割の解釈は、前文が文化としての婚姻制度を語っているので、自然界の世代再生産について形容していると睨む。本書序章Introductionでは「自然は生物学的系統」(=遺伝)を管制するのみであるとした。「子は親に似る=レヴィストロース」が自然の法則らしい。世代をまたいでも形質が繋がる自然摂理を分断なしのindivisionと表現していると解釈する。では横取りappropriationは;
スタンダード辞典の第一義を取って横取り、横領を訳にしたが、これでは後ろ向きの語感を与える。Robertは<de rendre à son propre>。己の独自に戻す、より前向きに訳すと「自家薬籠中の物にする」。自然再生産で生物の系統は連綿と続くのだが、取り入れた遺伝情報が環境に適化すれば、それを種として「横領」否「自家薬籠中の物」にしてしまう。
進化の表舞台、メンデルと遺伝淘汰を語っている。
<hasardeux mélange偶然の混合、遺伝子の混じりで優勢者が>の語の意義もこの解釈が適切と教える(ようだ)。


親族の基本構造の結語章7 機能主義批判 了(2021年10月18日)
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親族の基本構造の結語章6 歴史人類学の視点 下

2021年10月15日 | 小説
(2021年10月15日)10月8日から連載している「親族の基本構造の結語章」は5回を数えるに至りました。皆様のご訪問のおかげと感謝いたします。前回(13日)は;

1 親族構造は社会そのものである
2 交換形体は2(限定、一般化)を数えるが、それらは排他性を持たず、両方式が混在する事例は多い。
を挙げました。

ここに疑念が;1 は受け入れるとする。それと2の整合が取れない。政治、経済を例に取ると、これは原則の範疇であるから、いずれかの一方に決まっている。とするしなければ纏まらない。例えば経済は資本主義と計画経済があって、政治は民主主義と独裁体制に分かれる。どれも排他的であります。経済を自由解放しているとする中国がいまも共産主義国家と分類されるのは、生産財(企業と土地)を国家管理としているからに尽きます。
同じく同国の例で市場競争を取り入れ資本主義の側面を見せるけれど、突然の株式専有(共産党による乗っ取り)あるいは活動制限(敵対勢力の収入絶ち)など計画経済の悪性(権力を握る者の専横)が根底に見えている。
民主主義、資本主義とは根底で相容れない国です。
2を認めると「あまねく部族社会に女の交換の形体は混在している」。すると社会を規定する主因にはなりえない、1が成り立たないとの結論がでてしまう。


写真は著作裏表紙のデジカメ、さる市図書館蔵。伴侶モニックとの2ショット。数多いレヴィストロースの画像でもこの写真のみが笑っている。日本からの招待で隠岐の島への観光遊覧、秘境の様が気に入った伴侶にしてやったりの笑みと勘ぐる。構造主義の論点から2の背反する交換様式が並立するワケを下に書いた。


そこで考えた;
レヴィストロースは構造主義を標榜している。考えの進め方を構造主義に合わせないと理解できない。その主義の基本は「見えているモノ」対「見えていない思想」の対峙である(構造主義とは何か?「猿でもわかる構造主義」などでの解説は部族民通信のホームサイトwww.tribesman.netにご訪問乞う。サイトに入ってリボンの哲学を押すか左上のGoogleサイト検索で「構造主義」で探すと行き着く)
親族構造と交換形体は見える側に位置します。いわば見えている規則。これが社会を決定しているのではない。それらはこれを生み出す「思想」の客体objectであって、思想が社会の本質をきめる。それは;


2の交換のいずれにも伴う「不等価、不均衡」の歪み。これが見えない側、すなわち交換するという実行為の思想です。限定交換を上げれば贈り手は女を贈るのみ、貰い手に利得を与えるだけ。女を貰ってもらった相手から(後に)別の女を返し貰うまでは不等価が存在し、不均衡が両者にわだかまる。
一般化交換では贈り手は交換巡回のはてに、貰い手の資格を得るのですが、巡回が閉まるまで不均衡です。(不等価交換の詳しい説明は部族民通信www.tribesman.netホームサイトへ)。これが「不等価、不均衡」部族社会の歪み、交換する行為に歪みの思想が対峙する。
両の交換とも「思想」に偏移は見えない。故に上記の2はあり得るのです。
またいずれかは不等価を解消せねばならない、この圧力(exigences)がアボリジニなど部族民社会の維持因となります。

北米(カナダ沿岸部)先住民の奇習ポトラッチを例に挙げる。
一部族が隣接部族に贈り物を捧げる。受け取った部族は価値を追加して、別の隣族に贈り回す。貰ったら加増して別部族に回し贈る。この順番を繰り返し、価値(装飾品などらしい)もウナギ登り。とうとう「これ以上の嵩上げは不能」となったら、ワリを食った(栄誉を上げられない)部族が贈品財貨の全てを海に捨てる。人々の意地の塊、財物は消えてしまった、族民を巻き込んだお仕着せ合戦が終焉する。交換の原理で流れを解析すると; 
1 贈る過程に不等価 2 貰えない不均衡 3 歪みを解消するために財貨を破棄。
1~3の過程で不等価、不均等の思想が族民社会の団結原理として働いている。

まとめると歴史地理の観点とは;1技術の進歩と社会の発展の法則、2婚姻の制度は原初の「限定交換」から進化した「一般化交換」に変容するとの視点。
レヴィストロース流構造主義による説明は
「限定、時に一般化、あるいは2の混在(Murnginの例)での不均衡をもたらす交換が社会を形成する。 交換の形態が進展しているのではなく、交換サイクルを単性とするか(贈った相手から貰う)、周回とするかは族民の選択」

機能主義人類学からの近親婚禁止説明の批判に入る。
Malinowski(社会人類学、1884ポーランド1942年アメリカ)による近親姦禁止の説明。
<La prohibition de l’inceste résulterait d’une contradiction interne, au sein de la même famille biologique, entre des sentiments mutuellement incompatibles, ainsi les émotions qui s’attachent aux rapports sexuels et l’amour paternel ou <les sentiments naturels qui se nouent entre frères et sœurs>(557頁)
訳:近親姦の禁止は、家族内部の相反する、相成りたたない感情に起因すると見られる。それとは父親としての愛情と娘への性的欲望、さらに兄と妹の間柄にまつわる、相反する感情である。
以下に続く、
<Ces sentiments ne deviennent toutefois incompatibles qu’en raison du rôle culturel que la famille biologique est appelée à jouer : l’homme doit enseigner ses enfants, et cette vocation sociale, s’exerçant naturellement au sein du groupe familial, serait irrémédiablement compromise si des émotions d’un autre type venaient bouleverser la discipline indispensable au maintien d’un ordre stable entre les générations : < l’inceste équivaudrait à la confusion des âges…後略(同)
訳:家族が社会に託されている役割とこの感情はけっして両立されない関連ではない。親は子に教育を施すであり、自然と家族内部でこの使命が醸し出される。しかしながら別種類の欲情が湧き出てしまうと、使命は取り返しつかない状況に追いやられる。世代間の安定した秩序を維持する遵守、恭順をなけなしにしてしまう。近親姦は年齢差の混乱に端を発する…

親族の基本構造の結語章6 歴史人類学の視点 下の了(2021年10月15日)
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親族の基本構造の結語章5 歴史人類学の視点 中

2021年10月13日 | 小説
(2021年10月13日)前回の最終行に引用される文(親族規則が社会そのもの)<Les règles de la parenté … lui-même>(562頁) は次の文に引き継がれる。
<Mais la société aurait pu ne pas être. N’avons-nous donc cru résoudre un problème que pour rejeter tout son poids sur un autre problème, dont la solution apparait plus hypothétique encore que celle à laquelle nous nous sommes exclusivement consacrés ? En fait remarquons-le, nous ne sommes pas en présence de deux problèmes, mais d’un seul.
訳:でもこの社会はそんな様態(婚姻規則が社会そのもの)でなくてもあり得たはずだ。故に我々(私、レヴィストロース個人)は(この反論を前にすると)近親婚の問題を解決したとは確信出来ない。問題とは、社会のすべてを別の(婚姻規則とは異なる)取り組み方に委ねたら、(私が)取りかかっている進め方よりも、試す価値をより強く持つかも知れないと反省してしまう。それでもこの点にだけは留意しよう、2が残るのではなく問題は1なのだ(=歴史と社会ではなく、社会のみ)(561頁)。

理解を深めるための鍵の語の2を取り上げる;
1 原則的立場:民族学人類学は社会を共時現象として仕組み、規則、構成を取り上げる。社会を時間の流れとして見る「経時」の視点は歴史学である。レヴィストロースはこの原則を貫く(Pensées Sauvages野生の思考のHistoire et dialectique章で明らかにしている)。

2「hypothétique」。名詞のhypothèseは仮説、あやふやな状態、未達後ろ向き語感がつきまとう。形容詞hypothétiqueは条件的、「試す余地が残る」さらには「確かめてみよう」より前向き姿勢を表す意味合いを感じ取る(個人的に)。Robert(仏語辞書)ではconditionnel条件的と同義。自説を検証するための前向き姿勢と見た。

3「problème」。第一義は解決すべき問題(question à résoudre)、第二義に結果に至るに困難な状況(difficulté qu’il faut résoudre pour obtenir un certain résultat, 引用はRobert)。
問題はこれだ(1=即物的)に対してこの問題の有様は明確だがそれを解くに難しさが残る(2=困難状況)。前者はモノ、後者は状態。ここでは後者、状態をとると上記訳の結論は<2の問題を抱えるのではない、2の問題が1の難しさに収斂されている>となる。この一の「難しい状態」がまさに前回投稿の<Les règles de la parente et du mariage…lui-même>(562頁)訳:親族婚姻の規則が社会状況の要に影響されるものではない。それが社会そのものなのだ=と重なることとなる。
すると;
解決すべき問題は2あるとする学説は、Riversが唱える歴史主義では、歴史法則と合わせ親族構造を上げる。すなわち「社会の発展につれて親族構造も変遷する、どの社会段階でどのような親族構造が紐付けされるのかを分析する」となる(本文を読み解いていた推察です。蕃神はRivers著作を読んでいない)
解決する手法1に収斂する。これが親族は社会構造とする学派、レヴィストロースの説く<Elles sont l’état de société lui-même親族規則は社会そのものなのだ>です。

<Nous devons donc nous refuser jusqu’au bout à toute interprétation historico-géographique, qui ferait de l’échange restreint ou de l’échange généralisé la découverte de telle ou telle culture particulière, ou de tel stade du développement humain>
訳:私として、歴史地理学的説明を 排除せざるを得ないと考える。その説明では限定交換、あるいは一般化交換をしてどこかの特定の文化と結びつけ、それを人類歴史の特定段階とつなぐ事になりかねないから。(532頁)
部族民蕃神が危うく落ち込んでしまう陥穽、アボリジニとカチン族を比べ文化の進化階段の位置と交換手順を歴史の色分けから決めつける。これは考える手順での誤り、婚姻制度に歴史を植え付けるのではない。婚姻が社会の基盤であると尊師が戒める。
続いて、
<Partout où l’échange restreint existe, il est accompagné d’échange généralisé, et l’échange généralisé lui-même n’est jamais libre de forme allogènes>
訳:限定交換の機能する地にても一般化交換が付随する例も珍しくはないし、一般化交換にしても限定交換を必ず排除する訳でもない。
限定、一般化の混淆交換はMurngin、Arandaなどアボリジニの親族構造に認められる。Murnginでは女を8のサブセクション間での限定で取り交わすと、子の交換は一般化になる。8サブセクを4の階層に組み替えして女を一般化交換に組み入れると、子の交換が限定となる。この仕掛けは前回のブログ投稿(2021年7月8日)Murngin族システム8で解説している。解析図(パワーポイント図)を掲載するので参照されたし。


Murngin族の交換体系


上図:女を限定交換する(赤の実線矢印)と子は一般化交換になる(弧の破線)。この流れを取らないと交換サイクルが成り立たない。


女を一般化交換すると子は限定交換となる。子を介在させて階層を形成し、その階層間で女を巡回交換(一般化)させる仕組み。黒のノンブル①~⑧、赤の①~⑧を追うと交換の仕組みが理解出来よう。子を介しての階層、こちらが自然で実態に近い(と思う)。

(図はホームサイトwww.tribesman.net ,Gooblogに既掲載、2021年6~7月 )

親族の基本構造の結語章5 歴史人類学の視点 中の了(2021年10月13日)次回は15日予定。
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親族の基本構造の結語章4 歴史人類学の視点 上

2021年10月11日 | 小説
(2021年10月11日)本書の最終章「Conclusion結語」は2の副章(passage aux structures complexes, 複雑系への道のり、les principes de la parenté親族の原理)に分かれ計43頁。近親婚の禁止への各学説の紹介と批判を骨格にしています。レヴィストロースは「その禁止とは親族構造のみならず部族社会制度の基盤」であるとの主張を展開します。
各学説とは機能主義人類学(マリノフスキー等)、歴史人類学、心理学(精神分析、発展心理学、フロイトなど)。それぞれが近親婚の禁止説明を学説を開陳するが、レヴィストロースの主張と大きく異なります。

歴史人類学;
「社会には起源があり制度活動の発展にあわせ、親族構造が発達してきた」との立場からこの禁止を唱える。しかし歴史発展から現在点(今の部族社会)を説明する立場を一切取らないレヴィストロースは、
<Au cours de ce travail, nous sommes constamment gardés des reconstructions historiques ; nous avons essayé de suivre le précepte de Rivers=中略=la nature du système de parenté dépend de la forme de la structure sociale, plutôt que des différences d’origine de la population>(527頁、本章基本から複雑への書き出し)
訳:この著作を通して、私は歴史を再構成する姿勢から身を遠ざけていた。Riversが直感としていたところ、すなわち親族システム本来の姿は、民族の来歴の差異に宿るのではなく、社会構造の形態に依存する、この流れを追求してきた。
追加;動詞garderは他動詞「何々を守る」で用いられる。上文は自動詞で「身構える、なになにから身を守る」と意味が正反する。Riversは英国の「医事」人類学者(1864~1922年)、オックスフォード学派の祖ともされる(ネットから)。活躍時代はかなりの以前、21世紀の今は取りあげられていないかと思う。

続く文章で;<notre tentative nous ait conduit à nous limiter à la considération d’une région du monde , vaste mais continue et aux frontières aisément définissables. Dans la direction ouest-est, région s’étend de la Sibérie orientales à l’Assam >(同)
訳:我々の目的を持って、対象地域をある程度広大であるが隣接地との境界を無理なく決められる地域に限定した。東シベリアからアッサム、西から東へと南下する地域である。


写真は本書529頁から


黒の斜め実線はビルマカチン族、中国(少数民族)、満州先住民、シベリア先住民を結ぶ。これら民族はある程度の人口規模を持ち、封建制、複層の階級制度で構成される。一般化交換と女を値踏みして買い取る婚姻制度が共通している。
この軸と別の軸が想定されておりオーストラリアとミクロネシアを結ぶ。その軸域においては少数の族民による狩猟小規模農業を営む部族社会が居住する。この域では主として限定交換が実践される。この軸が上記、東アジアの黒線と直角交差する(青の実線、本書の元図には描かれていない)。
2の軸とそれらが覆う地域における社会と部族、その「進化度」は確かに存在する。そして前記の<社会構造に婚姻が規定される>のRivers説を重ね読むと;
まずオーストラリアミクロネシアの「原始」的な小規模の部族社会があって、そこでは女のやり取りは限定交換でもってする。農耕など技術の発展にあわせ集落は大型化、複層化をたどる。伴い女交換の仕組みが一般化に移行するーと考えてしまいたくもなる。なぜなら;
アボリジニとカチン族の生態を見比べれば、アボリジニは小規模集団で生活する。「進化未発達」の地域。カチン族では比較すると大きな社会で、限定交換を抜け出し(より多くの支族繰り込める)一般化交換に移行したと勝手に納得してしまう。
風俗などで両者を見比べるとこんな直感にも無理がない。
(下写真はカチン族=左とアボリジニ族=右を比較した、いずれも若々しいお嬢さんです。ネットから)


レヴィストロースはそのように説いていない。
スライドは249頁写真を図にしました。

ムルンギン族を限定と一般化の中央に置いている

交換の原型は「半族moitie」社会。原型とは歴史での古形と捉えず親族思想の起点とすると理解が速い。
AとBの半族集団を想定する。それは家族の系統(filiation)、あるいは大家族かもしれない。支族として幾つかの家族系列を擁する村落かもしれない。内部通婚を禁止する外婚(exogamie)を規則とし、これら2集団が対峙し女を交換しあう。これをして半族社会。
図では半族から左右に系統が分かれ左が限定交換、右は一般化交換。この図の注釈を読むとClassification分類とある。縦の矢印がhistoire、évolution(歴史、進化)を現している訳ではない。時系列として発展が実際にはあったかもしれないが、社会の変化と婚姻制度が並走するとはしていない。この考え方は理解しにくい面を見せるが、それが彼の認識論として受けとめる。

部族社会はこのように分類されるとレヴィストロースは説明するのみです。
左限定、右一般化を差し渡す中央にMurngin族の婚姻構造がある。投稿子は当ブログ及びホームサイト( www.tribesman.net )にて同族交換体系を8回通しで解説している。8のサブセクションで女を限定交換し、それらを4の階層に組み替えすると一般化交換に変化する。2の交換原理を共存させている。中央に位置する意味が、二種の仕組みを取り入れている制度からと納得する。ここでは社会進展と婚姻制度は並走しない、レヴィストロースをさらに聞こう;
<Les règles interdisent certains types de conjoints, et la prohibition de l’inceste qui les résume toutes , s’éclairent à partir ou l’on pose qu’il faut que la société soit>
訳:特定関係にある男女の婚姻を規則として禁止する。近親婚禁止の原則がまず決められ、それら規則はすべて取り込まれる。社会はかくあるべしと人が決めた時点で、これら規則が現れるのだ。(561頁)
族民が年月を費やして婚姻制度(近親婚の禁止の仕組み)を練り上げていく。社会がその制度を反映してゆく。歴史人類学が伝えるところの、社会の発展に合わせて近親婚の禁止が規定されたーではない。

親族の基本構造の結語章4 歴史人類学の視点 上の了
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フランス語キーボードに挑戦、そして自滅

2021年10月09日 | 小説
GooBlog (2021年)9月14日に「アクサンを正しく表す」を投稿した。そのあと幾つかの雑文を投稿した。それらはフランス語アクサンを正しく表示している。これで長年のもやもや感が取り除かれた。しかし若干の不具合を残す。
今の手法は日本語/英語(半角/全角)のキーボード。これで英語でフランス語らしい語を打って、フランス語の校閲(rédaction)を起動させる。多くは正しく訂正するが幾つかの誤りを訂正しない。où(場所を示す関係代名詞)としたいところou(もしくは)のまま。 à(場所の前置詞)としたいがa(所有するの3人称単数)のまま。parante(女親)はparenté(親族)に変換しない。打ち込みからアクサンを付けたら解決と考えて、フランス語キーボード(アプリ)も導入した。

ここまでのインフラは;
1 フランス語の導入(Win10タダ)
2 Officeをフランス語にした(Office356タダ)
3 フランス語キーボードアプリの導入(Win10タダ)総予算は350円(スライドで説明)
*注意:officeは後から導入した言語がデフォルトになる(ようだ)。Word,PowerPointなどを開けるとリボンがフランス語化する。
注意2:それでも日本語英語の変換ソフト(IME)は動くからWindowsキーとspaceキーを同時に押して選択する。
3:2が効かないケースがある。切り替え可はWin10からの機能のようで、それ以前のOSでの保証はなし。それ以降だって危ない(Winにはdegradeがある)。するとその個体は半角/全角の切り替えが出来ない。日本語が打てない。

以下はスライドで、













フランス語キーボードを手に入れればマシになる。しかしキーボードには相性が厳しい。20年落ちのIBMT60をいまだ使っているのはこのKBの打ち込み感が好きなため。下手に購入して銭失いになりそう。オシマイ(10月9日)

広告:「基本構造の結語章」の紹介は絶賛訪問、熱烈愛読されています。第4回は10月11日月曜です。自ら読んでも草稿の段階で絶品だね。マタキテネ~。

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