蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

Office365のDictate機能は使えるか?下

2023年04月30日 | 小説
(2023年4月30日) 文章を読んで文字起こしして、校閲させて(ワード « vérification » 機能)ハードな紙の説明資料にする。それを « lecture » 読み上げさせてマイクで拾えば動画が完成する。小筆(部族民蕃神)はワードを多言語化(デフォルトの日本語英語に加えフランス語)しているので、フランス語での « vérification » のみならず « dicter » « lecture » が可能となる。仏語文献の紹介には便利。

Office365と2016、2021を比べると、これら便利機能のすべて揃うのが365のみ、これは「サブスクリプション、年間契約」でしか手に入らない。以前から使っていた2016には « vérification » しか入っていない。 « verifi… » と英語で打つと仏語の校閲が働いて赤の波下線が入る。カーソルを当て左クリックするとvéri …に変換してくれる。当たり前の機能で珍しくもない(実は以前2020年までは仏語を導入してなかったので、この機能は使えず、間違いだらけの文章をSNSに発信していた)。
読み上げは2021で標準化されている、部族民は大枚とは言わずも、それなりの代価を支払って購入し、ラップトップを2016から乗り換えたが、肝心の « dicter » が入ってない、使い始めて気づいた。もう払っちゃった、すでに遅し、同一個人であればOfficeは2台のパソコンにインストールできるけれど)もう一台のデスクトップにはインストールを見合わせた(。
デスクトップ側はコアの2016を残し、期間限定の365仕様に収まっているから、上記文字起こしと校閲、読み上げが当面は可能である。

作業性の観点から365を価値を探ると;
これまでは書物の頁と手元キーボードを見比べて平打ちしていた。この作業は文章を暗記してキーボードを打つ「ただの」単純作業、小筆には苦手でした。一方、文字起こしでは読んで校閲をかければ粗く訂正される。粗くの意味は、仏語校閲は多くの場合àと出さずaとする、aiméをaimerとしてしまうから、文章語句の下層水準に立ち入って精査し、変換ソフトを仏語打ち込みに切り替えて、à, é, ù, îなどを手打ちする。ここまでの手間、時間がかかります。単純に経過時間の比較であれば平打入力のほうが短時間と言えそう。
利点として発音の癖、誤りを治せる効果が挙げられる。

1~2日の経験ですが狭いウ(jourのウ)と広いウ(œuf のウ)、さらにはもう一つのキツ目のウ(un peuのウ)。これらの区別が曖昧だった。さらには狭いアの鼻母音(ainsiのアン)と広いアン(unのアン)、暗いアン(angleのアン)それらもいい加減に区別していた。日本語のウとかアンに元戻りしていたようだ(仏語のウは舌の位置を奥にして口先をつぼめ具合に前に出す、鼻母音のアンには口を開く、口を前に出す、舌を奥に抑えるーなどの発声の差があるけどすっかり忘れていた)
今のところタダで仏語発音のパソコン教師を雇っているとも言える。

かく考えを巡らせ « lecture » に加えて« dicter » を日常作業に組み入れるに利点は多い。課題が出費です。



"Le Bleuet de France" フランス矢車菊会は戦傷者の支援団体。第一次世界大戦は被害を被った戦傷者救護を目的に、1918年に発足した。名の由来Bleuet矢車菊は、いまだ戦友が眠る荒廃した戦場の地面から矢車菊が咲きそろったことに由来する。
♪Je vais raconter l'histoire du grand amour d'un petit bleuet, qui etait une douce gargarite...♪ (マーガレットと矢車菊 小さな矢車菊の立派な恋の話をする、もともとはマーガレットだったのよ...Patricia Carli 歌)


WebでマイクロソフトHPに接近すると私の需要に適合するのは365Personal、一人ユーザーが5台のデバイス(パソコンは2台)で使用できる。小筆はパソコンを複数台持ちその日の気分によってラップトップにしたりデスクへと使い分ける習性を持つ。それは叶うが支払いは年間おおよそ1万3千円(税抜価格)。高いと撥ねるか、安いと受け入れるか、ここが思案のしどころ、懐具合が判断の要。
高いと切り捨てるには未練が残る。月にして1000円+、この程度の無駄出費は月には幾度も経験する。外食でそこいらにある安食堂でラーメンのチャーシュー大盛りに餃子をつけたら1000円を越すでしょう。ラーメン餃子を諦めて業務スーパーでパックおにぎり(2個で120円)に食い詰めるたらOffice365が払える。
コロナ以前にはアテネ・フランセ(東京駿河台)に通っていた。年間3期を受講すると交通費など含め¥150Kの出費。それと比べると格安です。学校の講義とパソコンアプリを比べるのは乱暴だが、今のところアテネ・フランセに再登録は考えていないから(哲学系の講座が無くなった)、仏語を喋る機会は殆どない。やっぱりサブスク申し込むかと血迷う。微妙な価格に納まっているだけに悩ましい。

無料の365改版の期限は本年10月15日、その時に決めればよろしい。今年も夏の酷暑が予想される。無事に暑さを越して秋にも生きていたら考えます。
Office365のDictate機能は使えるか?了(20234月30日)

追記:Office360の追加機能はクラウドストレージ、Teams、スマホとの連携など機能強化が他にもある。部族民はこうしたWeb空間、グループでの情報共有などの効果を判定する立場にいない。皆様各自でこうした側面を評価してください。
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Office365のDictate機能は使えるか?上

2023年04月27日 | 小説
(2023年4月27日)マイクロソフトのオフィスを文章打ちに使っている。Versionは2016、この版が昨年中半ころ(時期ははっきりしないが)にOffice365に看板替えした。私(蕃神)がマイクロソフトサイトに接近して365を盗み取ったのではないし、使えているからは悪意ハッカー乗っ取りではないとタカをくくって、定期のバージョンアップにマイクロソフトが部族民の2016を弄ったかと判断した。ワード、パワーポイントをそのまま使って半年ほど経過。


三列上のマイク記号DicterがOffice365の(にしか無い)Dictation機能(音声で文字起こし)これを使ってやるかと部族民(蕃神)が考えた

ワードを開けると上リボンのホーム(仏語なのでAccueil)にDicterなるボタンが見つかる。Dicterとは文章を発音して書き取る作業、これは使えそうだと判断して、マイクを差し込みアプリを起動しとある一文を読んでみた ; 確かに仏語らしき文字が起こしされている。



129語のうち13語10%の誤り、多すぎる。これでは使えない、せめてインフレ目標にあわせて2%を狙えと猛省せざるを得ない。間違い点を洗うと;
2 solutions à une main. はune même
haut de raie は degré gの発音が弱すぎた(マイクのせいかな?)
proximité. Approximative =言い間違い、言い換えた発音があとに続く
Saint de はsigne=言い間違い、言い換えた発音があとに続く
de ne peut voir rester はpouvoir ウーを狭いウで発音した
étaient en cours はencore 広いオをウーといい間違えた
les biens et son potentiels はessentiels 完全な発音間違え
à bon échéant escient 余り用いられない語(古語)=à bon escientで適当にらしい=発音できなかった
les tranchées はetranger ジェをシェと言ってしまった

訂正して以下の文章に仕上がった

(テキストは親族の基本構造の最終、結論から)

時間にしておよそ90分、
ではこの機能は使えるかどうか、次回をご期待、上の了(4月27日)

追記:部族民、実は上位版のOffice2021も用いる。しかしこちらはOffice365への切り替えはないから、Dicterボタンは見当たらない(少しがっかりした)。365に上位改版するのはマイクロソフト社の好意ではある、2016のみが対象で2023年10月15日で切れると聞く。拡販戦略につながるかと勘ぐる。その365が切れた後はコアに持っていた2016版にもどる、DicterもLecture(読み上げソフト、Youtube動画で重宝している)も打ち切られる。それが嫌ならば365をサブスクリプションしなさいーとのご託宣を(ネットで)受けるのだが、年間約1万2千円。10年使えば12万円。これを高いとするか安いと思うかーこのあたりを次回に。
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妻問いは月を読む、万葉集に探る色恋 下

2023年04月24日 | 小説
(2023年4月24日)十六夜から更待月までが妻問いの好機―と前述した。満月前となれば三日月は光量が少ないから無理だろうが、上弦の月なら妻問いできるかを考察すると;
行きは月明かりで路も踏める。久々の逢瀬だから用が済んだらさよならは無情。積もる話もあるだろうから、幾刻か居残ると帰りは未明となる。しかし月すでに落ちている。月齢7夜の上弦の入は零時30分ほど。まだきは暗いからって朝帰りでは近在に見つかってしまう。十夜月の入は3時、13夜は4時半、後朝別れは、帰りの道のりもあるから2時、3時。もっと居続けしたい、させたいの未練は残る。欲に絡む情けが色恋、愛が果ててもしがらみは消えない。
やはり、満月前は妻問いに適さない。

満月では日没と同時に月が出る。夕が昼の明るさのまま続く。人々の戸外活動もそれなりに頻繁。うっかり「月の明かりもいい塩梅」と満月の妻問いを敢行しようものなら、物見高い近在に見つかってしまう。一旦の闇にとぎれて人が皆、屋にこもる夕べの端か夜半に出れば、老婆詮索の目から避けられる。


写真は寝待ちの月(ネットから)


♪ぬばたまのその夜の月夜今日までに
        我は忘れず問いなくし思えば♪(702 河内百枝娘子)
拙訳:あなたが来た(問いに訪れた)あの月夜を忘れていません、もうあなたは来ないのですから。
ぬばたまは月の枕詞、この語に煌々とした月を小筆は思い浮かべる。となればイザヨイか立ち待ちの月であろう。月明かりの晴れ晴れしさと、もはや妻問いされない女の寂しさを対比させている。

♪夕闇は道たずたずし月まちて行(いで)ませ
我が背子その間にも見む♪(709 豊前国娘子大宅女)
拙訳:夕になった途端はまだ闇ですから道は難儀します。月の出を待って「出でませ」(私、門に出て大事なあなたを)待ちますわ。 
立ち待ちの月か。「その間」は、あのあたりで見えてくるとの意。岩波の文学大系では「帰るのは月が出てからにしてね」と注釈するが、すると「背子殿あなたは昼来て夜帰る」になる。妻問いは夜這いの源流なのでこれはない。行ませを「いでませ」と読めば、月が出てから来てねとの意味合いがついて、妻問いの正統、夜の問いから外れない。

♪み空行く月の光にただ一目
相みし人の夢にし見ゆる♪(710 安都扉娘子)
拙訳:読んでの通りの意なので解釈しないが、「月の光」が効いている。妻問いがあったのだ、しかし一回だけだった、その後、幾月幾年、今でもあの月あのお方を思い出しているのよ。「月の光」の意がずばり逢い引きに喩えられている、換喩の修辞。

もう一首、
♪この月のここに至れば今かとも
          妹が出で立ち待ちつつあらむ♪(1078)
拙訳:月があの高さになっているから私が道のり途中だと分かっている、妹(イモ、妻問い相手)は門脇に立って今か今かと待っているだろうな。
男は月の出に合わせて出立した。月の登り具合が男の歩みの時間の経過、待ちつつ月の高さも気になる立ち待ちの心境を歌にした感があります。
月の呼称を女の待ち姿に例える風雅、万葉集が伝える妻問いの恋愛景色は今も変わりません。女は今も男を待つ、

♪~あぁ~日本の何処かに私を待ってる人がいる~♪(山口百恵歌) 

妻問いは月を読む、万葉集に探る色恋 了(4月24日)
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妻問いは月を読む、万葉集に探る色恋 中

2023年04月23日 | 小説
(2023年4月23日)万葉の古代、人は夜には出歩かない。夜に訪問する風習なり儀礼を庶民は持たない。あえて語れば夜の合戦が中世絵巻物に伝わるが、庶民とは別の事情。唯一の例外が「妻問い」。
闇夜に人は野を渡れない。月夜には足元が見えるから通い慣れた道ならば、邑落の目指す一屋に辿り着ける。男も女も月を読み逢瀬の頼りの月明かり待つ。月読みは色恋の習いでした。

♪照る月を闇に見なして泣く涙
           衣濡らしつ干す人なしに♪(同690)
拙訳:月が照っている、妻問いには最高の明かりなのに私には人が通わぬ闇の夜。何故って、かのお方はやってこない、涙で濡れた衣を乾かすあの方はもう来ないのよ。

蝋燭灯した提灯が足元を照らせば闇夜も安心、これは正しい。
万葉の古代は夜の明かりは蜜蝋である。国内生産はなく唐宋からの輸入頼りで高価であった。皇室付属の主殿寮が管理する舶来物として「燈、燭」などの記載が残る。この燭とは蝋燭だった(Wikipedia仕入れ)。ハゼ木から蝋を採取したと聞くがそれは江戸中期以降、そのハゼ蝋にしても、高価だったと聞く。松明。篝火に適した生松枝を手に入れた処で、松明をめらめら焚いて妻問いをかける無作法者はいません。そんな妻問いしたら断られてしまう。
高貴諸雑を問わず妻問いは灯りなし、人に知られず月夜に通うが作法です。


舶来の蜜蝋ロウソク端超高価、江戸初期から普及したハゼ蝋のロウソクは光芒も大きく実用に耐えるが、こちらも高価(写真はネットから)


古事記に起源が記述されている。
>美しい乙女活玉依姫(いくたまよりひめ)のもとに夜になるとたいそう麗しい若者が訪ねてきて、二人はたちまちに恋に落ち、どれほども経たないうちに姫は身ごもります。姫の両親は素性のわからない若者を不審に思い、若者が訪ねてきた時に赤土を床にまき、糸巻きの麻糸を針に通して若者の衣の裾に刺せと教えます。翌朝になると糸は鍵穴を出て、後に残っていた糸巻きは三勾(みわ)だけでした。糸を辿ってゆくと三輪山にたどり着きました。これによって若者の正体大物主大神であり<
(大神神社HPから転載)神社縁起は妻問いでした)

それでも月夜は巡る ;
十八夜:居待ち。闇は昨夜よりは長いから立つままは疲れる、門脇から先に出て道端石に腰掛ける。月が無いうちには来ないと知るが、ここで待てば来る人の急ぐ影が真っ先に分かる。
十九夜:寝待ち、臥しても寝ずに待つ。外に出たとて長待ちになるから気が急くだけ、布団にくるまるか。「寝待の月の山の端出ずるほどに男のいでむとする気色あり」(かげろふ日記、岩波古語辞典から)この夜の月の出は十一時近く(兵庫県、4月)男が月の出を待ち望んで出立する様をまさに綴ってある、わざわざ「男の」とあるから目的は女、妻問いと決まっている。
二十夜:更け待ち、夜が更けた。待ちくたびれて寝入ってしまい、夜更けにはね起きたけれど、まだ月は出ていない。これが20夜の辛い更け待ち。

一方、さらなる疑問が湧く、
「月の出は天体現象、前もって今夜は何時にと予測出来る。一夜で一時間ほどのズレ、昨夜の月の出の時間から、今夜の出を類推できる。古代人だって天文現象に気付いているから、日没から幾時間の後とすればどっしり構えて、時を待つ。うろつき、立ち歩きやふて寝、居直りは考えられない」。
定時法時間に浸かった現代人の感想であろう。

古代から江戸時代まで、日本では不定時法が生活に根ざしていた。夕を暮れ六(ムツ)、明けを暁(あけ)六として、昼夜を六等分していた。春分秋分であれば昼夜は均等。冬は夜の刻(トキ)が長く昼のそれは短い。夏は正反対である。
江戸中期には一日を十二等分(二十四等分)する定時法も併用されていたとも聞くが、天文方など絶対時間を必要とする機関での利用と推察する。そもそも定時法の基準となる時計など日本中、誰も持ち合わせていない、和時計なるは刻(トキ)、すなわち不定時を刻む特殊な時計である。時間を刻と書くこちらが相対時間を表す。今のヒトが慣れている定時法の「時」と区別した。

(不定時法の用語は江戸期に確定したとネットで知る。古代に人々がどのように刻を刻んで、呼んでいたか、不定時法ではあろうが部族民には、不明。定時法への移行を命ずる太政官令が発布されたのは明治6年、1873年)

昔の人は刻の長さに見当をつけられるであろうが、それと時間、待ちの絶対時間、の概念はない。計ろうとも計れない。何時に月が出てくるか、夜空の闇の濃淡で読むしか無い。

妻問いは月を読む、万葉集に探る色恋 中の了(4月23日)
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妻問いは月を読む、万葉集に探る色恋 上

2023年04月22日 | 小説
序文:本稿は月の呼称への2の新規解釈をまとめています。1は「イザヨイ」は月ではなく人がいざよう 2 十六夜(イザヨイ月)から二十夜(更け待ち月)までの月呼称は「妻問い」行動を表す。万葉集から幾首かを引用している。新規とした背景は岩波古文体系、古語辞書などにあたっても上記2点は明瞭にされていないから。しかしながら部族民(蕃神)は古文には全くの素人なので、学術論文などですでに論ぜられていたら、新規を取り下げます、乞うご指摘。(2023年4月22日)

日は数え月を読む。さまよう月はいつも夜空に一人。ならば数えない、夕べには戻る月の明かりをひたすら人が読む。

♪熟田津に船乗りせむと月待てば潮ひもかないぬ今は漕ぎいでな♪

万葉集、額田王の作と伝わる。熟田津は今の愛媛県松山市。斉明帝新羅御親征に大兄王子を伴いに投錨した(661年Wikipedia)。月が西に傾いた、おっつけ引きが始まる。澪を睨む船頭の口が開いた「漕ぎ出せ」。船乗りらは櫓を手繰り寄せた。歓声のグーッオは強者共の出立の剣叩き、槍が朝のあかね空を抜いた。船頭は月読で潮の分かれ目を探った。
この歌は海の叙事詩である。谷の洛邑に住む者は月に何を語るのか。
月の出、月の明かり山端への差し込みを読む。まずは月の呼称から ;

朔(サク、ツイタチ、新月)、二日月(フツカヅキ、繊月センゲツ)、三日月(眉)、上弦(弓張り)、十三夜、小望月、望月(満月ミチツキ)と呼ばれる。いずれも月の形状を伝え月齢を報せる。ここまでは日が落ちても空に月が掛かる。その出は何時かに気を揉むことはない。
満月ミチツキを境にして月の出は日没後、呼称が様変わりする。


十五夜、望月、満月、フルムーン、Pleine Lune


満月の翌夜、それ以降 ;

十六夜(いざよい)、立ち待ち(17夜)、居待ち(18)、寝待ち(臥し待ち19)、更け待ち(20夜)と続く。人の行動「待つ」を齢に言い換えている。21、22夜は伝わらず、23夜以降は下弦、25夜は有明、30夜は晦日(ミソカ)と月の形状に戻る。人の動きと月を結びつける16,17,18,19,20夜のみ呼称は特殊で、形状で示す呼びかたより馴染みも深い。後ろ立ちの姿で女の齢を推量する視覚則と同一です。

(十六夜(いざよい)は地平から出る前の「月の思わせぶりな行動」との解釈が一般である。しかし部族民(蕃神)は「出をためらう」月の動作をどうしても想像できない。月にそのような感情はないし、昔の人もそのことなど知っている。「人」がいざようと考える。すると人の動作と月齢の一貫が見えてくる。なお岩波国語辞典に月呼称をあたるといざよい、立ち待ち月、寝待ち月が十五夜以降で採り上げられるが、他は見当たらない)
これら呼称を動作に擬えると ;

満月から一夜おいての十六夜、日没は18時25分、月の出は19時33分。(明石市4月、気象庁のサイトから)一時間余の差に隔たる。夕が暮れてもまだ月は見えない。日に見放され助けの月はまだ出ない。闇が大地を閉ざす。
「でも今夕は16夜おっつけ出てくる」。そのはずだから待つ人は一刻だけいざよう。いざようその場は軒下、せいぜい庭先。ちょっとの間だから門先にまで行くは、はしたないと笑われそうだ。それでも月よ「早く出ておくれと」軒下で人が「いざよう」。

十七夜「立ち待ち月」、月の出は20時27分、日没からは2時間、それだけ待ちが辛くなる。
月を待つ人は「今夕こそ待ち頃、それほどに遅く無い」と門脇に立つ。立ちながらしばし、東が明るみ「やっと明かりが差し込んだ、おっつけ来るだろうよ」明かりの希望に人が救われる。
何故、ヒトがこれほど月を待つのか、疑念が読者に湧いているかと。そこで一首 :

♪月読みの光に来ませあしひきの山きへなりて
                   遠からなくに♪
(万葉集4巻670湯原王と伝わる)
拙訳:月を読んで足下明かりが確かになってから来てくださいませ。山を越すとしても夜道も遠くはありませんから。

月の呼称と妻問い、万葉集を読む 上 の了
(2017年12月にGooBlogに投稿した稿を、2023年4月に加筆した)

追記 : 最近はチョー硬口の投稿ばかり(構造人類学なんか)で接近者数がジリ貧。柔らかめの原稿だって書けるのさ、そもそも俺ってナンパだから、こんな意気込みで投稿した(蕃神)
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Youtube投稿 構造人類学、出来事の由来2 Zuni族少年魔術師

2023年04月19日 | 小説
(2023年4月19日)主題動画をYoutubeに投稿した、リンクは

https://youtu.be/CIDmggg1eVY

(一旦Youtubeに入ってYoutube検索窓にコピペ。動画の長さは6分)

Twitter

部族民通信@9pccwVtW6e3J3AF
(Google窓からアクセスできます)
縮小画面でフル再生、及び2分のダイジェスト版が閲覧できる。

動画の資料(パワーポイントのPDF化)は
www.tribesman.net
で閲覧、DLできます。

動画はGooBlogに前回投稿した内容と変わりはありません。説明すると、

出来事とは ;1 発生終結が特異、他の出来事との連関はない
2 宇宙森羅の一環、他の出来事と密接に関連する
2-2 宇宙森羅、すなわち出来事の繋がりを取仕切る魔術

を強調しています。

...魔法の羽が両刃の刃に働いた。判事たちはようやく魔術の実体に迫った。これまでは行為としての「術」、調合したドラッグ。それらに効能を与える筈の具体例、モノが見えてきた。その「羽根」を出せと青年に迫る。「実はわたしはもう魔術が使えなくなった」「詳しい位置は思い出せない、なにせ2年前の話だ」言い訳を重ねた。陳述の通り居宅の壁を幾人がかりで崩しても羽は出てこない ...


矢車菊、Bleuet [ Mais la couleur que je préfère est bleu, bleu de bleuet 私が好きな色は青(bleu)、矢車菊(bleuet)の青。BrassansのChanson pour les bleuets]から
(東京日野市の住宅地で撮影)




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出来事の由来、北米先住民少女の失神 下 (4月14日)

2023年04月14日 | 小説
Zuni族、Nambikwara族の出来事への推理、両者の共通点は ;
1 単発で発生し終結する特異か、森羅一環として事象互いが連関をもつか
2 身に降りかかる災難は偶然か、なにがしか悪意の現れか――の疑念を常に抱く。
Nambikwara族長の災難は彼自身の説明「災害に巻き込まれた」に族民は一旦納得するが、異なる見解が露営地に広まった。魔術師が仕組んだとの経緯が大ぴらに(レヴィストロースらにも伝わるまでに)語られた。嵐の単独発生、密かな終結を族民は信じたくない。彼らにして嵐は宇宙の仕組みの気象の一現象、森羅の流れの久遠の一筋であるから、「単独特異」を排斥しなければ自分たちの宇宙観はまとめられない。ここで肝心は「なぜだけ族長が」への推理である。それを偶然と片付けたら、宇宙森羅のすべてが「特異で偶然」に向かってしまう。出来事の裏に魔術師の差し金が隠れる。彼が嵐を仕組んで族長を巻き込ませたと信じ込めば、魔術師は族長にのみ敵意を持つ(はず)だから、他一族も露営地も安泰だ。
Zuni族も魔術は森羅の流れを統治すると信じている。そして魔術師は己の意志を恣にして宇宙に干渉する。これが魔術師の秘技であると信じている。
両の族はアメリカ先住民ながら南北に離れ、社会文化の隔絶は幾千年に及ぶであろう。宇宙論に於いて同じ思考を執る理由に付いて、レヴィストロースは魔術を信ぜず他のシステムを信じる選択は(先住民には)無い。魔術が無ければあらゆる事象、現象が特異であり発生と終結が自律単独で終始する。これは混乱 « désarroi » 、ヒトの誰しも、生を託す母なる宇宙が混乱しているは受け入れられない。
先住民に共通するこの宇宙論こそ、後の著作野生の思考 « La pensée sauvage » の主題である。その思考の根源はモノとモノとは繋がりを有すると決めつける具体科学 « science du concret »となる
近代科学は上の1,2を否定する。嵐が発生する理由を気温、湿度、気圧などで説明する。この科学的説明はしかし、不完全である。特定時空(族長が一人で狩りをしていた、少女が痙攣を起こした)の特異性と災難の因果を何一つ説明していない。原因追求をさらに深め上空気圧、気温寒暖の変化などに論を進めても、なぜ族長が、なぜその時少女がの説明はしていない。つまるところ「偶然」と言っているだけだ。
野生の思考では魔術を「因果律の巨魁=フランツ・ボアズの言葉」としてその短絡性を採り上げているが、一方でその思考傾向は近代科学に親しむ現代人にも残るとしている。


アフリカAzande族の出来事の由来、これも魔術である。

スライドは野生の思考の紹介で2020年に作成

野生の思考で魔術をYoutubeに投稿している。以下のアドレス
https://youtu.be/cu_LgAaiO0w (Youtubeに入ってから検索窓に入れてください)

出来事の由来、北米先住民少女の失神 了 (4月14日)
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出来事の由来、北米先住民少女の失神 中 

2023年04月12日 | 小説
(2023年4月12日)前回に引き続き構造人類学 « Anthropologie Structurale » 魔術師と魔術 « Le sorcier et sa magie » 章から、第2の挿話、Zuni族の少年魔術師の紹介を続けます。魔術に欠かせない魔法の羽を瓦礫から見つけ出した少年、自らの有罪が証明できる。
« Il dut répéter toute son histoire, qu'il enrichit d’un grand nombre de détails, et termina par une péroraison pathétique où il pleurait la perte de son pouvoir surnaturel. Ainsi rassurés ses auditeurs consentirent à le libérer » page 190
己の経験を洗いざらい述べることになった。付け足し逸話なども盛りだくさんに混ぜ込んで最後には「もはや魔力をもっていない」泣き声で訴える供述を終えた。かくして傍聴者全員が彼の釈放に同意した。
有罪を認めて晴れて無罪となった。


写真はシャーマニズム、北東アジアの風習、新大陸の魔術との関連は?知りません。


以下からはレヴィストロースの註釈;
« On voit d'abord que poursuivi pour sorcellerie et risquant de ce fait, la peine capitale, l'accusé ne gagne pas l'acquittement en se disculpant, mais en revendiquant son prétendu crime. Bien plus il améliore sa cause en présentant des versions successives dont chacune est plus riche, plus nourrie de détails que la précédente »
魔術師なる汚名を着せられ死刑 « peine capitale » の怖れは当然に帯びるも、被告は(戦略変更の後では)一度たりとも無罪放免を求めていない。己の罪状をことさら認めるのみ、さらに訴え内容に様々な事象を組み上げ、それら一つ一つは証言のたびにより細かく豊かに膨れ上がる。
レヴィストロースはこれぞと判定していない。故に文章から被告少年の釈明の中身を探るしか無い。彼が魔術師だった、これがどうも偽り、法廷戦術の一環かと伺わせる(と部族民蕃神は読む)。次の文でその背景が ;
« Le débat ne procède pas, comme nos procès, par accusations et dénégations, mais par allégation et spécifications. Les juges n’attendent pas de l’accusé qu’il conteste une thèse, et moins encore qu’il résulte des faits ; ils lui demandent de corroborer un système dont ils ne détiennent qu’un fragment »
法定での審議は我々の進め方、告発に対して反論、とは様相が異なる。申し立て « allégation » にたいして特定 « spécification » のやり取りとなる。 判事は被告が罪状を否認するなどを望まず、その一連の事態を彼に帰するかなど論じない。彼らが薄っすらとしか知らない事の流れをしっかりと説明する――が被告に望まれる姿勢である。
逮捕拘束された時点で罪状は確定していた。被告は罪を認めなければならない。認めないとは、これからも魔術を密かに実行すると勘ぐられる。この密かな呪いが村には脅威となる。
« La confession, enforcé par la participation, la complicité même, des juges, transforme l'accusé, de coupable en collaborateur de l'accusation. Grâce à lui, la sorcellerie et les idées qui s'y rattachent, échappent à leurs modes pénibles d'existence dans la conscience comme ensemble diffus de sentiments et de représentations mal formulés pour s’incarner en être d'expérience. L'accusé, préservé comme témoin, apporte au groupe une satisfaction de vérité infiniment plus dense, plus riche que la satisfaction de justice qu’eut procuré son exécution »
陳述は、判事のグルとも云える程の参入も奏効し、被告を罪人から同調者の立場に変身させた。魔術とは彼らにはどのような存在だったろうか。感じられる、あるいは表現もできる範囲ながら、頭の中では整理されておらず、なにやらが様々に枝分かれし、それはかくあると確信できなかい、そんなようなものだ。彼のおかげで曖昧から抜け出て、魔術とそれが包含する思想のすべてが確固とした存在として生まれたのだ。貴重な証言者として、被告は集団に真理を見極めた喜びを与えた。彼を処刑してしまう「正義」と比べ、より豊かな満足が得られた。
« Le choix n'est pas entre ce système est un autre, mais entre le système magique et pas de système du tout, c'est-à-dire le désarroi. L'adolescent est parvenu à se transformer, de menace pour la sécurité physique de son groupe, en garant de sa cohérence mentale » Page 191.
彼らにとって魔術か、他のなにかのシステムの選択はあり得ない。魔術を選ばなければ、いかなる原理もない混沌を選ぶしか無い、それは破滅だ。この青年は彼の社会を実際に脅かす存在から、精神の繋がりの保証人に成り上がった。
出来事の由来、北米先住民少女の失神 中の了 (4月12日)
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出来事の由来、北米先住民少女の失神 上

2023年04月10日 | 小説
(2023年4月10日)構造人類学 « Anthropologie Structurale » の紹介を続けます。魔術師と魔術 « Le sorcier et sa magie » から、第2の挿話、Zuni族の少年魔術師を採り上げます。(C.V. Stevenson女史が1905年アメリカ民族学会誌に報告した内容による。同女史はネット検索で見つからなかった)
« Une fillette de douze ans avait été prise d’une crise nerveuse immédiatement après qu’un adolescent lui eut saisi les mains ; ce dernier fut accusé de sorcellerie et trainé devant le tribunal. Pendant une heure, il nia vainement des connaissances occultes quelconques »
ある青年が12歳少女の腕を取ったとたん、その娘は失神した。彼は魔術遣いと訴えられ法定に引き出された。一時間に渡り魔術など知らぬと潔白を表明したが無駄に終わった(189頁)。
魔術の遣い手はその当時(20世紀初頭)において有罪となれば死刑。このままでは死刑を宣告 « peine capitale » されてしまう。焦った青年は実は魔術師と作戦を替えた。
« L’accusé changea de tactique et improvisa un long récit dans lequel il expliquait en quelles circonstances il avait été initié à la sorcellerie et avait reçu de ses maîtres deux produits dont l’un rendait les filles folles et l’autre les guérissait »
かなり長い時間、自身を語った。その中でどのような状況で魔術師の訓練を受けたか、魔術指南の教師らから何を譲り受けたか、対をなし一つは娘を夢中にさせ、もう一つは冷静に戻す道具(produits製造物とある、薬物と思える)であった。
« une ingénieuse précaution contre les développement ultérieurs » 道具なる具体性を持ち出した機転が後々の転回を狡猾に運ぶ手助けとなった。
« le garçon en a inventé une autre ; tous ses parents, ses ancêtres étaient des sorciers »
青年はさらなる話まで作り上げた(でっち上げ)、彼の家族全員、先祖すべてが魔術師だと言いはった。
判事らは魔術能力を検分するために見張りをつけ彼を家に戻した。帰宅途上に2本の根っこを掘り上げ、携えた。そのうち一本を採食すると夜通しトランス状態に陥って、明け方に別の根を採取して平常に戻った。その他、魔術師として発揮できる能力は : 
猫に変身、犠牲者の口にサボテン針を一杯にして殺す術――赤ちゃん二人、娘っ子3人、2の少年――を犠牲にしたと。全ては魔法の羽の能力の賜物だと証言した。
魔法の羽が両刃の刃に働いた。判事たちはようやく魔術の実体に迫ったのだ。これまでは行為としての「術」、あるいは調合したドラッグ。それらに効能を与える筈の具体例、モノが見えてきた。彼らはその「羽根」を出せと青年に迫る。




Zuni族の少女
Zuni族とは : The Zuni (Zuni: A:shiwi; formerly spelled Zuñi) are Native American Pueblo peoples native to the Zuni River valley. The Zuni are a Federally recognized tribe and most live in the Pueblo of Zuni on the Zuni River, a tributary of the Little Colorado River, in western New Mexico, United States. The Pueblo of Zuni is 55 km (34 mi) south of Gallup, New Mexico.[
注 : プエブロ族の一支族。ただしプエブロ族とは語族あるいは系統で繋がる集団ではない。農耕定住、村落を構えるなどの生活形体で共通する北米西部の部族総称。Zuni族として米国政府から部族認定を受けている。(写真、説明ともWikipediaを転載)

彼は「実はわたしはもう魔術が使えなくなった」「家の荒壁に埋めた」「一人では取り出せない」「詳しい位置は思い出せない、なにせ2年前の話だ」などと言い訳を重ねた(記述から少々慌てた状況がうかがえる)。陳述の通り居宅の壁を幾人がかりで崩しても羽は出てこない :
« il finit par s’attaquer à une autre paroi, où, après une heure de travail, une vieille plume apparut dans le torchis. Il s’en saisit avidement, et la présenta à ses persécuteurs comme l’instrument magique dont il avait parlé : on lui fit expliquer en détail le mécanisme de son emploi »
彼自身が別側の壁を一人で壊し始めて一時間の経過のあと荒土に埋もれた古ぼけた羽を見つけ出した。握りしめてそれを告発者らに、これぞ私が言っていた魔法の羽だと見せつけた。その用い方を微に入り細に穿つまま語るに任せた。
出来事の由来、北米先住民少女の失神 上 の了 (4月10日)

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構造人類学・魔術師と魔術から出来事の由来上,Youtube投稿

2023年04月07日 | 小説
(2023年4月7日)表題と同名動画のYoutube投稿をお知らせします。
本稿はレヴィストロース著「構造人類学Anthropologie Structurale」の同名章を元原稿とし、南米先住民Nambikwara族の宇宙観を探っている。GooBlogに3月28、30、4月1日に(上中下)投稿した稿に加筆、修正を加え、パワーポイントに書き直しました。
動画リンクhttps://youtu.be/Grfu250tSFc
(Youtube に入って検索窓にコピーペーストしてください)
Twitter にはダイジェスト版(2分)と 画面縮小のフル再現(10分ほど)のが閲覧できます。アドレスは 部族民通信@9pccwVtW6e3J3AF
本動画で用いられる資料(パワーポイントPDF)は部族民通信ホームサイトに
www.tribesman.net で接近できる。
GooBlogでの部族民通信の過去投稿は 「蕃神義雄 部族民通信 (goo.ne.jp)」
Google窓で検索できる。
パワーポイント図の1葉を紹介。1の出来事に2の解釈。単発で終結する特異性に重きを置く考えに対し、魔術が介在し他事象との関わりを主張する先住民(特有の)思想があります




Blogの元原稿を大きく加筆訂正している。その部分は<出来事の解釈を1突発、終結。他の事象との関わりはない(出来事の特異性)と2宇宙森羅の中で発生する、他事象と関わる(出来事の普遍性)、出来事の宇宙森羅の中での納まりを魔術師が、超自然能力で執り仕切る>これらの先住民思想を明確にしている。。
一文抜粋 : 族長自身がトツトツと仲間に打ち明けた中身、自然の動きを説明した。脚色のない筋道だが納得しない族民も多い。密かに囁かれた噂は「魔術師が嵐を起こし族長を巻き込んだ」。2説をまとめると:1 族長自身の説明、嵐に巻き込まれた(自然)2 後の解釈、魔術師が嵐を引き起こした(超自然)山間に見え露営の火の主は魔術師がかつて親交していた部族。魔術師は嵐を引き起こし風に乗って、そこRio Ananazまで飛んで行った。
よろしくYoutube,Twitterにもご訪問を。
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