蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

構造人類学の紹介「神話の構造人の由来」をYoutubeに投稿

2023年02月28日 | 小説
(2023年2月28日)レヴィストロース著「構造人類学Anthoropologie Structurale」の紹介第2段 神話の構造、人の由来をYoutubeに投稿した。
当ブログで2月19、20、21日と連載した内容に、幾分か加筆したプレゼンテーション資料(パワーポイント)を渡来部が講釈します。
動画の説明は以下の通り、

>古代ギリシャ詩人ソフォクレス(紀元前497~406)が「神のお告げ、人の宿命」と謳い、近世になってフロイトは「潜在意識」と悲劇を暴いた。レヴィストロースは人が生まれながらに持つ「己の生まれは女の股か砂の塊か」さらには「己は己から生まれるのか、混ざりもので生まれるのか」の葛藤、いずれの世界にも安住できない生きる苦悩から人は抜け出せないー主張に進みます<


本投稿の趣旨はこの図にあり(前ブログで紹介した図を加工した)

神話の構造とは対立、因果、受難にありー結論です。

動画資料(パワーポイントのPDF化)は部族民通信ホームサイト
www.tribesman.net (index頁)に入って当該リンクをクリックしてください。

動画リンク
https://youtu.be/MfKe-BckyOY
(Youtubeに入って、Youtube検索窓に上アドレルを入れてクリック。Google窓からではGoogleWelcome画面に入ってしまう)

Twitterに投稿している。縮小画面となるが動画が閲覧できる。
Twitterのアドレス
部族民通信@9pccwVtW6e3J3AF

また2分のダイジェスト版も見られます。よろしく動画へのご訪問を。了 (渡来部)
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Anthropologie Structurale構造人類学の紹介 第2部 神話の構造 下

2023年02月22日 | 小説
(2023年2月22日)中央の柱 、左右端の結界を結びつける位置を占める。これをして « intermédiaire » 仲介役とする。柱内ではいくつかの出来事が発生しそれが仲介役そのものとなる、分かり難いが北米Pueblo族の神話と対比すれば理解が速まる。北米では対極へ展開する仲介役を人物(動物)が具体的に担う。例えばトリックスター(狂言回し)、アッシュボーイ(灰担ぎ少年)など。ギリシャ神話では出来事が仲介する。自覚なくも主役は他結界に囚われる。


章題(La structure des mythes神話の構造)の頁、フランツボアズ(ドイツ系アメリカ民族学者)の言葉。神話の宇宙はかろうじて形を残すものの、粉々に粉砕されている。新たな神話宇宙はその破片から生まれ出る。

左2列目の柱 ; 地から湧き出た兵士達(スパルトイ)は互いに殺し合い5人だけが生き残る。テーベを建設するカドモスに協力する。地から湧き出る戦士とはまさに男の大地生まれを地で行く。殺し合う行為が何を意味するかは不明だが、神話とはそのような筋立てを採る。エディプスは父ライオスを殺す。ポリュネイケースは兄エテオクレースに殺される。これら出来事は「近親関係の近すぎ」を補完し「母から生まれ」を肯定する。


出来事の流れが水平、縦は因果、一の出来事を終えると次が勝ち構える。斜めの破線はカドモス(左から右)の冒険譚、エディプスは右から左。

右2列目の柱 ; 大地生まれの障害となる怪物を殺し、男の大地出自を推進する試練と見ている。狂言回しを演じる怪物(ドラゴン、スパルトイ、スフィンクス)は大地との関連が指摘される。右端柱との関連は « Le trait commun de la quatrième colonne pourrait être la persistance de l’autochtonie humaine. Il en résulterait que la quatrième colonne entretient le même rapport avec la colonne 3 que la colonne 1 avec la colonne 2 » これらに共通の特質は人は大地から生まれるなる主張であろう。第一と第二柱(左端と隣)に認められる補完関係がここにも探せるのである。
縦の展開を因果としたが、その意味するところは ; カドモスは近親(妹)との再度の接触を望むが諦める。「もう探すのは止める」と空に漏らした途端、ゼウスの差し金でテーバイ建設に導かれる。近すぎる近親関係からの忌避がカドモスを男の大地生まれ側に向ける。最後には大地に帰る(洞穴の蛇に変身する)。その因果の正逆がエディプスのたどる流れ。養われた王家を出奔して父を殺し…これらの流れはすべてエディプスを生まれ母に戻す仲介を演じる。
神のお告げと人の宿命、相容れない結界に両人とも導かれている。挙げ句 迎える結末はいずれも悲劇。目前の課題に対処し良かれと信じる行動を採るが、宿命が待ち構える、これがギリシャ悲劇の典型です。
レヴィストロースの神話の分析はいくつもの異聞 (variantes) を取り込み、総体として神話を囲い込むにほかならない。「元々の筋、オリジナル版は一体どのようになるのか」に拘泥しない。 « le mythe reste mythe aussi longtemps qu’il est perçu comme tel » 永く語られるままに神話は神話としてあった。Œdipe神話が今も語られるとしたら、古代ギリシャのソフォクレスと、今様の説明を重ね合わせることが可能となる。ここからレヴィストロース独自の神話展開が加速する。
« Ce principe est bien illustré par notre interprétation du mythe d’Œdipe qui peut s’appuyer sur la formation freudienne, et lui est certainement applicable. Le problème posé par Freud en termes « œdipiens » n’est sans doute plus celui d’alternative entre autochtonie et reproduction bi-sexuée » (240頁)これを基本とすると我々のエディプス神話解釈(人の生まれは砂の芥か女の股か=部族民注)はフロイトの説明と重なり合うし、きっとそれ(基本)は応用可能であろう。さらにはフロイトが「エディプスコンプレックス」として提唱した課題は、もはや砂か女かを超えている。
« Mais il s’agit toujours comprendre comment un peut naître de deux : comment se fait-il que nous n’ayons pas un seul géniteur, mais une mère, et un père en plus ? » (同)一人男がなぜ二人から生まれるのか、それを如何にして理解するか、一人の種ではなく母と父の種で生まれるかーなぜそんなことが起こるのかが課題なのだ。
« Nait-on d’un seul, ou bien de deux ? ― et le problème dérivé qu’on peut approximativement formuler : le même naît-il du même, ou de l’autre ? » (239頁)人は一人から生まれるのか、二人からか。この問題は絶妙の近似具合で以下に公式化される、人は己から生まれるのか、他者からか?
« On n’hésitera pas donc à ranger Freud, après Sophocle, au nombre de nos source du mythe d’Œdipe » エデイプス神話の資料としてソフォクレスに続いてフロイトを採り上げる、ここに躊躇はないと思うが。(240頁)
砂の芥から這い出ても、女の股から生まれても男は居場所を探せない。居場所あやふやは男の出自の不確かさに由来する。ソフォクレスが語ったエディプスの、眼を潰して彷徨いつ命の絶える哀れの様は永く人に語り継がれた。フロイトは男の願いと現実の落差の出どころが、生まれにまつわる呪いのまぐわい、父という名の他人男が介在する命の仕組みだと教えた。母を知るに父は要らない。父を否定し母を追う、その時にはもう罪が発生する。男の居場所は罪の中か享楽か、エディプス神話は今も語られる。
Anthropologie Structurale構造人類学の紹介 第2部 神話の構造 下の了(2月22日)
追:神話の構造下のYoutube化を予定。またPueblo神話との対比も近々、乞うご期待(渡来部)。
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Anthropologie Structurale構造人類学の紹介 第2部 神話の構造 中

2023年02月21日 | 小説
(2023年2月21日)エディプス神話群の筋は4の柱に分解される。同じ柱での事象は一の特質で関連付けられる。その特質を探し出すことが解釈となる。両端の柱を採り上げると、左と右では相容れない世界、その自律で一方向に結晶化する「結界」を表している。図参照


写真は本書236頁のデジカメ


図に再現した

左端の柱の特質は ;  « rapports de parenté sur-estimés » 近すぎる近親関係。
« Tous les incidents réunis dans la première colonne à gauche concernent des parents par le sang, dont les rapports de proximité sont exagérés : ces parents font l’objet d’un traitement plus intime que les règles sociales ne l’autorisent » (232頁) 左端の柱それを探ると血縁関係、その強すぎる接近を示す。社会規則がそれを認めない程の親密なつながりを持つ血族となる。
この柱のなかで表現されている行動 ; 拐かされた妹エウロペ―をカドモスが探すー誘拐現場は侍女らに目撃されている。牡牛に乗って海に消えたーこの状況からゼウス(牡牛の遣い手、時には本人)が拐ったー浮かび上がる。神隠しならば探しようが無いのだけれど、「近すぎる近親関係」の為せる熱意か、カドモスは勇んで捜索に出る。同柱の下部、エディプスが母イオカステーを知るは近すぎる関係の最たる結末。アンティゴネーが、己の死を賭してまでも兄ポリュネイケースを葬るも同じく「近すぎる近親関係」を示唆している。
(カドモス・エウロペー、アンティゴネー・ポリュネイケースの兄妹関係の近すぎる中身とは。ソフォクレスは何も語らない、しかし近親姦を示唆する濃さは読み取れる。原典にも派生異聞にも現れない筋道を創造するわけにいかないから、レヴィストロースは兄妹関係に何も語らない。しかしエディプスと対をなす神話として次章で採り上げるPueblo族(北米先住民)神話では、兄妹の近親姦が文化創造の節目となる役割を果たしている。この采配を勘ぐるとカドモス・エウロ…などにそれなりの関係があったとレヴィストロース、本書は示唆する、と部族民は読む)
一方、右端の柱は近親関係を否定する男たちが配される。そこに « les hommes naissent de la Terre » 男は「大地から生まれる」なる思想が秘匿される。(カドモスの子孫となる)ラダコス、ライオス、エディプスの系統を特徴づける「足の不自由」を「大地生まれ」にレヴィストロースは結び付けている。そして右端の柱は固有名詞のみで構成されている。固有名詞そのものにもtrait特質があるとする。この足の不自由をしてこれら男(王)の大地出自は証明されるとしている。
「男は大地から」は突拍子もない説に聞こえるが、レヴィストロースの創作ではない。238頁の脚注でギリシャ神話研究家のMarie Delcourt女史の説を引用している。 « Dans les légendes archaïques, ils (hommes) naissent certainement de la Terre elle-même » 古代伝説では男は大地から生まれる。古代に広まっていた信心、男女の関係を地と空に喩える説(古代の言い伝え)から発展したと同女史の解釈を引用する(238頁)。
大地生まれに « autochtonie » の語をレヴィストロースは当てる。訳として土着、対比される語は « indigène » となるが、後者は未開 « primitive » の流れを汲むので訳に「先住民」が用いられる。前者の土着は民族大移動前からヨーロッパの現地に居住していた古族とされるゴール人、ブルトン人、バスク人などへの使用を見かける(時には田舎のヒト)。
この語の意義を辞書に尋ねると « issu du sol même où il habite » 自身が住む土から「出た」人とある(語源の古ギリシャ語の解釈、Le Robertによる)。「出た」の意味を順当に解釈すれば「そこから抜け出た、生まれた」となる。よって「大地の生まれ」を訳に当てた、レヴィストロースも語源に戻って「大地から生まれた」と解釈する。この生まれを素直に、物理的に生まれると解釈したい。日本語の「産土」ウブスナとも比定できる。 
(Le Robertを開くと « être né de la Terre » が第3義にでてくる。引用元を本書238頁としている。レヴィストロース解釈が仏語圏で認められている証と考えます)
脇道にそれるが興味深い一節を ; « Les linguistes n’y prêtent guère d’importance puisque le sens d’un terme ne peut être défini qu’en remplaçant dans tous les contextes où il est attesté. Or, les noms propres sont hors contexte. 言語学者は(エディプス神話解釈で)この部分(王の名)に関心を持たなかった。彼らは言葉の意味とは文脈の中での絡まりから探るけれど、固有名詞はそこからは外れるので注意を持たなかった。
Anthropologie Structurale構造人類学の紹介 第2部 神話の構造 中の了(2月21日)
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Anthropologie Structurale構造人類学の紹介 第2部 神話の構造 上

2023年02月19日 | 小説
(2023年2月19日)本書第一章魔術と信仰 « Magie et Religion » の第9節は神話の構造 « La structure des mythes » です。エディプス « Œdipes » 神話が採りあげられ、北米プエブロ族の天地開闢神話に引き継がれます。今回のBlog投稿(3回予定)ではエディプス神話の構造に取り組み、その上で(形体としての)構造が秘匿する「思想」に迫る予定です。この悲劇は古代ギリシャ詩人ソフォクレス(写真、紀元前497~406年=Wikipedia)が「神のお告げ、人の宿命」と謳い、近世になってフロイトは「潜在意識」と暴いた。レヴィストロースは人が生まれながらに持つ「己の生まれは女の股か砂の塊か」の葛藤で両者の繋がりを見る。さらには「己から生まれるのか、混ざりもので生まれるのか」なる根本苦悩が人にわだかまるーとの主張に進みます。


ソフォクレスとフロイト(ネットから採取)

謎解きにあたりまずは神話のあらすじを : 
エディプス神話はカドモス・エディプス・アンチゴネーの3部に分かれる

カドモス神話;ネットサイト(greek-myth.info/Athènes/Cadmus.htm)から抜粋
エウロペーはカドモスの妹、牡牛に化けたゼウスに拐かされ、牛の背に乗って出奔する。カドモスは行方を追うも叶わず疲れ果てる。「もう、エウロペーを探すのは止めよう」アポロンの神託を伺う。「一頭の牝牛を見つけたら後をつけ足を止めた場所に街をつくり、テーバイと名付けよ」外に出るとなんと牝牛が一頭歩いている。牝牛を追うカドモス。やがて牝牛はパノペーの野に足を止めました。感謝し大神ゼウスへの祭壇をつくり、捧げものを用意した。洞穴から大蛇が現れ、その鎌首を持ち上げました。その高さは大きな木よりも高く、目は炎のように光り口は三又の舌を出しています。家来たちは大蛇の毒牙にかかり、とぐろに巻かれ、みんな殺された。


ゼウスにさらわれるエウロペ―(ネットから採取、著作権については不明)

カドモスは大蛇を仕留めその歯を大地に巻いた。スパルトイ軍団が地から抜けでて互いに殺し合い、残った5人の協力を受けたカドモスはテーバイを建設する。子供、孫に先立たれたカドモスと妻ハルモニアは市民に忌み嫌われ、テーバイを去った。カドモスは運命を嘆く。「蛇が神々にとって大切ならば、蛇になりたい」。とたん体は蛇に変身していきました。「私も夫と運命をともにさせて」ハルモニアも神々に祈りました。2人は蛇になって、森で暮らすことになった。
エディプス神話(Wikipediaから抜粋);
ライオスはカドモスの曾孫エディプスの父。汝の子はお前を殺し妻(子の母)を知るとの神託を受けた。生まれた子の足を針で貫き(エディプス=腫れた足の語源)家臣に山に捨てろと命じた。家臣は羊飼いに渡し、羊飼いはコリントス王に預けた。成長して「父を殺し母を知る」神託を知り、出奔する。
旅の最中、ライオスが前方から現れ、エディプスに道を譲るよう命令した。これに従わぬとみるや、彼の馬を殺した。怒ったエディプスはライオスを殺した。エディプスは自分が殺した相手が誰であるかを知らなかった。
スピンクス(スフィンクス)は女面にして胸と脚と尾は獅子、鳥の羽。ピーキオン山頂に座し、そこを通るものに謎を掛け、解けぬ者を喰らっていた。謎は「朝には四つ足、昼には二本足、夜には三つ足で歩くものは何」
テーバイ人たちは、「謎が解かれた時スピンクスの災いから解放される」との神託を得ていた。誰も解くことは出来ず、多くの者がスピンクスに殺された。テーバイに来たエディプスはスピンクスに答えた。「人間である。人間は幼年期には四つ足で歩き、青年は二本足で歩き、老いては杖をついて三つ足で歩く」謎を解かれたスピンクスは身を投じた。


Jean Marais演じるエディプス(オルフェとの伝も、ネットから採取)

エディプスはテーバイの王となった。実の母であるイオカステーを娶り、子をもうけた。男児はエテオクレースとポリュネイケース、女児はアンティゴネーとイスメーネー。
エディプスがテーバイの王になって不作と疫病が続いた。デルポイに神託を求めたところ、「ライオス殺害の穢れのため、殺害者を捕らえテーバイから追放せよ」という神託を得た。
エディプスはそこで過去に遡って調べを進める、三叉路でのいざこざであると知る、自分がライオス王の子、母との間に子をもうけたこと、神託を実現してしまったことを知る。イオカステーは自殺し、エディプスは絶望して自らの目をえぐり、娘と共に放浪の旅に出た。(一部を伝ソフォクレスに合わせ改編した)
アンティゴネー(Wikipediaから抜粋)
父エディプスが自分の出生の秘密を知って目を潰した後、イオカステーの兄クレオーンに追放されると、妹イスメーネーとともに父に付き添って諸国を放浪した。
父の死後テーバイに戻ったが、その時ポリュネイケースがテーバイの王位を取り戻すべくテーバイに攻め寄せる。攻め寄せた軍はことごとく打ち破られ、兄弟エテオクレースと相討ちで戦死。クレオーンは反逆者である彼の屍を葬ることを禁じるが、アンティゴネーは城門を出て兄の死骸に砂をかけ埋葬とした。彼女は捕らえられ、地下の墓地に生きながら葬られ、婚約者であったクレオーンの息子ハイモーンは彼女を追って自刃した。
構造人類学 第2部 神話の構造 上の了(2月19日)
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« Anthropologie Structurale 構造人類学 » のYoutube紹介

2023年02月14日 | 小説
Youtubeに « Anthropologie Structurale 構造人類学 » の紹介動画を投稿しました(2023年2月14日)。リンクは

https://youtu.be/YxBHFjhMi-o

Youtubeに入って検索窓に上アドレスを入れてください(Googleで検索すると、Youtubeのウエルカムページに入ってしまう)
Gooブログ 

部族民通信 (goo.ne.jp)

2023年1月24、27日 2月1日に投稿した記事を一部改編して、渡来部が解説しています。

その一節を

Jean Pouillonによる寄稿文

<レヴィストロースが « sérieux » シリアス真摯に「構造」に向かい合う理由は、構造は「本質」につながると主張するからである。実際とはそこに存在するモノであり文化、社会でもある。モノを意味づけているのは思想であり、ヒトが頭に持つ表象であり、モノと表象の対峙が構造である。ここにヒトの特異が宿るとレヴィストロースは主張する>


構造とは思想と形式の対峙

なおTwitterに

部族民通信@9pccwVtW6e3J3AF

入れば縮小画面でYoutube動画が見られます。
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構造人類学 Anthropologie Structurale 3 人類学での構造主義 下

2023年02月01日 | 小説
(2023年2月1日) 前の引用(1月27日)で「現実と思想」の対峙が採り上げられた。両者は相似するのみならず乖離の様も見せる。この対立関係を表現する2の文節を本書から引用する。
« Nous nous proposons, en effet, de montrer ici que la description des institutions indigènes données par des observateurs sur le terrain coïncides, sans doute, avec image que les indigènes se font de leur propre société, mais que cette image se réduit à une théorie, ou plutôt une transfiguration de la réalité qui est d’une nature toute différente » (134頁)
現地で調査している報告者からの制度の説明は、先住民が自分達の社会の様を頭に描く画像(イメージ)と重なるものであるが、この画像はある「理論」に収束される、理論というよりは現実の変身かもしれない。この現実とは、その性状からして、全く異なるモノとなっている。
上引用文は「実際(モノ)側」と「頭の中の思想側」を用いる語から見事に分離している、鍵となる語を分けると;
実際のモノ:制度institutions、彼らの社会propre société、現実réalité
頭の中思想:イメージimage、理論théorie、変貌transfiguration
明瞭に二分される。
先住民は「制度」を実際として運用しており、それは現実である。その現実がその場にある背景は頭の中の表象(イメージ)から « schème » スキームが派生し現実に積み上がる。表象とは変貌 « transfiguration » であり理論であろう。
モノ対思想、この対峙は次の文にてさらに展開する。;
« L’organisation dualiste des populations du Brasil central et oriental n’est pas seulement adventice, elle est souvent illusoire ; et surtout, nous sommes amenés à concevoir les structures sociales comme des objets indépendants de la conscience qu’en prennent les hommes (dont elles règlent pourtant l’existence), comme pouvant être aussi différentes de l’image qu’ils s’en forment que la réalité physique diffère de la représentation sensible que nous en avons, et des hypothèses que nous formulons à son sujet » (同)
ブラジル中央部及び東部の人々(先住民)の二重構成社会は外来移入ではないと思われ、さらには絵空事であるともいえる。社会の構造が人々の存在を支配していることは間違いないにしても、彼らが抱く意識から実際には、かけ離れている社会の組織があって、(現地調査する我々は先住民の意識に)導かれ、かくあれと受け入れることになるけれど、その社会構造なるものは先住民が描くイメージはからも、我々が(こうだろうと)推察する表象とも、更には主題に合わせて我々が定義づける仮説とも、かけ異なる場合が往々に見受けられる。
引用文は長い、文脈のうねりもああるが伝えかけは単純である。前引用では対峙、この引用文では乖離を述べている。
この分で1実際、2思想の語をふるい分ける;
1社会の構造(structures sociales)、対象(objets)、現実(réalité physique)、存在(existence)
2 には意識(conscience)、イメージ(images)、表象(représentation)、仮説(hypothèse)
と対立する語群が抽出できる。目に見える社会構造を « organisation dualiste » として先住民は思想に基づきイメージ、表象など意識に浮かぶ様を語り、調査者は彼らの説明に基づき仮説を立てる。それが実際の社会構造の現実とかみ合はない場合もある。
レヴィストロースはSherente族の意識と実際制度との「乖離」の例に採り上げる。言い伝えで同族は本来の族民と征服し吸収した民で構成される。2の部、それぞれが4の支族に分かれる8支族で構成される。彼らが部族の構造とする表象は社会の二重構造である ;
« Ni les deux équipes sportives, ni les quatre association masculines…, n’interviennent dans la réglementation du mariage qui dépend exclusivement du système des moities » (同)
訳:しかしながら2組に分かれるスポーツチームも、4の男組寄り合いにしても…社会二重構造と密接な婚姻制度とは同期していない。
理念として先住民が抱くのは「二重構造社会」。それを基盤とする制度は「婚姻制度」のみ。ここでレヴィストロースが主張するのは婚姻がスポーツチームや寄り合いを凌いで制度につながる優位性である。スポーツチームなど制度は二重構造とは別とすると、いかなる表象を基盤にしているのか。観察者(Nimuendaju)



Curt Unckel Nimuendajú (born Curt Unckel; 18 April 1883 – 10 December 1945) was a German-Brazilian ethnologist, anthropologist, and writer. His works are fundamental for the understanding of the religion and cosmology of some native Brazilian Indians (Wikipediaから)
注:Nimuendajuは、決して本名で呼び合わない南米先住民Guarani族が彼に付けた俗称。「一人で家を作った人」なる意味があるとか。日本人思想家では折口信夫(1887年生)が時代として重なる。



はそれを語らず、レヴィストロースはBororo族社会制度の説明において狩り(集団)、漁労、村落、葬儀など祭の式次第で、2分割されている村落が規則性をもちながら別個に執行する様を描写している。例えば男が死ぬと別の部の男たちに「狩りをおこなう権利」が生じる一など。しかしBororo族の婚姻制度は2重構造と同期していない。Sherenteとは正反の仕組みが見えてくる。部族を2分割するにBororo族の分割動因は左(宗教儀礼…)にあって、婚姻制度は別の切り分けと(勝手に)推測してしまう。Sherente族の切り分け手段での差異については、そもそも「2分割する思想」が人に根付く、切り分ける因子が部族、あるいは状況ごとに変化するーが人の本性としておこう。紅白歌合戦、文明と未開、自由対専制など森羅を二分割する人の習性が本性、「思想」であると考えられるか。
構造人類学 Anthropologie Structurale 3 人類学での構造主義 下の了 (人の由来に続く)


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