蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

裸の男を読む 全文をホームサイトに掲載

2020年03月27日 | 小説
神話学「裸の男」の解説を「裸の男」続きの表題で1(2020年3月10日投稿)~5(3月26日)と投稿しましたが、本日ホームサイト(WWW.tribesman.asia)に同じ表題の下として掲載しました。ブログと変わるところは無いのですが昨日の(美しくない)手書き図をパワーポイントからPDFとして載せています。
神話の鏡像化(ラセミスム)を図式にて確認してください。

PDFのパソコンスクリーンの写真、部分


全体です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神話学第4巻「裸の男」続き 6(終)

2020年03月26日 | 小説
(2020年3月26日)
前回(25日投稿)での留意点は

1 イシスの冒険神話は南米の鳥の巣あらし神話と比定出来る
2 アビ女神話はその「逆位」inversionである。
3 神話の「正位」筋立てに対して「逆位」神話が存在する。両者が合わさって分子的融合(ラセミ葡萄酸状況)の合体形が成立する。
4 逆位の神話はその根幹、筋立て、立ち位置が「神話対位法」の法規則の中で決定される。

これを解せば、

神話とは基準となる正位の構成(armature)がまず語り継がれ、いずれ逆位の筋立て(これもarmatureの一つ)が、あたかも音楽理論の対位法のごとく、しかるべく位置に創出される。両者はラセミ葡萄酸的な、鏡をはさむ両側、実体にたいする鏡像としての位置関係を形成し、鏡像は実像を左右逆転すると同じく、逆位armatureも正位神話の構成を逆転している。

ここには力学必然が内包される。それに迫る;

神話の構成図(写真)には


上下に三角形が配置される。上三角が思想であり、それを小筆はメタ神話と決めつけた。この上三角に逆位が生まれる。思想の逆位とは弁証法が語る作用、反作用でもある。デカルトは思考で宇宙を語ったが、この思考は常に提示、反論、統合の繰り返しでもあった(蜜蝋や夜道を渡る人の分析などエッセイから)。すなわち一の思考進行の中に分析的と弁証法的思考を取り交えている。
カントに至るとこの二思考形態を分離して明瞭に分析的、弁証法的に分けている。なおレヴィストロースは無神論者である故、カント主義を信奉していると本人が語っている。

写真:イシスの冒険とアビ女の構成比較。向かう方向が文化と反文化、要素が文化行為と反文化行為対比される。

提示に対する反提示にはなんら「分析的」真理はない。反位が存在するかしないか、その以前に反位を想定する。この進行過程がヒトの、ある意味ブッタ、プラトン以来の、伝統的思考法なのであろう。この「不確実」性を切り離した哲学者にスピノザが挙げられる。分析(演繹)思考一直線の思考は正しいのだろうが、人間味がない。彼の哲学が「窓のない部屋」とフランスで揶揄される背景は、「反位」を排除したからに他ならない。
窓を通して外を眺めても分析には役に立たないと彼が断定したのだ。

上三角に「反メタ神話」を想定すればそれは反文化となる。

反メタ神話は反文化が主題にかかげられ、それが支配する下三角の反神話には反火、反狩猟、反タバコ、反装飾、反密が挿話に取り上げられる。アビ女神話ではそれらは村落を焼き尽くす天の火(竈の火の反対)、食えない肉を狩る弓矢、野を跳梁する一本足化け物の持つパイプを取り上げ焼却する(この逸話はBlogには紹介していない)。ヒト心臓の首飾り、塩泉(人が夢中になる蜜ではなく、動物が取り付く)などが表出している。

アビ女神話はかく、イシスの冒険(鳥の巣あらし神話の一形式である)と正逆の進行である。手書き図を添えたが、上下三角形のラセミ葡萄酸的鏡像が上に添えられている。

手書きの図で神話のラセミスムを説明した。

この正位と逆位の分子融合構造をレヴィストロースはracemismeラセミスムとした(実はこれは確認されていないから、とりあえず部族民蕃神の提案とする)。

ここで日本書紀古事記でのラセミスムに思い当たる。

アマテラスは八百万の神を配下として高天原に農耕文化を導入しつつ国作りに励んだ。弟スサノオはこの高天原文化を破壊する。そもそもスサノオは「穢れ」から生まれ、母恋しと泣きやまない。出生と成長する過程で「反文化」の経緯が濃厚である。(母恋しは上下婚ハハコタワケの願望である)。成長した彼が高天原でしでかした罪状は;

畔放、畔を壊して田に張った水を放出させる。稲は枯れる。
溝埋、水田を満たす水の通り道を埋める。水田はひからびる。
串刺、田に串を刺す、自己の所有と主張して収穫を横領する。
糞戸、神社を排泄物で穢す

記紀には他にも挙げているが、それら全てが天津罪と総称される。この総称を「高天原で犯した」故に天津とする説明があるが、天津=文化でありその罪とは反文化行為である。

アマテラスとスサノオ関係をイシスとアビ女のそれと対照すれば、記紀にも神話ラセミスムが記録されていた。古代日本人は新大陸先住民と近似した過程(上下三角のラセミスム)で神話を語っていたのだ。

これは今のところ仮説の段階である。というかここ数日の思考過程で頭に浮いてきただけなので、今後アマテラスが高天原で何をしていたか(記紀には記述が少ない)を深耕し、部族民なりに記紀神話のラセミスムを証明したいと思う。了
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神話学第4巻「裸の男」続き 5

2020年03月25日 | 小説
(2020年3月25日)
3月13日投稿の裸の男4の続きです。

アビ女の行動が向かう方向は火の無い場所(湖底)、同盟を持たずに孤立である。これは「反文化」であり、神話個々のエピソードを取っても本来の目的、それが文化を形成するのであるが、に反している。前回投稿では例として弓矢を挙げた。その目的は食べる肉を獲得する用具であるはずだが、食べられない肉(水鳥アビ)を獲り、羽毛をむしって湖底に棄てた(Yana族伝承版)。
レヴィストロースは「行動としての文化要素」とそれらベクトルが向かう文化(これがイシスの冒険神話の主題)と、その正反であるアビ女神話(行動も向かう先も反文化)を併せてと同類と理解せよと示唆する。

この辺りを「裸の男」本文から引用する;

>La premiere partie de ce livre a permis de produire des mythes dont le heros est un denicheur d’oiseau. Dans la deuxieme partie nous avons introduit le mythe de Dame Plongeon qui transforme l’autre de plusieurs facon<(本書94頁)
訳;本書の第一部で登場した幾つかの神話(イシスの冒険神話)はその主人公が「鳥の巣あらし」神話の英雄を彷彿とさせている。第二部でアビ女(Dame Plongeon)神話が取り上げられるが、それはこのヒーロー(イシス)を様々な形式で変容させている。
(イシスとアビ女は同根である)

続けて
>A divers egards, ces transformations equivalent a des inversions : heros pietine au lieu d’exhausse, origine des anti-parures ( colliers de coeurs humains) arachees par une femme a ses freres , remplacant l’origine des parures ( piqunts de porc-epics) prodigues par un hommme a ses epouses, etc.(同)
訳;それらの変容は、様々な手段を経由するも、幾通りかの「逆位」の様を見せる。例としてヒローは高みに追いやられる替わりに地に踏みつけられる。アビ女神話では女が男の心臓を抜き取り己の首飾りにする。ここでの装飾は「反装飾」である。本来の装飾(ヤマアラシの棘毛)は男がそれを取り女(婚約者、あるいは姑となる女)に贈るのであるから。

ここで
1 イシスの冒険神話は南米の鳥の巣あらし神話と比定出来る
2 アビ女神話はその「逆位」inversionである。

二点に留意する。

invertionの意義は、元々は文章で正しい順序(主語動詞などの位置順)を逆転する意味を持つ。すなわち見えにくい「思考、思想の逆転」ではなく、物の空間位置の逆転が原義となる。二義に生物で雄が雌に変身するなどの逆転が挙げられている(辞書Robertから)。こちらも視覚的に判別できる。
内的、陰密な性向ではなく外示的、顕示性の高い物が対立している状況を表す。

イシスとアビ女は行動、居住、風習で(顕示的に)逆位にある。ここまでは小筆が作成した3頁PDF(神話の構成)の第2頁の内容と重なる。

この説明にレヴィストロースは「racemique」なる概念を持ち込んだ。スタンダード辞書で「ラセミ葡萄酸」と訳されるが分からない。ネット検索して「キラル鏡像体過剰率...なんたら...かんたら」が出てきてさらに混乱する。Robertに援軍を求めると;
melange moleculaire egal des deux inverses optiques (stereo-isometrie) 2の光学的に逆位相を見せる一の分子的融合。
何となく分かりそうだ。それにしてもレヴィストロースもいろいろな分野から用語を引きずりだす。これを念頭に置いて次文に挑戦する。

>=前略=en les inversant l’un et l’autre sur un axe different de celui ou se situait l’oppsition primitive. Ce phenemene resulte du fait que yana doit profondemant remanier , pour pouvoir les ajuster bout a bout et batir ainsi son interique, des troncons du recit qu’il emprunte alternativement aux deux series. (本書94頁)
訳;原初的は対立軸から抜け出した(とある別の)「軸」に照合させて、それらを一方、もう一方(イシスとアビ女神話)と逆位相に置いた。こうした現象はyana族が2の物語シリーズ(イシス、アビ女)を(他部族から)借り受ける際に、物語の根幹、筋回しを根底から再構築した事実に由来するに他ならない。

原初的対立軸の説明は特にないが、神話比較において「対立」を部族の歴史に重ねる手法、歴史神話学(フィンランド派)を念頭に置いたと思える。別の軸は逆位相を定着させる絡繰りと思わせる。

上記1,2の留意点に追加して;
3 神話の「正位」筋立てに対して「逆位」の神話が存在する。両者が合わさって分子的融合(ラセミ葡萄酸状況)の神話体が成立する。

引用を続ける;
>A partir de la, l’analyse se complique, car, en plus des version deja citees, le contrepoint mytique fait interveneir de maniere implicite le mythe modoc M541, qui enchaine l’histoire du denicheur d’oiseaux a une lecon inversee du mythe de la Dame Plongeon.(本書85頁)
訳;それらに加え(=Yana族神話の特異性、弟に近親姦を迫る姉(アビ水鳥Plongeon)の特異性を前文に記している)、分析はさらに複雑化する。なぜならmodoc族神話M541(イシスの冒険)は鳥の巣あらしの筋立てをとるが、神話対位法(contrepoint)が目立たさずに、アビ女神話で学んだ「逆位」を持ち込ませているから。

画像の説明は下に
M451は漁労を営む家族(ただし複数兄弟と一人の娘)が他村落の男と密通した。兄弟は居住地を替えるが、娘は子を孕んでいた。背に負う子と共に娘は火炎に飛び込む、すんでの処を俗神が子を叩き救う。イシスの誕生。

ここで神話対位法なる言葉に注目しよう。対位法はメロディを装飾するにあたり、構成する各音素に対位する音が「法則」で決まっている作曲法である。レヴィストロースは正位にたいし逆位(inversee)が定まり、それは葡萄酸racemique(光学的に逆位相の融合)であるとして、作曲の手法「対位法」を持ち出した。すると:

4 逆位の神話はその根幹、筋立てが「神話対位法」の取り決めの中で決定される。


画像はYana族の髪型。同族は1849年のカリフォルニアゴールドラッシュで入植者に蹂躙され、族命を終えた。民族誌など記録は充実していない。

と考えられないだろうか。
>Il se confirme donc, anisi que nous l’avions annonce, que le mythe de la Dame Plongeon inverse celui du denicheur d’oiseaux<
かくしてDame Plongeon神話は鳥の巣あらしの、あるべくしてそこに納まる逆位相(対位法で定まる音)なのである。

文中に引用があるPDF3頁の一部。

続く

なお、ホームサイト(WWW.tribesman.asia)にて本Blogを同名にて掲載している(上、中)。PDFにもサイトIndex頁から参照できるので、よろしくご訪問を。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

22度の別れ、死と生、せめぎと受容 読み切り

2020年03月23日 | 小説
(2020年3月23日)
ウィルスは人の生体に住む。
体内温度が36度として、この温度帯域に適応し繁殖して、多くの場合宿主に悪さをする。一方、唾液の飛沫などに混じって対外に掃き出されたウィルスは寒さを好む。ある統計では気温8度Cで6時間後に50%のウィルス個体が壁などにへばりついて生存する。気温22度Cでは3%に低下する(ネット調べ)。
低気温で生をしのぐ排出ウィルスが、22度の外気に取り巻かれていると知ったとたん、「熱気」に悶え死ぬ。この仕組みは上の数字データで容易に読み取れる。けれど、もう一歩推察を深めると、人体36度に順応していた奴らが22度に悶えて「焼け死ぬ絡繰りはとても理解しにくい。小筆からは何も言えない。気になる御仁は専門家に聞いてくれ。

一方、人はこの22度を快適とする。生物学的にかつ病理学的にこの理由を説明できる。
生物として人の進化をみるとアフリカの原野に生を得た時は大人も子供の毛むくじゃらだった。チンパンとかゴリラを見て、その毛の生え様をおぞましと震えてもそれは我らが先祖、ラミダスとかジンジャン原人の姿だったと思い知る謙虚さが大事だ。すなわち全裸体に毛むくじゃらの体温36度C(新陳代謝の基盤なので種を通じて固有体温は変化しない)のオッサンが、棒を振り回してレイヨウやらネズミを追いかける最適温度が22度なのである。27~28度ともなると暑さに体力が持たないから、ネズミを取り損ねる。15度くらいあるいはそれ以下では筋肉がほぐれないからスタートダッシュがかからない。高気温でも低気温でもネズミに逃げられる。
現代、人様は裸でも毛むくでもないから、服をはおる。22度なら肌着にシャツの一枚を引っかけてちょうど良い。身が軽いから動き回れる。ラミダス原人がエチオピア(と今呼ばれている)地を闊歩していた、裸と毛むくの記憶が身体に蘇ったか瞬間でもある。
上の説明のごとく「生物条件」としてではなく「文化的」に気温の22度の貴重性を捉えるを小筆が試みよう。
22度を体感すると、文化あるいは歴史的に何某かが心にうごめいて、人が野をうろつくという背景である。22度の野に出でる人々の写真を下に掲載した。



22度を人が捉える中身は流行の新型コロナウィルスとも関連する。;
「これほどにヌクくなったら流行りの病にうつらない」と人が判断する。病にウツラなければ野に出ようのノリである。流行り病とは西風に吹かれてやってきて、冬に猖獗する風邪、インフルエンザである。インフルエンザは平成、令和に始まったワケではない。江戸期にも室町にも古代(三代実録の記録=ネット読みカジリ)にも猛威をふるったとある。人は歴史的に「寒い季節に流行り病をもらうと後々タチが悪い、下手うてば死ぬ」と覚え、気温22度が罹患とはねのけを峻別する起点であると経験として掴んだのではないか。
別れとは冬の籠もりとの別れ、そして流行り病との別れでもある。か様に古代から日本では、22度は花咲ける戸外活動と、陰湿な屋内の肺炎衰弱の別れ路であったのだ。

写真:東京府中市、多摩川河川敷のバーベキュー広場。3月22日撮影。武漢インフルの心配など微塵にも抱かず、多くの市民がバーベキューに興じていた。なぜって府中市のこの日の気温予想は22度だから。ウィルスの97%は即座に死んでしまうと、市民は経験的に知っているから。

もう一つの生物体の生死の22度の岐路を述べる。
ウィルスと人の中間に昆虫がうごめく。その王者はセミである。
蝉は気温25度Cで鳴き始める。秋に入って夜の気温が22度に下がると彼らは「凍死」するのだ。フツー凍死は気温マイナスで起こるが、それは人様の身の上に限る、寒さに強いタコ、ウツボとは比較するはおろか、蝉は絶対に22度で死ぬ。
悶えの焼死、凍えの突然死、花咲く野での飛び回り。22度が仕掛けるウィルス、セミ、人の生活動のふるい分けの様を知るにつれ、人なる私は明日にこそ、野に出で山を目指して彷徨おう、願う次第です。了
補記:♪私の誕生日に~中略~17本目からは一緒に火を灯し♪(22歳の別れ、曲と詞伊勢正三)別れたのは22本目の蝋燭に火を付けたからです。ここにも22の別れがあったのか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お詫びとホームサイト訂正

2020年03月20日 | 小説
3月18日に「裸の男」続きホームサイト掲載を告知したのですが、その目玉がPDF。その肝心なPDFがUpLoadされていなかった。当日、夜に気づいたがその間に幾人かが訪問なされたので、PDFをクリックしても飛ばなかった点にお詫び申します。
理由ですがPDF(2作計4頁)を作製して、PC内のホルダーにしっかり入れた。リンクを検証するにネットに飛ばず、PC内でクローム変換して確かめた。新たに制作した頁をサーバーに送って、それで良しとした。これが手違いで、PDF図もサーバーに送る必要があった。
初歩ミスでした。今回はしっかりネットにはいって検証しているので、懲りずによろしく部族民通信ホームサイトにご訪問を。

こうした図式が計4頁あります。了
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新型コロナインフルについての私見

2020年03月19日 | 小説
2020年3月19日
部族民(蕃神)は昨年(2019年)6月15日付けでロンドンのコレラ禍を報告する著作「感染地図」(ジョンソン著、河出書房新社)を紹介した。その一節を引用すると


>ロンドン中央部、4の井戸が水を供給していた。市民の多くは「ブロードストリート」井戸からの水を求めていた。ソーホー住民はルバートストリート、あるいはリトルマルバラストリート井戸が近くても、遠くの「ブロード…」の清涼な水を求めていた(同書より)<
この井戸をコレラ菌が侵した。その経緯、被害の様は省くが市当局も市民も原因に思い当たるところがない。空気にしてはどんより澱んでいたとしても(汚物を窓から放り投げて「処理」していた)、それは昔から変わらず。しかしロンドンの市央、ブロード…近辺にのみコレラが猛威をふるった。
原因を解明しないまま、市民を引き寄せる「他の井戸よりも美味なブロード」…を閉鎖して(同地区に住む医師ジョン・スノウの尽力による1854年)、コレラは下火となった。
1854年の時点ではコレラの原因がバイ菌によるものだとは知られていなかった。細菌が発見されたのはパスツール(自然発生説を否定、1870年)をへてコッホ(特定の病変と細菌の関連を証明した、1876年。コレラ菌発見は1880年)にまで時代をく下らなければならなかった。細菌説以前は「瘴気説」が世に信じられていた。
ここで「説」とはあるが言い伝えにすぎない。「悪い臭いが病気の原因」と盲目に信ずる迷信である。ブロード井戸の水は臭くないから病気の原因にはなり得ないーを信じた井戸周辺住民の22%、615人が死亡した(ネット百科より)。スノウは死亡者の発生マップを作成、ブロード井戸との関連を目視化し、市にしてこの井戸を閉鎖に持ち込んだ。
もしこの時に市議会なる制度があって、市の施策を監視していたら。
「市民に愛されるブロード井戸を閉鎖するなど以ての外。科学的根拠はあるのか」と野党議員が市長を糾弾したはずだ(幸い、市議会の発足はさらに後)。

感染地図。昨年6月に取り上げた時は「悪は外か内か」の観点だった。本投稿で科学的思考の2面を語り、一方のみの強弁は科学的ではない、これを考えた。

科学的の意味を「原因結果の確固たる因果証明」とすれば、スノウ医師には科学的根拠は無かった。さらにはコッホが細菌説を(科学的に)証明した後でも、細菌説の罹患実例が少ない19世紀後半では、瘴気説を信ずる者が多く存在した。
「ペッテンコーファーはコレラ菌単独ではコレラを発症させないことを証明するために自らコレラ菌を飲んだ」(1892年、朝日デジタルから)。彼は下痢で済んだが、同時にコレラ水を飲んだ弟子(氏名不詳)は死んでしまった。悪い空気、臭い水を病気原因とする信心はこの例で窺えるように根強かったのである。
市を説得するにスノウには感染地図しかより所が無かった。地図は「水とコレラ」の因果を示す「科学根拠」にはなりえない。
近辺には悪気(瘴気)を発生させる地下穴でもあって、それが原因だと否定されるかも知れない。そうした野党糾弾があったとしたらスノウの進言は却下されたかも知れない。すると600人台の死者で納まらなかったはずだ。

さて新型コロナ騒動をロンドンコレラ騒ぎに重ねと;
新型インフルに対しての政府対処は検査数を絞る、重篤者への手当を充実させるも2点である。背景に;
検査は手間がかかる上、信頼性が低い(信憑性は50%程度か、ネットから)。間違いは主に見落とし(悪を良とする)にある。
希望者全数を検査するキャパシティが無いし、それと整備しても治療的には意味がない(単なる感染者への治療法はない)に尽きるかと思う。なお、見落としの例は(現時点2020年3月19日)で韓国で発生した、若者の死亡(ネット情報)。

これに対して野党諸派は;

上記対策の「科学的」根拠はあるのかとなる(国会各委員会での野党質問要項を部族民蕃神が取り纏めた)。野党側の云う科学根拠の意味合いは
軽微感染者がその程度のまま自己管理で治癒する「科学的」根拠はあるのかとなろう。それらの多くが時間を経て重篤化したらパンデミックを起こすーの論理であろう。しかしこの論理は「科学的」ではない。若者が重篤化する紐つけが「想像」であるからだ。

「科学的」を振りかざすのは結構だが、それを「原因結果の確固たる因果証明」とすると間違いだ。この考えを分析的として、科学は分析のみで発達した訳ではない。とある原因がまだ見えない「結果」を引き起こすはずだ。この思考を弁証法(カントによる)あるいは演繹とすると、実は科学は演繹とその「証明」で発達したのだ。アインシュタインの相対性理論、ヒッグス粒子など好例はいくつも数えられる。
政府施策は今のところ(隣国、遠方国の死亡数字と比べて)期待された結果を出している。「科学的」演繹に導かれた対策が、その形勢を維持するを望む。

追記:信頼の置けない検査法がもたらす影響は計り知れない。それが見落とし(ネガティブフォールス=医療用語)であれば、その人は重症化する。なぜなら「検査結果では新型インフルではない」と信じ込むから医療機関に行かない、機関も入院させない(まさに韓国の例)。見過ぎ(良を悪とする、ポジティブフォールス)であれば大量に発生する「偽感染者」を不要に隔離する。これで医療は崩壊する。了
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神話学第4巻「裸の男」続きホームサイト掲載

2020年03月18日 | 小説
2020年3月18日
GooBlogに投稿した「「裸の男を読む 続き1~4 3月10~13日」を部族民通信ホームサイトに掲載した(表題は同じで上中、下は後ほど)。
一部加筆、訂正はあるが内容は変わらない。しかし;

ブログの手書き図をパワーポイントで図式化し、PDFに返還させて掲載している。ブログにはPDFが載せられないのでデジカメ写真をここに置きます。

二重三角形の意味(上がメタ神話、下が神話)


北米神話のイシスの冒険とアビ女を対比させた。アビ女は「反文化」へのベクトルが顕著。

ブログでの表現形式には限界があるので、PDF(2葉、計4頁)を参照しながら本文をお読み下されば、図式の意味合いが理解できます。とりあえず案内まで。

部族民通信サイトは(WWW.tribesman.asia)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神話学第4巻「裸の男」続き 4

2020年03月13日 | 小説
(2020年3月12日)
アビ女(DamePlongeon)神話に戻ります。粗筋は本投稿の初段(3月10,11日)にて紹介しております。手書き図を参考にしてください。また昨日11日投稿の図と見比べれば理解がはかどる当神話が他の南北新大陸神話とことなる点を申す;

写真:アビ女の神話を言い伝えていたAchomawi族の男(ネットから)何となく日本人に似ているので掲載した。

(天地開闢、文化創造を主題とする神話に限る)

1 他神話では英雄(すなわち男)が文化を創造する。しかしアビ女に限り女英雄が文化を創造する。女英雄なる語の形容矛盾は美しくない、以下ヒロインとする。
2 ヒロインが開いた天地には人が住まない、湖の底に彼女は潜む。アビ(水鳥)の陰鬱な鳴き声が響く湖水に人々の息吹は聞こえない。
3 文化の原点である竈の火をジャガーなどから盗むを文化の濫觴とする(ボロロ族など南米神話)、アビ女では「焼き尽くす火」、文化を否定する火である。



4 Aigle(ヒロインPlongeonの姉)は湖畔に住む兄弟に狩りの道具を与える。彼らが狩るのは野ブタ(viande肉)ではない。食べられないアビである。前回(3月11日)投稿し、解析した三角形の図式「竈の火+狩猟道具=料理」を手段として、目的の「肉」に向かう弁証法の方向は逆となる、これはすなわちanti-chasse反狩猟である。目的に向かうとは文化から遠のく。反文化なので下向きとした。


5 前回説明通り、肉はタバコに対して手段であり、またタバコの目的でもある。この二律背反性をして手段>目的の無限連鎖を断ちきり、神話三角形を閉じる役割を担わせる。そしてこのアビ女神話では肉を「狩る」文化的作業はない、食えないアビは「反肉」である。それはあるモノの手段であり目的となる。そのあるモノはタバコではなく灰である。灰、すなわちanti-tabacが無限連鎖を止め、神話三角形を「反文化」に色づけながら形成する。灰とはAigleが集めた父、兄弟の心臓である(原文ではdisque、直訳は椎間(円)板となる、アメランディアンはそこに人の精神(あるいは不滅)が宿ると信仰していたようだ。それと直訳しても含意を表現できないから、「心臓」とあえて誤訳した)Aigleは家族の心臓を集め灰にして蘇生させる。すなわち灰とは人由来、焼け死んだ者の一部をさらに灰に化けさせ蘇生するとは、元の(文化を未達成、特に同盟が成立していない)時代に戻るループを形成する。以上が「火」を素材にする反文化の弁証法的進展である。

6 水を元とした文化発展の様を見ると、服飾(parure)に死者の心臓を首飾りとするPlongeon(近親姦を迫る姉)が挙げられる。本来は水由来(貝、真珠など)を着飾るのだが人由来の服飾をanti-parureとレヴィストロースは説く。


7 蜜は火の加工を施さずに(水で希釈して)文化生産物(hydromel蜜酒)となる。蜜は求婚者が嫁実家への贈り物(役務prestation)として重要である。嫁実家では自家消費はほどほどにして、蜜酒を仕込む。これはその精製を祝う儀礼を村民総出にして執りもたれるなど、社会同盟の維持に欠かせない。婿の贈り物が多いほど、舅の社会地位は上がる。儀礼、地位、それに見合う服飾の華麗さ、供出する蜜酒の壺の数、これらが社会秩序で、文化そのものである。しかしアビ女神話では「秩序維持」をほのめかす挿話は出てこない。レヴィストロースは「塩泉」を蜜と対比させる。共通点は水、嗜好性、副産物を婿の役務(鹿肉)として利用できる。相違は一方は自然であり、自然を加工し文化となる。片方は人由来(人の涙)である故にanti-miel(反蜜)と位置づける。

8 全体を流れる思想は同盟の破壊「反同盟」である。弟と拉致し相姦を迫る姉(Plongeon)、腹いせに家族、村落を火で破壊する。孤立を選ぶ己は湖底で反文化(気味悪い叫び)をたてる。


9 一つの挿話、生き残った一人は隣村で娘に助け出され、恢復し同盟を結ぶ(娘二人を嫁にする)。その時にヤマアラシが出てきて「これ幸い」と捕殺して棘毛を抜いて、姑に贈る。また己の涙で鹿を呼び寄せ、多量の鹿肉を舅に贈る。これらは婿の役務で同盟結成の手順が、文化遵守で実行された訳だが、この同盟も結局は「蘇った旧家族の計略で」破壊される。反同盟の宙ぶらりんの文化社会に戻った。

アビ女神話はボロロ族の英雄と文化創造神話とは正反対、あらゆる点で「反文化」の思潮を元に語られる神話である。続く
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神話学第4巻「裸の男」続き 3

2020年03月12日 | 小説
(2020年3月12日)
Yana族などアビ女神話を読むにつけ、その展開の方向性を探ると;
文化を創造するとの前向き思考が見えない。全て方向で破壊、反文化である。例を挙げると;
近親姦、太陽軌道の攪乱、火による村落破壊(火を本来手段、料理に用いない)、殺害と孤立(生き残りは遠方で生き埋め)、弓矢を狩猟として使わない(アビを狩る)、反肉(アビは食せない)、反同盟…

ボロロ族など南米神話では近親姦、異種婚、社会制度への反逆が前段に記されるが、こうした禁忌犯しが次の段階(文化創造)の起爆となる。しかしアビ女の神話ではタブー犯しで始まり逆上、反体制で終わる。アビ女神話に関しては南神話とは思考も伝言も正反対との感を抑えられない。

そしてレヴィストロースは新大陸南北のこれら神話群はこの図(神話システムの内訳図、Armature du systeme)を理解すれば、同じ系統であると理解に至ると曰う。

神話システムの内訳図 (再々掲)

この図を解釈して正反対内容の両半球神話を解析すると試みよう。

つぶさに見ると上下に三角形を配置する。垂直に垂れた矢印は上から下への移動を示す。すると上の三角形が下のそれに表現されていると思える。「上部構造」「下部構造」なのか。思いつきながらこの解釈で進展出来そうだ。なぜなら上部三角とはSで埋まる。Sはシステムである。

ここで「構造主義」の出番がでてくる。

システムこと上部三角は「ideologie、思想」である。
下部三角は「形式」となる。

注:思想(頭の中)と形式(世にある実体)の対峙を本質と説く認知論が構造主義である。

この論点から二重三角を解析する。

上掲載図を解析するために2重三角形を分離した。上が思考(メタ神話)、下が神話。以下は本手書きに沿ったの解説である。

1 上三角はS、システム。それは思想であり、神話学ではメタ神話とも言える。
2 S1は文化の発端を示す。あたかも「ビッグバン」のごとく、ある日ある刻、文化が爆発した。その契機を「火」の取得とする。火は竈に燃える火であり、人が制御出来る火である。
3 火の文化の展開がS2=>S3と進む。その工程はまず手段が確保されて目的を捕らえる。手段なしの目的という思考手順は(どんな人類にも)持てない。肉塊を前にして火とナイフを持たないオーストピテクスはそれが食べる「目的」であるに気付かない。

(南北神話の近似性とメタ神話について;
南から北へ「伝言リレー」的に伝播する仕組みではこのほどの長さにおいて、同一性は保持できないとした。神話を統合するメタ神話なる理念があったはずだと小筆は推測した。生と調理1(ブログでは2017年9月13日投稿、ホームサイトでは2019年6月15日掲載に詳しい。ホームサイトWWW.tribesman.asiaに入って「部族民サイト内検索」をクリックして、グーグルカスタム窓にメタ神話を入れて検索できる。このメタ神話なる概念はレヴィストロースが本図に組み込んだ上部三角形に他ならない)

4 下三角形は形式です。神話と登場人物をここに割り当てます。S1に対応するは手段としての料理(竈の火と弓矢道具)
5 手段を確保して目的(Viande肉)を見つける。
6 肉が手段となってタバコを見つける(神話M16,生と調理93頁など)
7 タバコは同時に肉を創造する手段でもある(上神話)、ここで手段>目的の連鎖が閉じる。
8 左の水による文化形成にも7と同様の進展と回帰が認められる。

かく、南米神話ではこの図が適合する。しかしアビ女には…(続く)

(構造主義を巡り、世のあまた学者は「構造」が社会の性格を決めるなど呑気な解釈を流しているが、それらは「構造機能論」にしか過ぎない。この論面では「高崎山猿構造の非情」「山口組構造の人為性」など名著が多い(いずれも絶版)。あるいは「タテ社会の日本、中根著」も構造機能論の端くれである。しかし「主義」と「機能説明」は別水準の思考である。構造主義はその濫觴をデカルトに発する「思考」と「存在」の二重性を無神論で説く認識論哲学である。
おっと、すこしだけ、気合いが入りすぎたかな。仏哲学者デリダを紹介する著作を読み、当然レヴィストロースにも言及されているのだが、まさに構造機能論で解説している文言には、教授ともあろうが、アビ女にも負けずに猛り狂ってしまった。許せ)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古賀都議の告発、中国法輪功への臓器狩り 読切り

2020年03月11日 | 小説
渡来部須万男の投稿です。
(2020年3月11日)

東京都議会議員古賀俊昭氏(自民党所属、日野市選出)には3月9日(令和2年、2020年)に永眠なされた。享年72歳、思い出を書きつづり氏のご冥福を祈りたい。


故人には七生養護学校性教育批判裁判(2013年結審)のエピソードが語られる。ネットにおいても多く紹介されているので、渡来部からは一言「審理には負けたが人倫には勝利した」(本人の弁)のみを紹介して、皆様が知らない一面を。

カナダ人権弁護士マタス氏は、中国オルドスの強制収容所で拘束されている法輪功信者に実行されている、「臓器狩り」を告発している。日本の関与も認められるので、世論の啓発を目的に2013年9月に来日した。日本の関与とは「移植技術の研修」「拒否反応の緩和薬剤」に限られる。当事者には善意で協力したのであろうが、これら技術なしには「臓器狩り」は成立しない。善意の協力が法輪功拘束者を死に至らしめる仕組みに組み込まれた事実、さらに一衣帯水の隣国での現在進行形、これほど非道な行為が実践されている。これらを啓発したかった。

東京で講演会を開催する予定が立たない。

受け皿が出なかった。何しろ「生きている若者(法輪功実践者)をオルドスの刑務所から瀋陽軍隊病院に移動させ、生きたままベッドに縛り付け、腹を割いて心臓肝臓腎臓などと狩りとる。扉隔てた隣室に移植希望者がベッドで待つ」を骨子とする講演はあまりにもおぞましく、かつ反中国キャンペーンに結びつくので、国会議員は与党も野党も尻込みした。

市民人権派団体も手を挙げなかった。

古賀都議が受け入れを肝いりした。都議会会議室で開かれた。この講演内容は新唐人テレビ「マタス弁護士訪日報告、今なお続く中国の臓器狩り」表題のビデオがネット観覧出来る(2013年9月4日放映)古賀都議の挨拶では元気な姿を窺え、声も聞こえる。

氏の行動思想を推し量ると、

倫理である。

古賀都議、写真はネット百科から。私は(渡来部)選挙区民なので幾度か話す機会得た。硬骨、実直の正義漢であった。

日本人が家庭、学校でまず受ける教育は「悪いことをしてはいけない」である。悪いこととは何か、他人に迷惑をかけるなに尽きる。法律は悪さを並べ、悪さの重さを刑期にはかるが、市井の人は刑期の長短を必要としない。目の前に起き何かに対し、悪ければ制し良ければ助ける。
まさに古賀議員は目の前の悪さを制する人物だった。

若者が生きたまま解剖され臓器を抜き取られる。悪いのは法輪功を実践した若者か、臓器を取る医師か、それを売りさばいて巨財をなした中国共産党の政権側か。その周囲に蠢く人たちは有罪か無罪か。多くはアメリカ・カナダ人らしいが、「臓器移植を安上がりに」移植ツアーの参加者で若者の肝臓を買った老人は善か悪か。今、事実を見知って沈黙する政治家、人権派は善か悪か。

新唐人テレビのビデオ講演からも知ることが出来るが、これら事実を突きつけられたら、この仕組みを成立させた人物こそが最悪人であると日本人は決めつけられる。移植医師は次の悪かも知れない。しかしそれと知っても知らんふり、さらに中国共産党は悪いコトしないなどとうそぶいて、講演をはねつける団体にはどうであろうか。実行犯ではないから、悪さの度合いは臓器狩り当事者よりは小さかろうが、やはり悪である。彼らにも悪はそれなりに濃くも染みつく。倫理を忘れ、物事を別の尺度で決めてしまう人たちにこびりつく習性こそ、悪の再生産であろう。

妥協を知らず、
失うを畏れず
氏は人倫を貫いた。

投稿する(渡来部須万男)と同年である。「私の世代にはこの一本気を受け継ぐ者がまだいるのだ」。同世代としてかく頼もしかったが昨夕に永眠の報、ご冥福を祈ります。了
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする