(9月30日)
心の内にうごめくvertu(行動する力)に駆り立てられアリサは突然、家出する。義弟(ジュリエットの連れ合い)は仕事を放り出し、アリサ探しにパリを奔走する。発見された時は手遅れでアリサは誰にも看取られず慈善病院で死んでいた。信仰と行動の「自由」を迷いもなく実行したあげくの孤独死であった。
死の後、封書が発見されジェロームへと宛先が記されていた。公証人を通して彼に送られた封書の中身が「アリサの日記」。これがrecit(ジェロームの語り)最終章に続く形で掲載される。これを読んだジェロームの驚きはいかばかりか、recitの最終を引用する。
<<Vous imaginerez suffisamment les reflexions que je fis en les lisant et le bouleversement de mon coeur que je ne pourrais que trop imparfaitement indiquer>>
(ポケット版155頁)
訳するまでもない簡明な文章であるが拙訳を試みると;日記を読んだ驚きの様は筆舌に尽くせないほどだが、あなた方(読者)は、私の反応(reflexions)を十分に理解できるであろう。
写真:ジッドとサルトルのツーショット、サルトルも自由を追求した作家である。ネットから拾ったので著作権が存するか不明です。違反があればお知らせくだされ。
reflexionは光や音の反射が第一義、二義に熟慮反省とある(スタンダード辞書)。この「熟慮」を調べるとretour de la pensee sur elle-meme en vue d’examiner plus a profond une idee, une situation, un probleme (robert)とある。=考え方、状況、課題にたいしてより深いあたりを検討するためにそもそもの思考へ立ち戻り>となる。ジェローム場合にはかつてアリサと交流していた頃に立ち反って、あの時々の「状況=situation」を再考慮し、交流の様を改めなおしたと投稿子は解釈する。なぜなら、彼の視点で語られたrecitの筋とは全く異なる状況がアリサの日記に綴られていた。
アメジストの首飾りのくだりをアリサの視点で見ると;
<<Jerome! mon ami, toi que j’appelle encore mon frere, mais que j’aime infiniment plus qu’un frere…(ジェローム、友よ、おまえを未だ弟と呼んでいる私だが、実は弟よりも限りなく愛している)この日付は9月30日、一日おいて
<<J’avais egalement pris sur moi la croix d’amethyste qu’il aimait et que je portais chaque soir, un des etes passes, aussi longtemps que je ne voulais pas qu’il partit>>(173頁)
拙訳;彼がお気に入りのあの十字のアメジストを、同じく着していた。(同じくは前文で彼からの手紙を読み返していたに対応する)。過ぎ去ったあの夏、毎夕それを着けていたのは、それほどにも彼が出発するを望まなかったから。
recitでの説明では、その夕に首飾りを着せず夕餉の卓に座るアリサを目にしてジェロームは出立した。その約束や夕餉の状況は、日記には現れない。逆に、ジェロームのお気に入りなのでそれを一夏の間、毎夕(chaque soir)着していたとアリサは語る。この差異をなんと理解するか。いずれかの記憶違いなどと片付けるジッドである筈がない。この矛盾に気づいて食い違いを考えてくれと言っているのだ。
二人言い分の様が本作品の理解の鍵であり、さらにはジッド自由の解釈にもつながる。投稿子として以下に考えた。
<アリサは十字アメジストを着せず席についた。出立を遅らせ館に居続けるジェロームに再び見えたら、気構えが変わってしまう。その畏れを感じていたからこそ、約束(それを着けなければパリに戻っての気持ち)の通りを実行した。別の言い方では「ふらつき始めたアリサのvolonte(信仰、神への誓い)をvertu(力)が立ち直らせた」となる>
アリサの日記を通読すると、ジェロームへの感情が彼女の口元からほとばしるかに読み取れる。感情としたその心は愛情とは異なる。かの国の言葉ですれば<affection>気遣いあるいは情念、と投稿子は思う。情には逡巡が残る、これが直線一本道の愛にはてたら、約束が守れない。さらに、愛に囚われる身などは自由ではない。「だから明日に出て行って」と知らせた。すると「毎夕」との矛盾が残る。語意としてchaque soirとは「それを必要とする夕べには必ず」が意味でtouts les soirs,でもchaque soir sans exception (いずれも強調した言い回し)でもないから、あの夕は除いてとなり辻褄はあう。ジッドの修辞がここに飾られると理解すればよろしい。別の一節あげる;
<<Cher Jerome, je t’aime toujours de tendresse infinite; mais jamais plus je ne pourrais te le dire. La contrainte que j’impose a mes yeux, a mes levres, a mon ame, est si dure que te quitter m’est deliverance et amere satisfaction>>(167頁)
拙訳:親愛なるジェローム、いつもお前を無限の優しさで愛している。しかしお前にそれを告白できなかった。私の目、唇、心にまできつい束縛を課しているのだから。お前から去るとは私の解放、その喜びはとっても苦い。
引用には情念と行動の乖離が窺える。これを自由でありたいアリサのvolonteとvertuの争いと読みたい。自由を追い求めるアリサは悩む、悩みが苦い喜びに結実する。感情と意志の相克をかく引き起こす自由をデカルトは語らなかった。数学の天才にして近代哲学の創始、デカルトはvolonteとcapaciteの間に困難などあり得ない。volonteを確立すればcapaciteは自ずと湧き上がると断言している。なぜならvolonteは思考でcapaciteはその実態だから、得意の二元論で片付けている。
自由を希求するカルテジアンならばliberte d’indifferenceにジッドはあこがれる。狭き門の出版は1909年、1869年生まれジッドの精神風土の土台とは19世紀後半である。ユーゴーのロマン主義に影響を受けているであろう。自由と格闘する近代人代償をこの作品で描いたのだ。
カツ丼の自由、アリサの勝手でしょ10の了
(次回予定は10月2日)
心の内にうごめくvertu(行動する力)に駆り立てられアリサは突然、家出する。義弟(ジュリエットの連れ合い)は仕事を放り出し、アリサ探しにパリを奔走する。発見された時は手遅れでアリサは誰にも看取られず慈善病院で死んでいた。信仰と行動の「自由」を迷いもなく実行したあげくの孤独死であった。
死の後、封書が発見されジェロームへと宛先が記されていた。公証人を通して彼に送られた封書の中身が「アリサの日記」。これがrecit(ジェロームの語り)最終章に続く形で掲載される。これを読んだジェロームの驚きはいかばかりか、recitの最終を引用する。
<<Vous imaginerez suffisamment les reflexions que je fis en les lisant et le bouleversement de mon coeur que je ne pourrais que trop imparfaitement indiquer>>
(ポケット版155頁)
訳するまでもない簡明な文章であるが拙訳を試みると;日記を読んだ驚きの様は筆舌に尽くせないほどだが、あなた方(読者)は、私の反応(reflexions)を十分に理解できるであろう。
写真:ジッドとサルトルのツーショット、サルトルも自由を追求した作家である。ネットから拾ったので著作権が存するか不明です。違反があればお知らせくだされ。
reflexionは光や音の反射が第一義、二義に熟慮反省とある(スタンダード辞書)。この「熟慮」を調べるとretour de la pensee sur elle-meme en vue d’examiner plus a profond une idee, une situation, un probleme (robert)とある。=考え方、状況、課題にたいしてより深いあたりを検討するためにそもそもの思考へ立ち戻り>となる。ジェローム場合にはかつてアリサと交流していた頃に立ち反って、あの時々の「状況=situation」を再考慮し、交流の様を改めなおしたと投稿子は解釈する。なぜなら、彼の視点で語られたrecitの筋とは全く異なる状況がアリサの日記に綴られていた。
アメジストの首飾りのくだりをアリサの視点で見ると;
<<Jerome! mon ami, toi que j’appelle encore mon frere, mais que j’aime infiniment plus qu’un frere…(ジェローム、友よ、おまえを未だ弟と呼んでいる私だが、実は弟よりも限りなく愛している)この日付は9月30日、一日おいて
<<J’avais egalement pris sur moi la croix d’amethyste qu’il aimait et que je portais chaque soir, un des etes passes, aussi longtemps que je ne voulais pas qu’il partit>>(173頁)
拙訳;彼がお気に入りのあの十字のアメジストを、同じく着していた。(同じくは前文で彼からの手紙を読み返していたに対応する)。過ぎ去ったあの夏、毎夕それを着けていたのは、それほどにも彼が出発するを望まなかったから。
recitでの説明では、その夕に首飾りを着せず夕餉の卓に座るアリサを目にしてジェロームは出立した。その約束や夕餉の状況は、日記には現れない。逆に、ジェロームのお気に入りなのでそれを一夏の間、毎夕(chaque soir)着していたとアリサは語る。この差異をなんと理解するか。いずれかの記憶違いなどと片付けるジッドである筈がない。この矛盾に気づいて食い違いを考えてくれと言っているのだ。
二人言い分の様が本作品の理解の鍵であり、さらにはジッド自由の解釈にもつながる。投稿子として以下に考えた。
<アリサは十字アメジストを着せず席についた。出立を遅らせ館に居続けるジェロームに再び見えたら、気構えが変わってしまう。その畏れを感じていたからこそ、約束(それを着けなければパリに戻っての気持ち)の通りを実行した。別の言い方では「ふらつき始めたアリサのvolonte(信仰、神への誓い)をvertu(力)が立ち直らせた」となる>
アリサの日記を通読すると、ジェロームへの感情が彼女の口元からほとばしるかに読み取れる。感情としたその心は愛情とは異なる。かの国の言葉ですれば<affection>気遣いあるいは情念、と投稿子は思う。情には逡巡が残る、これが直線一本道の愛にはてたら、約束が守れない。さらに、愛に囚われる身などは自由ではない。「だから明日に出て行って」と知らせた。すると「毎夕」との矛盾が残る。語意としてchaque soirとは「それを必要とする夕べには必ず」が意味でtouts les soirs,でもchaque soir sans exception (いずれも強調した言い回し)でもないから、あの夕は除いてとなり辻褄はあう。ジッドの修辞がここに飾られると理解すればよろしい。別の一節あげる;
<<Cher Jerome, je t’aime toujours de tendresse infinite; mais jamais plus je ne pourrais te le dire. La contrainte que j’impose a mes yeux, a mes levres, a mon ame, est si dure que te quitter m’est deliverance et amere satisfaction>>(167頁)
拙訳:親愛なるジェローム、いつもお前を無限の優しさで愛している。しかしお前にそれを告白できなかった。私の目、唇、心にまできつい束縛を課しているのだから。お前から去るとは私の解放、その喜びはとっても苦い。
引用には情念と行動の乖離が窺える。これを自由でありたいアリサのvolonteとvertuの争いと読みたい。自由を追い求めるアリサは悩む、悩みが苦い喜びに結実する。感情と意志の相克をかく引き起こす自由をデカルトは語らなかった。数学の天才にして近代哲学の創始、デカルトはvolonteとcapaciteの間に困難などあり得ない。volonteを確立すればcapaciteは自ずと湧き上がると断言している。なぜならvolonteは思考でcapaciteはその実態だから、得意の二元論で片付けている。
自由を希求するカルテジアンならばliberte d’indifferenceにジッドはあこがれる。狭き門の出版は1909年、1869年生まれジッドの精神風土の土台とは19世紀後半である。ユーゴーのロマン主義に影響を受けているであろう。自由と格闘する近代人代償をこの作品で描いたのだ。
カツ丼の自由、アリサの勝手でしょ10の了
(次回予定は10月2日)