湯西川日記

fbやツイッターで一年サボりましたが、やっぱりブログです。2016年から復活します。ツイッターの長い版みたいな感じです。

不幸ありました(2)

2011-05-26 20:46:22 | 学習

第一報があったのが、夜の8時で、何とか死に目には合わせてやらねばと、動揺するニョーボに携帯電話と金子だけ持たせて、駅まで送ってゆき、終電に間に合わなかったら、八重洲口から高速バスに乗れといって、送り出した。終電の新幹線は東京駅発9時20分で、何とか間に合ったようで、午前零時前には京都市内の病院に着けたらしい。

親戚が少ないので、ニョーボと弟だけでは心細かろうと、和歌山の実家のワシの母親に電話して、翌朝、病院に行ってくれるよう頼んだ。ワシの母親は典型的な、やたら明朗でちゃらんぽらん紀州女で、お調子者でちょっと心配だったが、翌朝、つまり、今朝、バイクで和歌山駅に行き、始発で阪和線に乗り、朝の8時前には病院に行ってくれた。

病院では、持ち味を発揮しまくって、あちこちに首を突っ込んでボケをかましながら、ニョーボや弟の手伝いや、病人の世話をしまくって大活躍してくれたらしい。昼休みに、ニョーボに電話したら、突然母親が危篤状態になってしまって大変なはずのニョーボがクスクス笑いながら、「お母さんが天然でめっちゃ面白いんよ」と話してくれた。

ワシのニョーボとワシの母親とは、あたりまえだが、世間でいう姑と嫁の関係なのだが、ものすごく仲が良い。また、ワシの母親は元小学校教諭だが、長いこと小児科で院内学級で重病の小学生に授業をしていたこともあって、病院の生死には慣れているということもあるのだろう。母親には、いくら感謝しても、し足りないくらい。ニョーボには、「おまえには、もうひとり、ほんまもんのお母さんいてるんやから」といっておいた。「そうやね」といってくれた。

ただ、厳しい状況に変わりはない。会社にも報告しておいたし、土曜か日曜か、場合によっては明日にもワシも京都に行くつもり。