今まで体験したことのない、お別れだった。今までのお別れは、長いこと闘病の果てのご逝去や、老衰で、ミイラのようにやつれたなきがらや死に顔ばかりだったが、今回は違った。なにせ、まったく突然に逝かれたから、お顔も何も、死んでいる感じがしない。
棺に入れる前に、お化粧を施したのだが、肌色を塗ると、本当にただ寝ているだけとしか思えない。寝ているとしか思えない。死に実感がない。お義母さんが、この金曜日に死ぬなんて、あり得ないことだった。おととし、ワシが胃に穴が開いて体重が55キロになった時、ワシを見て涙ぐんでくれたほどだったのに…。
今でも、電話したら、すぐ出てきてくれるくらい。そんな気がしてしかたがない。死に実感がないから、悲しいという気持ちを超越している。死に実感がないといえば、先の津波の犠牲になったご遺族も、こんな感じなのだろう。とはいえ、死を実感せざるを得ないから、何かの拍子で感情がどっとこみあげる。
ワシでこんな感じなのだから、実の娘のニョーボや弟の気持ちは察して余りある。ふたりとも、気丈で全然泣いたりしなかったのだが、弟はさすがに火葬場で最後のお別れのとき感情を抑えきれなくなってしまった。ワシが肩を抱いてやりたかったのだが、彼は186センチもあるので、肩まで腕が届かない。しかたがないので、腰を何度もさするしかなかった。
親戚が少ないから、遺族といっても、お骨ひろいにまで行ったのは、お義父さん、ニョーボ、義弟、ワシ、うちの娘ふたりの6人だけ。少人数でひっそりとお通夜、葬式と終わって、娘たちは学校があるから、ニョーボだけ残して、さっき、3人で東京に帰ってきた。とりあえず、会社はしばらく休んで、家事やら何やらするつもり。ワシにできるのは、ニョーボと弟の少しでも支えになってやることだけだ。