鐔鑑賞記 by Zenzai

鍔や小柄など刀装小道具の作風・デザインを鑑賞記録

太刀鐔 Tsuba

2011-06-15 | 鐔の歴史
太刀鐔 (鐔の歴史)




太刀鐔 鎌倉時代

 兵庫鎖太刀の鐔の一例である。地面に比較して耳を極端に厚く造り込み、地面と耳に薄肉彫で唐草文唐花文などを装飾としている。素材は素銅や山銅に金の色絵。色絵は江戸時代のような薄い金板をロウ着せするのではなく、鍍金のように薄いため、擦れて下地が見えるものが多い。
 この鐔は拵の総金具と同作で、山銅地に唐華唐草文を高彫している。極厚の耳にのみ装飾を施しており、一段低い地面には装飾が施されていない。巴に構成された瑞鳥が彫り描かれているのは、取り外しが可能な大切羽である。

分銅形鐔 銘 安親 江戸時代中期

2011-06-14 | 鐔の歴史
分銅形鐔 銘 安親 江戸時代中期


分銅形鐔 銘 安親 江戸時代中期

 江戸時代中期の土屋安親(やすちか)の作。安親は奈良派の金工で、それまでの金工が古典的な画題や後藤家のように時代の器物などを図に採ることから発展させ、同時代の風俗や新趣の文様など様々な画題に挑んでいる。
 この鐔は分銅鐔ではないが、分銅形鐔を手本とし、楯状に意匠してかつてない作品としたものとして紹介する。江戸時代には、このような太刀鐔そのものをデザインした打刀の鐔も製作された。後に紹介するが、それ以前から、太刀鐔の意匠はそのまま打刀の鐔に採られている。
 鉄地を薄肉彫で唐草唐華文を廻らし、猪目を品良く配して腕抜緒の小穴としている。上下を繋いでいる耳には龍頭を意匠し、中国伝来の風情を演出している。縦80.5ミリ。□


分銅形鐔 後藤清乗

 分銅形鐔を打刀鐔に意匠したもので、江戸時代後期の作。後藤家清乗家七代目の工で、雪心斎と号する。後藤家にあって、後藤らしからぬ作風を専らとし、鉄地に正確で精巧な構成になる絵画風作品などを見る機会が多い。この鐔は、朧銀地に龍文を高彫した、もので、造形のみを分銅形から採っている。安親の作と、製作と使用の目的が同じである。


分銅形鐔 飾剣 Tsuba-Kazaritachi

2011-06-13 | 鐔の歴史
分銅形鐔 飾剣   (鐔の歴史)



分銅形鐔 飾剣

 時代は江戸初期まで下がるが、遍く知られている聖徳太子像に描かれているような飾剣の例。この種の拵で、健全であり時代の上がるものは頗る少ない。江戸初期あれば充分に古いと言えよう。時代は下がるが、様式は伝統が守られており、古いままである。
 金銅製の金具は質素な魚子地と毛彫表現になる唐草文が廻らされている。飾り金具には七宝が施されている。
 公家が用いた飾剣などは、武士の用いた実戦用の太刀とは異なる。鐔も異なるはずだが、江戸時代には太刀鐔を打刀の鐔に意匠している。葵木瓜形、分銅形などの太刀鐔のデザインを採ることが多い。


分銅形鐔 飾剣

 江戸時代後期の作になる絢爛豪華な飾剣とその鐔。金鍍金を施した飾り金具は古式の金銅地と銀地を重ねたもので、天然石と硝子を象嵌している。金沃懸地の鞘には鳳凰文を螺鈿で描いている。この鐔も分銅形で、唐草文は高彫表現。贅を尽くした作である。

卵倒形鐔 Tsuba

2011-06-12 | 鐔の歴史
鐔の歴史

 実用の時代の簡素で力強い道具としての鐔と、江戸時代に美術品して完成へと突き進む鐔とでは、存在理由が大きく異なる。とは言え、どちらも魅力的な存在である。
ところで、日本刀の鐔の歴史を説明することになると、古墳時代の直刀の鐔、卵倒形鐔にまで遡るのはどうだろう、適当であろうか。
 日本刀とは、我が国で創案され完成された彎刀、即ち反りのある刀のことであり、古墳時代の刀は大陸から伝播した文化の一部。更に突き詰めると、武士の台頭する平安時代から我が国の武器の歴史が始まると言い得る。
 それでも古墳時代の鐔を紹介する理由は、後に上杉拵に掛けられているような車透鐔があり、これに意匠が良く似ているからであろう。鐔を道具として、機能として考えると、このような形が基本ということなのであろうか。
 また、貴族が身に着ける儀式用の太刀も存在し、後にこれらが刀の意匠にも採り入れられている。我々がイメージする武士の姿やその時代とは遠く隔たりがあるも、やはり古墳時代から眺めなければならないのであろう。





卵倒形鐔 古墳時代

 素材は粗銅地を打ち叩いて車状に透かしを設け、金の鍍金を施している。このような銅に金鍍金の技法を金銅と呼んでいる。耳は打ち叩いて折り返すように高く仕立てている。腐蝕して緑青が生じ、欠落している部分もあるが、造り込みの様子は良く理解できる。写真例のような圭頭大刀などに用いられたものである。九三・五ミリ。

車透図鐔  Tsuba

2011-06-11 | 鐔の歴史
車透図鐔  (鐔の歴史)



車透図鐔 黒蝋色塗鞘打刀拵

 上杉家伝来の打刀拵とその柄前である。この反り格好から、長寸の太刀が収められていたことが推測される。長い柄に大振りの金具、いずれも質素な造り込みで、藍鮫革着に皮巻柄。目貫も質素な鷹の羽図。鐔は鉄地丸形に放射状の透かしを施した、菊花透とも車透とも呼ばれる、この大太刀に相応しい作。透かしを施してあるのは重量を調子するためであろう。このような車透を意匠とした鐔の歴史はことのほか古い。
 先に紹介した小柄や目貫に描かれている拵とは雰囲気が異なる。上杉謙信の養子となった景勝もまた刀好きとみえ、名匠の手になる三十五腰を伝えているが、その中に鐔を設けない長寸刀の拵が何点か存在する。鐔を設けないという理由は、刀のバランスを考慮したもの。鐔とは、一般的に拳を保護することが第一の目的と考えられているようだが、本来は、命を預ける刀を、より使いやすくするためのものであることが、このような拵があることによって判明するのである。
 因みに、写真の質素な長柄の拵も上杉家三十五腰の一である。