鐔鑑賞記 by Zenzai

鍔や小柄など刀装小道具の作風・デザインを鑑賞記録

剣巻龍図二所 法眼春明 Haruaki-Kono Hutatokoro

2011-12-31 | 鍔の歴史
剣巻龍図二所 (鍔の歴史)



剣巻龍図二所 法眼春明(花押)

 河野春明は柳川直春の門人。後藤家とは直接的な関わりはないと考えられているのだが、後藤を手本とした風格ある作品を遺している。この二所がその典型で、 図柄は、先に紹介した京後藤極めと同様、剣にまきついた龍神。金無垢地を打ち出し強くくっきりとした塑像とし、表面には町彫の極致とも言いうる精密な鏨を切り込み、表面処理も頗る丁寧。後藤に紛れる作ながら、後藤を超えている部分も備えており、後藤を越えようとする町彫り金工の強い創造意識と世界観を鮮明にしている。

剣巻龍図目貫 京後藤 KyoGoto Menuki

2011-12-29 | 鍔の歴史
剣巻龍図目貫 (鍔の歴史)



剣巻龍図目貫 京後藤

 京後藤の作と極められた迫力ある目貫。金無垢地を打ち出し、くっきりとした塑像に仕立てており、胴体に丸みがあり、中央にすっきりと通っている剣の存在、これに巻きつく様子など引き締まった感がある。
 京後藤、あるいは脇(傍)後藤とは、宗家以外の後藤分家のこと。無銘の作品としては、後藤宗家に極められず、と言って分家の誰に極めることも難しいことから、このように呼ばれる。即ち、後藤の分家は、元乗に始まる喜兵衛家、顕乗に始まる理兵衛家、休乗に始まる源兵衛家など十数家(早くに江戸に出て町彫化した清乗家は含めない場合がある)があり、およそ七十人の工があることから、各時代の作風を分析しても特定が出来ない例が多いのである。しかも祖先の作風を写したとあれば、さらに判り難くなる。

波龍図小柄 加賀後藤 KagaGoto Kozuka

2011-12-28 | 鍔の歴史
波龍図小柄 (鍔の歴史)


1 波龍図小柄 加賀後藤


2 波龍図小柄 加賀後藤

 波間に龍の図小柄二題。いずれも常の後藤の作に比較して華やかなところがあり、加賀後藤と極められる要素を持っている。また、①の小柄は長さが146ミリ、幅が22.9ミリと寸法が大きな、所謂大小柄。②は普通の96.6ミリ。大振りな小柄は、戦国時代末期から特に桃山頃に流行しているが、その文化の影響を強く受けた江戸時代前期までは間々製作されていた。後藤家の誰かと問われても、その極めまでは難しい。後藤に学んだ加賀金工の可能性もある。後藤の写しは、特に這龍図は後藤家だけのものではないのである。
 波に龍の組み合わせは殊のほか多い。そもそも龍とは、竜巻のような自然現象もその背景にあったのであろう。とすれば、海上に立ちのぼる竜巻は龍の存在をイメージさせるに充分である。

波龍図鐔 加賀後藤 KagaGoto Tsuba

2011-12-27 | 鍔の歴史
波龍図鐔 (鐔の歴史)


波龍図鐔 加賀後藤

龍が波間に顔を出した場面を描いた、巧みな構成が魅力の鐔で、加賀後藤と極められている。赤銅魚子地高彫に金色絵。鐔の上部に洲浜形に大地を表現し、大海原を波文で、龍は高彫に金色絵。後藤の龍であるが、宗家にはない図柄である。意匠は、桃山頃に流行し始めた風景の文様化、即ち、後に琳派と呼ばれる風合いを漂わせている。装剣小道具として、刀を装う金具としての位置付けは確かにあるのだが、その装飾性は、時代の下がるに従って多様性を帯びてくる。
69ミリ。

雲龍図鐔 加賀後藤 Kagagoto Tsuba

2011-12-26 | 鍔の歴史
雲龍図鐔 (鍔の歴史)


雲龍図鐔 加賀後藤

 後藤の作風で、その伝統を秘めつつも、後藤らしからぬ華やかな風情を漂わせている作。元来、後藤家では鐔を製作していない。江戸時代初期の桃山文化の時代に至ってようやく鐔を製作しているが、さほど多くもなく、それらは特殊な需によるものであろうと推測される。ところが加賀国前田家では、後藤家の金工を招いて技術を学び、加賀金工の独風を生み出している。このように、宗家の伝統に直接関わらなければ鐔も製作したであろう。
 この鐔は厳格な趣のある赤銅魚子地高彫になる木瓜形の作。深く彫り込んで高彫とし、金の荘厳な色絵を施している。耳にも櫃を施し、その中に龍の文様を高彫金色絵で彫り描き、拵に装着して映えるよう考慮している。□

倶利迦羅図二所物 後藤光壽 Mitsunobu-Goto Futatokoro

2011-12-24 | 鍔の歴史
倶利迦羅図二所物 (鍔の歴史)


倶利迦羅図二所物 後藤光壽

 後藤宗家十一代光壽。先に紹介した乗真の同図を比較されたい。全くの同図ながら、風合いが随分と違うことは一目瞭然。赤銅地一色という点は考慮外だが、量感や肉の取りかた、鏨の切り込みの様子などの相違点を確認されたい。豪快さ、迫力は乗真に譲るが、彫口の繊細さにおいては光壽が優位であろう。
 この時代、横谷宗、奈良利壽、土屋安親などが登場し、金工の技術と感性は急激に発展している。後藤家は伝統を重んじなければならず、時代に応じ、さらに先端を追求する意識もあったものの、それを抑えねばならないという葛藤があったに違いない。それでも光壽は、それまでの後藤家には見られないような写実表現からなる作品も遺している。

這龍図小柄 後藤廉乗 Renjo-Goto Kozuka

2011-12-22 | 鍔の歴史
這龍図小柄 (鍔の歴史)


這龍図小柄 後藤廉乗

 後藤宗家十代廉乗。この作例でも、金地を打ち出して塑像を作り、赤銅魚子地に据紋していることは、写真で判るだろう。胴体に丸みがあり、際端が目貫のように絞られ、くっきりと立っている。赤銅魚子地に金地高彫据紋の大きな魅力である。
 江戸時代中期、後藤家は京から江戸に活動の場を移す。江戸が発展して経済活動もまた江戸に重点が置かれるようになったからに他ならない。後藤家は、単に装剣金工作品を製作していただけではなく、幕府の命で確かな貨幣を製作することにより貨幣の信用度を保持する立場にあった。

龍頭鞭図小柄 後藤程乗 Teijo-Goto Kozuka

2011-12-21 | 鍔の歴史
龍頭鞭図小柄 (鍔の歴史)


龍頭鞭図小柄 後藤程乗

 程乗は後藤宗家九代。顕乗の嫡子で、父が宗家七代目を預かった際に理兵衛家を継ぎ、加賀前田家の御用を勤めている。宗家八代即乗が没した際、やはり嫡子が幼かったために合議によって家督を預かり九代目となっている。加賀金工の発展に寄与したのみならず、自らもまた後藤の伝統に独創を加えた華のある作風を展開している。それまでは、専ら赤銅地に金色絵象嵌の手法が多く用いられていたが、この頃から銀や朧銀などが盛んに用いられるようになる。この小柄も、采配に銀を用いている。頭に龍を意匠した鞭を画題としているが、その杖に当たる部分は龍の骨を暗示する構成。頗る面白い図柄である。

這龍図三所物 後藤顕乗 Kenjo-Goto Midokoromono

2011-12-20 | 鍔の歴史
這龍図三所物 (鍔の歴史)



這龍図三所物 後藤顕乗

 戦国時代末期から江戸時代初期にかけての、文化的に桃山時代と言われる特異な風俗や文化が発展した頃の、後藤宗家七代顕乗の作。装剣小道具は総体に豪壮で華やかになる傾向がある。この顕乗や、殊に六代栄乗などに、図柄構成やふっくらとした造り込みなどにも特徴が現われている。顕乗もまた技量が高く、古くから「祐、光、顕」などと評価の謂いが残されている。ここに紹介している三所物は、いずれも揃金具としての伝来品であり、殊に出来の優れた作だけを選んでしまったが故、良いとか悪いとかという差が余り感じられないかもしれないが、まずは比較鑑賞されたい。
 顕乗は宗家五代徳乗の次男。長じて独立、理兵衛家を創設。だが、六代栄乗の嫡子が若いうちに栄乗が没したため、合議によって宗家の職を預かることとなり、栄乗嫡子が長じて後に家督を返上している。後に加賀前田家の御用を勤め、加賀金工の発展に寄与している。

剣巻龍図目貫 後藤栄乗 Eijo-Goto Menuki

2011-12-19 | 鍔の歴史
剣巻龍図目貫 (鍔の歴史)



剣巻龍図目貫 後藤栄乗

 後藤宗家六代栄乗。色合いの明るい上質の金無垢地を容彫にし、不動明王の化身である剣に巻きついて呑み込まんとしている場面を描いた作。この図を倶利迦羅とも言う。刀身彫刻にある剣巻龍とは、長手方向に画面サイズが異なることから意匠も異なり、がっちりと巻き付いた龍の姿を高肉に表現している。裏面を見ても判るように、打ち出し強くふっくらとし、際端を絞ってさらに立体感と量感を高める工夫をしている。

龍虎図目貫 後藤光乗 Kojo-Goto Menuki

2011-12-17 | 鍔の歴史
龍虎図目貫 (鍔の歴史)



龍虎図目貫 後藤光乗

 これも後藤光乗の作。龍虎の争う場面を活写した目貫。迫力ある空間を鑑賞されたい。鏨で切り込むような彫刻と表現することがあるのだが、この作例がまさにそのような手法を駆使したもの。打ち出し強くくっきりとした高彫の表面に鏨の痕跡を残すように切りつけ、龍の鱗や髭、虎の毛模様の表面に筋彫りを加えている。鱗の表面の丸み、重なった部分の境目などに力強い動きが生み出されている。金無垢地容彫赤銅平象嵌。

這龍図三所物 後藤光乗 Kojo-Goto Midokoromono

2011-12-16 | 鍔の歴史
這龍図三所物 (鍔の歴史)



這龍図三所物 後藤光乗

 後藤宗家四代光乗。姿引き締まって鞭のようにしなやかでしかも張力と強さが感じられる。丸みのある胴体のうねるような様子に動きがあり、緊張感に満ちている。このような作があることによって、光乗が初代に次ぐ技量の持ち主であると評価されている。同図の笄で別の作例も併せて鑑賞されたい。いずれも赤銅魚子地に金高彫据紋。三所物は十四代揃いの内の一。



這龍図笄 後藤光乗

 後藤光乗の時代は戦乱も激しく、後藤宗家の社会的な存在感は途切れかかったとも言える。足利家に仕えていた三代乗真が死んで以降、しばらく都を離れざるを得なかったことが影響している。乗真の次男で光乗の実弟の元乗が独立して信長に仕えていたため、十年ほど後、その尽力で京に戻ることが許される。以降、信長、秀吉と時代の為政者に仕えた。実は光乗の子で五代目を継いだ徳乗も同様の経験をしている。祖父乗真の死後は光乗と行動を共にし、後に信長、秀吉に仕えていたが、秀吉が没して徳川家が権力を得て以降は自ら謹慎し、しばらく不遇の時代を送らざるを得なかった。後、家康に仕えていた徳乗の弟の長乗などの尽力で許され、徳川家の御用を勤めることとなる。

這龍図三所物 後藤乗真 Joshin-Goto Midokoromono

2011-12-14 | 鍔の歴史
這龍図三所物 (鍔の歴史)



這龍図三所物 後藤乗真

 後藤宗家三代乗真。大振りの作風、小柄笄などでは画面をはみ出して金の小縁にかかるほどの図柄も多い。戦国時代を生き、自らの領地を守るために太刀を手に戦場に出、矢を受けて戦死した人物と見れば、単なる金工として以上の存在を感じるであろう。打ち出し強く肉高く、切り込み深く、後藤家の作風の一つに「山高く谷深く」の謂いがあるのだが、その言葉通りの作風である。
 表現技法は、金の地板を裏面から打ち出し表面に打ち込みを施して塑像の原型を作り、さらに表面に鏨を切り込んでその痕跡を生かした身体と顔、その表情などを造りだす。それが故に、目貫の裏面を観察すると、意外にも金板が打ち伸ばされて薄いことに気付く。これが時代の上がる作品の特徴の一つ、見所であり、後藤家に限らず、古金工や古美濃の目貫にも同様のことが言える。目貫の端部を鑑賞されたい。十四代揃いになる三所物の一。


倶利迦羅図笄 後藤乗真

 不動明王の化身体である剣に巻きつき、これを呑み込まんとしている龍の姿を捉えた作。画面からはみ出して金小縁にまでかかっている大振りの紋が特徴。打ち出し強く量感があり、ふっくらと肉高く、迫力に満ち満ちている。赤銅魚子地に金紋高彫据紋。

雲龍図目貫 後藤宗乗 Sojo-Goto Menuki

2011-12-13 | 鍔の歴史
雲龍図目貫 (鍔の歴史)



雲龍図目貫 後藤宗乗

 初、二、三代までの作品に銘はない。代が下がって以降も在銘作は少なく、多くは作行からの極めである。製作された時代背景からの時代観も極めの上で考慮される。即ち重要視されるのは図柄や付随する文様などのほか、時代による造り込みの特徴である。
 二代宗乗と極められた作品は、初代のそれに比較して多い。初代の補佐をして少なくとも初代と同時代を生き、先代のほとんど総てを見ており、それに独創を加味する社会的意識は低い時代であったわけで、それでいて無銘。即ち、二代極めでも初代の作品があると考えて良い。その逆もあるかもしれない。初代の補助をしていた二代の作とはそういうものである。三代に至って特徴が大きく現われている。四代にも特徴がある。初二代の極めの線引きは頗る難しいと思う。初代作と極められている険しい顔付きの獅子図があり、それが初代の典型であり、それからはずれた作は総て不可と見る方もおられるが、初代とて作風に変化があるはず。初二代をどこで分かつべきか、作者意外に誰にもわからない。
 なんて優れた意匠であろうか、典型的な目貫の意匠を下地に雲を添えただけだが、迫りくる何ものかがある。金無垢地容彫。□

這龍図三所物 後藤祐乗 Yujo-Goto Mitokoro

2011-12-12 | 鍔の歴史
這龍図三所物 (鍔の歴史)


這龍図三所物 後藤祐乗

 後藤宗家初代から十四代までの這龍図三所物の揃い物がある。その初代の作。鍔の歴史というタイトルだが、後藤家には基本的に鐔がないので、小柄笄目貫など装剣小道具に対象を広げて鑑賞する。
 後藤家の揃い物は、江戸時代後期にコレクションの対象として人気が高まったが、そもそも初代の作品は極めて少なく、元来の揃い物として、しかも三所物として同図を見つけることは極めて困難であった。また、江戸時代には式正の拵に用いるための金具として三所物が必要とされ、後藤家ではそれらの要求に応えるために初代と極められる古作を探し出し、三所物に仕立て直していた。ところが、特に小柄が少ないため、笄から紋をはずして赤銅魚子地の地板に据紋することによって小柄を製作し三所物とせざるを得なかった。
 三所物のほかに、現在、間々見られる揃い物は十六代揃い小柄などで、それらを見比べても三所物の揃いは極めて貴重であると言わざるを得ない。いずれ、後藤家の揃い小柄をも紹介していこうと思うが、今回は龍の図の作品を、代ごとに幾つか鑑賞されたい。ただし、代々が祖先の同図を手本として製作するという家風があり、このような作品を写真で比較観察しても自ずと限界がある、その点は容赦ねがいたい。
 目貫は金無垢地容彫。小柄笄は波文地に金地高彫された這龍を据紋したもの。