鐔鑑賞記 by Zenzai

鍔や小柄など刀装小道具の作風・デザインを鑑賞記録

八橋図鐔 四代甚吾

2010-04-30 | 
八橋図鐔 四代甚吾

 
八橋図鐔 銘 八代甚吾作(四代)

 甚吾の三代目は、初二代とは異なる世界観を求め、より文様風の表現を試みていることが、遺されている作品から分かる。銘を切ることも行われるようになったため、代別の判断がより正確に行われ得る。四代目は透鐔も多く遺している。ここに紹介するのはその四代の在銘作。
『伊勢物語』東下りに記されている古歌に取材した八橋図。林にも杜若と八橋の組み合わせになる八橋図があり、これと同じ題を得ながらも構成を異にする空間表現を試みた、感性鋭い作品。造り込みはまさに甚吾のそれ。鐔面を切る直線による構成は肥後金工には少ない。引両図、檜垣文図、雷文図などが直線で構成された例であるが、林の八橋図は、巧みな組み合わせで橋の直線を直線らしくない構成に仕立てている。この鐔は、甚吾が敢えて直線のみで八橋図に挑んだ例である。□

雨龍図鐔 甚吾

2010-04-29 | 
雨龍図鐔 甚吾

 
雨龍図鐔 無銘甚吾

 先に紹介した野鯉図鐔の一つと同様、裏面に三鈷が表されている作雨龍図鐔。地造りはなだらかな仕上げで抑揚があり、まさに楽焼の肌を想わせるが、図柄は薄肉彫で、主題の周囲を鋤き下げる手法は採っていない。風雨を意味する斜の線が、鏨で削ぎ取ったかのように鋭く、鯉の背景に施されている瀧の線と同様に状況と激しく揺れ動く空気感を表現している。龍は草体に表現され、薄肉彫りに銀の摺り付け象嵌。雲間に潜む龍神の図で、まさに竜巻の如く雲の渦巻く様子を想わせる巧みな表現。銀の表面がとろけたように変質して色合い紫黒色に沈んでおり、もちろん拭き込めば銀の光沢は黒味を失うことなく戻せるのだが、この渋い風合いも捨て難い。何て魅力的な龍を意匠するのであろうか。後藤の龍とは全く異質な存在感を創出している。□

野鯉図鐔 二代甚吾

2010-04-28 | 
野鯉図鐔 二代甚吾

 
野鯉図鐔 無銘甚吾(二代)

 散りかかる梅花に野鯉を意匠とした作。鍛え強い鉄地は鎚の痕跡が強く残されて抑揚変化があり、まさに楽焼の風合い。これも鯉の瀧昇りを暗示させるもので、表面には縦に毛彫が施されている。掌中に包み込んで鑑賞したい。微妙な鎚の痕跡による凹凸、錆、鋤彫の肌、布目象嵌のために切り施された鑢目、これに擦り付けられた銀の象嵌、これらの表面を覆う漆、すべてが指先を心地よく刺激するであろう。
 決して美しい鐔ではない。図様も絵画としては決して巧みであるというわけではない。にもかかわらず我々を魅了するのは何だろう。考えることの無意味。感じ得たことこそすべてである。
 数年前になるが、一年ほどの間をおいて二点の野鯉図鐔を手に採って鑑賞することができた。先に紹介した鐔と、この鐔である。比較鑑賞ができたことに感謝したい。この鐔は二代作と極められているが、鉄の鍛え強く肌合い麗しく、比較すれば切羽台辺りにわずかに錆込みがあるという程度。甚吾初二代いずれもこの図を好んでいたことが感じとれよう。

野鯉図鐔 甚吾

2010-04-27 | 
野鯉図鐔 甚吾

 
野鯉図鐔 無銘甚吾

 頗る迫力のある作。沼の主であるかのようにゆったりと姿を現わし、水面を揺らす鯉。澄んだ水を通して眺める沼の底のように鍛えた鉄地に鎚目を施し、その変化のある肌合いにさらに縦に毛彫を切り込んで流れ落ちる瀧を表現している。甚吾は初二代ともに野鯉図を好んで題に得ている。裏面は、この鐔では密教具の一つである三鈷を描いているが、梅花を散らした図もあり、ここに甚吾の美意識が覗いとれよう。図はいずれも主題の周囲をわずかに鋤き込んで主題を薄肉彫にし、毛彫を加え金銀の布目象嵌を要所に施しただけの手法。後に金工が採った立体感のある高彫や多彩な色絵象嵌などの手法がないにもかかわらず、生気に満ちて力強く、鐔面は単なる絵画ではなくなり、鐔の鉄地そのものからも気が満ち溢れているよう感じられる。金の目は鮮やかに光り、銀の尾は陽の光を反射しているように独特の光彩を放っている。裏面の三鈷は不動明王を意味している。甚吾の龍の図にも三鈷図がみられることから、現在では梅と不動明王あるいは龍との関連が不明になっているものの、何らかの伝承や言い伝えなどがあったのではないだろうかと推測している。鯉が龍門の瀧を昇って龍に変化するとは古代中国の伝説。龍図と鯉図は同じ意識で製作されたものと思われる。

唐草文図鐔 三代甚吾

2010-04-26 | 
唐草文図鐔 三代甚吾

 
唐草文図鐔 無銘甚吾(三代)

 三代甚吾と極められた、素銅地に二重唐草の文様を金の線象嵌で文様とした鐔。甚吾各代に素銅を素材とした鐔がある。この文様は西垣にもみられ、その風合いを手本としたことが推測されるが、鐔の造形が微妙に異なって甚吾の特徴がある。素銅地の場合には鎚目などは施さず、比較的平滑に仕上げている。二重唐草文は、単純な線状模様の唐草をより鮮やかに華やかに見せる。素銅地は漆で仕上げてあるのだろうか色合い渋く、落ち着きがある。

梅花図鐔 二代甚吾

2010-04-25 | 
梅花図鐔 二代甚吾

 
梅花図鐔 無銘甚吾(二代)

 木瓜形の造り込みは、甚吾の好むところ。鉄地の表面に鍛えた痕跡を残したうえで表面を平滑に仕上げ、土手耳風に一円の線を刻み込み、紅白の梅花を布目象嵌の手法で散し配している。鉄地の骨太さも甚吾の魅力で、地鉄に表情を生み出しており、作域は初代に紛れる。初二代の区別は、極めて難しいところがある。筆者は、誰もが認める作品でも初二代を確実に判別できるとは断じ得ないと考えている。無銘の作品とはそういうものであり、作風を以て代別を判断する以外にないのだが、甚吾二代も名人の一人であり、感覚的に初二代を分けざるを得ない状況下では、これまでの鑑定では取り違えもあったろうと思う。即ち、二代甚吾の感性も鋭く、二代極めの中にも名品が多いことを意味している。

猛禽図鐔 初代甚吾

2010-04-24 | 
猛禽図鐔 初代甚吾

 
猛禽図鐔 無銘甚吾(初代)

 甚吾の存在感を鮮明にする鐔である。この迫力は他の金工誰にも真似ができないであろう。後の甚吾あるいは肥後金工が再現に挑んでいるが、この作品に近づくことすらできていないのが現実である。筆者はこの鐔を直接手にとる機会を得た際、感動で涙を落としそうになってしまった。鐔という機能を無視するかのような大胆で素朴な意匠、真鍮という素材も金のような鮮やかさや洗練味、一般的な美しさに通じる要素はないのだが、力強いだけでなく確かに美しいのである。掌にずっしりと伝わる重みは肉厚の理由だけでなく、鍛え叩いた鎚の痕跡、堅く締められた肌の質感、ここに象嵌された真鍮の塊、その表面に切りつけられた飾り気のない鏨の痕跡、さらに微妙な抑揚をもって高彫された図像の表面に施された漆による表情。ひとつずつ挙げて説明するこのと愚かさを感じるほどである。
 以下、古美術雑誌『目の眼』にこの鐔を紹介した際の駄文をそのまま掲載する。紹介記事を書いた際に作品を冷静に説明しようとしている筆者の様子がよく分かる。

 


 想像上の鳳凰にはじまり、鶴・鷺・鷹・梟・雀・鶏など様々な鳥類が、古くから装剣小道具の装飾題材に採られている。神格化された鳥を描き表わすことによって、その霊力を自らのものにしたいとの願いがあったのであろう、鳳凰や鶴の図はその典型である。
 このような自然神としての意味がある鳥とは趣を異にする、自然風景の鳥類を題にして作品を製作した金工では、『装剣小道具の世界25 (目の眼)』において紹介した江戸時代後期の石黒政常が著名。石黒一門は赤銅地を精巧な高彫とし、金・銀・素銅・朧銀といった様々な色金を用い、現実を超越した感のある猛禽図の細密表現を得意としていた。
 ところが肥後金工志水甚五(生年不詳~一六七五)は、石黒政常と同じ猛禽に取材しながら、華やかさや精密さを極力抑えて独創の世界を表現した。
 肥後金工とは、林又七や平田彦三のように、千利休の茶を受け継いだ肥後細川三斎忠興(一五六三~一六四五)の美意識を、文様として、あるいは心象的に表現した金工。甚五はこの平田彦三に学んで影響を受けた一人であった。
 図柄はここに紹介した猛禽のほか、梟と鶏の図が多く、同趣の図柄の作品がいくつか遺されている。
 さて、利休に始まる茶の美とは、秀吉の好んだ黄金に例をみる非日常美の発見ではなく、ごくありふれた光景に美観の要素を求め、これを以て客をもてなすという心の中にあった。
 茶が精神性を離れて茶道へと先鋭化したのは、利休の弟子の働きに因る。その一例が細川三斎の美学。又七や彦三は文様や具象として茶を表現したが、それは後の形式化された茶道に似ており、この甚五に至ってようやく、禅をそのままに生きるかのような、自然な状態を尊ぶ美観が実現された感がある。
 ここに紹介する鐔がその標本。泥障形に造り込んだ鉄地の表面に槌目を残しているのは、深山に立ち込める霧か雲か、その濃密な空気の動きを意図したものであろう。一転して裏面は、同じ槌目地ながら瀧の落ちる峡谷の岩肌を思わせる、力強い動きが感じられる地模様。岩塊は特徴的な鋤彫による薄肉彫ながら立体感に溢れ、岩を打ち付ける瀧の水にも激しい動きが感じ取れる。これらを背景に、表裏にわたって柏の枝葉を毛彫に銀布目象嵌で表わし、太い枝に爪を突き立てて前方を睨む猛禽を真鍮高彫象嵌で表わしている。
 銅と亜鉛の合金である真鍮は、時に多くの異金属を含むため、表面に微細な叢模様が現われることがある。銀は表面が酸化して紫がかった黒色となる。甚五は、この変色を考慮し、敢えて渋い色調の金属を用いているのである。
 真鍮地金の表面には毛彫を加えて羽根の表情と羽毛を描き表わし、さらに黒漆を塗り施しており、その色合いも叢立つ真鍮の地肌と影響し合い、意図せぬ表情を生じさせている。
 甚五の特徴的な点は、真実の光景を写し取ろうとしているのではないところにある。主題をあらゆる角度から観察しながらも特徴を写実表現するのではなく、心に写ったであろうその光景を、つまり心象風景を一旦解きほぐし、再度鐔の上に構築しているのである。
 嘴が異様に太く鋭く、羽根は鎧のようにがっしりと身を包み、脚の筋肉太く爪は鋭く、各部を観察すると、決して生き物のそれではない。異様な猛禽図であるが誇張も感じられない。それでいて自然の生命を感じるのである。

肥後菊図鐔 甚吾

2010-04-23 | 
肥後菊図鐔 甚吾

 
① 肥後菊図鐔 無銘甚吾

 
② 肥後菊図鐔 無銘甚吾

 Photo①及び②はいずれも銀の色彩を活かした作。①は花びらの先端を筒状に描き、裏面には葉を描いている。鉄地の表面は鎚で打ち叩いた様子が顕著に覗いとれる。これも鉄の肌合いをそのまま美観として捉えたもので、茶器のそれを印象深く表現したものであろう。土手耳と呼ばれる、縁に幅を設けて少し厚手に仕立てる構造も、単に鐔という構造上の堅牢さを想定したものではなく、微妙な厚さの変化の中に指先に伝わり来る心地よい感触を求めてのもの。もちろんこの鐔が拵に装着され、拳に触れる、あるいは衣服に触れるということを想定した上での質感である。菊花はごくごく薄い高彫で、その周囲をわずかに鋤き込んで量感を表現している。銀は表面に切りつけた浅い毛彫り状の鑢目に銀を擦り付ける技法で、金工では難しいぼかしの表現。さらに銀は時とともに色調が黒く変化することを想定した上での発想であり、実に妙味ある手法といえよう。□
 ②は菊花の周囲に小透を設けて印象をより強くし、銀線を象嵌して渋い色調を美観としている。鉄地は黒く、表面は比較的平滑に仕上げているが、これも茶器を想わせる美しい肌となっている。銀線の周囲には、特徴的な黒い物質が滲み出ており、この経年による変化も美として捉えている。

肥後菊図鐔 初代甚吾

2010-04-22 | 
肥後菊図鐔 初代甚吾

 
肥後菊図鐔 無銘甚吾(初代)

 捏ねた土を丸形に仕立て、縁をわずかに厚い土手耳に仕上げ、地を打ち抜いたように花弁を透かし去って装飾とした、茶器を想わせる簡潔な印象ながら奥の深さが魅力の鐔。初代甚吾の作と極められている。粘土を鉄地に代え、掌を鎚に代えて製作したのがこの鐔であり、鍛え上げた質の良い鉄の様子が覗い知れ、そのねっとりと詰み潤った様子から鉄の塊であることを忘れさせてしまうような美感が全面に漂っている。浅く深くと変化のある地面の表情が、モニターで伝えられるであろうか心配だが、撮影のライトの位置などを調整して微妙な抑揚を捉えた。
 初代甚吾(じんご)は、平田彦三の影響を受けて地の本質を追究した作を遺している。装飾性は、装飾と言うには程遠い、鐔面をキャンバスとしたように主題を大胆に捉えた心象表現が専らである。初代甚吾は名前を仁兵衛(じんべえ)と称し、作品はすべて無銘である。
 この鐔においては、まず最初に目に飛び込んでくるのが最小限にまで突き詰めた菊花の姿態だが、手にとって光を受けた鐔面に目をやった時、地鉄に求めた何かが一気に鑑賞者へと噴き出してくるかのように感じられる。いわば鉄の塊のようなものだが、この何かを感じとることが出来る者だけが、この趣の鐔を楽しむことができるのであろう。

菊花透図鐔 平田

2010-04-21 | 
菊花透図鐔 平田

 
菊花透図鐔 無銘平田

 平田の特徴は、時代のあがる甲冑師鐔や刀匠鐔のような、過ぎることのない装飾だが、実はそこに強い主張が隠されている。感覚的なものだけでなく、技術的にも鎚で叩くだけというような素朴な工法のみではなく、的確に施した槌の痕跡を美観とし、錆に覆われたその質感をも楽しむためのものとし、素銅や真鍮地の表面に施されている微妙な凹凸の文様は特殊な腐らかしの手法で表わすなど、これらを手捻りの茶器に擬えたこともあるが、焼成された粘土の表面に生じた自然の変質とは本質を意にする優れた計算の上で成されたもの。自然味もすべてが巧みな技術の上でのものであるのだが、手技を感じさせないところに大きな魅力がある。
 さて、そのような平田の作品の中でも菊花を題に得た鐔が多々みられる。肥後菊と呼ばれる、花弁が細い筒状に見えるという特徴のある菊花が主題で、平田には陰の透かし模様で、甚吾には心象的な表現になる作品が多い。この鐔も菊花を印象付ける作。赤銅地を縦篠鑢で地荒し風に仕立て、簡潔な陰の表現で菊花を透かしている。左右大透の鐔と同様に菊花部分が櫃穴としている。地荒し風の鐔の表面は、鑢で突いたように微妙に凹凸しており、甲冑師鐔に間々みられる仕上げを想わせる表情である。

左右大透図鐔 平田

2010-04-20 | 
左右大透図鐔 平田

 
左右大透図鐔 無銘平田

 簡素な仕立てながら印象の強い鐔。平滑に仕立てた素銅地の表面に鎚の痕跡を残して他に一切の文様を施さず、この鐔の魅力を最大に表わしている。これまでに甲冑師鐔や刀匠鐔を紹介したことがあるが、それと似て、表面にあるのは鎚の痕跡のみ。表面に触れた際に伝わり来る質感こそが鑑賞の要素だが、左右に大きく施された櫃穴も、実は意匠の一つである。一般に櫃穴は、小柄櫃が半円形、笄櫃が州浜形とされるが、肥後鐔の場合には大きく仕立て、形も多様で、本作以外にも、わずかに外張りの海鼠透(なまこすかし)、魚篭(びく)のような餌畚形(えふごなり)、茶器を想わせる形、笠形、擬宝珠形(ぎぼうしなり)、扇形などがある。この鐔では、特に形には特徴を持たせず竪丸形にしているが、大きいが故に存在感がある。これも円相につながるのであろうか。

波文一円図鐔 平田

2010-04-20 | 
波文一円図鐔 平田

 
波文一円図鐔 無銘平田

 波の文様を円相に加えて新たな意味を浮かび上がらせた鐔。真鍮地を鋤き下げ、鋤き込んだ部分には独特の錆色を残して波文を鮮明にし、彫り深い同心円を切り込んでいる。大海を描き添えているということは、まさに一円は大地、鐔の外に広がるのは自らを取り巻く大宇宙。波立つ海辺にて自らの存在を確認しているかのようである。このように深い意味を求めてしまうのは鑑賞者として過ぎるであろうか。
 真鍮地の色合いは、時と共に変化してゆく。製作時の色合いは、数年後、数十年後、数百年後にどのように変化しているのか不明である。もちろん鉄地や銀地、朧銀地も同様だが、殊に真鍮が示す質感は時の積み重なりが増えるほどに多様化してゆくもので面白い、と作者も感じたのであろうか。使用されることによって変質してゆく茶器への鑑賞眼と同様に真鍮地の作品を捉えるべきであろう。筆者は、素材の選定にも茶に通じるものがあると考える。

轆轤鑢図鐔 無銘平田

2010-04-19 | 
轆轤鑢図鐔 無銘平田

 
① 轆轤鑢図鐔 無銘平田

 
② 轆轤鑢図鐔 無銘平田

 円のみを描いた図がある。禅に通じ一円の相と言う。これも判じ物のようだが、確かに仏教を学ぶ場には、問いかけに対して的確な答えを返さねばならない問答があり、禅には公案があり、その一つである。
 答えは森羅万象、宇宙の本質を意味している。古代中国の禅僧南陽慧忠(なんようえちゅう)国師の唱道になるという。
 ①の鐔は、鐔の円形をそのまま画題に採り、簡素な仕立てで、表現というよりも地相そのものの魅力を示している。金工の世界では、同心円の図を平田彦三が得意としており、肥後金工には茶器の印象を投影したものが間々みられることから、器を製作する際に用いる轆轤(ろくろ)、その回転によって生ずる文様に擬えたものであろうか、あるいは正確な同心円は轆轤を用いて施したものであろうか、これを轆轤鑢(ろくろやすり)と呼んでいる。この鐔にも禅の意味が隠されているのであろうか。鉄地に鎚の痕跡を残して同心円を彫り描き、下には腕抜緒の小透を施している。耳には彦三に間々みられる覆輪を廻らしている。
 ②の鐔が轆轤鑢と呼ぶべき仕上げ。耳際を薄く平地辺りのあつく、切羽台辺りもやや薄く仕立て、左右に大きな餌畚形の櫃穴をあけ、地面にはごく浅い筋状の鑢目を施している。表面には微細な凹凸があり、軟らか味のある金属とは思えない質感が指先に伝わりくる。

阿弥陀鑢図鐔 平田彦三

2010-04-18 | 
阿弥陀鑢図鐔 平田彦三

 
阿弥陀鑢図鐔 無銘平田彦三

 平田彦三の在銘作としては、「ひこ 彦三」と刻された鉄地の簡素な鐔が一点のみ確認されている(ひこが肥後の意味であれば肥後に移ってからの作品)。彦三の作品は真鍮地、山銅地、素銅地などが多く、鉄地は比較的少ない。表面には鍛え目を残して簡素な鑢目や抑揚変化のある地面を活かした簡潔な透かしを施すのみで、高彫や華やかな象嵌を施すことも少ない。
 写真例が阿弥陀鑢(あみだやすり)と呼ばれる表面仕上げ。阿弥陀鑢とは阿弥陀如来の背後に描かれる光背のような放射状の鑢目のことで、日足鑢(ひあしやすり)とも呼ばれるが、如来を表現したものではない。この鐔の地金は山銅で、赤銅覆輪を掛けている。この覆輪は固着されておらずに可動である点が特徴。
 彦三の作品の背景にあるのは、手捻りの茶器に通じる美観であると考えている。粘土や陶土を捏ねる手や指先を鎚に代え、渋い色調を示す山銅や真鍮地を好んで用い、その表面に施す文様は、京に代表される着物などの文様表現とは大きく異なり、茶器のように、質朴な景色を指先や掌で愉しむことが目的の一つとされたのではないかと考えている。刻まれた鑢目による文様は決して華やかではない。しかし指先に伝わり来る微妙な質感は、鉄鐔の表面に現われている鎚の痕跡と同様に心の奥底に華を感じさせるのである。

桜川透図鐔 林

2010-04-17 | 
桜川透図鐔 林

 
① 桜川透図鐔 無銘林

 
② 桜川透図鐔 無銘林

 これも謡曲に採られた伝説による図。網に桜でなぜ桜川と呼ばれるのであろうか。
 買われたわが子を探して常陸国へと旅立った母。だが子を思う心は重く苦しく、ついに物狂いと化してしまった。幾年月が経て常陸国桜川のほとりに到達した母親は、わが子桜子の名を叫びながら、川に流れる桜の花びらを掬っている。この場面を文様化したのが網桜、即ち桜川図である。桜子はこのとき近隣の磯部寺の僧のもとにおり、めでたく再会を果たしたという。
 鐔は林派の作。色合い黒々とした鉄地を透かし去って網を陽に、桜を陰陽に表現している。この文様も着物や器物の装飾として採られることが多い。

 過去にも雪の降りかかる桜の様子を眺めたこともあるのだが、今朝は散り急ぐ桜に雪となってしまった。この風景はちょっと哀しい。
 桜が行く後ろを八重の桜が追いかけている。桜はさらにひと月ほどかけて北に歩んでゆくのだが、筆者にとっては来年までお別れか。あるいは山歩きして、ちょっと遅れている桜でも楽しんでこようか。というわけで、鐔の景色を楽しむのは、このまま肥後金工へ。