鐔鑑賞記 by Zenzai

鍔や小柄など刀装小道具の作風・デザインを鑑賞記録

尾花に結び文図小柄 後藤栄乗 Eijo-Goto Kozuka

2012-06-30 | 鍔の歴史
尾花に結び文図小柄 (鐔の歴史)



尾花に結び文図小柄 無銘後藤栄乗

 これも先の小柄と似た美意識が根底にある作。古く、想いを寄せあう男女のあいだで交わされた手紙には、このように雅な演出が為されていたという。『源氏物語』などを読んでいると出てくる要素である。赤銅魚子地高彫金色絵で、図に量感があり、桃山の風情が滲み出ている。戸口を金で装い、華やかに構成しているところにも桃山頃の風情が感じられる。

枝菊図目貫 後藤正房 Masahusa-Goto(Eijo) Kozuka

2012-06-29 | 鍔の歴史
枝菊図目貫 (鍔の歴史)



枝菊図目貫 銘 後藤正房(花押)

 栄乗の自身銘である。これまで後藤家の作例を紹介してきたが、自身銘はなかった。時代の下がった作ではみかけるのだが、十一代より古い作は少なく、初、二、三代には在銘作はない。それ故に在銘作は頗る貴重である。後に紹介するが、十三代光孝の極め銘の刻された栄乗作品がある。江戸時代後期には後藤の作品が尊ばれ、極めが必要とされたことは良く知られている。
 菊花図は古美濃や古金工でみかけるように、あるいは古い甲冑金具にも菊の文様があるように、伝統的な図柄の一つである。この菊を古典的な高彫で表わし、短冊を図の大きな要素として添えている。頗る雅な素材を武家の装飾の要としているところなどはさすがである。伝統を重んじる後藤栄乗の意識が窺い取れる作である。
 因みに、植物の枝に和歌を認めた短冊を添えるのは歌のお遣いとも呼ばれる伝統的な行事。宮中から出された御題に従って詠んだ和歌を短冊にして枝に結び、遣いを通じて宮中に贈るもの。七夕の頃の風習、あるいは流行といったほうが良いだろうか。この良い例が古美術雑誌『目の眼』の昨年(2011年)の8月号で紹介した「七夕と花による空間演出 花の遣い図小柄 後藤光文」である。

宇治川合戦図鐔 後藤栄乗 Eijo-Goto Tsuba

2012-06-28 | 鍔の歴史
宇治川合戦図鐔 (鍔の歴史)



宇治川合戦図鐔 無銘後藤栄乗

 後藤宗家作と極められている中での数少ない鐔の例。後藤家の時代の上がる鐔は数が少ないため、同じ作品資料を何度も紹介しなければならない。とはいえ、何度みてもこの魅力は変らないだろう。桃山時代の特質でもある豪壮華麗な印象。表裏掛け替えても使用可能とした、櫃穴の形状が揃っている作。図柄も表裏なく、どちらが表になっても良いように、同様に意味を与えている。今回は部分拡大写真をご覧いただく。


剣巻龍図目貫 後藤栄乗 Eijo-Goto Menuki

2012-06-27 | 鍔の歴史
剣巻龍図目貫 (鐔の歴史)



剣巻龍図目貫 無銘後藤栄乗

 以前に紹介したことのある目貫。これも迫力のある図。伝統的な後藤の作風で、金の色合いも華麗で豪壮な雰囲気が充満している。時代感が明瞭。保存の状態が良いと、裏の処理の様子も鮮明に残されており、打ち出しと打ち込みの様子が良く判る。この時代においてもまだ打ち出しが強く、龍の身体部分は比較的薄く、際端が絞られるように造られているのが特徴。

鹿図目貫 後藤栄乗 Eijo-Goto Menuki

2012-06-25 | 鍔の歴史
鹿図目貫 (鍔の歴史)



鹿図目貫 無銘後藤栄乗

 金無垢地容彫、斑文は赤銅平象嵌。初代祐乗の鹿図小柄を紹介したことがある。美濃彫に似た初代作に比較して華やぎが感じられる。それは金無垢地というだけでなく、鹿の顔付き、加えられている繊細な毛彫などで表情が豊かになっているからに他ならないが、さらに口にしている楓の葉の存在によるもの。鹿に楓の取り合わせで、奈良春日山の秋の風情を表わしている。このような取り合わせは乗真の目貫に牡丹を口にする獅子図があるも、桃山時代から盛んに採られるようになったと思われる。

猫図目貫 後藤栄乗 Eijo-Goto Menuki

2012-06-22 | 鍔の歴史
猫図目貫 (鐔の歴史)



猫図目貫 無銘後藤栄乗

 猫の種類については詳しくないのだが、姿は和猫であろう、すでに栄乗の時代には外国から猫が入っているはずであり、珍しいものを好む武人であれば外国種の猫を描かせるであろう。それでもこのような丸々とした猫を描いている。赤銅地に目玉のみ金の色絵。何とも愛らしいと言って良いのであろうか、迷うところである。むしろ存在感が面白い。

二疋獅子図目貫 後藤栄乗 Eijo-Goto Menuki

2012-06-21 | 鍔の歴史
二疋獅子図目貫 (鍔の歴史)



二疋獅子図目貫 無銘後藤栄乗

 赤銅地一色の獅子。胴体部分は先に紹介した金無垢地の獅子よりも引き締まった感がある。龍の図と共に後藤を代表する図とされている理由も判る。二疋が阿吽の相で視線を合わせている構成もまた後藤のもの。この構成は以前にも紹介したが、他の動物でも採られている。近くで正確に見るのではなく、遠目に構成を眺めても、巻き毛の尾や張り出した四肢など、古典的な唐草文や巴のような強い動きの中に厳然とした存在感がある。裏行きも鑑賞してほしい。際端を絞ってふっくらとさせていることがよく判る。

獅子図目貫 後藤栄乗 Eijo-Goto

2012-06-20 | 鍔の歴史
獅子図目貫 (鍔の歴史)



獅子図目貫 無銘 後藤栄乗

 最も栄乗らしい作品を挙げろといわれたなら、筆者はまず獅子の図を紹介する。すべてとは言わないが、この写真のような作である。金無垢地を裏面から打ち出して量感豊かな原形を造り、表から鏨強く打ち込んでふっくらとした身体像を浮かび上がらせる。姿態はふっくらとしており、特にこの目貫は四肢も肉感豊か。色合い鮮やかで、桃山時代の風情を鮮明にしている。
 六代栄乗は徳乗の嫡子。天正五年の生まれで、文禄三年に家督を継ぐも、豊臣家に仕えていたために徳川の治世になって以降は遠慮して職を離れる。後に御家再興を許されて幕府の御用を勤めることとなる。元和三年に四十一歳の若さで没。

芹籠図二所 後藤徳乗 Tokujo-Goto Hutatokoromono

2012-06-19 | 
芹籠図二所 (鍔の歴史)



芹籠図二所 無銘後藤徳乗

 後藤光孝による極め折紙が附帯する作。何て繊細で上品な作であろうか。あきらかに武家の風習ではなく貴族的であり、早春の野に遊ぶ七草摘みの行事を想わせる。恐らく同作の目貫があり、綺麗な拵とされていたはず。このような金具を用いて洒落た拵を造ってみたいものである。

五疋獅子図笄 後藤徳乗 Tokujo-Goto Kogai

2012-06-18 | 鍔の歴史
五疋獅子図笄 (鍔の歴史)




五疋獅子図笄 無銘後藤徳乗

 桃山時代らしさが窺える、というか、桃山時代らしさを演出した作と考えられるのが、この笄である。後の金工が徳乗が製作した獅子の紋を外して笄に直したものであろう。頗る面白いのは、五疋の形態の異なる獅子の紋をカラクリ止めしているところ。裏面に丸い埋め痕が観察できる。即ち、古い作の紋を外し、ここに足を象嵌して裏面で止めているのである。もう一つ、竿の部分に銀を稲妻状に削継して華やかに演出しているところ。この作業は徳乗の後ではあるが、桃山時代を降らない金工である。

韋駄天図目貫 後藤徳乗 Tokujo-Goto Menuki

2012-06-16 | 鍔の歴史
韋駄天図目貫 鍔の歴史



韋駄天図目貫 無銘後藤徳乗

 裏側を鑑賞して欲しい。際端を絞って丸みのある状態と立体感を強めている。古い時代の目貫の構造を皿に発展させているようにも感じられる。この処方によって表はふっくらと量感があり、異様なまでに迫りくるものがある。普通、この種類の同図の目貫は高さが18ミリぐらい。ところが本作は21ミリもある。これをたかが3ミリの違いではないかと評価するのは愚か。横幅だけではない、総体の造り込みも尋常ではない。殊に目貫という、拵の上での存在理由からも、この大きさは尋常ではない。桃山時代という世情が生み出したものであろう。金無垢地容彫。□

五七桐紋図目貫 無銘後藤徳乗

2012-06-13 | 鍔の歴史
五七桐紋図目貫 (鍔の歴史)



五七桐紋図目貫 無銘後藤徳乗

 常に見られる五三桐紋と異なり、少々上方向に間伸びした感がある。桐の花の数が異なるためにこうなる。ところが、このようになるとけっこう迫力がある。定型化されていない桐紋の魅力であろう。漆黒の赤銅地一色であり、金が施されていないところにも味わいがある。花の脇に麦鏨が打ち施されているのが見える。

桐紋図鐔 後藤徳乗 Tokujo-Goto Tsuba

2012-06-10 | 鍔の歴史
桐紋図鐔 (鍔の歴史)


桐紋図鐔 無銘後藤徳乗

 ようやく『鍔の歴史』の小タイトルに沿うような作例が出てきたと書いたばかりだが、後藤家には幾つもないため、鍔の遺例はあまり期待しないでほしい。
 時代の上がった桐紋に間々見られる極め鏨が施されている作例。徳乗は桐紋が上手であったことは良く知られている。その極めとして、桐の花の脇に楕円形の鏨が刻されている例が間々見られるのである。形状から麦鏨などと呼ばれるのだが、これが総て良いとは言えないのは当然。この鍔では菊紋と桐紋を散らし配した図としているが、いずれの紋もぼってりとしない、引き締まった景観が良い。小柄同作。
 時代の上がる鍔、殊に実用の時代の鍔に、この作例のように茎櫃の周囲、切羽台を打ち込んだり少し鋤き下げた鍔がある。理由ははっきりとは判らないのだが、微妙に空隙を設けることによりクッションのような働きを持たせたのではないかと考えられる。まさに使用の中で考案された構造である。これを面白いと捉えるか、生ぶでない疵物と捉えるかは、コレクターの感性によるであろう。



屋島合戦図鍔 後藤徳乗 Tokujo-Goto Tsuba

2012-06-08 | 鍔の歴史
屋島合戦図鍔 (鍔の歴史)


屋島合戦図鍔 無銘後藤徳乗

 後藤宗家五代徳乗は光乗の嫡子で、天文十九(1550)年の生まれ。寛永八(1631)年に82歳で没している。徳乗もまた長命であった。やはり桃山文化隆盛期の金工である。
 四代光乗の頃から次第に古代中国の伝説などを背景とする人物が主題の図を描くようになる。さらに風景図も加わり、後の後藤家の定番とも言える、合戦図を盛んに製作するようになったのが徳乗の頃と考えられている。
 写真の屋島合戦図鍔が徳乗の作と考えられている貴重な鍔の作例。ようやく後藤家にも鍔が出てくるわけだが、決して多くはない。赤銅魚子地木瓜形を高彫にし、屋島での扇の的と弓流しの名場面を見事に絵画表現している。色絵として金のほかに銀と素銅を用いている。時代的には多くはない。もう少し下がってから多用されるようになる。

牧童図目貫 後藤徳乗 Tokujo-Goto Menuki

2012-06-07 | 鍔の歴史
牧童図目貫 (鍔の歴史)


牧童図目貫 無銘後藤徳乗

 後藤家は、元来は小柄、笄、目貫、その三所物の製作を専らとしていたと述べた。時代が下っては、要求があったのであろう、桃山時代、後藤徳乗の頃から鐔も製作されるようになったと考えられている。考えられているというのは、この頃の後藤の鐔には銘がなく、時代観は桃山ながら作者を証明できる要素がないため、研究者によっては極めの代が異なる場合があるから。とは言え近接した時代であり、同系でしかも親子であるため、作風が大きく違っているとは言えない。しかも先代などの写しもやることから無銘物の極めは難しい。
 この目貫は金無垢地と赤銅地の芋継になる作。牛はまさに後藤の風格。人物の顔付きなどは、後に後藤風の定型化された顔に至る前の自然な描法が窺え、優しさの溢れた表情とされている。