草廬三顧図鐔 橋部正貞
草廬三顧図鐔 橋部正貞寛永七年
後藤七郎兵衛家二代益乗の門人。一般に後藤家では鐔の製作は少ない。しかも在銘作も少なく、年紀を切った例はさらに少ない。その中で、寛永七年の年紀が切られたこの鐔の価値は計り知れない。そもそも鐔を製作した金工全体を眺めても、江戸時代初期以前にまで時代の上がる作で、信頼できる年紀が切られた鐔はほとんどないのである。
歴史的価値は、まずは横に置いて、この作品を眺めたい。赤銅魚子地高彫に様々な色絵表現。後藤の作風に間違いない。とは言え、後藤にはない手法も採られている。後藤家に学んだ橋部正貞に注文した武人はいったい誰であろうか、おおいに興味を引くが、分からない。精巧な彫刻で描き分けられた草廬の諸葛孔明、これを訪ね来た劉備一行。その背景となる山中の様子も見事。
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調子の悪かったパソコンが、こわれてしまった。
HDを取り出してデータを回収しようと試みたが、デスクトップに置いたデータのみがない・・・なんて状態。『銀座情報』の原稿もデスクトップで処理していたが故に書き直し。
問題はパソコンの本体ではなさそう。何しろ、Win8に変えてから良いことがない。
草廬三顧図鐔 橋部正貞寛永七年
後藤七郎兵衛家二代益乗の門人。一般に後藤家では鐔の製作は少ない。しかも在銘作も少なく、年紀を切った例はさらに少ない。その中で、寛永七年の年紀が切られたこの鐔の価値は計り知れない。そもそも鐔を製作した金工全体を眺めても、江戸時代初期以前にまで時代の上がる作で、信頼できる年紀が切られた鐔はほとんどないのである。
歴史的価値は、まずは横に置いて、この作品を眺めたい。赤銅魚子地高彫に様々な色絵表現。後藤の作風に間違いない。とは言え、後藤にはない手法も採られている。後藤家に学んだ橋部正貞に注文した武人はいったい誰であろうか、おおいに興味を引くが、分からない。精巧な彫刻で描き分けられた草廬の諸葛孔明、これを訪ね来た劉備一行。その背景となる山中の様子も見事。
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調子の悪かったパソコンが、こわれてしまった。
HDを取り出してデータを回収しようと試みたが、デスクトップに置いたデータのみがない・・・なんて状態。『銀座情報』の原稿もデスクトップで処理していたが故に書き直し。
問題はパソコンの本体ではなさそう。何しろ、Win8に変えてから良いことがない。