鐔鑑賞記 by Zenzai

鍔や小柄など刀装小道具の作風・デザインを鑑賞記録

車に耳長兎図鐔 次郎太郎直勝 Naokatsu Tsuba

2011-11-30 | 鍔の歴史
車に耳長兎図鐔 (鍔の歴史)


車に耳長兎図鐔 次郎太郎直勝

 透かしはないが信家の車透に兎文を薄肉に彫り描いた鐔を想わせる作品であり、その写しであることは間違いない。刀匠直勝が同じ刀匠大慶直胤の門人であったことを知らぬ者はなかろう。江戸時代後期にはこの例のように刀匠も鉄鐔を盛んに製作している。しかも、信家写しはかなり流行していたようで多くの作例を見る。刀匠らしい緊張感のある鍛えの強い鉄地を木瓜形に造り込み、薄肉に図柄を彫り出して焼手を加え、地相の変化を求めている。裏面の耳には亀を描き加えている。兎と亀の寓話が画題の背景にあるのであろうか、波に兎ではない。この点も興味深い。81.5ミリ。

車透図鐔 尾府二子山住則亮 Norisuke Tsuba

2011-11-29 | 鍔の歴史
車透図鐔 (鍔の歴史)


車透図鐔 尾府二子山住則亮

 則亮は江戸時代後期の尾張鐔工。意図的に混ぜ鉄をして異風な地相を生み出そうとはせず、時代に応じた良質の素材を用い、図柄においても金家写しや信家写しをしながらも似せようとはせず、独創的な画面を創出したところに特徴がある。この鐔も明らかに古典的な甲冑師の車透、あるいは信家を想わせるが、風合いは信家でもなく古甲冑師でもない。ここに大きな魅力がある。金家写しの山水図でも同様、帰雁の群、山並み、流れる川を描きながらも、独自の世界観があった。鉄色渋く、鉄骨などは見られないが焼手によって微妙な変化がある。味わい深い作品であることは間違いない。78.2ミリ。

網文図鐔 信家図宗義製下地政秀 Muneyoshi・Masahide

2011-11-28 | 鍔の歴史
網文図鐔 (鐔の歴史)


網文図鐔 信家図宗義製下地政秀

 信家の同図を見事に写し、しかも金布目象嵌という独創を加えている。耳の処理も打返耳ではなく二重式に仕立てている。地鉄造りなどは信家そのものとは言いすぎであろうが、信家に迫っている。製作したのは、下地が埋忠系の政秀、彫刻と象嵌が宗義ということであろう。いずれも信家の作品に迫り、しかも独自の作風を目差していたものと推測される。網目の下に亀甲文があり、焼手によって魅力ある地相に変化している。布目象嵌により、この網文は干網を意匠したものであろうことが想像される。76.5ミリ。

蔦文図鐔 宗梶照明 Teruaki Tsuba

2011-11-26 | 鍔の歴史
蔦文図鐔 (鍔の歴史)


蔦文図鐔 宗梶照明造

 これも信家を手本としたもの。作者は美作国津山の刀匠で城慶子正明の門人。鉄地をお多福風の糸巻形に仕立て、打返耳、地面には極端な鎚目は施していないが、鍛えた痕跡は残されている。これを背景に毛彫で蔓草などの植物を文様表現している。腕抜緒の穴は実用を考えてのもの。この辺りには古作へのこだわりがある。鍛えの強さが感じられる地鉄を仔細に観察すると、微妙な抑揚があり、働きのあることがわかる。81.3ミリ。□

竹垣に桐図鐔 梅忠 Umetada Tsuba

2011-11-25 | 鍔の歴史
竹垣に桐図鐔 (鐔の歴史)


竹垣に桐図鐔 梅忠

 桃山時代に京都で隆盛した埋忠派は、後に各地に移住して栄えている。中でも江戸において活躍したのが江戸埋忠と呼ばれる一脈。埋忠派の系流だけあった文様表現を得意とし、独特の風情を漂わせる作を遺している。この鐔は、まさに信家の風合いを再現したものだが、信家には多くはみられない金布目象嵌をも加え、埋忠らしさも示している。鉄地を打ち返して地には鎚の痕跡を残し、鋤下彫でながれるような曲線的図案としている。意匠も優れているが、やはり鉄の地肌が示す独特の風合いがこの鐔の最大の魅力。83ミリ。

亀甲文図鐔 保周 Yasunari Tsuba 

2011-11-24 | 鍔の歴史
車に百足図鐔 (鍔の歴史)


車に百足図鐔 明珎保周

 表に源氏車を、裏には百足を意匠した、異風な趣のある鐔。保周(やすなり)もまた信家写しの鐔を遺している、江戸時代後期の江戸の鐔工である。この鐔ははっきりとした信家写しではないが、地造り、打返耳、鋤彫などの手法と、総体から窺い採れる風合いは信家に通じるものがある。この大胆な意匠は大きな魅力だ。87ミリ。


亀甲文図鐔 保周作

 まさに信家写し。打返耳に仕立てて地に鎚目を残しているところなど、造り込みに頑強な風合いがあるも、切羽台厚さが3.4ミリと、信家に比して薄手。焼手を加えており、地の働きを生み出す工夫をしている。77ミリ。□

亀甲文図鐔 明珎紀宗晴作 Muneharu-Myochin Tsuba

2011-11-22 | 鍔の歴史
亀甲文図鐔 (鍔の歴史)


亀甲文図鐔 明珎紀宗晴作

 かつて、信家は甲冑師の出であると考えられていた。甲冑師に同銘工があることからの推測であったが、現在は否定されている。確かに、鉄地を鍛えて板鐔とする工法は甲冑師に繋がり、甲冑師鐔と呼ばれる作があることからも鐔工信家と甲冑師信家と関連付けたことも理解できる。さて、江戸時代にはその甲冑師が、自らの技術を活かし、信家鐔の再現を試みている。中でも土佐明珎派が製作した肥後鐔は優れており、一瞥しただけでは見間違える場合もあるほど。写真は土佐明珎派の、江戸時代後期の宗晴の、まさに信家を見据えた作。鉄地を鍛え、耳を打ち返し、耳を含めて亀甲文を全面に施し、所々に瓢箪を透かしている。諸工作は信家に及ぶものではないが、このような手が広く好まれていた証しである。76.8ミリ。□

田子の浦図鐔 直忠 Naotada Tsuba

2011-11-21 | 鍔の歴史
田子の浦図鐔 (鍔の歴史)


田子の浦図鐔 直忠

 直忠は江戸時代後期の江戸の鐔工。鉄地を鍛えて文字を薄肉に表わし、その背景には放射状の鑢目を切り施し、総体を焼手腐らかしにしている。鏨で切り進むことによって文字を表わした信家とは手法が異なる。浮彫の手法と言うべきか。放射状の鑢目は信家の得意とした地模様の一つ。打返耳にはせず、わずかに丸みを持たせている。鉄味の魅力を高めるため、信家など桃山時代から江戸時代初期の鐔工が採った手法を巧みに採り入れ、自然味のある凹凸、焼手と鑢目などで面白い景色を生み出している。表現技法が成功している例の一つである。79.8ミリ。□

花菱文透図鐔 貞廣 Sadahiro Tsuba

2011-11-19 | 鍔の歴史
花菱文透図鐔 (鍔の歴史)


花菱文透図鐔 貞廣

 信家の生み出した鐔の風合いは流行したとみえる。ことに江戸時代後期には信家写しが盛んに行われている。写真の貞廣は、信家が出た同じ尾張国の江戸時代中期の鐔工。信家を写しているというわけではないが、下地として信家風の地造りがある。鉄地を鍛えて頑強な風合いを全面に表わし、耳は打返耳、図柄は簡潔な手法で文を陽に肉彫地透にしているのみ。鍛えた鎚の痕跡を地に活かしたもので、この地鉄が持つ魅力が、江戸時代中期の尾張鐔工にある。古くは尾張透や金山鐔がこの趣であり、透かし鐔から板鐔へと移行したものの、鉄地が示す魅力は変わりなく受け入れられ、また製作者もその感性を大事にしていた。80.7ミリ。

ロザリオ透図鐔 三信家 Nobuie Tsuba

2011-11-18 | 鍔の歴史
ロザリオ透図鐔 (鍔の歴史)


ロザリオ透図鐔 三信家

 肉厚く頑丈に造り込んだ鉄地に鎚目を加え、耳はわずかに打ち返して抑揚変化を付け、光沢のある地相としている。その全面に毛彫による唐草文を加えて装飾としているが、さらに大きな装飾は雪輪のような櫃穴と珠繋ぎの透かし。これはロザリオ(数珠)を意匠したものと考えられているようだが、実は良く判らない。判らないから面白いということもあるが、作風そのものが大胆で力があり優れている。図柄については、果たして念珠でよいのだろうか。ロザリオと読んだことから、キリシタン鐔であるとの説も出るのだが、ロザリオはそのまま我が国の数珠である点を忘れてはならない。銘に添えられた三は三代信家の意味であるとの説もあるが、わからないと言うべきであろう。先に述べたように、そもそも初二代についての分類も難しい。耳は打ち返しがさほど強くないものの、これがあることによりがっしりとした強みが感じられる。鎚目の効いた地面に抑揚のある毛彫が施されて自然な変化があり、信家らしい作域である。79ミリ。

文散図鐔 信家 Nobuie  Tsuba

2011-11-17 | 鍔の歴史
文散図鐔 (鍔の歴史)


文散図鐔 信家

 この鐔については写真を撮った際に簡単に鑑賞しただけで記録がない。仔細に観察したわけではないので、見たままの簡単な説明とさせていただく。
 鉄地を鋤き込んで文様を高彫にし、鋤き込んだ地面には放射状の毛彫を加えている。耳は打返耳で、鋤き込んだ地面の抑揚に力が感じられる。このような手法も採った例があるということ。
 このほか、文様の鏨を打ち込んで装飾とするもの、透かしを施したもの、焼手腐らかしを加えて地の変化に妙なる魅力が漂うものなど、信家鐔においては、鉄の魅力を高めるための装飾は多彩である。

花文八重出雲図鐔 信家 Nobuie Tsuba

2011-11-16 | 鍔の歴史
花文八重出雲図鐔 (鍔の歴史)


花文八重出雲図鐔 信家

 信家の鐔の文様は、複雑に見えて意外と簡潔である。図柄に秘められた意味も直截的。良く例として採られることのある、運は天にあり具足は質屋にありなどは、洒落気もストレートである。文字を図柄として採り入れる趣向は尾張鐔などにもみられる。
 この鐔では、鎚目の効いた鉄地を打返耳に仕立て、表には花文を毛彫にて施し、裏には鏨強く文字を切り施している。耳はなだらかに変化して打ち返した際の皺も観察され、鋤き残し耳とは異なる古法そのままの地に仕上げている。ここに花文の毛彫がかかって自然な働きとなって視覚に訴えくる。もちろん裏の文字は力強く逞しく、大きな魅力だ。
 文字も迫力あるのだが、信家の鐔の文様とは、強い鉄の地鉄があってこそのもので、文様は主題ではなく地鉄の魅力を高める要素。鉄地そのものが、信家が表わした主題である。

花文散図鐔 信家 Nobuie Tsuba

2011-11-15 | 鍔の歴史
花文散図鐔 (鐔の歴史)


花文散図鐔 信家

 切込みの深い木瓜形の造り込みとし、耳を打ち返して表面を地荒らしに仕上げている。その手法は、鍛えた鎚の痕跡に特殊な形状の鏨を打ち込んでいるのであろう、変化に富んだ地の様子が観察される。その所々に鋤彫で花文と桐紋を散らし配している。もちろん表面にはうっすらと錆が生じており、これらすべての要素が地模様と働き合って自然味のある鉄肌となり、表面に触れる指先にその質感が伝わりくる。焼手を加えているのであろう、打返耳の一部にとろけたような表情があり、これも景色となっている。こうみると、桃山時代に隆盛した焼物文化との関わりにも興味が広がる。楽焼だ。89ミリ。

車透図鐔 信家 Nobuie Tsuba

2011-11-14 | 鍔の歴史
鍔の歴史

 金家と並び桃山時代を代表する鐔工の一人である信家。金家に比較して作品数は多いのだが、どのような廻りあわせか、筆者はさほど多くを鑑賞する機会がなかった。また、資料写真としても多くを残していない。数点紹介できる程度である。
信家も、金家のように銘を残した時代の上がる鐔工ではあるのだが、複数の銘形があって一般的に一人説は採られていない。金家の疑問点の一つと同様に工房を成していたものであろう。銘の配置が似ていること、区別の難しい「信家」という同じ二字の構成になる銘の切り方、鉄地を頑強な印象のある文様表現とする点などから、ほぼ同じ時代に全く別の地域にあって無関係の複数人であるとは考えられない。同族や同じ流派でないにしても、何らかの繋がりがあったことは、明らかである。
 江戸時代の信家蒐集家で百数十枚の作品転写を残している中村覚太夫の資料を確認して整理した編者によれば、銘形は七つに分類されるというが、随分無理があるように感じられる。重要刀装具の図譜にある解説では、現在では大きく、放れ銘と太字つまり銘に別けられているように感じられるが、両者に当てはめることのできないその他の銘形もあり、先人が言うように、放れ銘が初代、太字詰まり銘が二代と断定するのも難しいように思える。とりあえずは、刀の押形で銘を判断するように、重要刀装具の図譜から銘による分類を試みてはみたのだが、頓挫している。また、放れ銘と分類された中にも、家の字のウカンムリの違いが明瞭な二手があり、豕も異なるものがある。また、芸州銘は太字詰まり銘に分類されるのは良いのだが、さらに三信家と銘する作がある。作風と銘形との関係を見出すのも難しい。放れ銘と太字詰まり銘以外の作にも、地鉄造りも造り込みも風格のある例が多くあり、決して劣っているわけではないことから、工房作というような考え方が浮上してくる。鑑賞の要素、見どころは頗る多いのである。もちろん、中村覚太夫の信家鐔集の転写図では銘形がわからないものもあり、容易には整理できない。これまでの研究者も、同様に手をこまねいているのではなかろうか。ただ筆者は、初、二代説は別として、放れ銘のほうが古く見える、というように理解して鑑賞している。
 さて、信家の造り込みは、多くは、切羽台辺りが薄く、耳際が厚く打返耳、総体にがっしりとしており、亀甲文に代表されるように毛彫や打ち込みで文様を施し、焼手や腐らかしを加えて地に変化を与えている作が多い。ただし、このようながっちりとした印象のない薄手や小鐔もある。もちろん、使用者によるバランスのとりかた、脇差や腰刀というように拵の大きさによって鐔も違うのだから、信家の鐔はがっしりとしていると作風を限定してしまっては、作品そのものを見誤る恐れがある。


車透図鐔 信家

 車透の耳に耳長兎を薄肉彫に表わした鐔。鉄地は鉄骨のようにごつごつとして迫力に満ち、兎の文様も徒期に鉄骨のように感じられる。古金工の鐔では波に車であったが、信家のこの鐔は車に兎。この場合の兎も波と同様に素早い動きを暗示している。武士の教訓たる意味が秘められていることは確かである。緊張感に満ち満ちた鉄地そのものが魅力である。84.7ミリ。

車透波文図鐔 古金工 Kokinko Tsuba

2011-11-13 | 鍔の歴史
車透波文図鐔 (鍔の歴史)


車透波文図鐔 古金工

 車透の文様は、戦国時代から桃山時代の甲冑師や透鐔など鉄鐔に間々見られるのだが、古金工もこの意匠を採り入れたようだ。赤銅地の全面に波文を施し、金の点象嵌を加えて波飛沫とし、これに大胆な透かしを加えている。波車とは柳生流剣術に関わる文様の一つだそうで、その意味を含むという柳生鐔の図にも波と車を意匠した例がある。ところがこの文様には、古典的な香りが漂っている。
 地模様としての波は、一般的な器物の地模様としても、ごく普通に見られるように、かなり古くから装剣小道具にも採られている。波文だけで装いとした例もあるが、波を背景に主題を意味付ける要素として、あるいは主題を際立たせる要素としても採られる。唐草文と似た位置付けと考えれば良い。