鍔の歴史
金家と並び桃山時代を代表する鐔工の一人である信家。金家に比較して作品数は多いのだが、どのような廻りあわせか、筆者はさほど多くを鑑賞する機会がなかった。また、資料写真としても多くを残していない。数点紹介できる程度である。
信家も、金家のように銘を残した時代の上がる鐔工ではあるのだが、複数の銘形があって一般的に一人説は採られていない。金家の疑問点の一つと同様に工房を成していたものであろう。銘の配置が似ていること、区別の難しい「信家」という同じ二字の構成になる銘の切り方、鉄地を頑強な印象のある文様表現とする点などから、ほぼ同じ時代に全く別の地域にあって無関係の複数人であるとは考えられない。同族や同じ流派でないにしても、何らかの繋がりがあったことは、明らかである。
江戸時代の信家蒐集家で百数十枚の作品転写を残している中村覚太夫の資料を確認して整理した編者によれば、銘形は七つに分類されるというが、随分無理があるように感じられる。重要刀装具の図譜にある解説では、現在では大きく、放れ銘と太字つまり銘に別けられているように感じられるが、両者に当てはめることのできないその他の銘形もあり、先人が言うように、放れ銘が初代、太字詰まり銘が二代と断定するのも難しいように思える。とりあえずは、刀の押形で銘を判断するように、重要刀装具の図譜から銘による分類を試みてはみたのだが、頓挫している。また、放れ銘と分類された中にも、家の字のウカンムリの違いが明瞭な二手があり、豕も異なるものがある。また、芸州銘は太字詰まり銘に分類されるのは良いのだが、さらに三信家と銘する作がある。作風と銘形との関係を見出すのも難しい。放れ銘と太字詰まり銘以外の作にも、地鉄造りも造り込みも風格のある例が多くあり、決して劣っているわけではないことから、工房作というような考え方が浮上してくる。鑑賞の要素、見どころは頗る多いのである。もちろん、中村覚太夫の信家鐔集の転写図では銘形がわからないものもあり、容易には整理できない。これまでの研究者も、同様に手をこまねいているのではなかろうか。ただ筆者は、初、二代説は別として、放れ銘のほうが古く見える、というように理解して鑑賞している。
さて、信家の造り込みは、多くは、切羽台辺りが薄く、耳際が厚く打返耳、総体にがっしりとしており、亀甲文に代表されるように毛彫や打ち込みで文様を施し、焼手や腐らかしを加えて地に変化を与えている作が多い。ただし、このようながっちりとした印象のない薄手や小鐔もある。もちろん、使用者によるバランスのとりかた、脇差や腰刀というように拵の大きさによって鐔も違うのだから、信家の鐔はがっしりとしていると作風を限定してしまっては、作品そのものを見誤る恐れがある。
車透図鐔 信家
車透の耳に耳長兎を薄肉彫に表わした鐔。鉄地は鉄骨のようにごつごつとして迫力に満ち、兎の文様も徒期に鉄骨のように感じられる。古金工の鐔では波に車であったが、信家のこの鐔は車に兎。この場合の兎も波と同様に素早い動きを暗示している。武士の教訓たる意味が秘められていることは確かである。緊張感に満ち満ちた鉄地そのものが魅力である。84.7ミリ。