葵木瓜形鍔 (鍔の歴史)
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葵木瓜形鐔 銘 武州住赤坂忠則
鉄地高彫の鐔。糸巻太刀の鐔と全く同じ意匠だが、大切羽が本来の大切羽ではなく高彫で表現されている。銘の方向と小柄笄の櫃穴の存在から、打刀拵に装着することを目的に製作されたものと考えて良い。もちろん太刀拵にも装着された可能性はある。赤坂忠則は、江戸時代後期の工で、赤坂一門独特の透かし鐔を製作すると共に、独創的な分野にも視野を広げている。83.7ミリ。
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葵木瓜形鐔 銘 武州住赤坂忠則
鉄地高彫の鐔。糸巻太刀の鐔と全く同じ意匠だが、大切羽が本来の大切羽ではなく高彫で表現されている。銘の方向と小柄笄の櫃穴の存在から、打刀拵に装着することを目的に製作されたものと考えて良い。もちろん太刀拵にも装着された可能性はある。赤坂忠則は、江戸時代後期の工で、赤坂一門独特の透かし鐔を製作すると共に、独創的な分野にも視野を広げている。83.7ミリ。