鐔鑑賞記 by Zenzai

鍔や小柄など刀装小道具の作風・デザインを鑑賞記録

加賀万歳図鐔 克久

2009-09-29 | 


 



 加賀金工の作品をもう一つ紹介したい。写真は加賀国の伝統の一つである加賀万歳が描かれた鐔。製作は江戸時代中期の桑村克久(くわむらかつひさ)で、地方の風俗の記録としても貴重な資料である。加賀万歳は、前田利家公の治世と豊作を感謝した農民が奉納したことに始まる。加賀独特の文化が背景にあり、市井の万歳とは趣を異にして笑いの中に風格が窺える点に特徴があるという。
 この鐔は、色合い黒い朧銀地を微細な石目地に仕上げ、顔は高彫色絵、総体は金銀素銅の平象嵌(ひらぞうがん)を施した上に細く太くと力強く変化する片切彫を施して躍動感ある場面を描き、さらに要所に様々な石目地を加えて微妙な質感を創出している作。
 片切彫平象嵌による動きのある人物描写を得意とした金工と言えば、享保六(1721)年生まれの一宮長常を思い浮かべることであろう。克久は元禄七(1694)年の生まれ。両者の関係は不明だが、長常より先に、動きのある風俗図を題に片切彫平象嵌を駆使した工が存在したことは興味深い事実である。

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おおてまんじゅうさんありがとうございます。
名品は触らせていただけるだけでもあり難いものです。でも、名品でなくても充分に楽しめるものもあります。写真でしか伝えられないのが辛いところですが、これからもコメントをお願いします。

秋草図鐔 光中

2009-09-26 | 


 

                         

 幕末の出羽庄内金工界に光彩を放った鷲田派の名工渡辺光中(みつなか)の最も得意とする、片切彫平象嵌(かたきりぼりひらぞうがん)を駆使した瀟洒な仕立と意匠の鐔。
 光中は加賀金工の特徴的な華麗な平象嵌に学んで独自の感性を背景に独創的な平面世界を追及した金工。華やかである点は加賀金工のそれに類似するも地金を漆黒の赤銅から渋い色合いの朧銀地に代え、この鐔では微妙に色合いの異なる金を用い、変色する銀も多用するなど、優れた色彩感を示している。

雪ノ下図鐔 加賀金工

2009-09-26 | 


 

                             

 晩春の木陰にひっそりと白い花を咲かせる雪ノ下(ゆきのした)を平象嵌で華麗に描き表わした加賀金工の鐔。赤銅地を独特の形に造り込んで微細な石目地に仕上げ、極細の金線平象嵌(きんせんひらぞうがん)を軽やかに施し、さらに花弁に鏨を打ち込み、金と朧銀(おぼろぎん)の平象嵌による葉には毛彫を加えて色彩に変化を求め、朝露を意図したものであろう、銀とは質の異なる明るく光沢強い極微細な金属を象嵌している。
 加賀金工の特徴は、写真例のような平坦な地面に平面的な象嵌を用い、鮮やかな色金を的確に施して華やかな画面を創出する点にある。この技法を平象嵌と称し、桃山頃の埋忠明壽などに芸術的な例があるも、華麗さという点では加賀金工に特徴的である。

箒に熊手図目貫 加賀後藤

2009-09-26 | 目貫


 何とも愛らしい図柄とされた目貫であろうか、自らには大きすぎる箒と熊手を持つ幼い子供が主題とされている作品。高砂図の見立てであろうか画題としては珍しく、加賀前田家に出仕して加賀金工の発展に貢献した江戸時代初期の程乗など後藤家の特徴が現われている。金無垢地を肉厚に仕立て、立体的な容彫(かたぼり)で動きと表情を与えている。胴長な身体、尻の丸み、おかっぱ頭の様子など鑑賞の要点は多い。
 加賀前田家は諸大名の中でも特に芸術文化に対する意識が強く、多面的に工芸を発展させている。中でも金工においては、鐙師の技術でもあった平象嵌を様々な器物の装飾技法に採り入れ、華やかな作品を遺した。装剣金工では京都の後藤家を招いてその技術を学び、後藤家の厳格な風合いを遺しつつも華やかな作品を生み出している。このような意味で、加賀の文化を存分に反映して製作された後藤家の作品を加賀後藤と汎称している。

剣持龍図小柄 桂宗隣

2009-09-25 | 小柄




 後藤家の聖域とも言い得る這龍(はいりゅう)図に挑み、見事に独創表現を成した桂宗隣(そうりん)の小柄。
 町彫金工の技術はすごいと思う。後藤宗家の作品の存在意義と、それを手本とした町彫金工の作品とを同じ視点で眺め、比較しても意味はないので、ストレートに宗隣の技術と感性を楽しみたい。
 桃山頃の後藤家を手本としていると思われるこの小柄は、赤銅地を綺麗に揃った魚子地に仕上げ、眩いばかりの金無垢地を打出高彫として据文した、風格を備えながらも迫力ある作品。殊に切り込んだ鏨の痕跡を活かした鱗・鰭・髭・触覚・爪、そして微細な毛彫を加えた三鈷柄剣、総てに生気が満ち溢れている。
 安永三年常陸国水戸にまれた宗隣は横谷英精に学んで天性の才能を発揮し、桂永壽の養子となって家督を襲う。町彫様式と家彫様式を巧みにこなし、古典に題を得て瀟洒に表現するを得意とした。(背景が魚子地と呼ばれる綺麗に揃った微細な点の連続であるため、モニターによっては叢になり見え難い場合があります)

揚羽蝶文蒔絵鞘短刀拵

2009-09-19 | 


 



 華麗な短刀拵を楽しんでいただきたい。
 池田家有縁の武家に伝えられたものと推考される、揚羽蝶の紋所を意匠した揃い物の小柄と目貫、鞘にも華やかに揚羽蝶を蒔絵した合口様式の拵。刀身は古名刀鎌倉時代の山城物が収められていたものであろう。
 小柄は漆黒の赤銅地を綺麗な魚子地に仕上げ、これに金無垢地を高彫とした色合い鮮やかな揚羽蝶の紋を据紋している。黒地に金を際立たせる組み合わせは大名道具としての掟。この拵では、深味のある紫灰色を呈する銀粉塗の出鮫柄を背景に、金無垢地の揚羽蝶紋を出目貫とし、ここでも黒地に金が映えるよう考慮している。鞘の表裏に施された蒔絵は、わずかに肉高く仕立てられた盛上蒔絵で、色を微妙に違えた金粉に銀粉を組み合わせ、蝶の向きを違えて紋を複雑に表現しており、華麗であり格の高さが漂いながらも妖艶な趣が充満している。時代の金着台付ハバキが遺されており、これも貴重な資料である。(小柄の背景が魚子地と呼ばれる綺麗に揃った微細な点の連続であるため、モニターによっては叢になり見え難い場合があります)

群鶴図小柄 濱野保随

2009-09-19 | 小柄


 

 奇想の絵師伊藤若冲を想わせる、群鶴を画面一杯に描き表わした小柄。
 濱野保随(やすゆき)は遠山直随の門人。師に影響されたのであろうか、保随もまた関西各地を巡って学び、作品に活かしている。この生命感に満ち溢れた小柄は、朧銀地を石目地にし、量感のある高彫に金銀赤銅素(す)銅(あか)と多彩な色金を施し、鏨の痕跡を強く残す師風とは趣を異にする繊細な鏨を切り込んでいる。生地と俗名を彫銘し、鮮やかな金印をも添えた裏板も個性的である。保随は後に蜂須賀家の抱工となっている。 

虎の児渡し図小柄 味墨

2009-09-19 | 小柄






 禅の公案としても知られる虎の児渡しの場面に題を得た迫力ある小柄。味墨(みぼく)は浜野家各代の当主が用いた号銘で、この小柄はその四代政信(まさのぶ)の作。古くは奈良派の利壽や安親にも同図があるが、それらを手本として独創性を高め、立体感溢れる高彫と、鑑賞者に投げかけるような鋭い目線を作品の要としている。鉄地は利壽の小柄と同様に艶やかで、虎の身体は朧銀地の高彫象嵌に金の色絵、活き活きとした毛彫と片切彫を加えて躍動感に満ちた姿を表現している。
 虎の児渡し図は瓢箪鯰と同様に多くの金工が製作している。また、京都の龍安寺や南禅寺には虎の児渡しを題としたと伝えられる庭がある。

親子鶏図目貫 佐藤東峯

2009-09-19 | 目貫


 佐藤東峯(とうほう)は後藤勘兵衛家八代東乗の門人で、伏見宮家に出入りを許された名工。弟弟子に東明があり、業成って師より東の一字を許され東峯と銘した。親子鶏図は後藤家にも間々みられるが、東峯の作品は後藤のそれとは趣を異にしてより写実的で正確な構成とされ、鏨使いも緻密で細部の表現は驚異的。金無垢地を打ち出し強く立体的な高彫とし、打ち込み鋭く量感を持たせ、殊に雄鶏の顔は、見え難い部分まで地造りを巧みにして肉感表現している。
 目貫とは柄の中程辺りに装着し、手持ちを確かめるための金具。各部の名称参照。

拵金具各部の名称

2009-09-19 | 





基本に戻って拵(刀を収める外装)各部の名称を確認する。
全ての拵が、この例にある全ての金具を備えているわけではない。小柄と笄はないものが多いし、頭を金具とはせずに角製としたものある。また、鞘尻に鐺金具を設けたものもある。

対鶴図鐔 楽壽

2009-09-19 | 


 肥後金工神吉楽壽(かみよしらくじゅ)の魅力は、伝統の肥後の風合いを残しながらも洗練された空間構成を展開している点にある。
 かつて日本航空のマークにも採られていた優雅な趣のある鶴丸紋は、それ故に広く知られているが、鶴を素材とした家紋や文様は頗る多い。二羽の鶴が対とされた文様も間々みられるが、写真の鐔のデザインは、極めて緻密な計算がなされた結果と言えるだろう。鶴は上下対象とするのではなく巴(ともえ)状に配し、その空間を左右の櫃穴(ひつあな)として大胆に透かし去り、巧みな構成で松皮菱(まつかわびし)の文様を陰に施しているのである。鐔の外周は羽の構成線による菊花である。色合い黒々とした質の良い鉄地の表面には微細な石目地を施して毛彫を切り込み、向かい合う鶴を鮮明に浮かび上がらせている。無銘ながら楽壽の特質がよく示されている。

肥後菊図鐔 甚吾

2009-09-18 | 




 肥後金工志水甚吾(じんご)も、細川三斎の求めた美意識を実践した金工だが、さらに独創を加えているところ身新たな魅力が見出せよう。図柄は鐔の造形を意匠に活かした肥後菊。鉄地に銀象嵌を施すことにより生じた、作意を超越して感じられる美の要素が最大の魅力となっている。
 石目地が施された鉄肌は色黒く渋い光沢に包まれており、所々に加えられた虫喰状の彫り込みも美観の要素。肥後菊(ひごぎく)の花は鋤下彫でわずかに透かされ陰影が際立ち、花弁の様子を想像させるように施されているのが銀線による彫込象嵌(ほりこみぞうがん)。この銀線から滲み出した銀黒は、鉄の錆肌と一体となって地に広がり、黒く強い光沢を放っている。所々銀線が脱落しているも、むしろ景色となって視覚を刺激する。この銀の自然な経年変化こそ作意を超越した美の要素なのである。

唐草文図鐔 西垣

2009-09-18 | 




 わずかに鎚の痕跡が残された色合い黒く光沢のある地鉄と、変化の加えられた蔓唐草文の妙味ある調和が美の要とされた、肥後西垣(にしがき)の特徴がよく現われている作。なんと優れた肉取りであろうか、緊密に叩き締められた鉄地を切り込み浅い木瓜形に造り込み、左右に大胆な餌畚形の透かしを切り施し、耳際の肉をなだらかに落として独特の風情を漂わせている。鉄地に金の唐草文が活きており、拵に装着して栄える鐔である。
 鉄地に唐草文を金布目象嵌で表わした装飾は正阿弥派などにも見られるが、萌え出るような、生命感に満ちた唐草文、その装飾性は肥後に適わないだろう。

唐草文図鐔 西垣勘四郎

2009-09-18 | 






 千利休に茶を学んだ細川三斎は、刀装を通じて茶の美意識を追求した。そのための金具を製作したのが林又七であり、平田彦三であり、その門流の西垣勘四郎(にしがきかんしろう)であった。
 ここに紹介するのは、萌え出る若葉の如く、あるいは水中に揺れる藻草の如く変化に富んだ唐草文に魅力横溢の鐔で、勘四郎の個性が楽しめる作品。造り込みは、渋く落ち着いた真鍮地を耳際が薄手の碁石形に仕立てた、繊細で微妙な曲線構成に美しさのある御多福(おたふく)木瓜形(もっこうがた)。表面を平滑に仕上げ、唐草文を褐色味の強い山銅で平象嵌している。平象嵌は時を経て変質し、地面かがごくわずかに盛り上がって量感があることが光の加減で分かる。また、唐草の近傍に赤褐色の素銅と思しき斑金(むらがね)が見られ、意図せぬ景色となっている。

松皮菱透図鐔 埋忠派

2009-09-18 | 



 色金の種類や彫刻技法に装飾の主体を求めず、大胆に切り施した櫃穴を装うように帯状に金銀布目象嵌を配し、しかも銀の色使いを巧みに(黒化)して、素材である真鍮の魅力を最大限に高めた鐔。
 古風な色合いの真鍮地を木瓜形に造り込み、表面には微細な鑢目を施して地の表情とし、耳際と櫃穴の周囲のみに古風な綾杉(あやすぎ)模様を表わした、簡潔な意匠が魅力。総体は平滑な仕上げで、耳はわずかに土手耳状に仕立てられ、いずれの文様部分も布目による平象嵌ながら、光忠や明壽など時代の上がる埋忠(うめただ)派独特の、地面に比してごくわずかに盛り上がる風があり、殊に銀地から流れ出たような銀黒の働きが味わい深い。