鐔鑑賞記 by Zenzai

鍔や小柄など刀装小道具の作風・デザインを鑑賞記録

西行遊行柳図鐔 臨川堂充昌 Mitsumasa Tsuba

2011-05-31 | 
西行遊行柳図鐔 臨川堂充昌


西行遊行柳図鐔 銘 臨川堂充昌

 平安時代末期から鎌倉時代初期というと、先に紹介したように、まず平氏と源氏の面々を思い浮かべる。だが、この時代に生きた西行もまた伝説的な生き方をしており画題に採られることが多い。もちろん全国の歌枕を訪ねて詠んだ和歌が絵になるだけでなく、その存在そのものも絵になるからであろう。奥の道へと入る辺り(現栃木県那須町)の柳の下に休む図は「遊行柳」として有名で、間々この図をみかける。
 実は、遊行上人の精に誘われて来た西行を題に得た、謡曲の創作である。
 西行も元来は武士であった。藤原秀郷の子孫で、鳥羽院を警護する武士であったが、二十三歳で出家し、それまでに得た文化的知識を和歌に注ぎ込んだのである。
 鐔の作者充昌(みつまさ)は近江の鉄砲鍛冶の流れを汲む、江戸時代中期から後期の工。鉄砲鍛冶の流れというと、間など砂張を巧みとする工を思い浮かべるも、このような繊細な作風を展開した工もある。

源平合戦図揃金具 Soroikanagu

2011-05-28 | 縁頭
源平合戦図揃金具(拵)




源平合戦図揃金具
 平安時代の武士の伝説では、八幡太郎のほかには、弓矢に長じた源為朝なども採られることがある。為朝に関しては『平家物語』や源氏隆盛譚へは直接繋がらない。
武家社会では、ここに紹介したような伝説や、『平家物語』など合戦譚を素材として教育がなされた。もちろん中国の伝承も採られている。鎌倉時代から室町時代にかけては教育的な意味合いが強く、江戸初期の装剣小道具の図も戒めや武士が採らねばならない道などを暗示する図が多かったと推測されるが、江戸時代も降ると、殊に大衆演劇の発展を経ると、もちろん役者が演じる名場面が装剣具にも採られるようになる。ストーリーが複雑になれば、名場面はより鮮烈に、印象に残る構成とされる。為朝伝説もこれに類する。ただし、『平家物語』に取材した源平合戦図は、普遍的に人気が高かったようだ。
 この揃金具は、大小拵に装着されているもの。目貫は舟戦の図であることから、壇ノ浦の場面か。赤銅地高彫に金素銅色絵。大刀が久國、脇差が吉國の大小刀が備わっている。□

八幡太郎勿来関図小柄 Kozuka

2011-05-27 | 小柄
八幡太郎勿来関図小柄


八幡太郎勿来関図小柄

浜野派の作。朧銀地高彫に金銀素銅の色絵表現。縦長の小柄を活かした構成。
 八幡太郎の伝説は、恐らく後の頼朝が武家政治を確立し、その頂点に立ったことから生み出されたものであろう。頼光の鬼退治伝説も同様である。

八幡太郎勿来関図縁頭 竹乗 Chikujo Fuchigashira

2011-05-26 | 縁頭
八幡太郎勿来関図縁頭 竹乗


八幡太郎勿来関図縁頭 銘 竹乗(花押)

 吹く風をなこその関と思えども 道も背にちる山桜かな
 源儀家が都から陸奥国の任地へ向かう最中、勿来関を越えたところで詠んだ和歌である。
 竹乗という金工については詳らかではない。洒落た感覚の、作品を遺したようだが、本作以外に見たことはない。朧銀地高彫金銀赤銅色絵。
 武将の伝説的な側面を捉えた物語や、それを基礎とした絵画があるため、伝説の側面が正面になってしまっている場合がある。伝説はその背後に何らかの伝説が生まれる意味があるはずで、それが面白いのだが・・・。

八幡太郎勿来関図小柄 Kozuka

2011-05-25 | 小柄
八幡太郎勿来関図小柄


八幡太郎勿来関図小柄 

 河内源氏の義家は、父頼義が石清水八幡を勧請して氏神とし、八幡社で元服したことから八幡太郎と尊称されている。鎌倉に幕府を開いて武家政治の根幹を成した源頼朝の祖の一人であることから、存在感が強く示されている。河内国に基盤をおいていたが、畿内での競合をさけるべく東方地方を含む東国への領地拡大を画策。その最中での活躍譚は多い。
 都を離れて陸奥国へ至るさなか、勿来関を越える辺りで桜の満開に出会い、都を思い出して歌を遺す。この場面は比較的多いのは、桜と武将の取り合わせに妙趣が漂っているからに他ならない。
 この小柄は、赤銅魚子地高彫とし、金銀を巧みに用いていることはもちろんだが、素銅を背景に霞の如く配して情感を高めている。後藤の影響を受けた京金工であろう。

土蜘蛛図揃金具 信勝 Nobukatsu Soroikanagu

2011-05-24 | 小柄
土蜘蛛図揃金具 信勝






土蜘蛛図揃金具 銘 信勝

四分一地高彫金赤銅素銅色絵の手法で彫り描いた、写実的な描写になる揃金具。病に臥せっていた源頼光を襲う土蜘蛛。ここでも土蜘蛛は退治されるのだが、土蜘蛛は反逆意識の強い部族集団であったと捉えられている。土蜘蛛と称される部族は、平安時代以前からあったもので、頼光およびその四天王による鬼退治伝説から創作された話の一つであろう。
 頼光の屋敷で、四天王は碁を打ちながら土蜘蛛の襲来を待ち、その油断を誘う場面。巧みな画面構成で、柄糸の隙間から化け物が覗き見るという構成があり、鐔から小柄の裏へと蜘蛛の巣の糸が連続している。
 この金工信勝(のぶかつ)については不詳。岩間政盧の門人か。

大江山酒呑童子図小柄 Kozuka

2011-05-23 | 小柄
大江山酒呑童子図小柄


大江山酒呑童子図小柄

 丹後国と丹波国の境にそびえる大江山に、京の街を荒らす酒呑童子が潜んでいた。これを退治するために組織されたのが、源頼光を大将として、四天王と呼ばれた渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、卜部李武の四人、これに藤原保昌を加えた六人が修験者に身を変え、大江山を目指す。
 この小柄は、大江山へ向かう谷で、酒呑童子にさらわれた洗濯女に出会う場面。この案内で洞窟へと侵入し、 酒呑童子を見事に討ち取るのだが、その背後には、仏神の加護があったことを物語は述べている。この辺りを眺めると後の創作か。
 大江山辺りは、実は地質的に異様な岩石が露出している場所である。青黒い蛇の背模様のような斑があることから不気味な地域として捉えられていたのかもしれない。また、この地質の地域では、特殊な金属が産出したという。その鉱山業に携わる集団が、鬼として捉えられたのかもしれない。もちろん頼光ら武家とは、中央権力側からの視点によるもの。

羅城門図鐔 吉則 Yoshinori Tsuba

2011-05-21 | 
羅城門図鐔 吉則


羅城門図鐔 銘 武州江戸住別傳吉則

 吉則(よしのり)は奈良派の工。鉄地高彫に金銀の象嵌を過ぎることなく用い、強い鏨使いを活かした描法で臨場感溢れる場面を活写している。
 ここでの鬼は酒呑童子と呼ばれている。鬼ではなく大男として表現された例もある。もちろん権力に与せぬ者は普通に人として表現されるものではない。
 酒呑童子は越後の出身とも、飯綱山で修行して人を超えた力を得たともいわれ、とすれば、実体は修験者に関わる者か・・・。大江山に潜む酒呑童子を退治するという話では、退治する頼光らも修験者に身を変えて侵入している。

羅城門図三所物 後藤程乗 Teijo-Goto Mitokoromono

2011-05-20 | 小柄
羅城門図三所物 程乗



羅城門図三所物 銘 程乗作 光孝(花押)

 赤銅魚子地高彫金銀色絵。後藤宗家九代程乗の作であることを、同十三代光孝が極めている三所物。目貫は馬を下りて金札を掲げようとしているところ。小柄は鬼が綱を襲う場面。笄が、それを振り払って太刀で切りかかところだが、このとき腕を切り落とす。
 江戸時代には、この後日談、腕を取り戻しに来る鬼の話が大きく膨らみ、演劇などでも表現されている。

羅城門図鐔 義随 Yoshiyuki Tsuba

2011-05-19 | 
羅城門図鐔 義随


羅城門図鐔 銘 水府住義随

武家による鬼退治や百足退治などのように、悪鬼として扱われ語られる存在とは、明らかに中央権力に敵対する部族に他ならない。歴史を記録する側の伝承である、では同じ出来事を、戦いの末に支配された側の部族が残した伝説などは拾い出せないだろうか、と考えている。大変難しいとは思うが。
 さて、この場面は、装剣小道具での武家の伝説に関わるものとして、最も多く作品とされている羅城門図である。源頼光の武将の一人である渡辺綱が、とある夜に鬼が出るという羅城門に金札を掲げに出かける。この場合は、まあ肝試しのようなもの。そこで鬼に襲われるのだが・・・、この元になる話は一条戻り橋で、場面を羅城門に変えたもの。
 綱に襲いかかった鬼は、綱を掴んで羅城門の屋根に上がろうとする。だが綱は、頼光から預かった太刀髭切で難を逃れる。
 義随(よしゆき)は檜山源七と称し、水戸の玉川美久の門人。後に江戸に出て浜野矩随に学ぶ。水戸金工も、浜野派も同様に和漢の歴史人物を写実的に高彫表現するを得意としている。

俵藤太百足退治図鐔 奈良重治 Shigeharu Tsuba

2011-05-18 | 
俵藤太百足退治図鐔 奈良重治


俵藤太百足退治図鐔 銘 奈良重治作

 俵藤太(藤原秀郷)は平安時代中期の下野国の武士。平将門を追討したことでよく知られている。その藤太が近江国琵琶湖辺りの三上山に住む大百足を退治したという伝承。装剣小道具にはこの図も多い。
弓矢に秀でていた武将の伝説は頗る多い。中でも強弓を扱うことで知られて画題にも登場するのは、この俵藤太、源為朝、朝比奈義秀など。
 奈良重治(しげはる)は奈良利永の門人で、利壽や安親などと同時代の江戸中期の工。

武内宿禰図縁頭 浜野直壽 Naotoshi Fuchigashira

2011-05-17 | 縁頭
武内宿禰図縁頭 浜野直壽


武内宿禰図縁頭 銘 浜野直壽

 神功皇后に仕えた武内宿禰について、実在か架空かは別として、大変興味深い存在であると思う。神功皇后による新羅への出兵に伴い、あるいは九州にあった権力が東へと移ってゆく過程において、何らかの働きをした人物と捉えれば判り易い。五月人形や五月飾りなどに、神功皇后に従い、その子である誉田別命を抱く姿が画題に採られたことでも知られている。武家の祖の一人ではあるのだが、同時に、神と人との交信に関わった男巫(おとこかんなぎ)であったと考えたい。
 この図は、新羅から戻る船中、突然の嵐に遭遇したときのこと。嵐は、新羅から持ってきた龍神の珠を取り戻しに来た龍神によって起こされたもの。これに気付いた武内宿禰は、龍に神に珠を返す。すると、海は平穏を取り戻し、無事に帰ることができた。
 朧銀地高彫色絵。直壽(なおとし)は江戸時代後期の江戸金工、浜野派の一人。同派らしい正確で精巧な彫刻表現を得意とした。

ヤマトタケルノミコト図縁頭 Fuchigashira

2011-05-16 | 縁頭
ヤマトタケルノミコト図縁頭


ヤマトタケルノミコト図縁頭

 スサノオがヤマタノオロチの体内から見出した『天叢雲剣』は、神話では後にヤマトタケルノミコトが東征する際にヤマトヒメから授かり、後に火攻めにあった際にこれで逃れていることから『草薙剣』の呼称もある、と言われている。ヤマトタケルノミコトの死後に熱田神宮に奉納され、現代まで伝えられているという。
 即ち、『天叢雲剣』と『草薙剣』は同じ剣であるということだが、神話時代のことであり、しかも、『天叢雲剣』は三種の神器の一つであるはずだから・・・何しろ、神話時代のことでもあるし、また、後に源平合戦の際に壇ノ浦に沈んだとも、それが引き上げられたとも・・・。とにかく伝説の積み重ねであることだから突き詰めないことにする。ただ、東国を支配するための東征があり、これに抗う部族があったことは明らか。
 この縁頭は、ヤマトタケルノミコトが芦原で火攻めに遭い、これを剣でなぎ払う場面を描いた作。赤銅魚子地を高彫にし、金銀素銅の色絵を施している。
 永峯は江戸時代中期から後期にかけての、京都の工。綾小路を姓としているが、居住地であろう。


スサノオノミコト図鐔 源重強 Tsuba

2011-05-14 | 
スサノオノミコト図鐔 源重強


スサノオノミコト図鐔 銘 源重強(花押)

 鉄地を地荒し風に凹凸を付けて極端な高彫にし、クシイナダヒメとその前におかれた八との酒壷、これに向かうヤマタノオロチ、そして迎え撃つスサノオ。重強(しげあつ)は江戸時代後期の会津正阿弥派の工。鉄の素材を活かし、巧みに地を透かし去って迫力ある場面を創出している。
 神話や伝説は、現実の出来事を別の形に置き換え、あるいは集団を神という個に変えて表現している。現実にある遺跡や事物との対比から、神話の背景にある現実を探ることの面白さは計り知れない。この点は確たる記録というわけではない『平家物語』にも共通しよう。伝承されることの背後には、何らかの意味があるのだ。
 装剣小道具の画題については、室町時代や江戸時代に入ってからの創作が加わっており、殊に歌舞伎などの演劇からの影響は、別の意味で興味がある。

スサノオノミコト図鐔 Tsuba

2011-05-13 | 
スサノオノミコト図鐔


スサノオノミコト図鐔

 武家を大きく分けると、朝廷のような権力者の周辺を警護する者にはじまり、あるいは国や村の起こりに関わることを考えるとそれ以前に遡る部族集団を警護する者、時代が下って特定の地域を支配し管理することを許された者、船などを用いた交易が発達するとこれを警護する者、陸上おける運輸業が発達するとこれを警護する者などとなろう。
 『平家物語』では、東国の農村を切り拓いた武士集団をまとめた源氏、大陸との交易で富を得た平氏との対立から武家の背後の様子を知ることができよう。そして両者は朝廷周辺の警護を名誉あることとしている。
 そのような歴史を遡ること神話時代の伝説。スサノオによるヤマタノオロチの退治は、武家を印象付ける話として余りにも有名。
 高天原から出雲国に降ったスサノオは、クシイナダヒメと出会う。彼女は毎年襲い来るヤマタノオロチに食われることを覚悟の、人身御供にされる運命であった。そこでスサノオはヤマタノオロチを退治して平和な土地にした。
 このように眺めると、ヤマタノオロチや、毎年襲い来ることなど、神話の多くがそうであるように何かの暗喩であることは理解できるのだが、確たる解析はできていないようだ。
 ただ、ヤマタノオロチの体内から名剣を得たことから、剣に関わる部族、さらに言うと鉄剣に関わる部族集団の存在をそこに読み取ることができよう。即ち、製鉄産業であり、ここでいう武家とはその産業を守る武家集団と、それを統治しようとする中央に与するスサノオの武家集団の対決。そのような図式が浮かび上がる。