帰雁図鐔 古赤坂
帰雁図鐔 古赤坂
三代と極められている古赤坂の作。赤坂鐔工は、江戸時代初期に京都から江戸に出てきた。京都での鉄地透鐔と言えば、京透、あるいは正阿弥派の雅な雰囲気の漂う鐔がある。即ち、赤坂鐔工の祖は正阿弥などに求められる。初、二、三代までの作には銘がないことから、古赤坂と呼び分けている。以降、忠時の銘を代々が襲名し、幕末まで続いている。この鐔では海原をゆったりとした波と帆掛け舟で表現している。赤坂の初期作は武骨な図が多いのだが、三代辺りから構成美を追求した作がみられるようになる。
帰雁図鐔 古赤坂
三代と極められている古赤坂の作。赤坂鐔工は、江戸時代初期に京都から江戸に出てきた。京都での鉄地透鐔と言えば、京透、あるいは正阿弥派の雅な雰囲気の漂う鐔がある。即ち、赤坂鐔工の祖は正阿弥などに求められる。初、二、三代までの作には銘がないことから、古赤坂と呼び分けている。以降、忠時の銘を代々が襲名し、幕末まで続いている。この鐔では海原をゆったりとした波と帆掛け舟で表現している。赤坂の初期作は武骨な図が多いのだが、三代辺りから構成美を追求した作がみられるようになる。