つらねのため息

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『利尻電気の歩み』

2015-03-01 22:47:00 | エネルギー
室田武の名著『電力自由化の経済学』(1993年、宝島社)に「北と南の島々における一般電気事業の戦後史」という一節がある。そこでは戦後日本の一般電気事業が「九電力のみによって担われてきたのではなく、他にもいろいろな電気事業者が通産省の事業認可を得て存立してきた歴史(同書417-418頁)」が、いくつかの実例をもって紹介されている。特にそこで紙幅を割いて紹介されているのが、北海道利尻島の事例だ。

利尻島の電気事業は1920(大正9)年、鬼脇電気が水力発電所を建設、当時の鬼脇村に電気を供給したことに始まる。翌1921年には鴛泊村に利尻水力電気が設立され、その後の増強なども合わせ、鴛泊村、沓形村、仙法志村を供給区域とした。また、1935(昭和10)年には鬼脇電気は村営化されている。

戦時下、電気の国家統制、配電会社の国策統合が進むが利尻島の電気事業もその例にもれず、鬼脇村営電気、利尻水力電気ともに北海道配電に統合される。

敗戦後の利尻島は鰊の豊漁に恵まれ、電気を望む声が高まったが、北海道配電に供給力増強の力はなく、島内の4つの村の村長は利尻電気利用組合(申し合せ組合)をつくり、沓形村に内燃力による発電所を建設、北電に託送する形で電気を供給した。しかし、この託送制度はうまく機能せず、利尻電気利用組合は一部事務組合としての利尻郡町村電気組合へと改組され、北海道電力から発送配電施設と供給権を買収、1953年より一般電気事業者の認可を得て、営業を開始した。室田は「たいていの場合、電力会社が小さな電気事業者を吸収・合併するという展開になる」日本の電気事業史の中で「小さな組合が大きな北海道電力から分離・独立したわけであり、きわめてユニークな事例として注目に値する(同書422頁)」とこの利尻島の事例を高く評価している。

この利尻島の電気事業はその後、設備の拡充強化に農山漁村電気導入促進法による補助金を獲得するため、島内の4つの漁協による利尻電気漁業協同組合連合会に移管され、同連合会による共同自家用電気施設となる。この連合会による設備の拡充ののち、北海道電力への移管が進められ、1972年北海道電力への移管により利尻島の独立した電気事業には終止符が打たれた。

この利尻島の電気事業の歴史を伝える一冊の書物がある。1972年、北電への移管を記念してつくられた『利尻電気の歩み』(利尻電気漁業協同組合連合会・利尻郡電気組合発行・編集)である。同書はこの利尻の独立した電気事業の歩みを今に伝える貴重な史料であるといえる。



支店管内の電力設備一覧-旭川支店-ほくでん

なお、上記、北海道電力のサイトによると、利尻島の人たちが自らの手で作り上げた鬼脇にある清川水力発電所、鴛泊の鴛泊水力発電所、沓形の沓形火力発電所はいずれも現役で、今も利尻島の電力供給を支えている。また、下記ブログでは鴛泊水力発電所の様子が、紹介されている。

発電所探訪 | RISHIRI Curator Diary

沓形火力発電所は設備の拡充が進められており、9号機運転開始の様子が、北海道電力のFacebookページにアップされている。ここには「沓形発電所の運転開始は昭和25年。昭和47年に利尻電気漁業協同組合連合会から当社が設備を引き取り、運転しています」と明記されている。

【沓形(くつがた)発電所9号機が営業運転を開始しました】北海道電力 公式Facebookページ

電力会社が本来の供給義務を果しえない中で、地域の人たちが自らの協同の力で地域の公共インフラを担った、とても貴重な歴史であると言えよう。現代、電力会社による電気事業の実際が明らかになってくる中で、先人たちが切り開いてきたこうしたエネルギーの自治・協同の歴史は大きな意味を持っている。

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