さてプチマイブームのDD51懐古シリーズですが・・・
今回は、北海道らしいものをと思いまして、写真を選びました。以前にも書きましたが、大学時代の数年間を北海道で過ごしましたが、住んでいたのが美唄市→岩見沢市でした。
美唄では三菱美唄鉄道の遺構を訪ねたりもしましたが、やはり国鉄中心に撮影をしていました。その後岩見沢に引っ越し、岩見沢第一機関区および同第二機関区のカマを中心に撮影していました。
そんな岩見沢時代に撮った1枚ですが、私にとって初めての冬です。北海道の冬の厳しさを思い知らされました。駅撮りですが、スノトレの中の足はかじかむし、風で耳は痛いし、本当に大変でした。
私が北海道にいた時代の岩見沢としては、若番の部類に入る721号機が51系客車から切り離された瞬間です。
DD51 721 岩見沢駅 1984.12
画質があれているのは、この時代のフィルムですしお許しください・・・
この頃から岩見沢は札幌への通勤圏でした。旭川直通の列車もありましたが、電車も客車も岩見沢折り返しの運用が結構ありました。岩見沢止まりがあれば、機関車の付け替え作業が多々ある訳です。撮影チャンスが多く楽しい時間でした。
もともと電機ガマ専門だった私ですが、この時期が私のターニングポイントです。北海道の自然の中を走る、DD51を見ると撮らずにはいられませんでした。まして、夜行急行もほとんどがDD51の牽引で、本当に魅力的でした。結局、今まで機関車なら何でもOKのカマ屋になってしまいました(笑)
この北海道のDD51も、今はなかなか厳しい状況に置かれています。北斗星色を含め末永く活躍してもらいたいものです。
今回は、北海道らしいものをと思いまして、写真を選びました。以前にも書きましたが、大学時代の数年間を北海道で過ごしましたが、住んでいたのが美唄市→岩見沢市でした。
美唄では三菱美唄鉄道の遺構を訪ねたりもしましたが、やはり国鉄中心に撮影をしていました。その後岩見沢に引っ越し、岩見沢第一機関区および同第二機関区のカマを中心に撮影していました。
そんな岩見沢時代に撮った1枚ですが、私にとって初めての冬です。北海道の冬の厳しさを思い知らされました。駅撮りですが、スノトレの中の足はかじかむし、風で耳は痛いし、本当に大変でした。
私が北海道にいた時代の岩見沢としては、若番の部類に入る721号機が51系客車から切り離された瞬間です。
DD51 721 岩見沢駅 1984.12
画質があれているのは、この時代のフィルムですしお許しください・・・
この頃から岩見沢は札幌への通勤圏でした。旭川直通の列車もありましたが、電車も客車も岩見沢折り返しの運用が結構ありました。岩見沢止まりがあれば、機関車の付け替え作業が多々ある訳です。撮影チャンスが多く楽しい時間でした。
もともと電機ガマ専門だった私ですが、この時期が私のターニングポイントです。北海道の自然の中を走る、DD51を見ると撮らずにはいられませんでした。まして、夜行急行もほとんどがDD51の牽引で、本当に魅力的でした。結局、今まで機関車なら何でもOKのカマ屋になってしまいました(笑)
この北海道のDD51も、今はなかなか厳しい状況に置かれています。北斗星色を含め末永く活躍してもらいたいものです。