少し前に、文化審議会の国語分科会が、
「『ご苦労』は、目上の人が下の人をねぎららう行為なので、目上の人に『ご苦労さまでした』と言うのは不適切」
と決めた(正確には「指針案を大筋了承した」)、との記事が日経に載っていました。
「ご苦労さまはねぎらいの言葉で目上に使うのは間違いだ」と、以前からも言われていました。
しかし、目上目下に関わらず「ほんとうにご苦労様なことでした」と思う時が多々あります。そんな時は、おかしいと言われても目上の人にも「ご苦労さまです」と使っていました。
それが「間違い」と決められました。
今後も使って、「こいつは日本語を知らん」と思われるのも癪だし、かと言って、国語審議会が言うような「お疲れさまでした」や「ありがとうございました」で代用せよと言われても、「ご苦労さまです」の方がしっくりゆくことが多々あります。
そもそも「ご苦労さま」はねぎらいの言葉で、「お疲れさま」はねぎらいではない、その根拠も国語学者じゃない私には分かりません。
なんせ困ったことです。
文章なら、わざとひらがなでごくろうさまと書いたり、「ご苦労さまです」、と括弧に入れて書いたりして、なんとかやってけそうな気もしますが、話し言葉だとどうしようもありません。
「『ご苦労さま』を目上の人にも使う運動を広げる会」を結成します。入会資格は「『ご苦労さま』を目上の人にも使う」だけです。
ふつつかながら私が代表世話人に就任します。
ぜひご参加下さい。
多くの皆さんが使えばそれが国語になります。
「元新聞記者が明かす 小さな会社 マスコミデビューの法則」(竹林館、岡田 光司著、1500円 ISBN4-86000-104-4 C2034 ¥1429E)、近鉄今里駅前・天狗書房、勝山通り・大山書店で絶賛発売中。
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そもそも「ご苦労さま」はねぎらいの言葉で、「お疲れさま」はねぎらいではない、その根拠も国語学者じゃない私には分かりません。
なんせ困ったことです。
文章なら、わざとひらがなでごくろうさまと書いたり、「ご苦労さまです」、と括弧に入れて書いたりして、なんとかやってけそうな気もしますが、話し言葉だとどうしようもありません。
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