TULIP DIARY

届くといいな やさしい風に乗って

9月12日、大阪城公園を散策

2020年09月13日 | ひとりごと

昨日、大阪市内は日中晴天のお天気でした。朝、罹りつけの医院に出向いたため、家を出たのが遅くなり、午前10時過ぎくらいに大阪城公園に到着。昨日は、夏が復活し、午前10時でも蒸し暑かった大阪城公園を自転車で散策してきました。

公園の入口付近で撮影

黄色の彼岸花がひとつだけ咲きかけていました。昨年も見かけた同じ場所でした。公園内の彼岸花は今年もお彼岸の頃に咲くのかな?今は公園内を散策してもまだ彼岸花の姿はどこにもありませんでした。

少しずつ違った花が咲いてきた公園内です。

うろちょろ散策してたらオオルリ(オス)を撮影されていた方々を見つけました。ちょうど昨年の今頃、オオルリに会えたので、今年も会えるかなと思って立ち寄った場所でした。オオルリがあちらこちらを飛び回っていたので、撮影するのが今までで一番困難でした。はっきりくっきりと撮影できませんでしたが、そのうちの3枚だけ掲載してみました。

オオルリの後姿

大阪城ホール前を通ったらツアートラックがいっぱい並んでいました。この日、倖田來未さんのライブが開催されたようですね。コロナ禍になってからずっとがら~んとしていた大阪城ホールでライブが開催されるようになってきたのですね。

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豪雨予想が外れて嬉しかった日でした

2020年09月12日 | ひとりごと

昨日、仕事からの帰り際、雨が降ってきそうだったので、気象庁の天気予報の雨雲の動き(高解像度降水ナウキャスト)を見ました。朝の天気予報でも午後から雷が鳴るところもあるということだったので、雷が嫌いな私は、ややこしそうなお天気のときは関西電力の雷情報とこの雨雲の動きの予想を確かめてからいつも帰宅することにしています。昨日は、自宅に戻る時間帯に奈良県方向からやってくる豪雨になるような予想になっていました。職場を出る時間帯はまだ大丈夫な雨雲の動きだったので、職場の近くの駅まで移動し、もし、雷雨になるようだったら、自宅の最寄り駅に着いたたらそこでしばらく待っておこうと思っていました。昨日は、職場を出る前に見た豪雨になるかもという予想の雨雲の動きは電車に乗っていた間に消えていて、自宅の最寄り駅に着いたら、雷雨の心配がなさそうな夕焼けも出ているようなお天気になり、安心しながら帰宅できました。天気予報で、外れても嬉しいのは、雷が鳴りそうな豪雨予想の予報ですね。今日も明日も全国的に不安定なお天気だそうで、雨と雷などのお天気の変化にお気を付けください。

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ストレスチェック

2020年09月12日 | ひとりごと

人事調書が昨日までの締め切りだったので、提出しておきました。提出した後に、連絡物入れのマイレターケースに、今度は毎年今の時期にあるストレスチェックの回答票が入れられていたので、即回答し、提出しておきました。この提出も今年で終わりだなあとしみじみ思いました。後日、回答結果の診断が届くのすが、毎年、ストレスはほとんどないという結果になっていました。今年はどうかな?昨年転勤されて今年はもうおられない方と4月から同じ職場内でお会いする機会がなくなり、気付かなかったのですが、今年はいつもと違って気分的に楽でした。楽になったのはなぜだろうと考えてみたら、その方々の存在が自分自身にとったら、ストレスだったのだろうとおられなくなったのでやっと気が付きました。また、ずっと前までそこにただいただけで心が安らぎ、自分にとっては大切で有難い存在だった母と話したいけれどもう話せないということ、会いたいけれどもう会えないということがストレスになっていたのだろうかと最近感じるようになりました。ストレスは知らない間に案外身近にあるものかもしれません。昨日、1年半前に母が通っていたデイサービスで塗り絵して作ってもらったと思われる豚の絵のキーホルダーを偶然見つけました。豚以外にたくさんあっただろうに、豚を選んだ母、豚の塗り絵が雑でへたくそなのが母らしいなあと思いました。この雑な塗り方の豚のキーホルダーを見ると母が1年半前に楽しみながら塗り絵していた様子が目に浮かび心が和らぎました。ずっと手元に持っておこうと思いました。

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「パネルクイズ25」についての勝手な一考察

2020年09月11日 | ひとりごと

先日、ヤマガラを撮影していて、ヤマガラが鳴いていたのを聞きました。だいぶん前にヤマガラがたくさんいた場所で、あちこちから鳴き声が聞こえてきたのをしっかりと覚えていて、一度生の声を聞くとそれ以降に聞くと身体で覚えているものなのだなあと思いました。実際生で聞いたことがなかった鳥の鳴き声をCDなどで聞いてもよく覚えていないことが多く、やっぱり生で聞くという体験がいいのだろうと先日思いました。

このヤマガラの鳴き声を思い出したことと、日曜日に放送されている「パネルクイズ25」のクイズ番組の最後の問題とこじつけて考えてみました。

4人の方々が早押しでクイズに答えてパネルを獲得していくクイズで、出場されておられる方々は予選をクリアして出場されておられる選りすぐりの方々なので、博学の方々が多く、テレビを見ていても自分自身が正解を答えられないことが多いクイズ番組です。1位通過された方だけが回答できる最後の獲得されたパネルに映し出される都市名や川の名前や人名や地名などを当てる問題は、多くのパネルを獲得された方でも正解される方が比較的少ないのはなぜなんだろうとよく見ていて疑問に思うときが多々あります。なぜかというと、自分の場合、この最後の問題だけはよく当たることが今まで多かったからです。この最後の映像だけを見て、回答のヒントになるような接点を回答者の方が持たれてなかったら正解に結び付けられないというのがこの最後の問題の特長なのでしょうと思いました。よって、パネルを全部獲得されるような博学の回答者の方々でもこの映像問題で接点がなかったら回答に結び付けられないということなんだと勝手に考えました。最後の映像問題だけよく当たるのはなぜかと考えてみると、私が今までしてきた仕事内容と旅してきた場所の数が案外多かったことなのかもしれないです。それが単に正解率を高くしていたのかもしれないと想像しました。少し映っただけのちょっとした映像シーンで、直感やひらめきからヒントを得、全体像を掴む術が仕事やプライベートの一連の日常でいつのまにかについていたのかもしれないと想像します。この最後の映像問題だけは番組に出場されている博学の方々の多才で豊富な知識とはちょっと違ったものが正解する割合を高くするのかもしれないと思いました。

先日の千葉県の市原市を当てる最終問題で、市原にある市原象の国が映っていただけで市原市だなあとわかったのは、昔読んだこの市原象の国の園長さんの息子さんの話が書かれた「星になった少年」という本を読んだことがありました。それだけを覚えていたから答えに繋がっていただけでした。また、2日前の最終問題は香川県の直島を当てる問題でも、直島のかぼちゃの草間さんの作品がJRの宣伝にいつも出ていたのをテレビやJRの広告で見たことがありました。その一シーンだけが映ったのがヒントになり、正解に結び付いただけでした。知識とは別のインスピレーションのようなものが最後の問題には必要なのかもしれないということなのかもしれません。

このインスピレーションが日頃の生活上では結構役立っていたかもしれないということをヤマガラの鳴き声を聞いたときに感じました。以前、ヤマガラの声も以前聞いたことがあった体験から2回目、3回目と回数を追うごとにしっかりとした記憶として自分の中に留まっていたということなのでしょう。このインスピレーションというかひらめきはどなたにもあるものだと思いますが、それぞれの方々のお仕事やご趣味や日常生活の諸々の過ごされ方で知らない間に備わっていくのだろうと勝手に自分の中だけで考察してみた「パネルクイズ25」のある一考察でした。

 

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少し涼しくなりました

2020年09月10日 | ひとりごと

昨日の大阪市内は久しぶりに最高気温が29度だったそうで、今日の朝は冷房を入れなくても過ごせるくらい幾分涼しくなりました。今日は昨日よりは蒸し暑くなるようです。

昨日は、職場にいた空き時間に、捨てるものと持って帰るものなどの整理を行いました。数日前に人事の調書を提出して、後半年になったので、廃棄するものと持って帰るものと残しておくものの仕分けを本腰を入れてし始めることしました。もう次の職場に異動することなく仕事を終えるだけなので、持って帰る必要がないものが多いことに気が付きました。先日、テレビのある番組で、捨てられない本は何かというコーナーで、捨てられない本は、いろいろな思い出があったり、どなたかにもらわれた本だからという理由があることが取り上げられていました。職場内に置いていたもののうち、ほとんどは仕事上の書類だったり仕事に必要なものだったりするので、この仕事に係らなくなれば特に取っておく必要もなく、捨ててもいいものばかりでした。捨てがたかったものは、思い出になったものとどなたかにいただいたものや職場の展示棚に飾るために作ったペーパークラフトでした。いつもと違う心境で、いつもと違う片づけを本格的にした1日でした。

 

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追加のペーパークラフトを作る

2020年09月10日 | ひとりごと

職場の展示棚にちょっと寂しかったのでブドウを追加して展示替えしておきました。

コスモスととんぼの切り絵も作りました。

キビタキとヤマガラと木だけを新たに作って作り置きしておいたものと一緒に展示しました。

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「いいこと」が起こる小さな習慣

2020年09月09日 | 読書日記

先日、職場に届いていた寄贈のPHPの小冊子を手に取る機会がありました。昔、一番最初に勤務していた職場でもこのPHPの小冊子が寄贈で送付されていて、読んだことがありました。20代前半のときでした。何が書かれていたか忘れてしまったのですが、感銘を受けたのだけは覚えていました。先日偶然手にしたのはPHPの最新号の10月号でした。「いいこと」が起こるようにと考えて行動していなくても自然にいいことが起こるような何気ない普段の行いや習慣について落語家の林家木久扇さんなどの著名人の方々がそのヒントを教えてくださっている特集コーナーに40年ぶりにまた感銘を受けました。

その感銘を受けた特集のコーナーで、特に印象に残ったひとつは、林家木久扇さんの「笑いのタネを自分でつくろう」というインタビューのコーナーでした。小学生の1年生のときに東京大空襲を経験され、本当に怖かったということが林家木久扇さんのその後の人生にいろいろな影響を及ぼされたと書かれていました。何回もいろいろなご病気を患われても東京大空襲のときの恐怖に比べたらなんでもないと思われたことや落語家になられ、地下鉄に乗っておられたときに、ある男性に「あなたは命の恩人です。」と言われたことも書かれていました。その男性は、いろいろと辛いことがあって自殺しようと車に乗られていたときに、木久扇さんの落語がラジオから流れてきて、それを聞いて、あまりにもおかしくて、自殺するのがバカらしくなってきてやめたことがあり、だから命の恩人なんだと目を潤ませて木久扇さんに話されたエピソードも書かれていました。「笑いは人を救います。つらいことがあっても、まずアハハハと笑ってみる。すると心が軽くなるし、楽しいことがたくさんやってくると思います。笑いって、いい運を呼ぶんですよ。笑うことが『いいこと』を起こす一番の秘訣です。」と語られていました。これを読んで、笑うことを習慣化することは日常生活ではやっぱり大事だなあと思いました。少し前の辛いときに自宅で吉本新喜劇を偶然見て、父と二人で大笑いしたことがありました。笑うとものすごく明るくなれて、そのときの辛い思いが一瞬でも吹っ飛んで行ったことがありました。自然に心からの笑いを誘うお仕事をされている方々が素晴らしいなあと思いますし、笑うことは生きる上で一生忘れてはいけないことのひとつなのだということを再考しました。

もうひとつ感銘を受けたのは、作家で写真家の有川真由美さんの「人間関係の畑を耕そう」のエッセイでした。自分の身に起こる「いいこと」の多くはいつもだれかが運んでくれるという内容で、その日に起こった小さな「いいこと」の多くは圧倒的に身近な人間関係のなかで起きていて、たとえば、レジやエレベータで知らない方に「お先にどうぞ」と譲ったり、「ゴミ、捨てましょうか」など、普段からのちょっとした「小さな貢献」をしたり、なにか恩恵を受けられたときには三割増しで「ありがとう」と感謝を伝えておられると、自然に「いいこと」がたくさん集まってくると書かれていました。これを読んで、その通りだなあと思いました。この前、職場の同僚がやけに優しく対応してくれたり助けてくれたことがありました。なぜかなあと思ったらそのずっと前に全く見返りを考えずにその同僚のためになったようなある「小さな貢献」を何度か過去にしていたことが、優しく対応してくれたり困っていたときに助けてくれたりとたくさんの「いいこと」に繋がっていたという一例なのだということなのでしょう。

「いいこと」はちょっとしたことでも嬉しくて元気になれたりする魔法があって、その「いいこと」が日常生活で心の栄養源にもなっていたりするのだろうなあと思います。心の持ち方や日頃のちょっとした行いで、日常生活が明るくなったりすることもあるというヒントをもらえたような本でした。

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お荷物のお届けにあがりましたが

2020年09月09日 | ひとりごと

「お荷物のお届けにあがりましたが不在のため持ち帰りました。」というSNSのメールがスマホにまた届きました。リンクが貼ってあって、これをクリックするととんでもないことになるのでした。もう何回目でしょうか。何度もひっかからないからね。もしこんなメールが届いたらくれぐれもリンクをクリックされないようにご注意ください。届いたSNSのメールは削除できたらすぐに削除したほうがいいようです。

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「遠くに行きたい」と「やすきよの夏休み2020」

2020年09月08日 | ひとりごと

日曜日、「遠くに行きたい」と「やすきよの夏休み2020」の旅番組を見ました。「遠くに行きたい」では、三倉佳奈さんが瀬戸内の名所を巡っておられました。以前訪れた場所がテレビで流れるとやっぱり懐かしかったです。大久野島でうさぎを撮影されたり、竹原で竹を切って流しそうめんをされたりと楽しそうでした。大久野島にいるうさぎは野性だったのかとこの番組を見て初めて知りました。流しそうめんは旅するたびにやってみたいと思っていてもいつもなぜか没になってしまって、よく考えたら体験したことが今まで一度もなかった憧れのひとつでもありました。一度でいいからいつか体験してみたいなあとこの番組を見て思い出しました。世界で活躍されている方の書道のパフォーマンス時に三倉茉奈佳奈さんのお二人が歌われていた「いのち」という歌がこのパフォーマンスを披露されていた状況とぴったり合っていたいい歌だったのも印象に残りました。

夕方、関西テレビで放送されていた、西川きよしさんと石田靖さんが1年に1回旅をされていて、ノープランで田舎町を散策しながらいろいろな人たちと交流されている旅の様子が放送されている「やすきよの夏休み2020」は京都府の伊根と宮津を旅されていました。2001年からこの番組が始まったらしく、今年で20年目になるそうです。全回、見てませんが、20年間の総集編が最後のほうで流れていて、思い出したシーンもありました。最初のほうでお二人が炎天下に差されていたソーシャルディスタンスを上手に保てるように工夫された傘はいいなあと思いました。やすきよの万才が番組の中で流れていましたが、今聞いてもおもしろかったです。

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人事調書

2020年09月08日 | ひとりごと

昨日は、職場で、毎年この時期になると提出しないといけない人事についての書類を記入しました。今年から、手書きでの記入ではなく、パソコンで必要事項を入力しないといけないことになったということで、頑張って入力しました。今年は、この毎年書いていた書類以外に人事調書なるものにも記入して提出しないといけないことになったらしく、その記入項目を見て、考えて記入しないといけない項目がたくさんあったので時間が掛かりました。基本的な性格、長所、短所、執務の状況、執務能力などまで記入する必要があり、来年の3月には定年で辞める人まで書かないといけないのかあと思うとなぜなんだと思いましたが、たぶん聞いても記入してと言われるだけなので無難な表現で記入しておきました。自分の性格を人事調書に記入したことはこの仕事をする前もこの仕事をしてから40年間、記入したことがありませんでした。自分の性格、よく考えれば考えるほど一言では表現できなかったなあと思います。人事調書なので、転勤したい方は絶好の表現力を使えばアピールになるのあかなと思いましたけれど、定年で辞めようと思っている自分にはほとんど関係ないことでした。この歳になって、自分の性格を表現するのに向き合うとは予想しなかったです。高校時代以来かもしれません。高校時代の進路を決めるときの性格も含めた診断テスト以来だったです。高校時代、自分が文化系か理科系かパーセントでどっちに向いているかという診断結果で、50パーセントだったのが自分では以外だったのを今でも覚えていました。文化系の理科系のどっちでもなくって、考え方によってはどちらにも行けるし、どちらでもないという中途半端だなあと当時思いました。今となれば、就いた仕事は丁度文化系と理科系の仕事に当たるどちらも係ってきたので、診断結果どおりの仕事をしていたなあと思います。

この人事調書で一番気になった箇所がありました。それは、服務面の記入例でした。服務面の記入例には、「体調を崩した時に、年休を取得するくらいで、時間単位の年休を取得しない。(病休の取得なし)」という例文です。年休の取得を進めていたかと思うのに、この例文を見て、この記載例は、あたかも年休をすべて取得するのがよくないみたいな印象を植え付けていますし、体裁と本音が全く違うということを表現している文章だったように取れたのでがっかりしました。仕事をされている方々によって考え方は人それぞれでしょうが、定時に帰るように仕事に掛かる時間をやりくりすることや年休を全部取得することなど、他の人々や仕事に支障がないことを考慮してのやりくりを誰もとやかく言えないのではないのと違うのかなと思いました。この例文を読んで、定年する日の最後まで年休全部利用したいと以前よりもっと強く思いました。この服務面に、「定時までに昼休みを削っても必ず終えることを基本としている。」と記載しておきました。

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