〈私〉はどこにいるか?

私たちは宇宙にいる――それこそがほんとうの「リアル」のはずである。この世界には意味も秩序も希望もあるのだ。

「知る」ことと「変容」の間

2006-04-29 | Weblog
たまには慣れぬ環境から更新してみるのも面白いものです。寒いのが続いてきて、ようやく春らしく暖かくなってきました。やっぱりこれって、誰に聞いても異常気象のようです。みんな(自分も含め、ですが)誰もがほぼ、これはおかしいと気づいていながら現状維持のまま何もしようとしないのは、どこかに「いまの自分の生活環境を維持できるのなら、それでいいや。あとは知らん」という思いがあるのでしょう。これはぜひなんとかしたもの。そのためには、その「俺さえよければ」「あとは知らん」という、今の世を動かしている個人主義・快楽主義それ自体がかわらなかればなんともならないと思います。しかし、子孫のことを思って生きるなんて、僕らどこかで教わったことがあったでしょうか。すくなくとも、自分はなかったような気がします。そこから変わらないと、外面に現れた環境問題というのはどこまでも解決が見えない、と。
それはそうと、心理学的な実践のお話はこれまでよく聴いてきたものの、それをどこまで実行してきたかというと、かなり心もとないものがあるのが現状です。それを使って自分を変容させ超えるべく、がんばりたいなと思いました。)

2 コメント

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Unknown (type1974)
2006-04-30 00:49:05
どうもこんばんは。そうなんです。わかってもらえて嬉しいです。

わかる→ほんとうにわかる→変わる、なるほど!

ま、知らなきゃ変わることもできないわけなのだが…徹底的に、わかるようになってかわりたいものですね。
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知る → 変容 (HIRO)
2006-04-29 07:31:49
知る → 変容 



なかなか難しい問題ですね。



でも、本当に「わかる」ということは「かわる」ことを意味するようです。



お互い、わかりつつ、かわりましょうね。
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