転載続きだが、以下、「持続可能な国づくりを考える会」ブログより転載する。
筆者も参加している当会も、発足が2006年のシンポジウムであったので、その準備からカウントすれば、かれこれ十数年続いていることになる。
当初はかなりの人数で「持続可能な国づくりの会」として開始、中核メンバーの若い学生らも多かったが、いまでは細々と「考える会」として学習会を継続している。当時の若者(私もぎりぎり)も、今やいいおじさんである。
当時「政治活動をする」とかっこいいことを言っていた若者が多かったような気がするが、彼らはいまそんな言葉は忘れ去って日常に埋没していることだろう。思えば、なんと言葉が軽かったことだろう。
もちろん、それは同類項の私が言えた義理ではないし、彼らには個人的な恨みは何一つないが、しかしその体たらくぶりを典型的事例の事実認識として語ることは問題あるまい。この団塊ジュニア世代以降の「言葉の軽さ」と、個人的さらには政治的な主体性のなさには密接な関連があると思われるからである。
そしてネットの言語空間がさらに幅を利かせるようになった現在、「言葉の軽さ」=「無力さ」はある種極限まで行き着いていると見える。
「言葉の力」の復権――この現状打破こそ、大げさなようだが外面・内面にわたる個人的・集合的な大問題の突破口となるのは、心の条理からして確実だと思われるが、いかがだろうか。それは私たち一人一人の心から事実始まるはずである。
それはさておき肝心の同会学習会の広報が以下である。
講師のジャーナリスト・高世仁氏は、北朝鮮の拉致被害者問題などを巡る文字通りの第一人者であり、現場主義の優れたジャーナリストとして知る人ぞ知る存在である。メインテーマではないが、明らかに胡散臭い北朝鮮の策動(どんなに演技をして言いつくろっても、国民を徹底的に抑圧し飢えさせて平然とし、血族を殺す人物がトップに立つ国家などまともなわけがない。それに乗せられるトランプ政権も同じくである)について、貴重な現場の証言が聞けることと思う。
その現場主義・非権力的志向、言い換えれば「個々人の善意の集約」がはたして現状変革の力になるか、筆者としては疑問があるが(その点は同会ブログ過去記事を参照されたい)、しかし意識変革が生じつつあること自体は貴重な事例だと思われる。
金曜夕方だが、憂さ晴らしの飲酒を控えて、大人として「政治参加」をしてみてはいかがだろうか。
***********************************************
持続可能な国づくりは、これまで国家単位の政策の問題として論じられてきました。当学習会でも、「将来の目標を設定し、それに向け今すべきことを判断する」という、スウェーデンのバックキャストの手法に基づくエネルギー関連の長期的政策を提唱するなど、日本の国家政策をいかに変えるかに論点を集中させてきたように思います。
いま、これとは全く異なるアプローチで「持続可能性」に向き合おうという動きがあります。それは「リローカライゼーション」(地域回帰)と呼ばれる運動です。キーワードは「本物のしあわせ」で、その延長に「持続可能性」が見えてくるとします。「しあわせ」と「持続可能性」は根っこでつながっているというのです。
この動きの底流には、「近代」文明がはたして人間をしあわせにできたのかという大きな疑問があります。2010年の東日本大震災が、自分たちでコントロールできないエネルギーや、生産現場の見えない食糧に支えられた、「近代」の危うさをあらわにしました。いま、エネルギーと食糧を軸に、伝統を再発見しながら地域づくりに乗り出す限界集落が現れ、そこに「根っこのある暮らし」を求めて若者が移住しています。進行中のこの「おだやかな革命」の実例を見ながら、「しあわせ」と「持続可能な国づくり」との接点をジャーナリスト高世仁氏が論じます。
【発表者プロフィール】 高世 仁 (たかせ ひとし) 日本電波ニュース社報道部長を経て、現在は報道制作会社ジン・ネット代表。北朝鮮情勢、東南アジア裏社会等に詳しい。
著書 『自由に生きていいんだよ お金に しばられずに生きる"奇跡の村"へようこそ』『イスラム国とは何か』『金正日「闇ドル帝国」の壊死』 『娘をかえせ息子をかえせ 北朝鮮拉致事件の真相』他
●日時 7月6日(金) 19:00〜21:00
●場所 ◆四谷地域センター 11階 集会室2
地下鉄 丸の内線「新宿御苑前」駅より徒歩5分
都バス 品97新宿駅西口~品川車庫
「新宿一丁目」バス停より徒歩1分
●参加費:無料
●定員30人
申込先
「持続可能な国づくりを考える会」申し込み担当:増田満
FAX. 042-792-3259 E-mail : mit.masuda@nifty.com
*氏名、住所、連絡用電話番号、メールアドレスをお知らせ下さい
筆者も参加している当会も、発足が2006年のシンポジウムであったので、その準備からカウントすれば、かれこれ十数年続いていることになる。
当初はかなりの人数で「持続可能な国づくりの会」として開始、中核メンバーの若い学生らも多かったが、いまでは細々と「考える会」として学習会を継続している。当時の若者(私もぎりぎり)も、今やいいおじさんである。
当時「政治活動をする」とかっこいいことを言っていた若者が多かったような気がするが、彼らはいまそんな言葉は忘れ去って日常に埋没していることだろう。思えば、なんと言葉が軽かったことだろう。
もちろん、それは同類項の私が言えた義理ではないし、彼らには個人的な恨みは何一つないが、しかしその体たらくぶりを典型的事例の事実認識として語ることは問題あるまい。この団塊ジュニア世代以降の「言葉の軽さ」と、個人的さらには政治的な主体性のなさには密接な関連があると思われるからである。
そしてネットの言語空間がさらに幅を利かせるようになった現在、「言葉の軽さ」=「無力さ」はある種極限まで行き着いていると見える。
「言葉の力」の復権――この現状打破こそ、大げさなようだが外面・内面にわたる個人的・集合的な大問題の突破口となるのは、心の条理からして確実だと思われるが、いかがだろうか。それは私たち一人一人の心から事実始まるはずである。
それはさておき肝心の同会学習会の広報が以下である。
講師のジャーナリスト・高世仁氏は、北朝鮮の拉致被害者問題などを巡る文字通りの第一人者であり、現場主義の優れたジャーナリストとして知る人ぞ知る存在である。メインテーマではないが、明らかに胡散臭い北朝鮮の策動(どんなに演技をして言いつくろっても、国民を徹底的に抑圧し飢えさせて平然とし、血族を殺す人物がトップに立つ国家などまともなわけがない。それに乗せられるトランプ政権も同じくである)について、貴重な現場の証言が聞けることと思う。
その現場主義・非権力的志向、言い換えれば「個々人の善意の集約」がはたして現状変革の力になるか、筆者としては疑問があるが(その点は同会ブログ過去記事を参照されたい)、しかし意識変革が生じつつあること自体は貴重な事例だと思われる。
金曜夕方だが、憂さ晴らしの飲酒を控えて、大人として「政治参加」をしてみてはいかがだろうか。
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持続可能な国づくりは、これまで国家単位の政策の問題として論じられてきました。当学習会でも、「将来の目標を設定し、それに向け今すべきことを判断する」という、スウェーデンのバックキャストの手法に基づくエネルギー関連の長期的政策を提唱するなど、日本の国家政策をいかに変えるかに論点を集中させてきたように思います。
いま、これとは全く異なるアプローチで「持続可能性」に向き合おうという動きがあります。それは「リローカライゼーション」(地域回帰)と呼ばれる運動です。キーワードは「本物のしあわせ」で、その延長に「持続可能性」が見えてくるとします。「しあわせ」と「持続可能性」は根っこでつながっているというのです。
この動きの底流には、「近代」文明がはたして人間をしあわせにできたのかという大きな疑問があります。2010年の東日本大震災が、自分たちでコントロールできないエネルギーや、生産現場の見えない食糧に支えられた、「近代」の危うさをあらわにしました。いま、エネルギーと食糧を軸に、伝統を再発見しながら地域づくりに乗り出す限界集落が現れ、そこに「根っこのある暮らし」を求めて若者が移住しています。進行中のこの「おだやかな革命」の実例を見ながら、「しあわせ」と「持続可能な国づくり」との接点をジャーナリスト高世仁氏が論じます。
【発表者プロフィール】 高世 仁 (たかせ ひとし) 日本電波ニュース社報道部長を経て、現在は報道制作会社ジン・ネット代表。北朝鮮情勢、東南アジア裏社会等に詳しい。
著書 『自由に生きていいんだよ お金に しばられずに生きる"奇跡の村"へようこそ』『イスラム国とは何か』『金正日「闇ドル帝国」の壊死』 『娘をかえせ息子をかえせ 北朝鮮拉致事件の真相』他
●日時 7月6日(金) 19:00〜21:00
●場所 ◆四谷地域センター 11階 集会室2
地下鉄 丸の内線「新宿御苑前」駅より徒歩5分
都バス 品97新宿駅西口~品川車庫
「新宿一丁目」バス停より徒歩1分
●参加費:無料
●定員30人
申込先
「持続可能な国づくりを考える会」申し込み担当:増田満
FAX. 042-792-3259 E-mail : mit.masuda@nifty.com
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