〈私〉はどこにいるか?

私たちは宇宙にいる――それこそがほんとうの「リアル」のはずである。この世界には意味も秩序も希望もあるのだ。

書評『徳川時代の宗教』(R・N・ベラー) 10

2018-07-06 | 書評『徳川時代の宗教』(R・N・ベラー)
(承前)
 そのように本書は、人類的視点からの明確かつシンプルな問題設定に沿って、西洋とは異なるタイプの近代化過程の一つのモデルケースとして徳川時代を見出し、それを可能にした徳川時代の中心価値体系という抽象化された大枠を、研究のゴールとしてまず冒頭で提示している。その上で、後続の章において、そのように読み取ることが果たして妥当か、主に同時代人の引用により証拠を積み上げていくという叙述の方法を採っている。
 このため特に本書の初めの章では、当時の日本の歴史上の社会システムとそこで働いていた内的諸価値が抽象的な社会学の概念を用いて述べられており、それは読者にとって難解と感じられるばかりか、後述するように私たち日本人にはある種の違和感をも覚えさせるものだが、しかし、章が進むにしたがって日本宗教という対象の極めて興味深い核心に分け入っていく全体構成となっている。
 とりわけこの時代に顕著となった神仏儒習合を体現したと見える石田梅巌に関するケーススタディの章は、まさに本書の白眉であることを予め強調しておきたい。米国人である著者が活写する、私たちにとって未知の宗教的教師の思想と生き様は、本書が明らかにした中心価値体系に加え、おそらく本誌『サングラハ』が提唱してきた唯識心理学と神仏儒習合のコスモロジーの文脈によって、一層その真意が明瞭に理解でき、同時に深い感動をもたらすものとなるだろう。ぜひそこまでお付き合い願いたい。

 圧倒的であった「政治価値」

 まず第一章で、その日本の中心価値体系の最大の特徴を、「政治価値」が支配的だったことにあるとしている。これを、日常使われている、いわば手垢にまみれた「政治」という言葉によって平板に理解しては、本書のメッセージの核心を読み誤ることになってしまうので十分に注意が必要だと思われる。果たしてここで言われている「政治価値」とは何か。

 日本は、政治価値の優先を特色とする。政治は経済より優位を占めている。ここでは、「経済価値」という用語と同じく、「政治的」という形容詞は非常に広い意味にとることにする。図式的にいうなら、政治価値は、遂行と特殊主義の類型変数を特徴とする。その中心的関心は、(生産よりもむしろ)集合体目標にあり、忠誠が第一の美徳である。支配と被支配が「すること」よりもずっと重要であり、権力は富よりも重要である。(四〇頁)

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