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書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著) 5

2017-08-23 | 書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著)

 さて、江戸時代前半の人口急増期に、江戸を始めとする都市も急成長を遂げ、全国の都市人口比率は十八世紀半ばまでに平均一三~一四パーセントに達し、その後都市人口も停滞したと本書では推計されている。都市では大規模な用水が順次整備され、ゴミ投棄の取締やゴミ処分も政策的に進められるなど、都市環境の改善が図られ、この結果江戸時代の都市は同時代としては世界的にも清潔な環境な環境が維持されたという。そこには、とりわけ「人の糞尿も貴重な肥料として近郊農家へと販売されたため、数十万人の人口の排泄物は、投棄されて環境を汚染することがなかった」という都市―農村の有機的関係があり、また多様かつ零細なリサイクル業が庶民の生業として成立し、資源のリサイクルが徹底されたという事情があった。
 とくに百万都市・江戸は、単に清潔だけでなく、「諸国の大名たちの江戸屋敷に加えて、千を越える寺社から小祠まで、江戸の町は樹木に覆い尽くされていた。…当時の江戸は『庭園モザイック都市』(川添登『東京の原風景』)ともいうべき巨大庭園都市であった」らしい。同時代に近代工業化に邁進していた西洋の諸都市はどうであったか。パリでは「地下にはすでに、下水道網が張り巡らされていたが、それらは何の処理もされないままセーヌ川に流れ込んでいた」。ロンドンもまた「過密な人口によって吐き出された汚水や汚物が道路にあふれ、市内の工場が出す排水はテムズ川を真っ黒に染めていた。しかも、こうして汚水処理の役をつとめるテムズ川は飲料水の供給源にもなっていた」という。
 前回紹介した渡辺京二氏の著書における、幕末・明治初期の西洋人の見聞記の多くが、都市的環境での日本人の生活との接触によるものであったこと、そこでは同時代の西洋都市文明との対照が鮮烈な文化ギャップとして体験され、とりわけ建築的な壮麗さとは別種の洗練に達した、緑と融合した都市環境が特筆されていたことが想起される。そうした印象を生んだ江戸時代の都市の実態を、本書は根拠をもって裏付けていると見える。

産業発展と生活革命

 江戸時代を特徴づけた鎖国について、本書は和辻哲郎の著作を挙げ、こうした典型例(書名は『日本の悲劇』)のとおり、鎖国がこれまで専らネガティブに捉えられてきたことを示す。今の視点から見れば、そこには惨憺たる敗戦の「犯人」を内へ・過去へ、したがって江戸時代へと求めずにはいられなかった、時代の怨念というべき心理的力動が明らかに働いていると見える。それに対し、本書はそうした旧来の決めつけ的な鎖国観を脱し、銀の流出を招いていた生糸貿易の国家管理を主眼としたものであったと、鎖国を成立過程から冷静に捉え直しており、むしろ貿易制限によって物産の輸入代替化が進行し、国内産業は保護・促進され、江戸時代の経済発展の条件が準備されたとして、そこに積極的な意味を見出している。こうして成立した資源・エネルギー的な閉鎖環境下における、江戸時代中期以降の豊かな停滞=「拡大されたクローズド・システム」の実態が、以降の後半の章では豊富なデータによって示されており、市場経済化・経済社会化された農業社会としての江戸システムに関する、本書の論述の核心を成している。
 その中でまず、非農業生産の産地の分布について、江戸時代初期と明治初期の両時代の物産に関する史料が示す傾向から、江戸時代初期には先進地域である畿内に集中していたものが、市場経済化の拡大に伴い、江戸時代末期までに全国各地の特産地に展開していった実態を明らかにしている。注目されるのは、商工業の主たる担い手が大都市から地方に移行し、低廉な賃金や原材料を利用して、時代を下るほどに農村における商工業が拡大したという指摘だと思われる。「都市人口は全体として減少しているが、減少率が大きい都市は畿内と瀬戸内海沿岸に集中している。しかしその周辺の農村人口は増加していたから、江戸時代後半になって、在来の都市よりも農村が経済的に比較優位の立場を得て、そこに商工業が発展したためであろうと(トーマス・)スミス氏は指摘した」。これら物産や人口の傾向から総合して、「このように江戸時代後半は、地方の時代となった」と本書は結論している。

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