〈私〉はどこにいるか?

私たちは宇宙にいる――それこそがほんとうの「リアル」のはずである。この世界には意味も秩序も希望もあるのだ。

たぶん、大切なはずの違い

2006-03-27 | Weblog
きのうはサングラハ教育・心理学研究所でともに学んできた仲間の女性の結婚式があったので参加してきました。とてもたのしく個性的な、素晴らしい結婚式でした。しかし準備がたいへんだっただろうな… たいへんごくろうさま、いい式にお招きいただきました。初々しくすてきな花嫁さんとひじょうに気さくで優しそうな新郎さんでした。どうかお幸せに!

さて、血液型のこと(ちょっと閑話休題)もそうなのですが、男性と女性の間にそれ以上にもっと根本的な違いがあるのは明らかに見えます。
子供の頃から双方の関心・興味の対象がかなり違っていることは、小さい子の描く絵から明らかに見て取れるのではないでしょうか。たとえば男の子は電車やら飛行機やらのマシーン、女の子は地面の上に家族が手をつないでそのわきにお花が咲いている、といった図柄が典型的です。

よくそういう差異は文化による教え込みに起因するとされがちで、差異を押し付けないことが政治的に正しいと言われているように思いますが、それは私たちのごく自然・素朴な観察からしてもあきらかに不自然と言わざるを得ないと思われます。そういう見方は平等を奨励しているかに見えて、ここの私たちにとって本来的な男女の違いをフラットにならし抑圧してしまうという結果になるのではないでしょうか。

そうではなく、違いはあくまで違いとして認めるのが、性別やさまざまな違いをもって生まれてきたぼくらの課題なのだと思います。
しかしこの違いとは、おたがいずっと平行線・私は私のことをやりあなたはあなたのことをやる、というような個人主義にもとづく“分離”に終わってはじつにつまらない。それではなぜ二人が一緒になるという結婚というありかたが存在するのかがわからなくなってしまいます。

それにしても、ついつい一人でずっと生きていけるような錯覚に陥らせがちな、そういう風潮がいますごくありますよね。それはじつをいうと自分の問題でもあるのですが、しかし50にもなって一人インターネットをやっているなどという人生、ドラマもクソないモノトーンな人生などというものは、想像するだにちょっとぞっとするものがあります。

コスモスがわれわれに性別というものを与えてくれたということの意味をよく考えて、ぼくらはライフ・スパンの中長期を考えて人生を構築していかねばならない…いや、いったほうがいいのでしょう。
やばいやばい、時間が無くなってきた。いろんな意味で。

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3 コメント

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Unknown (type1974)
2006-03-28 15:41:29
あ、それからメール送信者さんのブログ、検索でなぜかひっかかりませんでした。よければURLを教えてもらえますか?
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Unknown (type1974)
2006-03-28 15:40:18
どうもはじめまして。メールいただきました22歳男子学生の方でしょうか? コメントどうもありがとうございます。ある意味コメントが欲しくてやっているようなところもあるので、とても嬉しいです。

いや、ほんとうに“中長期の願望充足”というのは、論理療法からの受け売りなのですが、これは大切だなと30過ぎてしまいいまさらですが感じています。中長期のためにちょっとは努力も忍耐も必要…いや、そうしたほうがトクのようです。

それにくらべあなたはまだまだまだ若い! 拝読したところいろいろたいへんかもしれませんが、きっと楽勝ですよ。ようは、そのための方法論だと思います。われわれは育ちや教育の過程でそういうことをまったく教わってこなかったですよね。だから性格なんて変えようがないとか思ってしまう。イケてないやつをどうサルベージするかとかいうもっともらしいお話も、そういう常識化した固定観念を一歩も離れていないと思います。

ではお互いよりよい人生の構築をめざしましょう(ちょっと先輩風)。
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Unknown (gooメール送信者)
2006-03-27 01:39:11
突然おじゃまします。

読ませていただきました。

色々と人生の先輩として参考にさせていただいています。

確かに、ライフ・スパンの中長期を考えて人生を構築していかねばならなりませんね。

私も最近切に感じます。

また、ちょくちょく読ませていただきます。







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