〈私〉はどこにいるか?

私たちは宇宙にいる――それこそがほんとうの「リアル」のはずである。この世界には意味も秩序も希望もあるのだ。

異常気象が通常になることを恐れる

2018-08-06 | サングラハ教育・心理研究所関係
 岡野守也先生のブログの更新が続いており、及ばずながら引き続き転載させていただきたいと思う。

 「人類は滅びに瀕している」というのは一昔前のアニメのセリフのようだが、まさにそれが現実化しているのが現状にほかならない。
 にもかかわらず報道は、のみならずわれわれの日常感覚は、そのことを忘れたふりをして営まれている。気候に関し「命の危険」を言っているすぐ後にお笑い番組と来た。
 たしかに、実にグロテスクな構図だ。この状況を突破するためにはどうしたらよいのか。
 これまで先生のブログで取り上げられてきたとおり、その問題点ははっきりしており、それには解決策が確かにあることは間違いない。そのことはぜひお読みいただいて、異論があるならぜひ議論していきたいと思う。
 しかしそのうえで、問題の核心はその言葉の通じなさなのだと思う。
 道元の言葉だったと思うが、まさに「転じ難きは衆生の心なり」だ。われわれはいかに私たち自身の心を転じることができるか。
 環境問題は心の問題とダイレクトにつながっている。


**************************************


異常気象が通常になることを恐れる(2018年08月06日)


 「人間の生活力の強さ!人間はどんなことにもすぐ慣れる動物である。
 私はこれこそ人間に対する最上の定義であると思う。」

 上記は、シベリア流刑という異常事態を体験したロシアの作家ドストエフスキーの言葉です。

 ここのところの「経験したことのない」「命に危険のあるレベル」「災害といってもいい」猛暑も、何日も続くと、「うんざりだ」と言いながらも、人間は慣れてくるのでしょうか。

 それは、人間の生活力の強さという意味ではいいのかもしれませんが、異常が通常になり、そうするとまるで正常であるかのような錯覚が生まれ、異常を正常に戻す努力をしなくなる危険が大きいと思われます。

 最近、気候変動・温暖化に対して中長期的にどう対処すべきか、メディア等であまり話題になっていないように思えるのですが、どうなのでしょう(私の認識不足なのでしょうか)。

 ちゃんと異常事態、緊急課題として議論されているのでしょうか。

 この傾向は今後も続くと予想されており、続いていくと当然ながら「またか」と通常のことになってしまうでしょう。

 しかし、異常は、たとえ通常化しても、本質的には異常なのであって正常ではない、と思われます。

 慣れてはいけないことがある。異常事態を「またか」ではなく「またしても異常」と感じ、感じるだけでなく認識し、それにふさわしい行動を取ることが必要だ、と私は考えますが、読者はどう考えられますか?。

コメントを投稿