何度も書いたが、人生の時間というのはとても大切だと思う。
100億稼いで、いまわの際にそれを全部払うからといっても、その一分も買い戻すことはできないのだから。
だから仕事が終わって寝るまでのこの時間が勝負だ。時間が有り余ったりすると逆にどうでもいいことでダラダラやってというのがこれまでのパターンだったので、これはこれでいいのかもしれない。
そうだ、このブログを書くことがそんなダラダラにならないように気をつけなければ。
きのうは友人から、「正念場において、いかに自分を演ずることができるか」というかっこいい言葉を聞いた。
その人はとても本気で仕事に臨んでいるので、その言葉がなんだかとてもリアリティをもって感じられたのだ。
自分をいかに演じきることができるか、というのは、見失いがちで大切な視点だと思う。
昨今の流行りは、「ありのままの自分を見せる」とか「弱いところをさらけ出して」とか「だって人間だもの」とか、いわゆる“弱くある自分を受容する”という癒し系のセリフだと思う。
それはそれで、現状の自分を肯定するために必要な語りかけの言葉だ。
自分に対しても、まず“慈悲”をもって接することが必要だと思う。
そうでないとみょうにムリをして、結局現状を“超えて進む”ことができなくなってしまいがちだから。
かといって、それらのもっともらしい言葉が、現状に甘んじるための言い訳になったのでは話にならない。それは自己防衛的な“白痴の慈悲”にほかならないだろう。
自己成長のためには、ちょっと自分の現状より背伸びをして、すでにそうなった「かのごとく」ふるまうことが不可欠であると学んだ。
そしてほんとうにそうだなのだなと、最近思うことが多い。
それはある種、演技のようなものだろう。本番で自在に演じられるようになるためには、ぼくらはあえて、ちょっと苦労しなければならないのだと思う。
「おれ、演技苦手」なんて言ってリハーサルを降りるようでは役者失格だ。
また、人生自体が演技のようなものなのかもしれない。だからみんながドラマで感動してそれを自分になぞらえたりするのだろうし、それぞれの物語を懸命に演じているように見えるのだろう。
人の、そして自分の心がそういうふうにできていて、ドラマとしての自分の歴史を築いていくものである以上、どうせならうまい演技をしたいものだと思った。どういう配役であるにせよ。
そうだとすると、練習もせずに下手くそな演技を続けたり、「しょせん演劇にすぎないんじゃないか」などとクールに構えて舞台の上で白けてたりしているのは、ただの愚か者にほかならないだろう。
いずれにしても、自分を演じきれるよう、怠りなくやっていきたいと思った。
これまでしっかりそのことに自覚的に練習をやってきただろうか?
舞台の上で白けたり怠けるような、バカげたまねをしていないだろうか?
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100億稼いで、いまわの際にそれを全部払うからといっても、その一分も買い戻すことはできないのだから。
だから仕事が終わって寝るまでのこの時間が勝負だ。時間が有り余ったりすると逆にどうでもいいことでダラダラやってというのがこれまでのパターンだったので、これはこれでいいのかもしれない。
そうだ、このブログを書くことがそんなダラダラにならないように気をつけなければ。
きのうは友人から、「正念場において、いかに自分を演ずることができるか」というかっこいい言葉を聞いた。
その人はとても本気で仕事に臨んでいるので、その言葉がなんだかとてもリアリティをもって感じられたのだ。
自分をいかに演じきることができるか、というのは、見失いがちで大切な視点だと思う。
昨今の流行りは、「ありのままの自分を見せる」とか「弱いところをさらけ出して」とか「だって人間だもの」とか、いわゆる“弱くある自分を受容する”という癒し系のセリフだと思う。
それはそれで、現状の自分を肯定するために必要な語りかけの言葉だ。
自分に対しても、まず“慈悲”をもって接することが必要だと思う。
そうでないとみょうにムリをして、結局現状を“超えて進む”ことができなくなってしまいがちだから。
かといって、それらのもっともらしい言葉が、現状に甘んじるための言い訳になったのでは話にならない。それは自己防衛的な“白痴の慈悲”にほかならないだろう。
自己成長のためには、ちょっと自分の現状より背伸びをして、すでにそうなった「かのごとく」ふるまうことが不可欠であると学んだ。
そしてほんとうにそうだなのだなと、最近思うことが多い。
それはある種、演技のようなものだろう。本番で自在に演じられるようになるためには、ぼくらはあえて、ちょっと苦労しなければならないのだと思う。
「おれ、演技苦手」なんて言ってリハーサルを降りるようでは役者失格だ。
また、人生自体が演技のようなものなのかもしれない。だからみんながドラマで感動してそれを自分になぞらえたりするのだろうし、それぞれの物語を懸命に演じているように見えるのだろう。
人の、そして自分の心がそういうふうにできていて、ドラマとしての自分の歴史を築いていくものである以上、どうせならうまい演技をしたいものだと思った。どういう配役であるにせよ。
そうだとすると、練習もせずに下手くそな演技を続けたり、「しょせん演劇にすぎないんじゃないか」などとクールに構えて舞台の上で白けてたりしているのは、ただの愚か者にほかならないだろう。
いずれにしても、自分を演じきれるよう、怠りなくやっていきたいと思った。
これまでしっかりそのことに自覚的に練習をやってきただろうか?
舞台の上で白けたり怠けるような、バカげたまねをしていないだろうか?
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戦車カッコイイです☆私も戦車とか好き(見るのはね、やっぱり戦争はしたくないワケだし)
自分を演ずる、って言葉はカッコイイと私も思いました。
全然、意識はしてなかったけれども、やっぱりイザという時にそうゆう事が出来る人っていうのは普段でもそうゆう事を意識しているのだろうし、普段からそうゆう事をしてうるのだろうと……。
私も見習わなきゃ……
いつもありがとうございます。大雪はいかがですか?
老兵74式もそういってもらえて喜んでいると思います。いろいろで不遇なやつなのです。
そう、自分もその言葉にあってかっこいいなと思ったんですよ。見習いたいなと。普段からの積み重ねというのは大きいのでしょうね。
生き方の演技、おたがいがんばりましょう!
とりあえずブログという舞台では、高下駄はいて背伸びして、可能な限りカッコつけて演技しようと思います…
人生全体は演技。
どうせならかっこいい役者になりたいもんです。容姿をかっこよくするのは、限度がありますが・・・。素晴らしい演技をしたいですね。たしか会報サングラハに出てたアウレリウスの言葉にもありましたよね。
あと、どっかで聞いた話ですが、「人生は悪い冗談のようなものだ」なんてセリフもありました。
これもニヒリズムに受け取らず、洒脱なジョークとして捉えれば粋な言葉ですよね(笑)
正直、人生は悪い冗談だと思うときも多々あり・・・イカンイカン。。。
そうですね。できればかっこいい役者になりたいもの。しかし、端役だったとしても、やっぱり真剣に演じていたほうが楽しいに違いない。いちばんカッコワルイのは、しらけてニヒルに構えて芝居自体をぶちこわしにすることなのではないかと。
あ、ネタバレですね。古代ローマの哲人皇帝の言葉の受け売りでありました…まさか21世紀のブログでパクられるとは思わなかっただろうな…
人生は悪い冗談、たしかに粋な言葉。そんなセリフの似合う大人になりたいものです。『鷲は舞い降りた』という小説にいまでもハマっているのですが、その中でアイルランドの愛国主義者が語っていたセリフにたしかそんなのがあったと思います。ちょっとニヒルな男の、陰のあるかっこよさという感じですね。