〈私〉はどこにいるか?

私たちは宇宙にいる――それこそがほんとうの「リアル」のはずである。この世界には意味も秩序も希望もあるのだ。

追撃は断々乎として飽く迄も徹底的なるべし

2006-04-05 | Weblog
ようやく帰れた。さあ、時間を有効利用したいもの。
泊まりから帰って真っ先に自分のブログを見るというのは、やっぱりひじょうに気になるからなのですね。
かなり“我愛”モードに入っているのを感じます。

本来であれば心理学的に自己改善をがんばるとか、新しい時代のコスモロジーを伝えることをがんばるとか、そういうことに情熱を注ぐべきところなのですが、どうも時間と気合いが足りないとさきに書いたように身辺雑記になりがちです。

なにかを書きたいのが第一で、あとはそれから考えているということで、それはそれでしょうがないのだが、なんだかすっきりしないものがある。
狭い自分のせせこましい自己表現に終わってはつまらないのだが。

それじゃ一昔前の、いま読むとかなり笑える“私小説”みたいなものだ。
しかもそういう物語的な深刻さ・切実さなんて、ちょっといまのところどこ押してもないもんな。事実、そういう生活なんだから。

ようするに書くべき対象がない。だからどんどん思いが内攻していってこんなふうになると。
陳腐でチープなモノローグ。

「“うんざりさせる人”とは、相手ではなく自分自身に関心があって、面白みのない人物のこと」

……ということになってはいないだろうか?
(ちなみにこれは“ベビーブーム世代”に関してウィルバーが引用するビアスのエピグラム。『万物の理論』(トランスビュー)より。しっかり二読三読したいものです)

もうちょっと、これまで学んだことを、自分の理解のレベルからでもいいから、とにかく語ってみたいもの。
それは能動的記憶のための訓練でもあるし、そもそもブログに限らず文章ってのは人になにかを伝えるためのものであるはずだ。
語るに足る“対象”はすでにすごいものが与えられているはずなのに、それがいろいろでできないというのは、結局のところ自分のものとして身につききっていないからにほかあるまい。言い訳だよ、言い訳。

あと自分は軍事オタクなので、そのせいかどうも表にできない暗い攻撃精神がどっかにあるのを感じる。
だいたいそういう“なんとかマニア”というのは、適切に表現できずにわだかまった欲求が歪んで内向する形で嗜好に表現されたものだ。

何が言いたいかというと、討論とかディベードをしてみたいと。言葉によるケンカがしたいのですね。面と向かって人の言うことをあげつらうなんて現状とてもできないが、文章なら楽勝な気がする。
それは“根拠なき自信”で、じつはそうでもないかもしれないけど、ま、自信には究極的には根拠不要ということだし、いいのではないか。

かつて延々とやった、あまりにもバカ丸出しだった、かの『完全自殺マニュアル』をけちょんけちょんに貶して嗤う試みは、反応はほぼ無かったものの、ケンカをやっているつもりだったのだ。ようするに。しかしあまりにも内容がスカスカで…

だれか、ちょっとヒマがあったら匿名でいいので攻撃してみてくれませんか?
戦車砲みたいにグサッと貫徹するようなヤツや、対人地雷とかイペリットガスみたいにじわじわとくる陰惨な攻撃方法で構いません。

そしてお互いの攻撃力と防御力をためそうではありませんか。あえなく撃破されてしまったら、それはそれで笑えるということで。
けっきょく言葉のゲームなのだから、深刻になる必要もないし。それがなんらかのテーマに関わることだったらなお面白い。

これも大人になったら“ギブ&テイク”ということで、自分で道場破りみたいにやってみたほうがいいのかな。
だれか、まだ「自殺OK」とか「終わり無き日常」とかいっているニヒルなプチ宮台みたいなヤツ、いないかな? けど鶴見済サンくらいじゃ、つまんないしな。

ううむ、こりゃマナ識丸出しだ。


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