つきなみだが新年の抱負を書きたくなってしまった。
あ、「つきなみ」という言葉はほんとうはもうちょっと含蓄のあるやまとことば(HIROさんの大晦日のブログ参照)なのだが、ここではちょっと自己防衛的に現代的な意味で書いています。ほんとうは自分にとってはつきなみどころではないのだが、恥ずかしいので、ま、軽く受け取ってよ、みたいな感じか。
それはともかく、願望はすでに実現したものと思えと、イエスは福音書で語っている。実現したい願望は紙に書いて張り出しておけと、かのナポレオン・ヒル氏も言っておられる。言葉は違えど、覚者も大富豪も、正真正銘のほんものはこういうふうに同じようなリアリティを語っているらしい。それにあやかってみようと。新年の抱負というやつも、本気でやればダテではないということかと思う。…と、それを突き詰るのはまだちょっとキツイので、少し気楽に。
まずは坐禅をしっかりやること。現状、かなり続けているのに変性意識の入口にも来ていない。おそらくやり方がマニュアル通りにやっておらずまずいところがあるのだと思う。今年はなんとしてもそこに到達すること。
そのためにはしっかり実践し、勉強する必要があるだろう。身体と息を楽にすること。とりあえず自分の意識がいかに日常の思いに踊らされコントロールできていないものであるかと言うことは本当によく分かった気がする。そのコントロールだけでももうちょっと、ぜひ。
あとなぜ坐禅をするのかということ。「自分が気持ちよくなるため」にやるのではない。坐禅儀の警句「一身の為独り解脱を求めざるべきのみ」を忘れないこと、それは「大悲心を起こ」すためにやるべきものであること、そして正確にそれはまだまだ遠い目標であることを忘れないように。
それから、いろんな意味で人間関係において豊かになること。独りでいることは楽勝だ。むしろそっちのほうが快適だったりする。それはそれでいいだろう。そのことでぐちゃぐちゃ悩む必要はもうない。なにせ金はかからないし。
しかしそれは本来的に家族を形成し群をなす人間としての生き方にもとるものであることはよく自覚しておこう。また自他のいろんな行動の基本にある動機を考えても、それは人からの承認を得たいからというところがひじょうに大きいのだった。それに必然的に歳はとっていき残された与えられた時間は少なくなっていく。しかも衰えながら歳をとっていき、やがて確実に死ぬ。
そんななかでほんとうに豊かだといえるのは、何についてだろうか? いろんな願望が、突き詰めればこれを求めてのいわば二次的なものであることをよく自覚したほうがよい。でないと、そんな二次的な欲求にとらわれてほんとうに得たいものが得られないというねじれが生じてしまうだろうから。
シンプルに、認められたかったら認められるような行動をすること、そして人を認めるよう心がけること。ここでも課題は論理療法なのだった。
それから、いまコミットしているサングラハ心理学研究所の活動にできるかぎり力と時間を注ぐこと。
単にカルチャースクール的に受け身で「いい話をききました」では、本当の心底からの学びにならないことはたぶん確かだ。
ことは心理学や生き方に関わるという意味での思想に関する学びなのだから、それを能動的記憶にまで深めるためには能動的に関わるのがほんとうだろう。
現状は「できることをできる範囲で」というのが理にかなっていて当然だが、それは現状維持に甘んじるということではないはず。その「できること」「できる範囲」はもっと伸ばしていけるはずだ。現代科学のコスモロジーで学んだように、人間として与えられたハードとしての性能には驚くべきものがあるのだ。それを活かさないでなんのための人生だろう?
しかしそれは自分がいい思いをするためにやるのではないこと。それはふつうに考えれば当然の願望だけれども、しかしそれを先立ててしまってはそもそもそういう「自己実現」自体が損なわれてしまうというのは学んだとおりだ。
とにかくこの日本社会はどうかしてしまっている。そしてどうかしてしまっているのは文化であり集団の内面・左側のほうであった。そのための対策の努力は内面に働きかける形のものでなければ文字通り“ザル”になってしまうに違いない。ここでの活動が、一見どう見えようともほんとうの意味でリアルであることを認識しておこう。
あと、心理療法についていえば、これまで多くのことを学んでおきながら、しっかり使って「服用」することを怠ってきた。とりわけ論理療法。現状の自分の心や行動に関するグチャグチャは、論理療法がターゲットとしている自我レベルの話であり、ここをしっかりクリアしておいた方が、ぜったい人生が豊かになると信じて(信用して)実行あるのみ。それからコスモス・セラピー/コスモロジー、アドラー心理学、唯識の理論と実践、チョプラやヒルの方法論、等々。
それ以外にも、かなり前に出会った“感情モニタリング”をぜひ身につけたい。ある程度実践してとりあえずこれは本物だと認識したにもかかわらず、そんな程度で前進させていないのはただの怠慢だ。いや、得したいのなら実践した方がぜったいいい、と言い換えよう。いろんな心に関する学びの心強い基礎になるはずなのだから、これを身につけないのは単なる時間の損だぞ。
また、仕事のことにもうちょっと時間とエネルギーを注ぎたい。一日の時間の半分以上をこのことに割かざるを得ないのだから、その時間を豊かに過ごすことは自分の時間が豊かになるということにほかならないというのは、論理療法に学んだとおり腹におさめた方がいい。社会の中でうまく生きることの、いい訓練の場なのだから、しっかり足腰を鍛えてもらうべくがんばろう。いま必要なのは頭の先と口先でカッコイイ思想をもてあそぶことではない。逆にそういう学びは日常で、そして仕事の場で使って活かすものであったはず。有効に社会で機能する自我を確立したい。ここでも、論理療法の学びが決定的であることは学んだとおりだ。
現状、仕事で同僚や上司に認められているとは言い難い。もちろんある程度はできているけどそれだけになっている。できれば認められるようになりたい。それも、ちょっと怖いけどひじょうに生き生き仕事をしている係長に。彼のような仕事ができたらいいなと思う。
私生活の一部でも、仕事を+αできるよう時間を割こう。それはまず自分のためなのだ。
そのほか、読書もしたいし、映画とかも見たいが、あまりそうしている時間はないだろう。
ムダに時間を過ごさないよう注意しよう。
ついつい惰性で何時間も同じことをやってしまう癖を矯正するにはどうしたらいいだろうか?
今年一年間、ぜひがんばっていこう。何もかも、結局与えられているものであることをよくよく自覚し、それをムダにしないように!
あ、「つきなみ」という言葉はほんとうはもうちょっと含蓄のあるやまとことば(HIROさんの大晦日のブログ参照)なのだが、ここではちょっと自己防衛的に現代的な意味で書いています。ほんとうは自分にとってはつきなみどころではないのだが、恥ずかしいので、ま、軽く受け取ってよ、みたいな感じか。
それはともかく、願望はすでに実現したものと思えと、イエスは福音書で語っている。実現したい願望は紙に書いて張り出しておけと、かのナポレオン・ヒル氏も言っておられる。言葉は違えど、覚者も大富豪も、正真正銘のほんものはこういうふうに同じようなリアリティを語っているらしい。それにあやかってみようと。新年の抱負というやつも、本気でやればダテではないということかと思う。…と、それを突き詰るのはまだちょっとキツイので、少し気楽に。
まずは坐禅をしっかりやること。現状、かなり続けているのに変性意識の入口にも来ていない。おそらくやり方がマニュアル通りにやっておらずまずいところがあるのだと思う。今年はなんとしてもそこに到達すること。
そのためにはしっかり実践し、勉強する必要があるだろう。身体と息を楽にすること。とりあえず自分の意識がいかに日常の思いに踊らされコントロールできていないものであるかと言うことは本当によく分かった気がする。そのコントロールだけでももうちょっと、ぜひ。
あとなぜ坐禅をするのかということ。「自分が気持ちよくなるため」にやるのではない。坐禅儀の警句「一身の為独り解脱を求めざるべきのみ」を忘れないこと、それは「大悲心を起こ」すためにやるべきものであること、そして正確にそれはまだまだ遠い目標であることを忘れないように。
それから、いろんな意味で人間関係において豊かになること。独りでいることは楽勝だ。むしろそっちのほうが快適だったりする。それはそれでいいだろう。そのことでぐちゃぐちゃ悩む必要はもうない。なにせ金はかからないし。
しかしそれは本来的に家族を形成し群をなす人間としての生き方にもとるものであることはよく自覚しておこう。また自他のいろんな行動の基本にある動機を考えても、それは人からの承認を得たいからというところがひじょうに大きいのだった。それに必然的に歳はとっていき残された与えられた時間は少なくなっていく。しかも衰えながら歳をとっていき、やがて確実に死ぬ。
そんななかでほんとうに豊かだといえるのは、何についてだろうか? いろんな願望が、突き詰めればこれを求めてのいわば二次的なものであることをよく自覚したほうがよい。でないと、そんな二次的な欲求にとらわれてほんとうに得たいものが得られないというねじれが生じてしまうだろうから。
シンプルに、認められたかったら認められるような行動をすること、そして人を認めるよう心がけること。ここでも課題は論理療法なのだった。
それから、いまコミットしているサングラハ心理学研究所の活動にできるかぎり力と時間を注ぐこと。
単にカルチャースクール的に受け身で「いい話をききました」では、本当の心底からの学びにならないことはたぶん確かだ。
ことは心理学や生き方に関わるという意味での思想に関する学びなのだから、それを能動的記憶にまで深めるためには能動的に関わるのがほんとうだろう。
現状は「できることをできる範囲で」というのが理にかなっていて当然だが、それは現状維持に甘んじるということではないはず。その「できること」「できる範囲」はもっと伸ばしていけるはずだ。現代科学のコスモロジーで学んだように、人間として与えられたハードとしての性能には驚くべきものがあるのだ。それを活かさないでなんのための人生だろう?
しかしそれは自分がいい思いをするためにやるのではないこと。それはふつうに考えれば当然の願望だけれども、しかしそれを先立ててしまってはそもそもそういう「自己実現」自体が損なわれてしまうというのは学んだとおりだ。
とにかくこの日本社会はどうかしてしまっている。そしてどうかしてしまっているのは文化であり集団の内面・左側のほうであった。そのための対策の努力は内面に働きかける形のものでなければ文字通り“ザル”になってしまうに違いない。ここでの活動が、一見どう見えようともほんとうの意味でリアルであることを認識しておこう。
あと、心理療法についていえば、これまで多くのことを学んでおきながら、しっかり使って「服用」することを怠ってきた。とりわけ論理療法。現状の自分の心や行動に関するグチャグチャは、論理療法がターゲットとしている自我レベルの話であり、ここをしっかりクリアしておいた方が、ぜったい人生が豊かになると信じて(信用して)実行あるのみ。それからコスモス・セラピー/コスモロジー、アドラー心理学、唯識の理論と実践、チョプラやヒルの方法論、等々。
それ以外にも、かなり前に出会った“感情モニタリング”をぜひ身につけたい。ある程度実践してとりあえずこれは本物だと認識したにもかかわらず、そんな程度で前進させていないのはただの怠慢だ。いや、得したいのなら実践した方がぜったいいい、と言い換えよう。いろんな心に関する学びの心強い基礎になるはずなのだから、これを身につけないのは単なる時間の損だぞ。
また、仕事のことにもうちょっと時間とエネルギーを注ぎたい。一日の時間の半分以上をこのことに割かざるを得ないのだから、その時間を豊かに過ごすことは自分の時間が豊かになるということにほかならないというのは、論理療法に学んだとおり腹におさめた方がいい。社会の中でうまく生きることの、いい訓練の場なのだから、しっかり足腰を鍛えてもらうべくがんばろう。いま必要なのは頭の先と口先でカッコイイ思想をもてあそぶことではない。逆にそういう学びは日常で、そして仕事の場で使って活かすものであったはず。有効に社会で機能する自我を確立したい。ここでも、論理療法の学びが決定的であることは学んだとおりだ。
現状、仕事で同僚や上司に認められているとは言い難い。もちろんある程度はできているけどそれだけになっている。できれば認められるようになりたい。それも、ちょっと怖いけどひじょうに生き生き仕事をしている係長に。彼のような仕事ができたらいいなと思う。
私生活の一部でも、仕事を+αできるよう時間を割こう。それはまず自分のためなのだ。
そのほか、読書もしたいし、映画とかも見たいが、あまりそうしている時間はないだろう。
ムダに時間を過ごさないよう注意しよう。
ついつい惰性で何時間も同じことをやってしまう癖を矯正するにはどうしたらいいだろうか?
今年一年間、ぜひがんばっていこう。何もかも、結局与えられているものであることをよくよく自覚し、それをムダにしないように!
昨年は色々ご苦労様でした。
とても強くしっかりと目標を定めたのですね。
ほんとに何をするのにも、結構まず自分との戦いのような気がします。
うまくいきよう応援しています。
今年もよろしくね。
私も同じように精進していきたいと思います。
慈悲の精神を忘れないようにしたいです!!
頑張りましょう。
自己成長への情熱がヒシヒシと感じられる文章でした。
大いに刺激を受けました!!!
かなり熱いです。
しかし、サングラハのメンバーはみんな頭脳明晰で、少し劣等感さえ覚えます・・・。
あ、自己非難はイカンですね。
現状を含んで超えた精進あるのみ。
頑張りましょう!
さてさて、最後の方に「映画を見たり読書をしたりしたい」と御座いましたが、それも素敵な目標ですね。
より多い映画鑑賞、読書を目指して中身を磨く事も素敵ですね。そして、時間は作る物、なので、お互いに時間を作れるようにがんばりましょう。
より多い目標が達成されるように祈っています。
だから、心が本来の姿になれば、心願は必ず成就するという法則がある、らしい。
心願成就、お祈りします。
>ちこさま
ちょっと苦労でしたが、おかげさまでとてもたのしかった一年でした。今年もよろしくお見守りください。自分との戦い、ほんとうにそうですね。まずダメを出しているのは自分、だったりします。
>ブッチくん
ポジティブにいえば目標、ネガティブにいえば他になにもない、という感じっすよ。ちょっと年上の友達として、今年もよろしくつきあってくだされ。受験等、がんばってね。心理的に、楽勝モードで!
>りょうさん
ありがとうございます。とても嬉しいコメントであります。本文はちょっと脚色と水増しが入っておりますが、しかし成長したいというのは本当に。大人になったら成長は終わりと思っていたけど、そうではなかったのは嬉しいこと。“頭脳明晰”と思われたいマナ識、超強力でして…正直ほとんど全部受け売りっすよ。
>green-butterflyさん
いつもありがとうございます。じつは目標はすでに数年単位経過しているものばかりの積み残しでして…しょっちゅうボーっとしているものですから。ちょっと特殊なものばかりでしたが、いつも読んでいただけて恐縮です。あ、でももしよかったらさきに記事に書いた『生きる自信の心理学』、読んでみてくださいね。これは特殊ではなく、よく落ち込む自分が元気になれた本です。それはそうと、なにかいい映画、ご存じないですか?
>コスモロジーちゃん
あ、隊長、コメントありがとうございますであります! たしかに、コスモスと私とみんなは事実一体、なのでした。しょっちゅう忘れていますが…だから変に卑下したり、オレがオレがとうぬぼれたりと。本来の姿になるべく、本年もがんばります。よろしくお願いいたします。
自利利他で、今年も素敵な年にしましょう。
より一層、素晴らしい年になりますように。
いや~、僕も負けてられません!
競走的共存で頑張りましょう☆
今年も宜しくお願い致します。
どうも今年もよろしくお願いします。
いや~、今年もたいへん楽しみですな。
ああして書いてはみたものの、現状はそれに向けて方向づけるだけで一苦労というところでして…
競争的共存、君にいっていただけるのは嬉しい言葉であります。
ではでは