先日予約待ちしていた本が届き、2時間で読了しました。
話題になっている本だけあって借りるまで
3ヶ月ほどかかりました。
日本の葬儀費用は200万円以上で
これは諸外国に比べて(イギリス12万円、韓国37万円、
アメリカ44万円)相当高く
戒名をつけるのも日本だけだそうです。
しかもこの戒名も仏教の教え的には必要がないものらしいです。
そもそもお葬式というものに疑問をもったきっかけは
あるお通夜に参列したときのことです。
そのお通夜では当然のようにお清めがあって
そこで軽い食事などができるわけなんですが
どの人をみても故人を偲んでいるような雰囲気はなく
お酒を飲んで大声で笑っている人さえいる始末でした。
大体自分もその亡くなった方とは生前お会いしたこともなく
悲しいという気持ちをもてるほど想像力が逞しいわけでもありません。
その後、お葬式や三回忌などに出席する毎に
これって本当に必要なことなのかなぁという疑念は強くなるばかりです。
そこでこの本を読んでその考えは更に確かなものに感じました。
法律的には葬式をすることが義務づけられているわけではないし
散骨も場所を選べば問題ないことが分かりました。
葬式をしないというと故人に対して申し訳ないとか
罰当たりだとか思われる方が多いのは
想像に難くありませんが果たしてそうでしょうか。
確かに、それなりのお金を出せば自動的に
見た目にも豪華な式を営むことが可能です、
参列した人たちも、これで故人も安心して黄泉の世界へ羽ばたけると
喪主はしっかりとした人だと感心することでしょう。
でも結局それはお金を積んだということだけで
故人を思って自らが何かをしたこととは別物なわけです。
死後に故人につける「戒名」というものがあります。
この「戒名」というものにはランクが分かれていて
それによって値段が違います。
それを生前に故人と面識の全くないお坊さんがつけるというのが
現在の常識になっているそうです。
しかも現代は、故人を表すようなキーワードを入力すると
自動的に戒名が出来上がるパソコンのソフトもあるそうで
こんなものを何十万、高いものでは何百万も出して
ありがたく授かっているのが現状です。
お寺にお墓がない人は戒名を自分でつけてもいいみたいなので
もし親がそれでいいっていうのなら自分で考えたいと思っています。
何も考えないで高いダイヤモンドの指輪を貰うのと
その人のことを思って買ったプレゼントのどちらが貰って嬉しいか、
でもダイヤの方を喜ぶ人の方が多いのが現実でしょうが。
しかし親の葬式自体は案外普通にやらざるをえません。
それは今まで常識とされている葬式を
親自身が望んでいると思われるからです。
死後の世界も信じているみたいだし
それなりに信心深いところもあります。
ここがお葬式の難しいところで、例えば結婚式なんかは
本人が望まなければやらないで済ますことは可能ですが
葬式の主役はそのときにはこの世にいません。
なので親が葬式なんかやらなくてもいいという人間だったら
意思を尊重して、世間からどう思われようと絶対にしないのですが
そうわけじゃないのにやらないというのは
本質的に意味はなくても自分勝手すぎると思います。
だから自分が死ぬ前には、葬式はしないでいいし
お墓もいらないから散骨してもらえるよう遺書をしたためたいと思います。
お墓があるとお墓参りもしなければいけない、という
見えないプレッシャーを掛けるみたいで嫌です。
そんなお義理のお墓参りなら来てもらいたくないし
日々の生活のふとしたときに
そういえばあんな人もいたなぁと思い出してもらった方が嬉しいです。
話題になっている本だけあって借りるまで
3ヶ月ほどかかりました。
日本の葬儀費用は200万円以上で
これは諸外国に比べて(イギリス12万円、韓国37万円、
アメリカ44万円)相当高く
戒名をつけるのも日本だけだそうです。
しかもこの戒名も仏教の教え的には必要がないものらしいです。
そもそもお葬式というものに疑問をもったきっかけは
あるお通夜に参列したときのことです。
そのお通夜では当然のようにお清めがあって
そこで軽い食事などができるわけなんですが
どの人をみても故人を偲んでいるような雰囲気はなく
お酒を飲んで大声で笑っている人さえいる始末でした。
大体自分もその亡くなった方とは生前お会いしたこともなく
悲しいという気持ちをもてるほど想像力が逞しいわけでもありません。
その後、お葬式や三回忌などに出席する毎に
これって本当に必要なことなのかなぁという疑念は強くなるばかりです。
そこでこの本を読んでその考えは更に確かなものに感じました。
法律的には葬式をすることが義務づけられているわけではないし
散骨も場所を選べば問題ないことが分かりました。
葬式をしないというと故人に対して申し訳ないとか
罰当たりだとか思われる方が多いのは
想像に難くありませんが果たしてそうでしょうか。
確かに、それなりのお金を出せば自動的に
見た目にも豪華な式を営むことが可能です、
参列した人たちも、これで故人も安心して黄泉の世界へ羽ばたけると
喪主はしっかりとした人だと感心することでしょう。
でも結局それはお金を積んだということだけで
故人を思って自らが何かをしたこととは別物なわけです。
死後に故人につける「戒名」というものがあります。
この「戒名」というものにはランクが分かれていて
それによって値段が違います。
それを生前に故人と面識の全くないお坊さんがつけるというのが
現在の常識になっているそうです。
しかも現代は、故人を表すようなキーワードを入力すると
自動的に戒名が出来上がるパソコンのソフトもあるそうで
こんなものを何十万、高いものでは何百万も出して
ありがたく授かっているのが現状です。
お寺にお墓がない人は戒名を自分でつけてもいいみたいなので
もし親がそれでいいっていうのなら自分で考えたいと思っています。
何も考えないで高いダイヤモンドの指輪を貰うのと
その人のことを思って買ったプレゼントのどちらが貰って嬉しいか、
でもダイヤの方を喜ぶ人の方が多いのが現実でしょうが。
しかし親の葬式自体は案外普通にやらざるをえません。
それは今まで常識とされている葬式を
親自身が望んでいると思われるからです。
死後の世界も信じているみたいだし
それなりに信心深いところもあります。
ここがお葬式の難しいところで、例えば結婚式なんかは
本人が望まなければやらないで済ますことは可能ですが
葬式の主役はそのときにはこの世にいません。
なので親が葬式なんかやらなくてもいいという人間だったら
意思を尊重して、世間からどう思われようと絶対にしないのですが
そうわけじゃないのにやらないというのは
本質的に意味はなくても自分勝手すぎると思います。
だから自分が死ぬ前には、葬式はしないでいいし
お墓もいらないから散骨してもらえるよう遺書をしたためたいと思います。
お墓があるとお墓参りもしなければいけない、という
見えないプレッシャーを掛けるみたいで嫌です。
そんなお義理のお墓参りなら来てもらいたくないし
日々の生活のふとしたときに
そういえばあんな人もいたなぁと思い出してもらった方が嬉しいです。