これが私の生きる道

こむずかしいことやきれいごとは
書いてありません。
読みやすさを心がけて書いています。
読んでみてください!!

自己管理の必要性

2009年05月13日 20時56分09秒 | 思うこと
新型インフルエンザが世間を騒がせています。
マスクの着用を盛んに勧めていますが、
そんなにあれって有効なのかなぁって疑問です。
花粉症シーズンにたまに着けますけど
そんなに防いでくれている実感がないんですよね。
既に風邪をひいている人が着けて
菌の繁殖を防ぐのには効果的でしょうけど、
何せマスクしてるとどうしても怪しい人相になってしまいますよね。

それよりも手洗いとうがいの方が絶対効果ありますよね。
家族も職場の同僚も恐ろしいほど、
ご飯を食べる前ですら手も洗いません。
経験測で風邪のウイルスは手から感染することが多いような気がします。
だから外から帰ってきたら手洗いとうがいは欠かせません。
とりあえずここまでやって風邪をひいたら自分でも諦めがつくけど
何もしないで風邪ひきました、仕事休みます、っていうのは
どうなのかなぁって職場では言えないけどそう思います。

で今日ニュースでWHOの人がウィルスを蔓延させないために
「日本人の性質で風邪をひいても仕事に出てくる人がいますが
それは避けてもらいたいです」と言っていました。
これって現実の会社というのを分かっていないなぁって
ちょっと呆れました。
高熱があるならともかく、ちょっと風邪ひいた位で休めるのは
相当偉いか別に辞めさせられてもいいかのどちらかの人です。
休めた場合でも、結構辛辣なことを裏で言われることは
避けられません。
第一そんなので本当にみんな休まれたら日本経済は立ち行かなくなることは
間違いありません。

予防といった点で今回の新型インフルエンザの一件で
手洗いとうがいが習慣化されれば医療費の削減にもなるし
いいことだと思うのですが。
職場の先輩なんてまだ30代なのに薬を10錠以上服用していて
これから歳をとったらもっと飲まなくてはならないわけで
大丈夫なのかなぁと思います。
その医療費もうちらのお金から捻出されているから
医者や薬ばかりに頼ってもらいたくないというのが本音なんですが。

携帯の未来

2009年05月11日 19時59分32秒 | 思うこと
帰りの電車の中でPSPで録画転送した「サラリーマンNEO」を見ていたら
隣に座った人が携帯の小さい画面でワンセグ見ていて
画面のサイズも画像も数段自分のが上で
心の中で勝ち誇ってしまった小さい人間です。

今日仕事で、全面改装する事務所ビルに行って
NTT関係の人が作業に来たのでどんな作業かと思ったら
携帯アンテナの撤去工事とのことでした。
改装するので増設するなら分かるけど何で外してしまうのかなぁと思って尋ねたら
movaのアンテナを撤去するって言われました。
最近うちで携帯の電波の入りが悪くて通話中に途切れてしまうことがあって
どうしたのかなぁと困っていましたが
どうやらあちらこちらで撤去されているみたいです。

一応あと3年位はサービスの継続をアナウンスしていますけど
こうやって使いづらい状態にしてFOMAへの移行を促しているようで、
まさに兵糧攻めです。
ビックカメラの携帯コーナーで、らくらくホンなら機種変更無料でしたが
さすがにあれっておじいちゃんおばあちゃんが使うやつですよね。
いくら携帯に期待していないとはいえ、あれじゃあなぁと。
とは言っても今の機種で欲しいようなものもないんですよね。
SONYの個性的な形が好きなんですけど
撤退しちゃっいましたし。

PHSからmovaに変えたときもちょっと悲しいかったですが
もう次に進まなくてはいけません。
おそらくまた何年後には新たな技術が開発されて
FOMAの時代も終わっていくでしょう。
死ぬまでそれが延々続いていくのかと思うと
うんざりするというか。
仕事をしなくていい位お金があって
信頼できる相方がいれば携帯なんかいらないのになぁと
ちょっと本気で考えています。

母の日にカーネーションを

2009年05月10日 19時58分40秒 | 思うこと
今日は仕事だったので昨日母の日のカーネーションを買いました。
花を買うのはこの日だけ一年に一度だけ、
ここ数年は決まった近所の花屋さんで買っています。
知り合いの人が昔花屋さんに勤めていましたが
水は冷たいはとげがささるは虫がくっついているはで
見た目よりも大変な仕事みたいです。
ドラマなんかではヒロインが楽しいそうに働いていますが
あのイメージだけ鵜呑みにするとひどい目に遭いそうです。

で鉢植えの1000円の真っ赤なカーネーションを2つ買いました。
1つは母の分、1つは子供の頃からお世話になっているおばあちゃんの分です。
おばあちゃんは血のつながりは全くなく、
幼稚園のときから両親共働きだったので、
近所に住んでいたそのおばあちゃん夫婦に預かられていた関係です。
もう腰が90度に曲がってしまって一人では外には出れません。
森光子が90歳間近なのに舞台ででんぐり返ししてますけど
あれはオリンピック選手級のすごさだと思います。

おじいちゃんは15年前に亡くなっているので一人暮らしです。
昨日も話をきくと何だかんだでお金が掛かるそうです。
貯金は絶対しておくよう釘を刺されました。
週に2回、買い物やお掃除をしてくれるヘルパーさんが来てくれるそうですが
新聞やニュースとかでこういうことを報道していても
実感がわきませんが現実はリアルに厳しいです。

そもそも母の日にカーネーションを贈りはじめたのは憶えていませんが
気づいたら買っていました。
一回買い始めたら止めるに止めれないというか
数年前におばあちゃんに持って行ったら泣かれてしまったことがあって
それからは渡すとき、シリアスになるから泣かないでくれ、って願います。

毎年贈っているのは感謝の気持ちというよりは
贖罪の意味の方が強いかもしれません。
とても親孝行ではないですし一年に一回は申し訳ない気持ちを
形で表すというか。
理想は一緒に欲しいものを買いに行けばいいのでしょうが
照れくさ過ぎてできません。
同じ理由でカーネーション以外は贈ったことがありません。
周りの友達に聞いてももう母の日に何もしてないっていうから
プレゼントしているだけマシなのかなぁと自己弁護しています。

リンドバーグライブ「STEP」

2009年05月10日 07時31分59秒 | 音楽
昨日はリンドバーグのライブに行ってきました。
原宿駅に降りると何でか混雑しているので不思議に思っていると
どうも代々木第一でパフュームがライブやるのとかち合ったようでした。
帰りも一緒になったら堪んないなぁ~と会場に向かいました。
チケットをスペシャルバージョンに変えてもらえるとのことで
交換しましたがカラーコピーしたような感じで、複製品?みたいな。
入場がとんでもなく遅く、中に入れたのは開演予定10分前でした。
しょうがないことですがお客さんは30歳以上の人が大半を占めて
20代の人は1割にも満たない状態です。

こんな感じなので本当に盛り上がるのかなぁ~って不安に感じていましたが
リンドバーグを侮っていました。
初っ端から大合唱で意表をつかれました。
最近ライブに行ってもお客さんが歌うって案外少ないんですけど
今日は久々に知っている歌は熱唱しました。
同窓会の時の妙なハイテンションに似た感じがしました。
不思議と昔の歌の方が歌詞を憶えているものです。

90sのニューミュージックど真ん中で
サビの繰り返しが多くて分かりやすいし
合いの手を入れやすい曲が多いんですよね。
もうこれはライブ向きですごいノリ易かったです。
セットリストはもっとシングル曲だらけかと思っていたら案外少なかったです。
多分ライブでは盛り上がる系の曲を数多く並べてきた印象で
昔ファンだった人達は大喜びのセトリだったのではないでしょうか。
さすがに最後の方はシングルパレードで
「今すぐKISS ME」「BELIEVE IN LOVE」の2曲は
その中でも盛り上がりが半端なかったですね。
あの頃が思い出されてきました。

渡瀬さんは40歳近くとは思えないほど若々しくて
MCが予想以上に面白かったです。
くまとうさぎの着ぐるみが出てきて子供たちに紹介するとき
「くまちゃんです、うさぎちゃんです」で最後に自分を指差して
「松田聖子です」って文字にするとつまんないけど
会場では相当上手いなぁって思いました。

「I MISS YOU」「胸騒ぎのAfter School」「会いたくて」は
聴きたかったんですけどね~、
まぁでもこれらの曲を演奏しなくてもここまで楽しめたのは
ある意味すごいんですけど。
今調べたら「HOP」の時に「I MISS YOU」「胸騒ぎのAfter School」は
やっちゃっているんですね、残念です。

こうなると「JUMP」も行きたくなるなぁ~。
今度はホールだから曲も結構変えてくるような気がするしなぁ~、
ヤフオクで安いのがあったら行こうかなぁ。
今週の木曜日にはおそらく今年最後のミスチルです。
今日のステージとの距離とは比べ物にならないほどの遠さですが
目に焼き付けてきます。

生きるために食べよ、食べるために生きるな。

2009年05月07日 21時58分37秒 | 料理
先週「ためしてガッテン」でハンバーグを特集していたので
昨日作ってみました。
外見は中々よくて期待して食したら、これがイマイチでした。
ほぼレシピ通りに調理しましたが、
肝心のひき肉がセール品の100g50円という安さのせいでしょうか、
とても番組で言っていたお店の味にはほど遠い状態です、
あんなに肉汁も出てないし。
まぁでも食べられない味じゃないので全部食べましたけど。

夕食や休みの日は自分で料理していて気づいたことは
料理ってレシピ通りに分量と調理法を地道にこなせば
それなりに美味しいものが出来るということです。
よく料理が苦手という人がいますが、
あれは目分量だったり自分流に調理法を変えたりしているからでしょう。
家の母妹はカレーでも玉ねぎや人参を炒めないで煮るだけです。
しかも水も目分量なので概して薄い味になります。
細かいことをいえば包丁さばきとかフライパンの使い方とかあるでしょうが、
家庭の料理でそこまでの緻密さは要求されないし
当たり前のことをいかにこなすかに掛かっています。

あと食器を洗うのを食べた後にまとめてやろうとすると
シンクがいっぱいになってやる気を失くすので
作りながらいかにして調理器具を洗えるかという段取り力も大切です。

自論があって、家族全員痩せている家の母親は料理が苦手ということです。
今まで会った太っている人で家の料理が不味いという話を聞いた事がありませんし
知らず知らずの内に美味しいければ、より多く食べてしまうものです。
家はさきほどのカレーの例もそうですがとにかく分量をきちんと量りません。
米に入れる水ですら適当で、たまにおかゆみたいなご飯が出てきます。
でも実はそれで良かったなぁと思っています。
絶対に太りたくないし、たまに美味しいものを食べたらすごく感動できるからです。
家で食べる食費にお金を掛けるほど、もったいないことはないと思います。
それにいいものを食べている人ほど病気に罹りやすいイメージがあります。
この豊食の時代、食べすぎは毒です。

考えすぎるのは頭の毒

2009年05月06日 14時43分51秒 | 読書
頭ん中がごちゃごちゃしたときに読む本があります。
新野哲也という人が書いた「頭がよくなる思想入門」という本です。
何でこの本を買ったかは憶えてないんですけど
今では一番何度も読み返す本になっています。

この本に書いてあることのひとつに「考えすぎるのはよくない」
っていう考え方があって、ヒトが考えるのは「狂っているから」
ということまで言っています。
直観が大切でパッとみてすぐにわからないことは本人にとっては
ほとんど重要でないそうです。

それと意識っていうのは基本的に逃げることばかり考えるので
意志をもって進んでいかなくてはならないとか
他にも色々こういう話が書かれています。

確かに悩むってことは結局あれこれ考えることだし、
考え始めるといかに逃げようか、それに対してのもっともらしい
理由づけをしていることが多いです。
それに過去のことを色々考えるのも意味はないよなって思います。
例えば終わってしまったテストのこととか今更考えても
点が変わるわけじゃあるまいし、
そんなひまあったら次の試験勉強をしたほうが
絶対有益ですもんね。

こういうむだなことを考えることを「わるい頭のつかい方」と
この本では説いています。
たまにこの本を読むと、あまり考えないようにしようって思うんですけど
数日するともうそんなことを忘れて
ぐちぐち考える自分がうらめしいかぎりです。

お金にまつわるエトセトラ

2009年05月05日 16時15分50秒 | 思うこと
高校時代、友達によくお金を貸していました。
当時ボロボロのアパートに住んでいましたがお小遣いは結構貰っていたので
普通に生活してお金に困るようなことはありませんでした。
大方、借りた方は日にちが経つとどの位借りたか忘れるもので
しょうがないのでいくら貸したかメモを取るようになりました。
そうして事あるごとに貸した額を伝えて軽く返却を求めると
なぜかこっちが悪いことをしているような気になって
貸しているのに損した感じだなぁと複雑な気持ちでした。
そんなことがあって高校を卒業してからは基本的にはお金は貸さないで
貸すときは返って来ないものと諦めるようになりました。

変な話ですが、お金がない人にかぎってゲーセンとかに行っても
何千円と使ったり、ファミレスに行ってもこっちはドリンクだけなのに
セットで頼んだりして、お金の使い方が荒いような気がしてました。

自分は基本的にお金をあまり使わないので
貯金しようという意志がなくてもお給料の半分以上は残ります。
(少ない額の半分なのでたかがしれていますが)
こういうお金の使い方ってある程度、遺伝子で決まっているのではないでしょうか。
(快楽が簡単に得られやすいとか)

今でこそポイントが貯まるのでカードで買い物をしますが
必ず一活払いです。
ローンを組んで買い物はしたくないです。
借金は男の甲斐性なんて言われますけど
負債を抱えたまま生活していく度量は自分にはありません。

お金で幸せになれるか、ということはよく聞く話ですが
幸せというより快楽に近いもののような気がします。
お金をもらったり使ったりすると高揚感みたいなものを感じます。
でも子供の頃は100円で満足していたものが
今では10000円でも満足しなくなって、快楽のハードルが上がってしまっています。
そのハードルは留まる事を知らず、何億円となっても満足できない人も
中にはいると思います。

それとお金は有限なものなので、お金を得る人がいるということは
同時にそれを失う人がいるということになります。
幸せがそんなプラスマイナスするようなものではいけないと思います。
綺麗ごとかもしれませんけど、幸せは無限に増殖するものでないと
なんか悲しい気がします。

以前にタモリが哲学を扱った番組をやっていて
「お金」とは何か、という問いに京都大学教授の森さんが
「テストの点数」のようなものと言っていました。
点数(金額)が増えるのはいいことだし励みにもなるけれど
その点数にそんなに意味(価値)があるかといったら
そういうわけでもないその程度のもの、って説いていて
なるほどなぁと思いました。
お金もテストの点数も手段に過ぎないですよね。

逢いたいときに君はここにいない

2009年05月03日 20時43分14秒 | 思うこと
たまにふと、これから死ぬまでに逢えない人って
いっぱいいるんだなって思ったりします。
例えば小学校時代の同級生なんかはほとんどの人と逢わないだろうし
今まで知り合った人の人数が何人くらいかも想像はつきませんが
そのほとんどの人とこの先一生逢わないまま生涯を閉じると考えると
不思議な気持ちになります。

20歳くらいの時に、でかい本屋さんなんかでやっている
英語スクールの勧誘みたいのにひっかかって
その教室まで連れて行かれたことがあったんですけど
そこの説明員さんが「私は一期一会をモットーにしています」って言ってました。
こっちは入会させられないようにガードを固めていたので
あまりちゃんと聞いていなかったんですけど
その言葉だけは妙に憶えています。

普段いつものように会っている人には、何も感じなかったり
時にはうざったく感じることもあるんですけど
一度、職場の異動とか卒業とかで縁が切れてしまうと
それ相応のエネルギーを費やさないと会わなくなるもんです。
それでも会おうと思えばいつでも会えるとたかを括っていると
会える確立は、時と共に減っていく一方です。

特に最近は個人情報保護とかで
気安く電話することもままなりません。
ちょっと前に高校時代の友達の実家に電話したんですけど
最初から怪しまれて本人と連絡を取り合うまで
四苦八苦しました。

明日からは、もしかしたらこの人とは一生逢えなくなるかもしれないって
思って接すれば、新鮮な気持ちで付き合っていけるかなって
思ったりしました。

舞台「容疑者χの献身」キャラメルボックス

2009年05月02日 09時30分48秒 | 演劇
昨日は舞台「容疑者Xの献身」を観に行きました。
「キャラメルボックス」ははじめて舞台をみた劇団で
思い入れは思いの他あるのですが最近の作風があまり合わないようで
4~5年観ていませんでしたが、今回は原作が好きな本だったし
当日だとハーフプライスチケットといって半額になるので
ちょっくら行きました。

そんなわけで宿直明けで東武百貨店のチケット売り場に
9時30分位に着いたら15人も並んでいました。
もちろん全ての人がそれ目当てではないんで普通に買えて、
席も後ろの方とはいえ1階席で、でも自分の周りの人は7000円出して
観ているわけで申し訳ないかなぁと・・・あ、これは嘘です、思っていません。

久々に池袋に降りましたけど、若い子(風な人も含め)が多い感じがしました。
金髪っぽい子も結構多いし、ちょっとたじろきました。
HPでは今日はチケット余ってます、って書いてあったけど
自分が見る限り、ほとんど埋まっていました。
座席と座席の間が前も横もせまいのに閉口しました。

問題の中身ですが、かなり良かったです。
キャラメルボックスは10作弱観ましたが1、2を争う出来で、
舞台を観て初めて泣きそうになりました。
原作本を映画やドラマで映像化するとガッカリすることが多くて
それを恐れていましたが今回はそんなことはありませんでした。
原作をかなり忠実に再現させたから違和感がなかったのかもしれません。
とはいっても原作を読んだのは相当前で
トリックも後半になって思い出した位ですけど。

この話の最大のポイントは「一方的に思いを寄せる人の為に
見返りなしの犠牲を払うことができるか」ということだと思います。
石神という高校教師が、隣に住む花岡靖子が犯した殺人を隠蔽するのですが、
それが露見されそうになると、自ら自首をして罪をかぶります。

例えば、子供の頃に自分の好きな子が物を壊したとして
それは僕がやりましたって身代わりになることはあるかもしれません。
でも今はその罪をかぶることによってその人から好意をもってもらえる
とかそういう計算を働かせてしまうような気がします。
ましてや殺人の身代わりなど割りに合わないなぁと
損得勘定で決めてしまう自分が想像できます。
そういった点で石神の行為は「純」だなぁと思うわけです。
自分も子供の頃はそういう「純」な思考で生きてきたのに
大人になるにつけ汚れてきていると、この作品をみて考えさせられました。

そんなことを思いながらサンシャイン通りを歩いていると
妙に浮かれた街並みに嫌気がさしてきました。
そんな杞憂はともかく少なくとも3500円払う価値は絶対あるお芝居で
原作を読んでいない人でも、いやむしろ未読の人の方が
楽しめると思います。
24日まで上演しているのでぜひ観てほしい舞台です。

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