愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

愛媛・災害の歴史に学ぶ1 古代の南海地震と伊予

2019年12月01日 | 災害の歴史・伝承

古代の歴史書『日本書紀』の684年10月14日条に地震の記録が残っています。この『日本書紀』は律令国家が700年代前半に編さんした正式な国の歴史書なのですが、その中に南海地震の発生や四国での被害状況が記されています。

『日本書紀』天武天皇13(684)年10月壬辰条
壬辰。逮于人定、大地震。挙国男女叺唱、不知東西。則山崩河涌。諸国郡官舍及百姓倉屋。寺塔。神社。破壌之類、不可勝数。由是人民及六畜多死傷之。時伊予湯泉没而不出。土左国田苑五十余万頃。没為海。古老曰。若是地動未曾有也。是夕。有鳴声。如鼓聞于東方。有人曰。伊豆嶋西北二面。自然増益三百余丈。更為一嶋。則如鼓音者。神造是嶋響也。

この『日本書紀』の記述は、南海地震に関する文字記録としては最も古いものです。この7世紀後半は白鳳時代ともいわれ、一般にこの地震を「白鳳南海地震」と呼んでいます。この史料の前半部には、壬辰(10月14日)に「大地震」があり、国々の男女が叫び、山が崩れて河があふれて、国や郡の役所の建物や一般庶民の家、そして寺院や神社が破損した。そして人々や動物たちも死傷が多く、数えることができない、と記されています。
そして後半部には具体的な地名が出てきおり、「伊予温泉」が埋もれて湯が出なくなり、土佐国(現在の高知県)では田畑50万頃(しろ)が埋もれて海となったと書かれています。
実は、日本で最古とされる南海地震の文字史料にて、最初に出てくる地名は「伊予」(現在の愛媛県)なのです。「伊予温泉」と書かれていますが、これは今の松山市の道後温泉といわれています。道後温泉は、歴代の南海地震が起きるたびに必ず湯の涌出に支障がでています。ただその後に必ず復旧はしています。1ヶ月後に復旧する場合もありますし、3ヶ月後の場合もあります。近い将来、南海トラフ巨大地震が発生したときには、やはり道後の湯は止まる可能性は大きいことが過去の史料から推察できます。
そして『日本書紀』の記述では「伊予」の次に「土佐国」の被害が記されています。土佐国の田畑50万頃(約12平方キロ)が埋もれて海となるとあります。これは高知県の広い範囲が地盤沈下して、そこに海潮が入ってきて、そのまま陸地に戻らなくなったというのです。
684年当時の古老が「このような大地震は経験したことがない」とも語っているのですから、古代においても被害は未曽有のものだったいうことです。
この『日本書紀』は歴史的事実を書き記すと同時に、古代の神話も叙述されており、ここに紹介した白鳳南海地震の内容も「歴史的事実」、「神話世界の物語」のどちらなのだろうかという疑問があります。しかし、この記述のある天武天皇13(684)年当時は律令制の確立期でもあり、すでに国郡里制が定着し、被害状況は国司から朝廷に報告されるシステムができあがっています。つまり白鳳南海地震に関する確実な「歴史的事実」を語る史料として扱うべきものだといえるのです。

桜島大正大噴火と愛媛宇和島沖の津波

2019年11月15日 | 災害の歴史・伝承
 大正3(1914)年1月12日、明治以降最大の噴火とされる桜島の大噴火。その降灰範囲は東北地方にまで及んだ。噴火当日の午後6時半頃に鹿児島湾を震源とするM7.1の地震が起こり、小規模な津波も発生している。噴火活動は13日夜まで続き、溶岩も流出した。溶岩は15日に海岸に到達し、月末には対岸の大隅半島の海岸に達し、これにより、桜島は大隅半島と陸続きとなった。
 大正3年1月14日付の大阪毎日新聞には桜島噴火による被害記事が載っているが、愛媛県関係では次のような記事がある。
「伊予沖の海嘯 桜嶋噴火の余波、宇和嶋に及び十二日来地震数回あり、十三日朝灰を降らし霧立ちこめて市内暗憺として闇し、日振嶋(伊予国北宇和郡)に海水押寄せ海嘯起れり、右は豊後水道に何等かの異状を来せるにあらずやと観測せらる(宇和島来電)」
 「海嘯」とは津波のことであり、桜島噴火で誘発された12日夕方の大地震による津波が愛媛県宇和海沿岸部まで到達したと考える向きもあるが、それは実証が難しい。鹿児島湾から宇和海沿岸部に到達したのであれば、大隅半島、宮崎県、大分県南部、高知県西部にも津波到達の記録があってもよいものだが、それは確認できない。単発で日振島が出てくる。
 この大阪毎日新聞の他記事を眺めると、1月11日から13日にかけて紀州、岡山、玉嶋、尾道、広島、善通寺、今治、小倉で複数回、地震を観測していることがわかる。12日夕方の鹿児島湾震源の地震では鹿児島市で震度6 、熊本市、佐賀市、宮崎市で震度3、佐世保市、大分市などで震度1であり、 この中国、四国の地震とは別の地震と判断できる。桜島の大噴火、鹿児島湾震源の地震により、広範囲で誘発されて地震が発生したと考えるのが適当だろう。日振島に海嘯が到達したのは13日であると新聞からは判断でき、13日に宇和海、豊後水道付近を震源とする誘発地震が発生し、津波もしくは海面変動が確認されたのではないだろうか。

「災害から歴史資料・文化財を守るために何ができるか in Kagoshima」開催のお知らせ

2019年11月13日 | 災害の歴史・伝承
鹿児島歴史資料防災ネットワーク、宮崎歴史資料ネットワーク主催の「災害から歴史資料・文化財を守るために何ができるか in Kagoshima」のご案内です。

日 時:2019年12月7日(土)14:00~17:20
会 場:鹿児島大学 郡元キャンパス 法文学部3号館104講義室
参加費 無料

趣 旨:
 昨年の西日本豪雨に続き、今年に入り九州北部の豪雨、台風15号・19号による深刻な被害が相次ぎ、生命までもが脅かされる事態になっています。家庭や地域で育まれてきた資料や文化財も相当なダメージを受けているはずです。こうした被害から少しでも資料や文化財を守り、土地の文化や歴史を後世に継承していくために、今、私たちは何ができるのでしょうか、また、どのような工夫が求められているのでしょうか。

プログラム:
14:00 開会 総合司会:深瀬浩三(鹿児島大学 准教授)
〈第Ⅰ部〉
14:05 報告1 甲斐 未希子(愛媛県歴史文化博物館 学芸員)
平成30年7月豪雨における水損資料レスキュー
14:35 報告2 三重野 誠(大分県教育庁 文化課参事) 
大分県における文化財防災の取り組みについて
15:15 報告3 丹羽 謙治(鹿児島大学 教授)
資料の整理および保存の実践と課題
15:45 報告4 山内 利秋(九州保健福祉大学 准教授)
災害に備えた資料保全シミュレーションを実践する
〈第Ⅱ部〉
16:30 座談会 司会:佐藤宏之(鹿児島大学 准教授)
「災害から歴史資料・文化財を守るために」
甲斐未希子、三重野誠、丹羽謙治、山内利秋
17:20 閉会

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被災史料から地域の歴史を見つめ直す

2019年10月28日 | 災害の歴史・伝承
八幡浜市。日土史談会。西日本豪雨で全壊した旧家の史料(神社や寺院の御札類)整理がひと段落したので、地元報告会を兼ねて、参加者から聞き取り調査。流石は史談会のみなさん。次々と新たな情報を教えていただき感謝。

太平洋戦争に出征した方の武運長久を祈願する御札が出てきた。その方のお孫さん達も来られて、記念撮影会も。

愛媛県の自然災害伝承碑 松山市大可賀

2019年10月25日 | 災害の歴史・伝承
松山市大可賀2丁目にある御名号堂。ここは明治17年8月25日、台風による高潮により海岸の提塘が決壊。海水が集落に流入して50人以上の犠牲者を出すという大惨事。その犠牲者の供養、納骨のために建てられたお堂。

この災害での犠牲者の三回忌に建てられたのが溺死者招魂碑。御名号堂の境内に建つ。

愛媛県内でも代表的な自然災害伝承碑(ただし、まだ国土地理院の自然災害伝承碑マークには登録はされていない。)

高潮被害は平成3年台風19号でも松山市や松前町、伊予市海岸部では大きな被害が出ている。中予地方、松山市における典型的な災害(高潮)の記憶を今に伝えている石碑といえる。


報告会「被災史料からわかる日土村の歴史」

2019年10月22日 | 災害の歴史・伝承
昨年の西日本豪雨により、八幡浜市日土町にて、土石流で全壊となった旧家の解体時に確認された大量の神社、寺院の御札(江戸時代後期から昭和)。その保存、整理作業が一区切りしました。この度、地元日土地区での報告会を行うことになりましたので、お知らせします。

会名 日土史談会例会
日時 令和元年10月27日(日)19:00~20:30
会場 JA西宇和日土支店 2階研修室
講演 被災史料からわかる日土村の歴史
講師 大本敬久(愛媛県歴史文化博物館学芸員)


愛媛県西予市から栃木県鹿沼市へ

2019年10月18日 | 災害の歴史・伝承


昨年の豪雨災害で栃木県鹿沼市から愛媛県西予市に送られたネコ車。泥かきに使わせていただきました。「泥を見ずに人を見る」。今回は西予市から鹿沼市に支援物資、出発とのニュース。思わず去年の写真、探してみた。

「去年の恩返しを」愛媛から台風被災地を支援 10/18(金) 20:14配信 あいテレビ

西日本豪雨から1年 西予市野村町秋祭り2019

2019年10月13日 | 災害の歴史・伝承
平成30年7月豪雨で被災した愛媛県西予市野村町。昨年(2018年)は祭りどころではない状態。神輿を神社境内に出したのみの祭りだった。今年は2年ぶりの神輿渡御行列が行われました。野村の各地区から出される牛鬼、五つ鹿踊り、唐獅子、四つ太鼓、お多福、猿田彦、浦安の舞、そして神輿。三嶋神社を出発して、権現の御旅所へ。そして野村の町を練り歩く。被災からの復興、地域の伝統、そして住民の結集の力を実感した1日でした。

































































11月9日 講演「祭り文化と災害からの復興」in吉田町

2019年10月12日 | 災害の歴史・伝承
昨年は豪雨災害で開催ができなかった吉田町文化祭。今年は2年ぶりの実施となります。11月9日13時半から、私も会場の吉田公民館でお話する予定です。演題は「祭り文化と災害からの復興」。愛媛県内各地の祭りと吉田秋祭りの紹介、祭りの起源と災害について、被災後の各地の祭りの復興状況を紹介します。内容は先日9月21日に吉田ふれあい国安の郷でお話したものと同じではありますが、今回は吉田史談会の行事のひとつとして実施します。

第48回吉田町文化祭
【と き】11月9日(土曜日)午前8時30分~午後5時
     11月10日(日曜日)午前8時30分~午後4時
【ところ】吉田公民館(宇和島市吉田町)
【内 容】市文化協会吉田支部所属団体などのお茶席、寒蘭、書道、写真、絵画、
    俳句、短歌、生花、フラワーデザイン、
    陶芸・老人クラブ・婦人手作り・太陽の子ら作品の展示など

愛媛県内の自然災害伝承碑(大洲市長浜町)

2019年09月27日 | 災害の歴史・伝承





明治19(1886)年9月24日、愛媛県内は台風が襲来し、豪雨となっていた。現在の大洲市長浜町須沢(当時、櫛生村)において大規模な「地すべり」が発生する。須沢川の谷に面した山腹が一気に崩壊してしまう。この付近は三波川帯。急傾斜地の崩落は他地域よりも少ないが、地すべりが発生しやすい地質。大洲市、八幡浜市域の災害の地域的特徴とえいる。この地すべりによって、死者39人、家屋の埋没72戸、田畑の流失7.6haという大きな被害となった。その3年後、明治22年に犠牲者の慰霊のための地蔵菩薩と、災害の経緯を刻んだ石碑が建立された。今年2019年、地図記号に「自然災害伝承碑」が新たに加えられたが、愛媛県内では唯一の登録となっている(9月17日現在)。愛媛に自然災害伝承碑は他にも数多く存在する。これらが早く登録されんことを願う。

平成30年7月豪雨での浸水高の表示(大洲市)

2019年09月26日 | 災害の歴史・伝承
大洲市。平成30年7月豪雨での浸水高の表示を探して歩く。

四国別格二十霊場の十夜ヶ橋永徳寺。本堂は解体され、本尊は大師堂に移されています。大師堂は明治中期の建築。彫刻は長州大工によるもの。
浸水した大洲市立図書館。蔵書は浸水当日に職員総出で高い場所に移動させてなんとか無事。電気系統が被災して1ヶ月休館。
















祭り文化と災害からの復興

2019年09月23日 | 災害の歴史・伝承


台風も過ぎ去り、今日は天気に恵まれる。

宇和島市吉田町の「吉田ふれあい国安の郷」にて行われた「復興ふれあい市」へ。

講座「祭り文化と災害からの復興」をテーマに、愛媛の祭り、吉田秋祭り、災害と祭りについて話してきました。

午後は吉田の町や立間をぐるり。そして一路、西予市野村町へ。こちらでもちょっと町歩き。


岩手県宮古市田老第三小学校と愛媛県西予市

2019年09月17日 | 災害の歴史・伝承
昨日、ギャラリーしろかわを見学。第25回かまぼこ板の絵展覧会では、昨年の西日本豪雨からの復興に関するメッセージを込めた作品が多く、アートを通じた復興の形を少し垣間見たような気がしました。

ギャラリーの職員さんと雑談。その話の中で、岩手県宮古市の田老第三小学校。今年の春に閉校していたことを知りました。東日本大震災以降、ギャラリーしろかわ「かまぼこ板の絵展覧会」を通じて西予市と交流。西日本豪雨の直後には激励のお手紙がいち早く届き、ギャラリーしろかわで掲示されていました。(写真は、昨年7月の掲示の様子。現在は第25回展覧会にて2011年受賞作品が展示されています。)

【岩手日報】命と防災学び校史に幕 地域被災の県内2小閉校式
https://www.iwate-np.co.jp/article/2019/3/18/49825

【毎日新聞】西予市に宮古市の児童から激励の手紙(動画有り)
https://mainichi.jp/articles/20180731/k00/00m/040/103000c

田老第三小学校と西予市のギャラリーしろかわとの交流は、児童のかまぼこ板の絵の応募が東日本大震災の発生約3時間前に投函され、それが震災後の混乱の中、8日後に西予市に届いたことがきっかけでした。この応募作品は感動賞を受賞。そして児童らを西予市に招待して、その後も作品応募は続き、手紙の交換など交流が続いていました。田老第三小学校では7月7日の豪雨災害で西予市の被害をニュースで知り、5、6年生4人が発案し、手紙を書き、寄付も送ってくれました。寄付には卒業生、住民も協力したとのこと。