愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

狩浜の棚田7

2008年07月20日 | 生産生業
マッコロバシの大石垣の上は、平らになっていて、上から水も流れ込んでいる。この棚田・石垣については、狩江公民館の中村さんや地元の沖村さんが詳しく調べているので、調査結果や石垣の年代等については、公民館からの公式発表?があるかも。

というわけで、狩江公民館をはじめ、狩浜のみなさん、今回は、お世話になりました。散策というより、真夏の探検のようで、参加された20名以上の方々、お疲れ様でした。

狩浜の棚田6

2008年07月20日 | 生産生業
ついにマッコロバシの最大の目玉の石垣。これは9メートル近くある。棚田の石垣としては、唐津市になった蕨野の棚田が日本一の高さで、8.5メートル。正確な高さを測るため、今回、地元狩浜の方々がロープを上から下まで降ろして、計測。この棚田は現在は使われていないが、石崩れは見られない。(ちなみに日本一の高さの石垣を持つ蕨野は、重要文化的景観にも選定されている。)

狩浜の棚田5

2008年07月20日 | 生産生業
ヒヤマの狼煙台を見学して、いったん山を降りる。そこからマッコロバシへ向かう。その途中、25枚程度の棚田跡があり、脇には水路も通っている。棚田跡は、孟宗竹で覆われているが、棚田ではなかった場所は雑木林。昭和40年代まで棚田として使われていたようだが、その後、放置され、竹林へと変化したようだ。ただ、石垣はきれいに残っている。

狩浜の棚田4

2008年07月20日 | 生産生業
狩浜のマッコロバシの棚田跡に行く前に、ヒヤマの狼煙台まで登る。車を降りて歩くこと約30分。狩浜から高山大早津にかかるヒヤマの山頂部にようやく到着してみれば、石積みが残っていて、狼煙台の跡だという。明浜には、他に大崎鼻にも狼煙台が残っている。佐田岬も眺めることのでき、さらには九州佐賀関の工場の煙突も見えるという山頂部だが、現在は木々が生い茂っていて、眺望はできない。ただ、石積みはきれいに残っている。ヒヤマの地名の由来も狼煙の「火」からきたのだろう。

狩浜の棚田3

2008年07月20日 | 生産生業
これは棚田ではない。狩浜の段々畑を拡大したもの。棚田には上方に水源があることが絶対条件だが、昔は芋・麦、今は蜜柑の段々畑は、必ずしも近くに水源はなくても開墾されている。

狩浜の棚田2

2008年07月20日 | 生産生業
狩浜の集落写真。周囲は柑橘畑。昔は、芋・麦・桑畑の段々畑だった。石垣が白いのは石灰岩が地元で採れるため。白い石灰岩の石垣と、それ以外の色の石垣が混ざっていて面白い。なお、マッコロバシの棚田はこの写真を撮った場所より、標高はもっと上。

狩浜の棚田1

2008年07月20日 | 生産生業
今日、7月20日は、朝8時から狩江公民館の行事で、ヒヤマにある狼煙台と、マッコロバシという場所の、昔の棚田跡を散策(というより探検?)する行事に参加。車で中腹まで行って降りたところからマッコロバシ付近を撮った写真。竹薮になっているところあたりがマッコロバシ。

八幡浜ちゃんぽん

2008年07月20日 | 八幡浜民俗誌
宇和のスーパーで買い物をしていたら、見慣れない「八幡浜ちゃんぽん」が商品化されていた。製造場所を見れば、八幡浜市外。しかも中予地方。これなら、「八幡浜ちゃんぽん」ではなくて、八幡浜風ちゃんぽん?

八幡浜ちゃんぽんもメジャーになってきたかな~と思いつつ、本場を重視せないけん。

というわけで、この写真は、本場、八幡浜・新町のロンドンの店舗の宣伝幕を載せようと思った次第。