愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

川名津柱松神事の榊台

2000年07月13日 | 八幡浜民俗誌
川名津柱松神事の榊台

 八幡浜市川名津で毎年四月第三土、日曜日に行われる柱松神事では、榊台(さかきだい)という、二.五メートル程の高さの榊を一本立てたかき棒付きの台が出される。これは、祭りの中で、天満神社の本殿から御神体を移された神輿が巡行する際に、神輿を先導するお供の役割を持つものである。柱松神事の最後つまり日曜日の午後五時頃になると、神社前に神輿が据えられて、その脇に榊台も置かれるが、その前で五ツ鹿踊りや唐獅子が最後の踊りを奉納する。これが終わると神輿が神社本殿に帰る宮入りとなるが、この際に、牛鬼と榊台が鉢合わせをする。牛鬼は青年団が担ぎ、榊台は四十二歳の厄年の男達が担いで、神社前に立てられた柱松を巡りながら、双方をぶつけ合う。鉢合わせではケガ人が出る年もあるなど、荒々しいもので、八幡浜市内の祭りでは最も迫力のあるシーンと言えよう。祭りの観客は、この鉢合わせにくぎ付けになるが、その観客の眼を盗むかのように、神輿は宮入りを果たし、鉢合わせの最中に御霊(みたま)遷しが行われる。他所の祭りでは、神輿の宮入りは祭りの最後の行事として、神社拝殿前で氏子に見守られながら行われることが多いが、川名津では神輿の宮入りは、観客が牛鬼と榊台の鉢合わせを注目している時に、ひっそりと行われるのである。これは、神輿のお供である榊台が、神輿を襲おうとする牛鬼から、無事宮入りできるように神輿を防御するというストーリーで説明できると思われる。
 さて、一般に祭りに際して、神輿とは別に装飾を凝らして、担いだり、曳いたりするものを山車(だし)と言うが、京都の祇園祭の山鉾や、愛媛県内では新居浜の太鼓台や西条のだんじりが有名である。これらはもともとは神輿のお供として存在していたものが、装飾が発達するあまり、祭りで最も注目されるものとなっている。太鼓台にしても現在は金糸の立体刺繍の施された幕が飾られ豪勢になっており、また鉢合わせも行われることがあるが、原初的な形態は単に太鼓を据えた台であり、神輿の巡行の前に、神輿の到着を太鼓を叩いて知らせたり、太鼓の音で神を奮い立たせるものである。これを川名津の榊台に当てはめて考えると、榊台も神輿のお供であり、単なる榊が台に乗せられ、厄年の男がこれを担いで、牛鬼と荒々しく鉢合わせを行う。もし、この榊台に彫刻や刺繍などの装飾を施して、その飾りが観客の眼を惹きつけるようになると、立派な山車になってしまう。つまり榊台は、神輿のお供という役割を充分に全うしている山車の原型といえるのである。

2000/07/13 南海日日新聞掲載

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