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愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

愛媛の祭礼と傘鉾

2000年06月09日 | 祭りと芸能
傘鉾とは祭礼の飾り物の一つである。一般には、大きなかさの上に、ほこ、なぎなた、造花などをとりつけたものであり、京都の祇園祭、東京の山王祭、神田祭のものは有名である。愛媛県内の祭礼を見渡してみても「傘鉾」に関する史料を散見することができる。ただし、それらは他の練物や山車に淘汰され、ほとんど現存していない。現在、「傘鉾」を祭りで用いるのは、伊方町の八幡神社の秋祭りくらいである。
 なお、祭礼とは異なるが越智郡朝倉村古谷の五月の祭りに「カサホコ祭り」なるものがある。古谷の多伎神社では、毎年5月11日にこの傘鉾祭を行うが、ここで言う傘鉾とは、四つ割竹で骨組みした人形に子供の着物を着せて、中央に笹を立てたもので、これを両手で踊らせながら祈祷をうける。一般に言われる傘鉾とは形態、用途が異なるが、実に原初的な祭であり、傘鉾の原初的な意味を垣間見ることができる。つまり、風流化する以前の神霊の依り来る依り代としての要素が見られるのである。
 そもそも、県内の祭礼では傘鉾は江戸時代初期中期以降の祭礼に登場していることが確認できる。宇和島藩の伊達家御歴代事記に「かさほた」に関する記事があったり、宇和島の一宮である宇和津彦祭礼絵巻(宇和津彦神社蔵)の中にも傘鉾が描かれている。ところが、この江戸時代後期成立の絵巻よりも新しい時代の記録を見ると、傘鉾は登場せず、山車や布団太鼓へと変貌している。また、佐藤秀之氏著『伊曽乃祭礼楽車考』133頁に、西条市石岡神社「宝暦七年 来る十五日、八幡祭礼の儀(石岡八幡宮と呼ばれていた)(中略)渡御一通り並、のぼり、屋台、笠鉾等云々」とあり、また伊曽乃神社についても、天保6年9月、磯野歳番諸事日記に、北川村から「傘鉾」が出されていたことが記されている。なお、北川村(現在の下喜多川村)は、西条祭絵巻によると江戸後期の天保頃になると、御輿楽車を奉納している。
 近年まで傘鉾が出ていたが野村町惣川の秋祭りである。これは森正史編『惣川の民俗』に写真入りで紹介されている。船戸森八幡神社の祭礼に出る傘鉾の写真で、女子2人がそれぞれ幕の垂れた傘を持っている。これも戦後は途絶えてしまった。そして今では県内で伊方町のみになっている。
 いずれにせよ、愛媛では傘鉾は祭礼のなかでは発達せず、東予ではだんじりや太鼓台、南予では牛鬼、四つ太鼓などの方が祭りの中で「見せる」要素が強いとされ、淘汰されて消えていったのである。

2000年06月09日

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