愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

四国の狼(ニホンオオカミ)伝承

2016年10月16日 | 自然と文化


四国霊場第21番札所の太龍寺。西の高野とも呼ばれる霊場。

この太龍寺に昇るロープウェイから見える「山犬ヶ嶽」。ここに狼の銅像があったのには驚いた。

振り返れば「丹生谷」が見える。丹生と山犬というセットはまさに高野山。丹生明神と狩場明神。

若き空海修行の地とされるこの場所に相応しい伝承。(あまり短絡的に、山犬イコール狩場明神、丹生イコール空海・水銀と結びつけるわけにもいかないが。あと、狼と山犬を同じものととらえるのか、どう分けて考えるのか、なかなか複雑。)

この伝承がいつ成立したものなのか。平安時代?江戸時代?それもとも近代?

狼は明治30年代後半には絶滅したとされているが、ここの山犬伝承はどのくらい過去に遡ることができるのだろう?

四国における狼伝承は松山市の木野山神社など各地にあるが、さてそれらをまとめた成果はあるのだろうか?と、この狼のブロンズを見ながら興味がわいてきた。



空海と「丹生」地名

2016年10月15日 | 信仰・宗教


徳島県阿南市加茂町にある四国霊場第21番札所太龍寺。標高618mの太龍寺山に位置する。



この山頂近くに若き空海が修行したと伝えられる「舎心嶽」がある。この「舎心嶽」は太龍寺ロープウェイからも見ることができる。



ロープウェイは那賀町側から昇り降りするのだが、このロープウェイから東側を眺めると那賀町仁宇が見える。

ここの神社は八幡神社であるが、丹生都比売神も祀られている。仁宇は「にう」つまり「丹生」地名。このあたりを「丹生谷」と呼ぶとのこと。橋も名前は「丹生谷橋」。

空海ゆかりの地の近くにある「丹生」地名として覚えておこう。




愛媛県内に残る「島原大変肥後迷惑」史料

2016年10月14日 | 災害の歴史・伝承
本日10月14日。熊本地震からちょうど半年。

この半年、九州の災害に関する史料が四国側で残っていないか、気に留めながらいろいろ史料を見ていました。これまで調査して撮影していた史料の中にも、改めて確認すると当該記述も見つかったり。これまで九州と四国の災害を広域で見ていなかった自分。見落としがあることを反省した次第です。

今回、確認した史料が以下のとおりです。

江戸時代の寛政4(1792)年の九州島原の雲仙。地震で山体崩壊、そしてその土砂が有明海に流れ込み、対岸の肥後(熊本)に津波が押し寄せて多くの死者が出たいわゆる「島原大変肥後迷惑」。

以前写真撮影していた愛媛県八幡浜市内の庄屋の記録を読み込んでいたら、この寛政の「島原大変肥後迷惑」に関する記述があることを確認しました。(これまでは宝永や安政の南海地震に気をとられて寛政まできちんと読んでいなかったのです・・・。)

「嶋原温泉嶽壊崩」、「当辺迄、七日七夜ノ猛音ス」と書かれている。

つまり、雲仙の山体崩壊、津波の音が、南予(愛媛県八幡浜市)にまで聞こえていた(響き渡っていた)ということがわかります。

災害の歴史は、いまの都道府県単位で考えるのではなく、九州と南予など、県境を越えて災害史料を突き合わせてみることが大切なのだと、熊本、大分地震のあと、改めて考えさせられてるところ。

この「島原大変肥後迷惑」に関する史料が愛媛にあるというのは、いまのところ報告がありません(自分が把握している限り。ただ寛政4年4月の災害記述、探したらまだ出てくるような気もします。)

この「島原大変肥後迷惑」。寛政4年の大災害。雲仙眉山の山体崩壊の原因は噴火によるものではなく、地震によるものとされています。爆発的噴火であれば音が四国まで響き渡っても不思議ではないのですが、地震による崩壊の音が四国まで聞こえていたとすると、かなりの轟音だったはずです。長崎県内の史料に「百千ノ大雷一度ニ落チルガ如ク天地モ崩」とあり、一度に百、千もの雷が落ちたような音。その轟音が四国まで届いていたと思われます。

島原の眉山は、寛政4年の山体崩壊のあとも、明治22年の熊本地震のときも山崩れ、今回の熊本地震でも小規模ですが崩れています。このような史料情報の集積は大事かと思います。愛媛県内の災害史料情報を四国外とも共有しないといけないと思っています。


宇和先哲記念館「末光績展」

2016年10月13日 | 日々雑記


現在、宇和先哲記念館にて平成28年度特別展「末光績(すえみついさお)展~大自然を離れて私の人生はない~」開催中。

重要伝統的建造物群保存地区「卯之町の町並み」にある西予市指定有形文化財「末光家住宅」にゆかりがあり、宇和農蚕学校(現在の宇和高校)建学の父といわれる「末光績」にスポットを当てた展示。



西予市宇和町で生まれた「末光績」は、後に札幌農学校(現在の北海道大学)に進学。ここで文豪「有島武郎」と出会う。展示では有島の直筆の書簡なども紹介。また、新渡戸稲造との交流もあった績。新渡戸の書簡なども並ぶ。

札幌農学校卒業後、故郷に帰り、一教師として働くが、40歳で再び東京大学に入学。その後は、恵泉女学園で女子教育に関わる。

また、績は、山に魅了され、日常生活で感じる自然のありのままを詩や絵で描く。その作品も展示中。

あと宇和高校に保管されていた植物標本も並んでいる。

績の遺したものが、いかに地元で受け継がれるのか、いろいろ考えさせられます。

重伝建は建物だけが受け継がれるのではなく、そこに生まれ育った人物の生き様もいかに伝えるのかが大事。(その意味で先哲記念館の役割は大きいかなと思います。)卯之町に生まれたからこそ札幌農学校に行って、宇和高校の礎を築いた績。重伝建卯之町の持つ「人を育てる、巣立たせる環境」に注目することは大事だなと展示を見ながら痛感。


期間 【前期】平成29年3月12日(日)まで
【後期】平成29年3月18日(土)から平成29年9月24日(日)

入館料は無料。(この充実した展示が無料とは!こりゃ西予市民は一度はみないとね。)

数年前に愛媛新聞で高橋記者が執筆した末光績の特集記事(これがまた力の入った連載でした)が、展示として地元で実現したか!と思いながら展示を拝見。高橋記者や先哲記念館のスタッフの尽力に頭が下がる思いです。


NPO法人えひめ311

2016年10月12日 | 災害の歴史・伝承


昨日は松山のNPO法人えひめ311の事務所へ。

「えひめ311」は、東日本大震災による愛媛県内への避難者の支援のための情報提供、相談、各種イベントを開催。

代表の渡部さんたちと、12月4日に松山市内で行う予定のイベント(講演&ワークショップ)内容についての打ち合わせでした。

詳細は後日アップします。


伊達博物館特別展「海、遥か」

2016年10月11日 | 日々雑記


昨日は、宇和島市立伊達博物館へ。特別展「海、遙か ―薩摩藩島津家と宇和島藩伊達家―」。会期が今日まで、ということで、すべりこみ。



あと真田家つながりの杏の木もながめてきました。



卯之町に戻って池田屋で三里膳をたべて、先哲記念館で「末光績展」、「よんでん和み館」で「アルテ倶楽部作品展」を観る。

ぜんぜん体育の日っぽくない一日。運動せねば。

阿蘇山噴火と愛媛県ー江戸時代 伊予国での降灰ー

2016年10月10日 | 災害の歴史・伝承
今年6月に調査、撮影した愛媛県八幡浜市の某庄屋記録に、寛永8年(1631)4月14日から、空の雲が赤くなって、灰が降ってきた。そして「諸穀大不作」となった。このような記述がある。

この年、阿蘇山が噴火しているので、この降灰は阿蘇山からのものと思われる。今回の阿蘇山噴火により降灰が愛媛県でも確認されたが、農作物に影響が出るほどではない。

「諸穀大不作」となるほどの降灰があったという記録。これが八幡浜市に残っている。


中央構造線と寛永2年の連続地震

2016年10月09日 | 災害の歴史・伝承


2016年10月1日付で発行された『一遍会報』381号に拙稿「過去の南海地震と道後温泉不出(一)」が掲載されました。

その原稿の中で、寛永2年(1625)に広島県、愛媛県、熊本県で連続して発生した地震に触れてみました。中央構造線断層帯を震源とする連続地震の可能性があるのではないか。その検討が必要なのではないかという指摘です。

熊本地震以降、慶長地震は中央構造線断層帯の地震のとして注目されていますが、今後、寛永2年地震も検討、注目すべきかと思っています。

以下、一遍会報381号からの引用です。

次に『松山叢談』に記されている寛永二(一六二五)年の地震である。『久米八幡宮記記録抜書』に「一、寛永二年御先代様之時分、大地震之時、道後温泉不出、湯之岡ニ仮社ヲ建」とある(『道後温泉』一〇二頁)。この地震は三月一八日に発生したものの詳細な記録がなく、どのような地震だったのかは不明な点が多い。しかしその三ヶ月前には安芸国(広島県)にて、三ヶ月後に熊本で地震被害の記録が残り、西日本で連続して地震被害が出ている。この約三〇年前には文禄五(一五九六)年七月に中央構造線断層帯を震源として、いわゆる慶長伊予地震、豊後地震、伏見地震が連続して発生しているが、この寛永二年の地震も中央構造線断層帯に沿って広島、松山、熊本と連続して発生している可能性もある。文禄五年(慶長地震)から約三〇年しか経過していないことから、余震もしくは誘発地震に該当するかどうかも検討対象となってくる。平成二八年四月の熊本地震以来、中央構造線断層帯を震源とする地震の歴史が注目され、特に慶長地震は取り上げられる機会が増えたが、寛永二年の地震についても愛媛県、道後温泉と中央構造線断層帯関連で無視することはできない。同様記事は『予陽郡郷俚諺集』、『道後明王院旧記』、『小松邑志』にも記載があるなど史料が比較的豊富なので、今後、検証が必要となる地震だと思われる。


【追記】
香川県高松市国分寺町の国分八幡宮では、寛永2年の地震により、本殿が損壊し、翌年新しく造営されたという。

「讃岐国大日記」、「高松藩記」に、寛永2年(1625)11月上旬に大きな地震があったという記録もある。

寛永2年地震は、広島、愛媛、熊本、香川の連続地震の可能性もあり、広域の詳細史料調査が必要である。




阿蘇山の噴火と愛媛県での降灰

2016年10月08日 | 日々雑記
2016年10月8日午前1時46分、熊本県の阿蘇山の中岳第一火口で爆発的噴火が発生。気象庁によると噴煙は高さ1万1000メートルまで上がったのとこと。

阿蘇山から東北東約150〜200キロの愛媛県でも、午前5時頃から降灰。愛媛県西予市宇和町では、写真のとおり、車のボンネットにごくごく少量の降灰。NHK松山のニュースをみると、松山市内の方が降灰は多いようだ。






南海放送Qクエ「松山秋祭り」

2016年10月07日 | 日々雑記
南海放送のQクエ。あす10月8日(土)11:55からの放送。

http://www.rnb.co.jp/tv/9960/

松山秋祭り。「神輿の鉢合わせ」だけではない。さまざまな行事が取り上げられる予定。私も出ます。たぶん。

「興奮冷めやらない「松山秋まつり」の様子をいち早くお届け!選ばれた者しか走ることを許されない、和気一丁目の一体走りに挑む青年達にも密着。また、地域に根付くまつり独特の風習やその謎からクイズを出題する。」



祭りと鉢合わせ

2016年10月06日 | 日々雑記
昨年、事故のあった秋田県の角館祭り。角館と比較しながら愛媛の祭りの現況を考える。

河北新報 2016年9月5日
<角館のお祭り>事故教訓に伝統回帰


「今年4月に発足した実行委は、安全対策を進めた。その一つが安全委員の新設だ。祭りに精通した37人が見回り活動をする。危険行為があった場合は参加者に直接注意せず、しきたりに従い、各町内の運行責任者や張番に伝えて改善を促す。このほか、祭りのしきたりやルールを記載したガイドブックを約30年ぶりに復刻し、各町内に配布した。祭り関係者の中には、伝統やしきたりを軽視し続ければ、祭りが衰退しかねないとの危機感が強い。」(河北新報2016年9月5日より引用)


四国の祭りと芸能-無形民俗文化財の継承と課題ー

2016年10月05日 | 日々雑記
徳島県の松茂町文化遺産活用実行委員会主催の歴史講座「地域に受け継がれる祭~見る・聞く・学ぶ~」で話す予定です。

10月16日(日)14時~16時
講師:大本敬久(愛媛県歴史文化博物館)
演題:「四国の祭りと芸能-無形民俗文化財の継承と課題ー」

【場所】松茂町歴史民俗資料館 研修室
【申込方法】10月14日(金)までに、資料館窓口または電話にて申込
【問合わせ】松茂町文化遺産活用実行委員会事務局(松茂町歴史民俗資料館内)

http://jorurinews.blogspot.jp/2016/09/blog-post.html?m=1


南瀛国際民俗芸術節(Nan Ying International Folklore Festival)

2016年10月03日 | 祭りと芸能


宇和島の八つ鹿踊りが台湾へ。

いってらっしゃい!

10月14日、台南での南瀛国際民俗芸術節(Nan Ying International Folklore Festival)

岩手縣花卷市石鳥谷町春日流八幡鹿舞
江戶太神樂‧丸一仙翁團
愛媛縣宇和島市八鹿舞
麻豆保安宮十二婆姐

国立台北芸術大学の林 承緯先生が進行、解説されるとのこと。

http://nyiff.tnc.gov.tw/web/parade

以下、引用です。

愛媛縣宇和島市八鹿舞
八鹿舞為愛媛縣宇和島市指定無形文化資產,是宇和津彥神社的藝陣,每年十月份皆出陣,已有三百多年的歷史。

宇和島的八鹿舞源自宮城縣仙臺市,日本江戶時期,仙台藩主伊達政宗頗為支持八鹿舞,而伊達政宗的長子,正是宇和島藩的初代藩主伊達秀宗,因此將八鹿舞傳到了宇和島市。

團隊簡介
出陣時,表演者頭戴鹿頭飾,上半身包覆在一條連著頭飾的長布裡,身前抱著太鼓,邊打鼓邊唱歌跳舞,是屬於「太鼓舞」類型(太鼓踊り系)的鹿舞。

演出時的動作和歌詞,各地不盡相同,雖說宇和島市的八鹿舞是從東北(仙台位於日本東北)承繼而來,型態卻已有相當的差異。東北的鹿舞,鹿頭齜牙瞪目,動作勇壯威武,而宇和島市的鹿舞,鹿頭溫馴可親,動作優美纖細,音樂輕柔。表演主題則稱為「躲藏的雌鹿(めじしかくし)」,主要是在表現七隻雄鹿尋找一隻藏身在宅院裡的雌鹿,最終在樹蔭下歡喜相遇的情節。


高校生進学情報サイトで「愛媛の河童」特集

2016年10月02日 | 口頭伝承

西予市明浜町の河童の狛犬


高校生向けの進学情報サイト マイナビ進学U17 に、愛媛県の河童文化が取り上げられました。

タイトルは「石像がある!? 愛媛県にはカッパが“うようよ”いるらしい!」


今治市伯方町のえんこ石


これまで愛媛県の河童がクローズアップされたことはあったのだろうか?


八幡浜市穴井のえんこ祭り


「愛媛県はカッパにまつわるスポットやイベントが多くある地域として、一部で注目を集めています。」とのこと。ホントに注目されているのかな・・・?


「一部で注目」って、まだまだ注目されていない、と同義かも。


気になった点がひとつ。記事の最後に、「地域社会学」と紹介されているけれど、実際には「民俗学」の方が適当かも、と思います。